熊夫妻の悩み
プーフたちとワプルの意見は平行線になり、その答えは出ない。
意地を張ったプーフは階段を駆け下りるとオオシマのもとへと駆け寄り、悩める大人の空気を破った。
「ママ! ママなら“りばいあちゃん”やっつけられるでしょ!」
「りばいあ? 何?」
「リバイアちゃんは海の神様なんだって。リバイアちゃんのせいでワプルのパパさんたちは漁ができないんだって」
リリアはそう言いながらワプルを見ると、ワプルは黙って頷いている。
「ねぇー、ママならできるでしょ? ママつよいからできるよね?」
プーフはオオシマの足に抱きつくと、足を揺さぶりながら顔を見上げている。
オオシマも海や漁に興味が出ていた手前、手助けができるならばしてやりたいとは思う。
ただ海を縄張りにしているのは神だという。
神だというのならば、女神のように何か特殊な能力や人知を超える力を持っているのが想像される。
出会っていた女神でさえ、人を異世界へ転生させたり、傷を一瞬で治す能力があった。
そういった力を人を攻撃することに変換したらどうなるだろうか。
恐らく人間など赤子の手をひねるように簡単に倒してしまうのではないか。
「できるならやってほしいもんだけどねぇ。鬼姫の実力、あたしも見てみたいしね」
そう言うジェニーの口元は笑っているが、目は笑っていなかった。
問題が解決できるならばしてほしいのだろう。漁を生業とする旦那が漁をすることができない。
さらには漁で捕れた魚を使ってレストランを行っているというのだから、ジェニーたちにとっては生活を極端に脅かされてしまっている。
経営状態は確実に傾いているだろう。せっかく手に入れた情報が良いものではないと分かりオオシマは頭を悩ませた。
それにジェニーが言った『鬼姫』という通り名も気になっていた。
鬼姫という名で恐れを抱かれている。自身にも分からない体の異常。それはオオシマにとっては良いものだとは思えなかった。
転生するときに女神にいったように力を得たものはそのうちに人に恨まれ、妬まれ敵を増やす。
独り身であるのならば構わないが、今は三人も娘を抱えてしまっている。
もしその力を使った先に何かしらのリスクがあるのならば。
もしリスクが自身でなく三人の娘たちに影響を及ぼしたのなら。
避けられるリスクは避けたいと思う。
腕組みをして考える。
「ねー、ママ、どうなの? ママいのししもやっつけたでしょ」
「俺もできることなら手助けはしてやりたいが……相手は神様ってんだろ。今までのようにはいかねぇ。単純にヤキ入れてどうにかなるもんか?」
ジェニーに視線を送ると、ジェニーも毛むくじゃらの太い腕を組んで悩んだ。
「どうだろうねぇ。あたしも直接見たことはないからね。旦那に聞いてみりゃわかるだろうけど、旦那は夜まで帰らないし」
「そうか……」
だが、神様というのならば話し合いで解決することもできないだろうか。
たとえ神であっても話し合いの場に持ち込むことができたのならば何かしらの策は打てるかもしれない。
そういった揉め事の仲裁や話し合いの繋ぎをするのならば前世のとき幾らでもしてきた。
しかし、それはあくまで人間同士での話し合い。
ヤクザという立場を利用して脅しをかけたり、威圧することで何とか話し合いをまとめることはできていたが、相手は神だ。
そういった人間なりのやり方が通用するだろうか。
下手なことはできないが、何かしら役に立つこともできるのではないだろうか。
そこまで考えてオオシマがたどり着いたのは、このままでは答えが出ないという答えだ。
「ジェニーの旦那は何時くらいに戻るんだ?」
「そうだねぇ、日が沈むまでには帰るよ」
「まだ何をするとは決めてねぇが、とりあえず旦那の話を聞いてみたい」
オオシマの言葉を聞いてジェニーは笑った。
すでにオオシマは解決に向けて何かしらの考えを持っているのだろうと感じたジェニーはにこやかにオオシマの願いを承諾した。
「いいとも。今日は店をやっていないから、酒でも飲みながら話そうじゃないか」
「そいつはありがてぇ。最近飲みたくてしかたなかったんだ」
「魚はないけど、酒ならたくさんあるからね。遠慮せずに飲んでいきな」
問題解決への糸口はつかめないが、酒が飲めるとわかるとオオシマの気分はすこぶる良くなった。
ジェニーの後ろにはボトルの酒がいくつも並んでいる。何日かぶりの酒が味わえるとわかりオオシマはジェニーの旦那の帰宅を心待ちにしていた。
◆ ◆ ◆
日が沈み、レストランに蝋燭のオレンジ色の灯りが灯るころになった時に、ジェニーの旦那はレストランへと戻った。
ジェニーよりも一回りは大きな熊は真っ黒でその見た目は人間ならば見ただけで即命の危険を感じそうな獣らしさがある。
しかし、見た目に反して旦那は獣らしからぬ威厳の無いげんなりとした表情だった。
テーブル席にはジェニーと旦那である父熊トーマスとオオシマが酒の注がれたジョッキを手にしていた。
オオシマは数日ぶりの酒を遠慮なく飲み干していたが、トーマスはジョッキを手にしたまま口をつげず、ただ視線をジョッキに落としているだけだ。
「で、トーマスよ。その神様ってぇのはどんなやつなんだ?」
「リバイアちゃんと名乗る神様だ。上半身は人間のようだけど、下半身が魚なんだ。見た目は……そうだなぁ。鬼姫さんの娘さんたちより、少し年上くらいに見えたよ」
神様だというのだから、オオシマはてっきり女神のような若いものだと想像していた。
しかし、トーマスのいう姿は予想よりも遥かに若い。
「ある日、舟に乗っていたら海に大きな渦が巻いてね。そこからリバイアちゃんは姿を現したんだ。そしていきなり『今日から海はあたちのものだー! おまえらはあっちいけー!』ってさ」
その言葉遣いからして、若そうというよりは幼そうだなと感じられる。
もしかしたらこれは何とかなるのではないかとオオシマは思えた。
相手が神様といえど、子供ならば何かしら説得や餌でつって話をまとめることができるかもしれない。
「いきなりそんなことを言われても、僕らも漁を生業にしていたから話を聞かなかったんだ。そしたら、リバイアちゃんは怒って海を荒れさせてしまったんだ。舟を出せば転覆させられるし、仕掛けた網はボロボロにされたり、流されたり」
「随分我儘な神様だ」
「本当我儘なもんさ。神様というよりは我儘な子供だよ。おかげで同業者は随分減ったよ。今では僕と一握りの漁師しかいない。今日もリバイアちゃんに見つからないようにして、岩場で貝を取るくらいしかできなかったよ」
トーマスの後ろには今日海で取ってきた貝が編み籠に詰まっていた。
サザエのような大きな巻貝が入れられているが、それでも数は少ない。恐らくはリバイアちゃんに見つからないようにして数を得ることができなかったのだろう。
トーマスは溜息をついて、やっと酒に口をつけた。
「このままじゃレストランをやっていくことも危うい状態だよ。鬼姫さん、できることなら力を貸してほしい」
すでにトーマスの耳にも鬼姫の噂は入っていた。
その超人的な力は人を超えている。噂話は尾をつけて大きくなっていた。その全てを信じるわけではないが、トーマスも少しでも力になるならばとオオシマを頼っている。
オオシマもそんな話を聞いていては何かしら力を貸してやりたいと思う。
子供の扱いならばいくらかは慣れてきていたし、想像していたよりかは神様らしくなさそうだ。
「無論、ただで助けてくれとは言わない」
「なんかあんのかよ。経営もままなっていないんだろう?」
「あぁ、正直痛い。でも、今うちに魚はないけど、卸の知り合いが多いんだ。そこから大量の酒を仕入れていたから酒はたくさんあるんだ。鬼姫さんはお酒が好きだろう?」
トーマスは空になったオオシマのジョッキを指さしていた。
出された酒をすぐに飲みほした姿から、トーマスはオオシマが酒好きだと見抜いていた。
「嫌いじゃねぇ」
「じゃぁ、どうだろう? もし解決してくれたら、いつでもうちで酒を飲んでもらって構わない。勿論お金は頂かないよ」
この世界ではあまり酒を目にしなかった。
それ故にオオシマは霊魂祭の射的で酒を目にすると、即座にそれに狙いを定めて射的にチャレンジしていたが失敗に終わっていた。
この世界では酒はそこそこ貴重なのだと思っていたが、トーマスはその貴重な酒の卸と知り合いだという。
さらには解決すればいつでもタダ酒が飲める。これほど美味い話はないように思える。
「悪い話じゃねぇ。だが、相手は神様な以上、確実に事が上手くいくとは思うなよ」
「構わないさ。それに僕らはもう友達だろう?」
トーマスはやっと顔をあげると、笑顔で手にしたジョッキをオオシマに向かって持ち上げた。
差し出されたジョッキにオオシマも空のジョッキをぶつけた。
友達、という言葉にオオシマは自分にもそう言える仲間ができたのかと思うと照れ臭そうに笑った。
プーフ、リリア、シロのことばかり考えていた。
三人の娘たちを考えているばかりに自分のことなど考えもしなかった。
「へっ、問題解決したら、はい終わりってなるかと思ったぜ」
「うちのワプルも君たちの娘さんたちと遊んで楽しそうにしてたしね。親同士仲良くしようじゃないか」
「そうだよ! あたしも鬼姫なんて言われてるけど、あんたのことが気に入ったよ。若いのによく頑張って三人も育ててるもんだよ。あたしなんか一人だけで参ってるっていうのにさ」
ニヤついた顔をしながらジェニーはその大きな毛むくじゃらな手でオオシマの背をバシバシ叩いた。
まるで悪友がじゃれてきているようで、オオシマも悪い心地はしない。
むしろ友達と呼べる存在ができて、照れながらも嬉しい気持ちが湧いてくるようだ。
「あんまりよいしょしても何もならねぇぞ」
「いいんだよ。あたしもあまりママ友いなかったしさ。これからも色々話そうよ。ママ友にしか話せないことだってあるだろう」
「ママ友、か」
ママと呼ばれることには慣れたが、ママ友と言われるなど今まではありえるものではなかった。
前世の事柄が色あせていくように感じた。しかし、おかしな現実を受け入れてきている自身がいる。
酔いが回って赤くなってきた顔をニヤつかせながら、オオシマは鼻で笑った。