海の底
吹き付ける潮風がオオシマの長い金髪を揺らしていた。
「リバイアちゃん、出てこねぇな」
「そのうち出てくるさ。海面に舟がいると、リバイアちゃんはすぐにでもやってきて僕らのことを襲うんだ」
「嫌なことを聞いたな」
不穏な話にオオシマは海面の中を覗き込んでしまう。
話し合いをしにきたというのに、いきなり舟を襲われてはたまったものではない。
相手に聞く耳があればいいが、もし、いきなり襲い掛かられて転覆でもしたら解決の糸口には繋がらない。
ましてや相手は子供。子供の考えはわからず、いきなり突拍子もないことをするのは身に染みてわかっていた。
そうならないことを願いながら海を見ていると視、線の先に白い潮の塊が見えた。
「さっそくおでましだ」
トーマスの言葉にオオシマは立ち上がる。
白い潮の塊は渦を巻くと大きな渦潮をなった。
舟舵を必死にとりながら渦潮に流されないようにオールを力いっぱい漕ぐトーマス。
すでにリバイアちゃんがいると感じたオオシマは舟の前に出ると渦の中へと目をやった。
渦の真ん中からは泡があがり下から黒い影が浮かび上がってくる。
大きな魚のような影は海面までくると、そのまま飛び上がって宙へと舞った。
宙に浮かび上がったのは下半身が魚、上半身が少女の人魚のような姿だった。
青く長い髪はウェーブして波のようになっており、巻貝の髪飾りをしている。
「こらー! リバイアちゃんの縄張りを荒らすのは誰だー!」
「テメェがリバイアちゃんか」
宙にまったリバイアちゃんとオオシマの視線がぶつかりあった。
リバイアちゃんの顔はすでに怒ってはいるが、やはり子供のような顔つきは怒っていても気迫などは感じられない。
反対にオオシマの顔はすでに眉にシワがよって気迫を出していた。
ざぶんと水柱をあげて水面へと着水するリバイアちゃん。
着水と同時にそこにあった渦潮は消えてなくなると、静かになった水面からリバイアちゃんが顔を覗かせた。
「はやく出ていって! ここはあたちの縄張り! 人間も熊も入っちゃダメ!」
両手に握った拳を突き上げながらまくし立てるが、その姿は神様という神々しいものではない。
子供が怒っているだけのように感じてオオシマはとりあえず話はできそうだと船首にしゃがみこむとリバイアちゃんに声をかけた。
「オメェがリバイアちゃんか。少し話をさせてくれよ」
「だめー! はやく出ていって!」
「どうしてすぐ出ていかなきゃならないんだよ?」
「ダメなものはダメなのー! はやくあっちいって!」
予想はしていたが、やはり聞く耳はないようだ。
いうことを聞かない子供にオオシマはイラつきを覚えたが、そこで怒鳴ったりしては余計に相手の心情を悪くすると深呼吸をして自分を落ち着けさせた。
相手は子供だ。それに舟は襲われていない。ここは慎重に。慎重に。
「とりあえず理由だけでも聞かせてくれよ」
「だめ! はやく出ていかないと舟なんか沈めさせちゃうんだから!」
ドンと大きな波が舟に打ち付けた。
バランスを崩した舟にオオシマとトーマスは振り落とされないように舟に捕まると、海が落ち着くのを待った。
――コノヤロウ、黙ってりゃいい気になりやがって。
深呼吸して、今にもキレそうになるのを落ち着かせる。
既に相手のペースにはなっているが、ここでさらにこちらが反応すればリバイアちゃんを刺激してしまう。
こういった話し合いで大事なのは、いかに相手のペースに乗らないかである。
このまま相手の感情任せにしては、先が見えている。ここは大人の態度を取ろうと、オオシマはもう一度呼吸を整えた。
「聞いてくれ。俺らも漁をしないと生活ができなくなっちまうんだ」
「しらないもん! 人間も熊も嫌い! あっちいけー!」
再び波が襲った。
舟の中にまで海水が勢いよく流れ込むと、トーマスが手にしていたオールが波にさらわれて流れていった。
「オールが!」
「リバイアちゃんを怒らせるからいけないんだ! 早く帰れ!」
「どうしてそこまで怒ってんだよ、オメェは。オール流されちゃ帰るもんも帰れねぇだろうが」
「リバイアちゃんの話を聞かないお前たちが悪いの! さっさと帰れ! ばーか!」
何を言っても無駄だなと思った。
話を聞かずに一方的に『ダメ』『帰れ』ばかり言う子供を見て、オオシマは教育的指導が必要だと拳を握った。
立ち上がり腕組みをしながらリバイアちゃんを見下す。
「少しは俺らの話にも耳を傾けろ。オメェ、神様なんだろ。だったらそんな感情的にならずに少しは落ち着いたらどうだ」
「うるさい! かえれ!」
「オールが無いから帰れねぇんだよ」
「じゃぁ、海に沈んじゃえ!」
リバイアちゃんは海へと潜ると魚のように素早く泳いで舟の下へと姿を消した。
すると船底から何かが突き上げるような衝撃が舟を揺らした。
大きく左右に揺れる舟。オオシマもトーマスも何が起きるのかと舟にしがみつく。
再び舟に突き上げられるような衝撃が響くと、船底に切れ目が入って海水が湧き上がってきている。
「鬼姫! 海水が!」
「おいおいマジかよ」
切れ目に何か当てるものはないかと舟を見るも何もない。
仕方なく足で切れ目を押さえつけるが、見る見るうちに舟の中には海水が入り込んでくる。
このままでは本当に沈んでしまう。
焦る気持ちで海岸のほうを見るが、海岸は遥か先だ。泳いでも渡り切れるかどうか考えていると舟に3度目の衝撃が響いた。
「沈め沈めー!」
海面から顔を出したリバイアちゃんは楽しそうに笑っている。オオシマは怒りの形相で睨みつけるとさっさとまた海へと潜り込んで姿を消す。
「何が神様だ。ただのクソガキじゃねぇか!」
「鬼姫、このままじゃ本当に沈んでしまう!」
「分かってる!」
必死になって入り込む海水を防ごうとするが、とても手や足のみで防げるものではない。
焦る気持ちを急かすように、舟は徐々に海面へと沈みこんでいる。
「あっはっは! これで最後だー!」
リバイアちゃんは舟の周りを高速で泳ぎだすと舟は海面の上で回りだした。
勢いを増しながら泳ぐとそこには次第に渦が出来上がり、船は円を描きながら渦の中へと飲み込まれていく。
――こンのクソガキが。
このままでは沈むのは確実だ。
防ぐ術もなく、舟事沈んでしまっては自分の命すら危うい。
だというのにリバイアちゃんは笑いながら命を奪いかねない行動に出ている。
もう話し合うなどという甘い考えはオオシマの中にはなかった。
相手が子供だろうと神様だろうと、筋の通らないことをするリバイアちゃんにはお灸が必要だと感じるとオオシマは立ち上がって拳を突き上げた。
「オメェよぉ。神様だか何だか知らねぇが調子こいてんじゃねぇぞコラ」
沈みゆく舟にしがみつきながらトーマスはオオシマが何をするのかと目を見張った。
「訳も話さねぇで帰れだの沈めだのよぉ。こっちがいつまでも大人しくしていると思ったら大間違いだぞコラ」
握った拳に力を込めすぎて腕が震えた。
舟はもう渦の底まで来ている。勢いよく飲み込まれていく舟でオオシマの顔は怒りの形相になると二つ名通りの鬼姫になっていた。
鬼姫の剛腕が、海面に落ちる。
ピシャリと雷でも走ったかのような轟音を響かせながら、拳が海面へと振り下ろされた。
海面に叩きつけられた振動は海を揺るがして、遥か下にある底のプレートまで響くと海中にいたリバイアちゃんはあまりの衝撃に動きを止めた。
何事かと泳ぎを止めたリバイアちゃんが沈み行く舟を見れば、鬼の形相をしたオオシマが海へと飛び込んでリバイアちゃんへと迫っている。
「あんたなんなのよ!」
――オメェに俺がちゃんと教育をしてやる。
泳ぎながらリバイアちゃんへと迫るが、海中ではリバイアちゃんのほうが有利であった。
迫るオオシマを恐れることもなく、リバイアちゃんはさらに深くへと潜ると挑発して舌を出している。
「へへーん! ここまでおいでー!」
――舐めやがって。
さらに深くまで逃げていく背を必死に追いかける。
徐々に光が差さなくなり、薄暗い深海が広がるがそんなこと構いもせずにオオシマはさらに深くへと泳いだ。




