蛍の夜
甘い香りに誘われるように、窓ガラスに小さな光が宿った。
プリンを口にしていたプーフがそれに気づくと、コップとスプーンを手にしたままベッドにあがると窓の光を見つめた。
小さな光はプーフの小指の爪よりも小さい。窓に張り付いた光は点滅を繰り返して動いている。
「ひかってる」
不思議なものを見たように、リリアとシロも同じようにして駆け寄ると窓の光を見た。
小さな光はよく見れば蛍である。
尾を発光させる蛍は小さな光を揺らしながら窓際から飛び立つと、闇の彼方へと消えていく。
「この世界にも蛍はいるんだな」
三人の後ろから窓を覗いたオオシマは消えていった光のほうへと目を向けていた。
――もしかしたら。
オオシマは玄関から外へ出ると辺りを見回した。
日中に降っていた雨は止んで湿度が高い。そして雨雲を連れ去った空には風がない。そして夜ではあるがほどよい暖かさを感じる。
蛍が舞うには絶好の夜である。そう確信したオオシマは三人を家から呼び出すと川辺へと連れ出した。
「ママ、なにかあるの?」
「いいから見てろ」
川辺に腰を降ろすと暗い視界の先にある川を見つめた。まだ目が慣れていないせいで目の前には闇しかないように思える。
三人も不思議そうに思いながら腰を降ろすと川のせせらぎを聞きながら暗闇を見つめた。
ふわりと小さな光が川に舞った。
「光った……」
シロは目の前に浮かぶ光を見つけると指さして場所を示す。
するとさした指にも光が舞い降りた。シロの指先には一匹の蛍が止まると光を点滅させて闇に小さな灯りを点した。
川には一匹、また一匹と蛍の光が見れた。
気づけば辺りには数えきれないほどの光りが四人の周りにゆらめいている。
闇の中に光る蛍たちの姿はまるで夜空に広がる無数の星のように見えた。
指先に止まった蛍が飛び立った。
「あ……」
蛍は揺らめきながら空へと舞い上がるとたくさんの星の一つになって闇を泳ぐ。
「これは蛍っていう虫だ」
「蛍……」
一匹の蛍が今度はプーフの髪に止まった。
リリアが髪に指を這わすと蛍は指先に移ってまた飛び立っていく。
「綺麗……」
「そうだな。中々見れるもんじゃねぇ。タイミングが良かったな」
蛍は条件次第で見れるときもあれば見れないときもある。
湿度や風の強さ、時間帯など様々な条件が合致しないと狙っても見れないことがある。
しかし、今はそれら全てが合わさって無数の蛍が小さな光を放っている。
「私……みんなに会えて良かった」
蛍の光の一つ一つが希望のようにシロには見えた。
闇にある希望。どれもが小さいながらも輝いて、消えそうになってもまた光を放つ。
「皆に会えたからこうしてここにいられる。皆に会えたから楽しい思い出がたくさんできた」
「シロちゃん……」
プーフとリリアの視線がシロを見た。
いつも寂しそうな顔をしていた表情は、暗闇に混ざって消えているように思えた。今、シロの表情は蛍の光のように小さく輝いている。
「お洋服を着せてもらった。飴玉を食べさせてくれた。霊魂祭に連れていってくれた。川の底から私を救ってくれた。美味しいごはんを食べさせてくれた――そして私に名前を授けて家族にしてくれた」
暗い森の木々の隙間から見える満月が、葉に隠れながらわずかに姿を見せると蛍に溢れる川辺を照らす。
「神さまに嫌われた私だけど、今は三人の愛を感じるの。私も……生きていたいと思う」
「随分子供らしくねぇ台詞だ」
とても子供が言う台詞ではないが、心のうちの正直な気持ちを吐露したのだろうと思えた。
「皆、本当にありがとう。私、皆と会えてこれ以上ないくらい嬉しい。皆大好き。私を救ってくれて、ありがとう」
一滴零れた涙は笑う頬を伝っていた。
目の前の蛍の光はいくつも点灯して輝く。それは多くの涙を流したその分だけ希望を与えるように。
*
狭いベッドに三人の少女が眠っている。
体の小さい少女といえども大人一人用のベッドに眠るのには無理がある。
それでも三人は一緒に寝ようと無理をすると、真ん中にシロを置いてプーフとリリアに抱きしめられながら眠っていた。
三人もくっついているものだから毛布もいらないほどに暖かい。
最初に目を覚ましたシロは家族として迎えた初日の朝に、幸せを噛みしめていた。
右を向けばリリアが安らかな寝顔で小さな寝息を立てているし、反対を見れば涎を垂らして笑いながら眠るプーフがいる。
そのどちらの顔も愛おしくてたまらなかった。
どう気持ちを表していいのかわらかなくて、シロは二人の頬にキスをした。
どちらの頬も白くて柔らかくて、甘い香りがする。
――こうやって目を覚ますのはいつぶりのことだろう。
思い出せない過去を探ろうとして、シロは考えを止めた。
過去を探るのではなく、これからは思い出を増やそう、そう思えた。
なかったものを考えるのではなく新しいものを取り込んでいこう。感じた幸せを心に刻んでいこう。
きっとこれからは叶うはずもないと思えた夢物語が続いている。
考えれば考えるほど嬉しくてしかたなかった。
何かを叩くような音がして台所を見れば、オオシマが大きなナイフを手にキャベツのような食材を刻んでいる。
左右の二人を起こさないようにしてベッドから降りると、オオシマの横にたってその様子を窺った。
「起きるの早ぇな」
「目、覚めちゃったの……」
「眠れなかったのか?」
「うぅん……ただ早く起きただけ」
「そうか。今朝飯作ってるから二人起きたら食おう」
斬られた食材を鍋に入れると塩と肉の欠片を入れて煮込む。塩味の効いた匂いがするとシロは自然と腹の虫がなる。
「今日は飯くったら町に出るぞ」
「何しにいくの?」
「オメェの服を買いにだよ。後は使えそうなもんも買いたいしな」
シロが着ているのはプーフ用に買ったものだった。サイズが同じため着るのには問題ないが、どうせならシロ用のものを用意してやりたい。
今迄辛い思いをしてきた分、幸せにしてやりたいと思っていたオオシマはとりあえずできることとしてシロに物を買い与えてやりたかった。
そして同時にオオシマの頭には一つの思案が浮かんでいた。
それは昨日作ったプリンのことだ。プーフたちは初めて見るプリンに驚き、味も大いに気に入ってくれていた。
町に出たときにプリンのような柔らかく甘い菓子は目にしていなかった。
どれも焼き菓子や飴玉のような砂糖にわずかな香料を加えたものばかり。
もう一度プリンと同じようなものがないか確認し、もし無ければこれはこの世界発のスイーツとして発展できるのではないかと考えてのことだ。
そのための素材の準備もしたい。卵を常時入手できるように鶏のような鳥を買って飼育したいとも考えていた。
ミルクは羊で賄えるが卵を用意するには町に出向かねばならない。ならばいっそ鳥を買ってしまえばいいという根端だ。
「お洋服……買ってくれるの?」
シロは笑いを我慢するような顔つきだった。嬉しい反面申し訳ない気持ちがあって素直に喜べずにいる。
「家族なんだ。一人だけ邪険に扱ったりしねぇよ」
「ありがとう……ママ」
シロがママというのを聞いてオオシマは目を丸くしたが、照れたように笑うと視線を背けていた。