嫌われ者
「神様に嫌われている?」
「私の手に触れたものは皆……死んでしまうの」
震える声は恐怖と悲しみが混じっているようだ。だけれども、オオシマにはその意味がわからない。
オオシマの手に触れた手は冷たさこそ感じるものの、命を奪うような極限の冷たさは感じられない。
少女のいう神に嫌われているというのも、触れたものは死んでしまうというのもどちらもオオシマには理解に及ばない。
実際に触れ合っている手からは、死を連想させるものなど何もない。
ただ不思議なほどに冷たいとは思えども、ただそれだけのことである。
「触れたら死ぬって、俺生きてるけど」
「だから……どうしてあなたは死なないの?」
「触っただけで死ぬようなことがあるかよ。バカなこと言ってねぇでよ。上がったら飯にしよう」
すでにオオシマ家の三人は食事を済ませているが、風呂から出るなりオオシマが料理を作り始めるとプーフもリリアも席に腰を降ろしてと三人で食事が出るのを待った。
野菜や肉が軽快に切られ室内には包丁がまな板を叩く音が響いている。
「ママー、なにつくってるの?」
「肉と野菜ぶっこんだ鍋」
「おいしい?」
「男料理だからな。味の保証はねぇよ」
キッチンに立つオオシマの前には大きな鍋が火にかけられ、中には薄切りになった肉やキャベツのような菜類、それに塩を加えただけの水炊きのような料理が作られている。
グツグツ煮える鍋の中にスプーンを入れ味見をすると、ほどよく塩味と肉や野菜の旨味が感じられる。
底が深い皿を3つ用意すると、具材を豪快に盛り付けて三人の前へと運んだ。
香りを漂わせる湯気の立つ皿には、所狭しと煮込まれた野菜や肉が溢れている。見た目は多少悪いが腹を満たすという点では間違いがない。
「いたきます!」
「頂きます」
「いただき……ます?」
食べる前の一声に、少女も不思議そうな顔をしながらも同じ言葉を繰り返す。
プーフもリリアもスプーンで掬って息を吹きかけながらがっつくと、少女もそれに倣って掬った具材に息を吹きかけて口に含んだ。
「どうだ?」
「……あったかい。でも……ちょっと薄い」
「ちょっと塩が足りなかったか。塩足すか?」
「うぅん……平気」
「プーおかわり!」
もう食べて終えてしまったプーフは、皿を持ち上げるとオオシマに突き出している。
すでに食事が終わった後の二度目の食事だというのに、プーフの胃はまだ食事を求めている。
尽きることのない食欲と、少女の為にと用意したのにという気持ちがオオシマの顔を困らせる。
「あんま食いすぎんじゃねぇぞ。デブになる」
「でぶになってもいいの!」
「よくねぇよ」
「おかわり!」
「ったくよぉ、はいはい。オメェも遠慮すんなよ。まだあるからよ」
プーフの皿を受け取りながら少女に目をやると、小さくうなずいてスプーンを進めた。
何度も息を吹きかけながら、少しずつスプーンを口に運ぶ。
プーフとリリアと比べるとだいぶ小食そうではあるが、時間をかけながら少しずつ口に運ぶと出された皿を時間をかけて空にした。
おかわりを勧めたが、少女は首を横に振るとスプーンをテーブルに置いた。
「じゃぁ、食後の甘いのだ」
キッチン上に閉まってある木箱を降ろすとテーブルの上にのせて蓋を開いた。
中には麻袋が入っており、開くと中には鶉卵ほどの大きさの茶色い飴玉が入っている。
食後のささやかなデザートに、プーフは前のめりになって箱の中に目を釘付けにしている。
「これね、あまいんだよ。でも、ママはあんまりくれないの」
「食いすぎるとデブになるっつってんだろ」
「だからデブになってもいいの」
小さな手が麻袋の中に突っ込まれると飴玉を一粒取り出して口の中に放り込んだ。
飴玉に頬を膨らませながら少女へ飴玉を勧める。
リリアも飴玉を口に含むのを見ると、少女は恐る恐る麻袋に手を伸ばし、人差し指と親指で飴玉を掴んでまじまじと見つめた後に口の中に入れた。
「……あまい」
「でしょ。今度クッキーも食べよ。下流の町に美味しいクッキーが売っているんだよ」
飴玉に頬を膨らませたリリアが言う。
「町……クッキー?」
「クッキーっていうのはね、丸くて薄くていい匂いがするの」
以前行った町で食べたクッキーをリリアは嬉しそうに語り出した。
あまり甘いものが流通していないため、飴玉もクッキーも子供にとっては中々口にすることのできないご馳走となっている。
その経験が忘れられず、リリアは下流で食べたクッキーの話をし続けた。飴とは違う甘さ、街で感じた香ばしい香りは煌びやかな思い出となって綴られる。
「私も……食べてみたいな……」
「じゃぁ、今度オメェも一緒にいってみるか」
「いいの……?」
「構わねぇさ」
「……じゃぁ、行く」
オオシマの顔が少女に向いているのをいいことに、プーフはもう一つ飴玉を捕ろうと麻袋に手を伸ばした。
伸ばした手が飴玉を取ろうとした瞬間、オオシマは箱を持ち上げるとプーフの手を防いだ。
「1日2個までだっつってんだろ」
「むー。プーたべたい」
「だめ」
「たべたい!」
「飯二回も食って飴もよこせとか、プーは食いすぎだ。そのうちぶくぶくに太っちまう」
「たーべーたーいー!」
「ダメだ」
「やー!」
「二人とも……仲良し……なんだね」
頬に飴を溜めた少女がクスリと笑った。
少女の目には二人がじゃれあっているようにしか見えなかった。ねだるプーフも拒否するオオシマも、仲が良いからこそできる触れ合いだと少女は笑う。
「ママのいじわる」
「意地悪じゃない。これは教育だ」
「きょーいくおわり!」
「終わらねぇよ!」
◆ ◆ ◆
日が沈みそうになると、空はオレンジ色に染まりあがっていた。遠くを見れば闇が迫るようにオレンジ色の隅に青いグラデーションを描いている。
食事を終えると、プーフとリリアは少女を外へと連れ出した。
オレンジ色に染まる花の園に三人は腰を降ろすと、リリアが丁寧に花冠の作り方を教えていた。
プーフもやっと覚えた花冠を作ろうと、近くにある花を力任せにぶち抜きながら土を払って花を編んでいく。
慣れた手つきでリリアは花冠を作ると、自分の頭に被ってみせた。
「ね、綺麗でしょ?」
「うん……お姫様みたい」
「本当? じゃぁ、これであなたもお姫様だよ」
外した花冠を少女の頭に載せる。
白い髪に飾られた同じように白い花で作られた花冠。
小さなお姫様は花冠を嬉しそうに撫でるとハッとして指を離した。
触れられた部分の花が茶色く乾いて枯れていく。
さらに枯れた部分を中心に、それは侵食していくように花冠は茶色く染まると水分を失ってカサカサに乾いて砕け散った。
「え、どうして?」
白い髪に砕かれた花冠が破片となって散っている。
何が起こったのかわからないリリアとプーフは少女を見つめると、少女は視線を落として顔を暗くした。
震えた手は悲しさと怒りにぎゅっと拳を握らせている。
「やっぱり……私は神様に嫌われているの……私は……私は……」
涙が零れた。
零れた涙は地面に落ちると周囲の花や草を枯らしていく。やがて少女の周り全体が枯れ朽ちると、少女は嗚咽をあげながら両手で顔を隠した。
「私……私……私……!」
「どうしたの? ねぇ、オオシマ来て! なんか変なの!」
「どーしたの、なかないで」
「やっぱり……私は……こんなんじゃ誰からも愛されない!」
少女を中心に、衝撃波が巻き起こった。
野原を駆け巡る衝撃波は、一瞬にして草木を揺らすと触れたもの全てを枯れさせて砂塵となって空へと舞い上げた。
「きゃぁ!」
衝撃波にプーフとリリアも吹き飛ばされる。
「おいどうした!」
叫び声を聞いてオオシマも駆けつけてみれば、そこにあった花の園は見渡す限りが荒廃した野原となり、プーフもリリアも倒れている。
三人でいたはずなのに、少女の姿もない。
倒れた二人のもとに駆けつけると、二人は顔にかかった砂塵を拭いながら起き上がると目の前の景色に目を丸くした。
「あのこがいないの……あのこどこいっちゃったの」
目の前に広がる無残な景色の中に少女の姿はない。
荒れ果てたことよりも、吹き飛ばされたことよりも、プーフには少女が目の前からいなくなっていることに驚くと必死に少女の姿を探した。
荒れ果てた地には乾いた草が哀し気に舞い、少女は影も形もない。
「どこいっちゃったのー! ねぇー! でておいでー!」
プーフは走り出して川や野原の先を探し回るが、そこには荒廃して枯れた草花があるのみだ。
「でてきてー! ねぇーどこなのー!」
叫ぶ声は空しく、闇が広がりつつある空へと消えていく。
プーフの心には、同じ境遇の子がまたどこかへ行ってしまったのだという現実が苦しくて痛くて、叫ばずにはいられなかった。