幸福論
海の一件にとりあえずの片をつけたオオシマたちは長い道のりを歩いて帰った。
舟が大破してしまったので他に帰る手段はない。しかし、それを咎めたりする声もない。
オオシマの姿を再び見られた娘たちは寂しさの跳ね返りからかわずかな距離も空けずにつっきながら帰路を歩いた。
数時間が経って町に戻ると一行はくまのレストランへと戻った。
待っていたジェニーは事の次第を聞いて怒鳴り声をあげながら旦那をぶちのめしたが、オオシマの無事な姿を見ると荒い鼻息をあげて怒りを鎮めた。
「まったく、危険なことに巻き込んじまったね。悪いことをお願いしちまった」
「気にすんな。死んだわけじゃねぇ」
テーブル席に腰を降ろすとシロが真っ先にオオシマの足の上に腰を降ろし、両隣にプーフとリリアが腰を降ろした。
ジェニーはカウンターの奥から酒と子供たち用に茶を注ぐとテーブル席に並べている。
気遣いの飲み物に口をつけると生き返るような気がする。長い道のりを歩いたせいで疲れは十分に溜まっているし、海の底に沈んでいたせいかオオシマは体が思うように動かないような違和感があった。
「だが、これからはリバイアが言ってたように少しは海にも気を使わねぇとな。アイツらも出産を控えてんのに俺らが出張っちまったせいで疲れてるだろうしな」
海で出会った親子に思いを寄せる。
大きかったお腹はあと少しすれば子を産む落とすだろう。
「はぁ。元を辿ればあたしらの旦那が海を汚したのが原因だろ。あたしゃ情けないよ」
ジェニーが溜息をつきながらカウンターに腰かけた旦那を睨んだ。
トーマスは睨みつけられると居心地悪そうに視線を外している。
「そう言ってやるな。トーマスたちだって漁師をしている以上抗えない部分もあっただろ。自然を相手に仕事してんだ。そううまくいくもんじゃねぇさ」
母という立場もあるが、同時にオオシマは男として仕事をしていく辛さも分かる。
一概に誰が悪いともいえることではない。身を小さくしているトーマスも家族やレストランのことを気にかけながら漁をしていたはずだ。
それを思えばトーマスを責めることはできない。
「でも、これで一件落着だね。アンタ、もう海を汚すんじゃないよ!」
「はい…気をつけます…」
語尾を強めるジェニーにトーマスは申し訳なさそうに言うと手にしたコップの酒を一口舐めた。
「鬼姫には世話になっちまったね。アンタのおかげでまた漁ができるし、レストランもまた魚料理を提供できるだろう。これからは遠慮せずにうちで飲んでいきなね」
「おう。そこは遠慮するつもりはねぇ」
出された酒を一気に飲み干すと空いたグラスをテーブルの端に寄せた。
「ところでよ、ジェニーは卸の知り合いが多いって言ってたよな。その中で卵を産む鳥を扱う奴はいないか?」
オオシマはここにきた経緯を思い出していた。
元々はプリン作りのための卵を産む鶏のような鳥を探して町に出向いていた。そこからワプルと出会って海の話を聞いてかた事態は大きく変わってしまっていた。
それらが終わってオオシマは当初の目的を思い出すとジェニーに問いかけていた。
「たまごってのはどんなのがいいんだい?」
「小さすぎず、大きすぎないのがいいな。鶏でもいりゃいいんだが」
「そうだねぇ。もしかしたら肉屋が扱ってるかもしれないから聞いてみるよ。でも、それで何をしようってんだい?」
「ちょいと商いでも始めようかと思ってな」
この世界には焼き菓子はあってもオオシマが子供たちに振る舞ったプリンのようなくちどけの良い甘いお菓子はなかった。
そこでオオシマはこの世界初となるプリン屋を開けないものかと思案していたのだ。
世界初ともなれば珍しさから流行るかもしれない。そうすればオオシマも商いをはじめることで定期的な収入を得ることができる。
娘三人を抱える以上はある程度の金は必要になってくる。今までのようにきまぐれで手に入れた金を消費するだけの世界では行き詰ることを考えていたオオシマは一人そんなことを考えていた。
「鬼姫が商いねぇ。何をはじめるんだい?」
「菓子屋だ」
その言葉にジェニーはプっと吹き出した。
「人々に恐れられる鬼姫が菓子屋かい。アンタギャップがありすぎるよ」
「俺もそう思う」
元ヤクザ、元男からは考えられない商いにオオシマ自身おかしさを感じている。
この世界に来てからも鬼姫と言われ恐れられているのに、その二つ名を持ったものが菓子屋を開こうとしているなど、可笑しさ以外は何もない。
「いいじゃないか。どんなものを作るんだい? クッキーでも作ろうってのかい?」
「いや、そうじゃない。でも多分オメェらも見たことがないもんだ」
「ママまたプリンつくるの?」
会話から連想されたプリンをプーフは口にするとオオシマは口元をニヤつかせた。
「プリン? なんだいそりゃ」
ジェニーの問いかけはやはりプリンという存在を知らないことの証明だった。
「甘い菓子さ。オメェも見たことのないような代物だと思うぜ」
「へぇ。そんなもんがあるんだね。もし作ったら是非あたしも食ってみたいもんだ」
「鳥さえ手に入ればオメェにも食わしてやる」
「そいつは楽しみだ。じゃぁ明日にでも肉屋に聞いてみるよ」
「頼む。それとあとオメェの知り合いに大工はいねぇか?」
「大工? 店を建てるつもりかい?」
菓子屋をやると聞いたのでジェニーはオオシマが店でも構えるのかと連想した。
しかし、オオシマの頭に描いてたのは店を構えることではなかった。
町から離れた自宅を改装しようとオオシマは考えていた。元々女神が用意した家はワンルームのような小さな平屋である。
そこに今は大人一人、子供三人で生活している。
子供はこれから大きくなっていくだろうし、将来を考えれば今の家は小さすぎた。
「いや、離れにある自宅をデカくしようと思ってんだ。金があるうちにやれることをやっておきたい」
「大工なら友達がやってるから声はかけられるよ。あたしからの頼みなら多分いくらか値引きもしてもらえる」
「そいつはありがてぇ。あんまり使ってちゃすぐに金が尽きちまうからな」
「もし金が尽きたらうちでタダ飯食わせてやるから安心しな」
ニヤリ笑うジェニーを見てオオシマもふざけるように笑った。
すでに友人となっている二人は互いの腹のうちを話すと頼れる存在となっていた。
ジェニーは漁が再開できる恩返しをしたいと思っていたし、同じ母親としても何か協力できることがあるならば惜しまないつもりでいた。
元々何も知らない世界で一人で生きていくつもりだった。
そこに現れた耳の尖ったエルフの少女プーフ、奴隷屋から連れ出したサキュバスのリリア、川の底から助け出したシロ。
オオシマは思いがけず家族を増やしている。
ただ平穏な日々を送るのではなく、オオシマは出会いから生きがいを感じるようになっていた。
昔のような任侠でしのぎを削るのではなく、誰かのために生きていく。
初めて感じる誰かのためへの奉仕精神。尽くすこと、相手のことを思いやれる幸福感。
オオシマの体に寄り添う三人の娘を見てオオシマはこの幸せがいつまでも続くように願っていた。




