理由
赤く目を腫らしたまま、プーフとリリアは小屋で目を覚ました。
小屋の中を見回してみてもそこにオオシマの姿は無い。
いつもならばオオシマは誰よりも早く起きて朝食の支度をしていた。
『おう、起きたか』
そう言ってキッチンから振り返って笑う顔はどこにもない。
思い出しただけでまた涙が伝った。
「ママ……」
虚無にぼやく。
起き上がったプーフはそのままの足で外へと出るとリリアも続いた。
まだ朝の空気は少しばかりひんやりとして、腫れた目を冷たくさせた。
浜辺を見てもそこには昨日見た景色があるだけ。どこまでも続く海に、ぼんやりと伸びる日の光とまだ荒さの残る波。
昨日見たそれは新鮮で楽しかったのに、今の二人には残酷なものにしか感じられない。
無情に響く波の音は少女たちの心を削り取るように聞こえる。
歩きながらどこかにオオシマの姿は無いかと探す。
打ち寄せては引いていく波の音が耳障りだった。少しでもオオシマの姿はないか、声はないかと探している中に聞こえる波の音はただの雑音に聞こえた。
歩いているとシロが進行方向から向かってきた。
二人と目が合うとシロは首を横に振っている。
一人きりで泣いていたのだろう、シロの目は赤く頬には涙が伝ったような濡れた跡がまだ乾かずにある。
「ずっと探したけど……ママはいなかった」
「ママ……」
どれだけ涙を流しても、次から次へと涙が溢れてくる。
子供でも分かった。海に沈んでこれだけ長い時間帰らないという事実から導きだされるのは死だ。
想像したくない。しかし想像してしまう。
会いたい。でも会えない。
記憶の中だけにあるオオシマの映像は、まるでセピア色に加工されると過去になっていくように思えた。
「オ……オオシマならきっとそのうち帰ってくるよ! だってさ! 猪とかだってやっつけてたじゃん!」
気丈に振る舞おうとしても、リリアは言いながら頬に涙が伝っていた。
「ママ……プーね、ママみつけるまでここにいる」
視線を落としてプーフは震える手でスカートを握りしめていた。
ひんやりとした潮風が吹くとプーフの金髪を揺らしている。ぐしゃぐしゃになった顔に吹き付ける潮風は冷たく乾き、痛くてしかたなかった。
三人揃って並びながら浜辺を歩いた。
シロが見つけた舟の回りをもう一度確認し、さらに先まで歩いてみても何も無い。
一番奥まで行くとそこは岩場になっており、波が打ち付けて飛沫をあげている。
夜は訪れることのなかった岩場を探索してはみたが、やはりそこには何もない。
座れそうな岩場を見つけると、三人一列に腰を降ろして岩に打ち付ける波を見ていた。
もう言葉すら発せないほどに憔悴していた。
何か話そうとしても、そこからは良い言葉が出そうになかった。
何かを口にしようとすれば、その口は震えてしまう。
シロはぼんやりと歩いてきた岩場に目をやった。
打ち寄せる波に交じって大きな魚のような影が見えた。影は海中をゆっくり泳ぐと岩場にたどり着いて姿を見せた。
青い髪の毛をした少女だった。少女は岩場にあがるってその全身を見せると下半身は魚の姿になっている。
――あれは、なんだろう。
シロがずっと同じ所を見ているのに気付いたリリアがシロの視線の先に目をやった。
岩場に腰かけた人魚の少女はプーフたちと同じようにぼんやりと海を見てそのまま動かずにいる。
「あれ、誰だろう?」
「分かんない。でも、今海から上がってきたよ」
リリアの問いかけにシロが答える。
「じゃぁ、もしかしたらオオシマのこと何か知ってるかもしれない!」
そこに希望が見えた気がして、リリアは立ち上がると岩場を跳ねるように駆けながら少女へと近づいていく。
急に駆けだしたリリアの後をシロとプーフも追いかけた。
三人が近づいてくるのに気づくと人魚は一瞬体をビクリと震わせたが、そこから逃げることなくただ三人の姿を見ている。
「ねぇ、あなた今海からきたんでしょ!? 金髪の女の人みなかった!?」
「金髪の……女の人?」
「オオシマっていうの、長い金髪で言葉遣いが荒い女の人」
「プーたちのママなの! ママがいなくなっちゃったの!」
「あ……」
青い髪の少女がリバイアちゃんとも知らずに、リリアもプーフも矢継ぎ早に言葉を発していた。
リバイアちゃんの頭には昨日出会ったオオシマを思い出していた。
海底まで追いかけてきた金髪の若い女。言葉は荒っぽくてリリアのいっているものに合致する。
リヴァイアちゃんは目を泳がせると、三姉妹の突き刺すような視線を直視することが出来ない。
「私たちのママなの! あなた海から来たんでしょ! 海の中に……ママがいるかも……しれないの」
話ながら涙が零れる。想像したくない現実に、なってほしくない言葉を発してシロは声が震えている。
「知ってる……かもしれない」
すでにリバイアちゃんの中に確信はある。
しかし、リバイアちゃんはプーフたちに向かって何を言えばいいのかわからなかった。
地割れに吸い込まれそうになったあの時、オオシマは鬼の形相をしながらもリバイアちゃんを助けた。
地割れと水流から抜け出せたリバイアちゃんはすぐにその場を離れたが、しばらくして地割れによる水流が元に戻るとその場を確認していた。
地割れの中にオオシマはいなかった。
大きく開いた地割れの中を覗き込んでも、そこには金髪の少女の姿はなく、ただ無限に思える闇が奥深く続いているのみ。
敵対していたとは言え、自分の身を盾にして助けてくれたことが心に引っかかっていた。
何故助けたのか聞こうとしてもオオシマの姿はどこにもない。
リバイアちゃんは心に出来たしこりを消化できずに思い悩んでいた。
「知ってるの!? ママはいきてる!? どこにいるの!?」
「ま、待って。どこにいるかは分からない……」
「じゃぁ、生きてるかどうか…それも分からない?」
「分からない……」
わずかな希望にもすがり着きたかったが、リバイアちゃんの言葉からは良い答えはない。
シロは拳を握り締めると視線を落として涙を流した。
「こんなことなら海に来なきゃ良かった……私が川の底から出たと思ったら、今度はママが海の底に沈むなんて……」
「お前たちのママ……なのか?」
リバイアちゃんの問いかけに三人は涙ながらにうなずいた。
その姿にリバイアちゃんは心がチクリと痛む。
自分のせいで舟が転覆して海の中に誘い込んで、そのまま海に沈んだとは口が裂けてもいえない。
「きっとリバイアちゃんとかいう神様と喧嘩になっちゃったんだ……それでママは……」
両手で顔を隠すとシロは嗚咽を漏らした。
「じ、じゃぁ、あたちが海にもぐって何かあったら教えてやるよ!」
「本当……?」
「ま、まかせろ! あたちは泳ぐのが得意なんだ…だから、もし見つけたら教えてやる! だからお前ら泣くな!」
「うん……ありがとう……本当に大切なママなの。誰より愛してるママなの」
シロの言葉にリバイアちゃんは余計に心を惑わせた。
自分が原因で三人の少女をここまで泣かせてしまっている。その事実がどうしようもなく心を追い込んでいた。
その場から逃げるようにして飛び込むと、リバイアちゃんはなるべく遠くに三人から離れられるように泳いだ。
――なんでこんなことになっちゃうんだよ。
泳ぎながら歯をくいしばった。
涙ながらに助けを求める少女たちはまだ皆幼かった。
もし自分の母親も急にいなくなったらどうなるだろうか。あの少女たちのようになるのではないだろうか。
誰も海に近づかないようにするためにリバイアちゃんは海を自分の縄張りにすることで護っていた。
漁師たちが近づくと舟を転覆させたり網を引き裂いたりして二度とこないように警戒した。
しかし、命を奪うまではしていなかった。
今回もそうなると思っていた。脅かせば人間も熊も逃げ出すだろうと思っていた。
なのに、オオシマは海の底まで追いかけてきた。それだけではなく海に拳を叩きつけると凄まじい衝撃で海底に亀裂を起こさせた。
――あたちは悪くないもん。あいつがいけないんだもん。
自分を肯定してみても、心に引っかかる言いようのないモヤは晴れない。
人間は海の中では生きられない。
プーフたちの話からしてオオシマは十数時間は陸にあがっていないことが分かった。
当然そうなれば死は免れない。
そこに罪悪感を感じてしまう。でも罪悪感から逃げたくてアイツのせいだと言い訳してしまう。
――あたちは……ママを守ってただけだもん。
自分にそう言い聞かせてもリバイアちゃんの心は晴れることがなかった。