水底の少女
次にリリアが興味を示したのは金魚すくいだった。
出店には大きな盥が3つ並び、その中に張られた水の中には赤い琉金のような魚が優雅に尾を舞わせて泳いでいる。
魚ならば自分の得手だと、プーフは鼻息を鳴らすと店主に札を渡しポイを受け取った。
「みててね! おさかなならプーとくい!」
渡されたポイを水に突っ込むと盥の中にいる一番大きな金魚を掬おうと追いかけまわす。
三人はしゃがみこんでプーフのポイを目で追う。金魚の背後に迫ったポイは勢いよく掬いあげようと持ち上げられると濡れた紙はすぐに破れてしまった。
「やぶれたー!」
「……おしかったね」
狙っていた金魚が再び水を得て優雅に泳いでいる。シロはそれを目で追いかけると、何故だか自分の姿と重なった。
水の中で過ごす金魚は優雅に泳いでいる。
同じ水の中という境遇なのに、自分のぼやけた記憶は水底に沈んでただ揺れる日を見上げるだけだった。
どうしてだろうと考える。
遠い記憶。水の中。日の光りに交じって赤いものが浮かぶと、水に溶けて揺らめていた。
――そうだ。私は死んだんだ。
ぼやけた記憶の中に見つけたもの。
異端な能力を発揮して人を殺めた結果、シロは殺された。どう殺されたかまでは思い出せないが、自分は胸に傷を受けると川に落ちて息を引き取った。
水底で揺れる日を見ながら。流れる血を止めないまま。
思い出せた記憶にシロは胸を抑えると、まだそこには痛みが残っているような気がする。
「プーそうやるんじゃねぇよ。金魚すくいってのはなコツがあるんだよ」
プーフのやり方を見かねたオオシマは、店主からポイを受け取ると三人の横にしゃがみこんで掬い方を解説しはじめた。
「ポイってのは破けやすいだろ? だから着水するときは斜めに入れて水の抵抗を無くすんだ。そしたら水となるべく水平になるように動かす。あんまり追いかけまわすと水流で破けちまうから、上にきているのを狙うのがコツだ」
水面で呼吸するように口をパクパクさせる金魚に狙いを定めると、水面を揺らさないように斜めからポイを切り込む。
水平に動かしながら金魚を下から掬いあげると、そのままゆっくりと水面から離して用意された籠の中へと金魚を放りこんだ。
「な?」
「ママすごい!」
「オメェもやってみな」
シロにあまったポイを差し出すと、シロはポイとオオシマの顔を交互に見つめてポイを受け取った。
「いいか、ゆっくりと水面を斜めから切るようにな」
「……うん」
オオシマの指導を受けながら手にしたポイを水面に切り込んだ。
近くにいた赤に白がまじった金魚にゆっくりと近づけると、水の抵抗を受けないようにしながらゆっくりと下から掬いあげる。
「そのままそのまま」
ポイに乗せられた金魚は抵抗もせずに持ち上げられると籠の中へと入った。
初めてにもかかわらず金魚が取れたことにシロは口を開いて笑うとオオシマとプーフ、リリアの顔を見た。
金魚が取れてプーフもリリアも笑顔になっている。
「わぁ、私にも取れた……!」
「やるじゃねぇか。ほれプーもリリーもやってみな」
「プーもまけないからね!」
「よーし、私もおっきいの掬ってみせるから!」
ポイを手にした二人は金魚を掬おうとポイを水面に突っ込むと、シロもその様子を笑顔になって見つめている。
オオシマはやっとシロの笑顔が見れて、胸を撫でおろした。
出会ってから寂しい顔や困ったような顔は随分見たが、笑った顔をみるのはこの時初めてだった。
金魚を取れて笑う顔はプーフやリリアと同じように無邪気なもの。
闇を背負うシロに少しでも楽しんでほしいと思っていたオオシマは、やっと見れた笑顔に微笑みながら三人の姿を見つめていた。
*
その後も三人はいくつかの出店を回ると、普段遊ぶことのできない遊技を大いに楽しんだ。
金魚を掬い、輪投げや甘いお菓子を食べながら時間を忘れて三人はいつまでも遊んでいる。
保護者であるオオシマはその姿を後ろから見ていたが、こんなに楽しむ姿を見ていると親というのも満更悪いものではないと思う。
感情のままに喜びの声をあげて笑う顔は何物にも代えがたい。
三人がそれぞれ暗い過去を抱えてはいるが、今の姿は年相応の無邪気なもの。
沈みそうな日が空を紫色に染めても、霊魂祭はにぎやかなままだ。それどころか町にぶら下げられた提灯たちに灯りがともると子供だけではなく、大人も交じりだして楽しむ声が聞こえてくる。
どこからか聞こえる祭囃子を耳にしながら、四人はベンチに腰を降ろしていた。
手には魚の身をほぐしてパンに乗せて焼いたピザのようなものを持っていた。今日の夕飯代わりに購入したそれをかじりながら、目の前に広がる提灯に照らされた祭の景色を見つめる。
「日も傾いてきたし、もう少ししたら帰るからな」
「えー、プーもっといたい」
「私も」
「バカ。ここは明るいけど俺らの家は離れにあるんだぞ。暗くなっちゃ道もわからなくなる」
「や! もっといたい!」
「だめ」
「や! シロちゃんともっとあそぶの! シロちゃんもプーたちとあそびたいでしょ?」
声をかけられたシロは小さくうなずいた。
「私も……今日は楽しかった……色んな初めて経験した……もっと皆と遊びたい」
「ほら! ママもっとあそぶの!」
「ダメっつってんだろ」
「いじわる!」
プーフが駄々をこねるのはいつものことだが、シロも遊びたいと自分の希望を初めて口にした。
こうやって誰かと遊び回るなんてシロはしたことがなかった。
流されるままに服を着替えさせられ、祭りに連れてこられ、出店を遊んで回った。
楽しかった。
純粋に楽しかった。シロは初めてできた友達と遊ぶことが楽しくて、心が温かくなっていくのを感じていた。こんなにもたくさん遊べることがある。一緒にそれを楽しめる友達がいる。
何故だか涙が流れる。
それがどうしてだかシロにも分からない。
鼻水をすすりながら手にしたピザを食べればしょっぱい味が広がる。
「どうしたのシロちゃん」
「何でもないの……今日は本当に楽しかった……」
零れる涙を止められないシロを、プーフは心配そうな顔で覗き込んだ。
冷たい手で涙を拭うと自分が死んでいるのだと改めて気づかされた。
「おうちかえりたくないの?」
「……帰りたくない!」
両手で溢れる涙を拭った。拭っても拭ってもどうしてか涙が溢れて止まらなかった。
帰る場所は決してこのような温かい場所ではない。望みもしない帰る場所は冷たい水の中。
思い出した。
殺されたシロは川の中でゆっくりと朽ち果てると、骨だけになっていつまでも水底にいた。
骨は川の流れに転がりながら徐々に砕けて、いつしかほとんどの骨がなくなっていた。
なのに意識だけがぼんやりと骨と共にあった。
わずかに残ったのは頭蓋骨と骨の一部。長い年月をかけて骨は水底の砂利の中に埋もれると、そのまま暗い中で意識も薄れていった。
しかし、ある時水流が増すと砂利が流されて頭蓋骨が水底から顔を出した。
近くにあったわずかな骨は流されて何処かへと消えていく。
流された骨はどこかの砂利の中にたどり着くと、そのまままた水底に沈んでいくと思った。
しかし、骨は砂利に埋まることはなかった。
砂煙があがり水の中から救い出されると、プーフの大きな顔があった。