蓮園の龍神
見慣れない川の畔に腰かけたオオシマは足先を水面につけて水を遊ばせた。
なんとなくではあるが、ここは三途の川なんだろうなと思える。
水面に足をつけるとそこから丸い葉が姿を見せた。徐々に茎を伸ばして蕾をつけると手のひらほどの大きさの蓮の花が咲いた。
足先を水面からあげると指についた雫が落ちて水面にまた蓮の花を咲かせる。
オオシマの背には和彫りの龍がその雄々しい姿を見せ、その周りには蓮の花が散らされている。
きっと背中の入れ墨に蓮があるから水面に蓮の花が咲いたのだろうと思う。
気づけば遥か彼方にまで続く川は淡いピンク色した蓮の花で埋め尽くされていた。
こんな蓮だらけの景色は見たことがないはずなのに、どうしてか見慣れた景色にも思えた。
白い脚を伸ばして指先で蓮の花びらを一片つかみあげる。
掴み上げた花びらを手のひらに納め、淡いピンクを食む。
すると背を一陣の風が通り抜けて長い金髪をふわりと揺らす。
蓮の花が咲き乱れる川の水が隆起するとそこから巨大な龍が一匹現れた。
オオシマなど一口に食われてしまいそうな巨大な龍。白く長い胴体が空に舞い上がり、等間隔に生える足には水晶のような玉を握っている。
今度は背の龍だな。
巨大な龍を見ながらそう思った。蓮も龍もオオシマの背中にあったものだ。それが今目の前に具現化して出てきているのだろう。
龍は自由を得たように機嫌よく空を舞ったあとにオオシマの前に舞い降りると巨大な鼻先を向けてオオシマの匂いが嗅いだ。
『随分でけぇんだな。俺の背じゃ窮屈だったろ』
懐いているように龍はキュゥと高い声で鳴く。
オオシマは悪い思いをさせてしまったと思い、龍の巨大な鼻先を撫でた。柔らかな手のひらが鼻先に触れると龍は嬉しそうに鼻先に生えた長い髭を揺らした。
『オメェらは俺がくたばる前から一緒だったからな』
飼い犬にでも話しかけるような口調だった。
『これからもよろしく頼むぜ』
***
いつか見た夢を思い出しながらオオシマは風呂に入っていた。
この風呂に入るのも今日が最後である。ジェニーに頼んだ改装が明日から始まることとなり、オオシマはこの家での最後の湯あみを噛みしめた。
オオシマのこの世界でのスタートを切った風呂場は良くも悪くも思い出深い。
「ママせなかあらってあげる」
「おう、たのむ」
一緒になって入っていたプーフは浴槽から出るとヘチマでオオシマの背中を擦る。
そういえばプーフと最初に風呂に入った時もこんなことをしていたなぁと思い出が蘇ってくる。
プーフは背中に入った和彫りの龍を見ると『背中にドラゴンがいる』なんて驚いていた。
金髪美少女にはとても似つかない和彫りの龍と蓮。
プーフには見慣れたものだが、それでも他ではお目にかかれない和彫りをプーフは気に入っていた。
何故背に和彫りが入っているのかは知らないが、プーフは見れば見るほど魅了される気がして背中を洗いながら龍を見つめた。
ぎょろりと和彫りの龍が目を動かしてプーフを見た。
動くはずのない背の龍の視線がプーフを一度見つめると、視線はまたいつものように遠くを見つめる。
「まま! いまどらごんがプーのことみた!」
「は?」
「ママのせなかのどらごんがプーのことみたの! こっちみたの!」
急になにを言ってるんだとオオシマは背後のプーフに顔を向けた。
プーフは驚きに体を揺らして背の龍を見続けている。
「錯覚だろ」
プーフの言葉を信じられるわけがない。水がかかったせいか髪がかかってそう見えたか、どちらにせよ見間違いだろうとオオシマは再び前を向いた。
「ちがうの! ほんとうなの! どらごんがプーのことみたの!」
「そうか。じゃぁまた目動いたら教えてくれ」
信じてもらえていないと察したプーフは頬を膨らませながら再びヘチマで背をこする。
龍の顔を睨みながらこすっていると、また龍の目がプーフを向き今度は揶揄うように口元を釣り上げた。
「まま! うごいた!」
「またかよ」
「いまプーのことみてわらったの! どらごんわらったの!」
「はいはい、今度は笑ったか。じゃぁ怒ったりもするかもな」
信じてくれないオオシマにプーフは地団太を踏みながら背の龍を見つめた。
龍はそれがおかしいのかニヤついたような顔つきでプーフをみている。
「ほんとうなの! ままのどらごん、いまプーのことわらってるの!」
「どっちにしろ俺背中見れねぇから確認できねぇよ。洗い終わったんなら風呂入るぞ」
自分で桶に湯を汲んで背中に浴びせるとオオシマは立ち上がって浴槽へと体を沈めた。
「ほれ、プーもはいれ」
「むー! ほんとうなの!」
「わかったよ。ほれプーこい」
両手を開いてプーフを招き入れるとプーフは頬を膨らませながらも浴槽へと体を沈めて背中をオオシマの胸に預けた。
天井を見上げながらオオシマの口からは生気のない声が漏れる。
この狭い風呂も今日で終わりかと思うと清々する。
娘たちと入るには狭すぎるし、最近では娘たち三人で入ってはいるが窮屈そうであった。
「最初ここで目覚ましたときは驚いたもんだ……もう何か月前だ」
思い返してみるが正確な日数はわからない。カレンダーも日付を刻むものもこの世界にはなかった。
オオシマ自身、そこまで日付に関心はなかった。この世界がどういうものさえ分からなかったのだ。
そんな中で日付や今がいつなのかまで気にできはしなかった。
「ほんとうにうごいたんだもん。どらごんプーのことわらったんだもん」
信じてもらえなくてプーフは頬を膨らませながら少しばかり寂しい顔をしていた。
オオシマはそれを見間違いだとは思っているが、子供心を傷つけたかと思うとプーフの小さな体を抱きしめた。
「もしかしたらドラゴンはプーと話したくて目を合わせたのかもな」
顔を合わせて笑ってみせるとプーフは寂しそうだった顔を笑顔にさせて口を開いた。
「きっとそうなの! ママのどらごんはプーとおはなししたかったの! だからプーのことみたの!」
「じゃぁ今度目があったら話しかけてやんな。ドラゴンも俺の背にいるばっかりで暇だろうからよ」
「まかせて! プーどらごんちゃんのおはなしあいてになるの!」
濡れたプーフの金髪をわしゃわしゃと撫でると二人は笑った。
それに反応するかのように背中の龍は機嫌良さそうに長い髭を揺らしていた。