揺れる水面、涙の月
「私……私……死んでいるの」
心配そうな顔をするプーフにかけられた言葉の意味を理解できなかった。
しかし、その悲しすぎる表情や流れる冷たい涙を見れば、只事ではないことがシロに起こっていると感じられる。
「私は人を殺めてしまった……そして殺された……私はずっと、ずっと川の底にいるしかない」
両手で顔を塞いでも涙が顎まで伝うと零れて落ちていた。
「どうしたのシロちゃん、シロちゃんはいきてるよ。ちゃんとプーたちといるよ」
「私はもう思い出せないくらい昔に死んだの……私の骨は川の底にずっとある……私はいつまでも川の底」
言ってる言葉をプーフは理解できなかったが、シロがとても悲しい思いをしているのは痛いほどに感じ取れた。
慰めるためにシロに触れようとして、プーフは触れると死んでしまうことを思い出すと伸ばした手をどうしようもできなくした。
流れる涙をぬぐってあげることも出来ない。そんな想いが心を締め付けるが、プーフにはどうすることもできない。
「殺されたってどういうことだよ。お前はここにいるじゃねぇか」
「きっと……プーフが私の骨の欠片を持っているから、私はここにいることができる。でも、私の本体は……頭蓋骨は今でも川の底にある……だから、私は川の底に戻らなきゃいけない……」
食べかけのピザが地面に落ちた。
言葉を残したままシロの姿は一瞬にしてその場から消え去っていた。
目の前のいたはずのシロがいなくなって、プーフもリリアも立ち上がるとシロを探そうと目を配るが、どこを見てもシロの姿はない。
「シロちゃん……どこいったの……」
行き交う人々の雑踏を確かめるが、そこに白い少女の影も形もない。
「川の中……」
シロのいっていた話を反芻する。
『私は殺された』『私は川の底にいるしかない』
それらのワードと今まで口にしていた言葉を繋げると、オオシマはなんとなくではあるがシロの過去を想像することができた。
触れるだけで相手を死に至らしめる能力。
その力を使った結果、シロは誰かしらに殺されると川の中へ沈められた。
それもただ殺されたのではなく秘密裏に殺されたのだろう。
ヤクザであった時に敵対する組員を殺した際に、死体を海や川に投げ捨てることは本当にあった。
死体が見つからないように重りをつけて沈める。もしくは、それこそコンクリートに詰めることもある。
そういった殺しは大抵何かしら隠し通さなければならない事を秘めている。
でなければ人目に着かない川の底へ遺体を遺棄するなどありえない。
きっとシロはその存在を知られることのないように川の底へ捨てられたのではないかと思える。
墓などがあれば誰かが悲しむ。もしくはその存在の証明になる。
そういったことを避けたのではないだろうか。
「シロちゃん……どこいっちゃったの……また、きえちゃった……」
プーフも涙を零していた。
叫んで呼んでみても、何処を見ても姿も反応もない。
やりきれない思いにプーフは涙が零れていた。
「もしかしたらアイツは……川の底にいるんじゃないか」
「かわのそこ……?」
*
暗く冷たい川の底から見上げた空は水でぼやけているが、それでも満月の光が神々しく揺らめいて川の底にやわらかな光を落とした。
――やっぱり私は川の底にいる。
砂利の中から僅かに出た頭蓋骨。目のない目は揺れる月を見るしかなかった。
どうして自分はここにいなければならないのだろうと心が泣いた。
――涙を流すことも、表情を作ることもできないただの頭蓋骨。それが私。
先ほどまでプーフやリリア、オオシマといたことを思い出すと余計に悲しくなる。
――私はみんなに触れることも、一緒に過ごすこともできない。
小さな骨の欠片では共にいられる時間に限りがあった。
時間が過ぎればまた川の底に戻ってしまう。
見えない鎖につながれて自由に動くことができない。限られた時間傍に居れても触れることができない。
冷たい体なのは死んでいるからなのか、それとも冷たい水に晒されているからなのか。
――会いたい。手を繋いでみたい。
きっとプーフもリリアも触れてしまえば水分を失って枯れて死に逝く。
それを思えば手を伸ばすことすら叶わない。
楽しかった。楽しい反面辛かった。リリアがプーフの口についたクッキーを舐めるのを見て、自分もそんな風に触れ合えたらなと思う。
考えてはならない想像が膨らんでいく。
もしそれが私だったなら。私がプーフの口についたクッキーを取ってあげれたら。
手を繋ぐことができたのなら、抱きしめることができたのなら。
――どれだけ幸せなんだろう。
望まない死を与える能力。
それを持って生まれたが故に人を殺めてしまい、そうしてシロは殺された。
殺されたことへの恨みなのか、能力に恐怖した誰かの手によるものなのか。
長すぎる年月は過去の記憶を水に乗せて流していった。来る日も来る日も流れる水に記憶が溶けてどこかへと流れて消える。
残ったのは辛い記憶と虚しい記憶だけ。
ただそこに一筋の希望が現れた。プーフとリリア、オオシマ。
しかし、自分の現状と能力を考えればいつまでも傍にいることはできない。
今は楽しい。しかし、いつかもしプーフやリリアに触れてしまったら。
恐怖するのではないだろうか。自分を疎むのではないだろうか。
そう考えるとわずかに見えた希望は雲って見えなくなっていく。
祭りにはしゃいでいた時間を思い出せば、心に巻きつけられた鎖が締め付ける。
でも、そこには楽しいと思える時間があった。笑顔を思い出せば辛いだけの記憶の中に良い記憶が追加されて、また会いたいと思ってしまう。
――会いたい。でも、もう会っちゃいけない。
水底から見える月は揺らめていて、涙に滲んでいるようだった。
*
晴れない気持ちのまま家にたどり着いた。
プーフとリリアは涙に頬を濡らしながらもベッドに横になると寝息を立てている。
いつもならば眠る時間を過ぎてもオオシマは眠れる気がしなかった。
いつまでたっても冷たい涙に顔を歪めるシロのことが頭から離れない。
プーフもリリアも助けてきた。
辛い過去を持っていた二人の少女は今はこうして平穏に暮らすことができている。
笑い、泣き、思うままに遊び、子供として過ごすべき時間を過ごしている。
その中にシロを加えてやりたかった。
しかし、シロはパッと現れたと思うと意図せずにいつの間にか消えてしまう。
『私は川の底にいるしかない』
涙を流す顔はそう言っていた。
「川の底にいるのか?」
プーフが持っていた骨の欠片。
見つけた前日に振った雨がきっかけとなってシロの骨がプーフの流れ着いたのだろう。
だが、それは欠片。本体は頭蓋骨だと言っていた。
頭蓋骨が川の底に沈んでいる姿を想像する。
冷たい水に晒されて、自分の思う通りに動くこともできない。
ただそこで永遠のような時間を過ごすだけ。
そんなことが許されるのだろうか。
シロの姿はプーフと変わらない年だった。そんな少女が身に余る能力のせいで殺されただけでなく、川に投げ捨てられても死ぬことができずにいつまでもそこにいるなんて。
なんて残酷なのだろうと思う。
運命を決める神がいたならぶちのめしてやりたいと拳が握られる。
川の底にいるシロは今何を思っているのだろう。
あの冷たかった手を握ってやりたい。呪われた力をどうにかしてやりたい。冷たい川の底から日の差す大地に連れ出してやりたい。
そして叶うなら、プーフとリリアといつまでも一緒にいさせてやりたい。
祭でみた笑顔を何度でも作ってやりたい。
悲しい顔など似合わない。寂しい思いなどする必要はない。
頭蓋骨はどこに眠っているのだろうか。
欠片は偶然にもプーフが見つけられたが、川の上流は町を越えてもまだ続いていた。
探そうと思って見つかるものではない。
どこにあるかもわからない頭蓋骨。光指す道を歩けないシロ。
「上等だよ」
心は決まっていた。
どれだけ時間がかかろうが、絶対に頭蓋骨を探し出す。
一度言ったことは何が何でも通す。それがオオシマなりの誠意であり筋の通し方だった。