冷たい手のひら
食休みを終えると、プーフは再び川へと向かった。
先ほど骨を見つけたことで、プーフはまだ他にも流れ着いているものがあるかもしれないと期待を胸にして川の中へと入っていく。
砂利の中で骨を見つけたプーフは再び同じ場所を訪れると、目を凝らして水底を見つめた。
砂利の上には生まれて間もないヨシノボリの稚魚たちが何匹も跳ねるように泳ぎ回っている。
網でも掬えないほどの小さな稚魚たちを見つつ何かないかと目を凝らした。
「ねぇ……あなた……だぁれ?」
いきなりかけられた耳慣れない声に顔をあげると、目の前には白く長い髪をした少女が立っている。
少女は長い前髪で表情が見えず、口元だけが見える顔をプーフに向けている。
「プーフだよ。あなたはだぁれ?」
「わたし……わかんない……名前……忘れちゃったの」
「なまえわすれちゃったの?」
「忘れちゃった……ずっと……川の底にいたから……ずっと。だから……名前忘れちゃった」
名前を忘れたという少女を不思議に思い、首をかしげながら見つめるプーフ。
しかし、その姿はどこか見慣れたものである。ぼろぼろの服、濡れた髪、生気のない肌質と、人が避けたくなるような外見。プーフはまるで昔の自分を見ているようで心が苦しくなった。
プーフ自身、オオシマに出会う前までは奴隷として生きてきた過去がある。
そのときのプーフと言えば、ろくな食事もなく寝るのはいつも外。着ているものもいつも同じでまるでゴミのように扱われていた。
そんな過去の自身の姿が目の前の少女に重なっていた。
――この子も、プーといっしょなのかな?
プーフも奴隷として扱われるのが嫌で、何度も何度も逃げ出した末にオオシマのもとへと辿り着いていた。
プーフには目の前の少女もきっと奴隷であり、どこかから逃げ出したのだろうと考えた。
そんな少女が話しかけてきている。素性はわからなくともプーフは子供ながらに心配の気持ちが芽生えた。
あの頃のプーフといったら常に腹がへってひもじい思いをしていた。寄り添える暖かい何かを探していた。
だから、きっと目の前の少女もそうなんだろうと思える。
「ねぇ、ごはんたべたい?」
「……たべたい」
少女の答えにプーフはやっぱりそうだったんだと確信を持つ。
やはりこの子も同じ境遇だと思うと、あとはするべきことは決まっている。
「プーね、ちかくのおうちにいるの。ごはんわけてあげる」
「……いいの?」
「いいよ。こっちきて」
プーフが少女を家に連れようと手を差し出すも、少女は怯えたように震えると両手を口元にやった。
手を握ろうとしたが、少女は差し出された手に自分の手を重ねようとはしない。
もしかしたら触るのが怖いのかもしれない。
叩かれると思ってしまい怖いのかもしれない。
まだ他人に対して恐怖心やトラウマがあるのかもしれない。
「こっちきて」
差し出した手を引っ込めると代わりに笑顔を向けた。
プーフが川から出ると、少女もゆっくりと川から出てゆく。その足元は最初の頃のプーフのように裸足のままだ。
やっぱり奴隷なんだなとプーフは胸に思う。
身なりも仕草も過去の自分そのものだった気がしていた。そんなプーフは今ではふくよかになって身なりも整っている。
オオシマに出会い、プーフの運命は大きく変わった。
だから、この少女もオオシマに会わせればきっと助けになると思えた。
◆ ◆ ◆
「ママー!」
家に入るなり、プーフは大声でオオシマを呼んだ。
「なんだ、魚捕れたのか?」
「ちがうの。しろいけどね、ちがう子みつけた」
オオシマが玄関のほうへ目をやれば、プーフの後ろには白く長い髪をした少女が立っている。
長い髪からは雫が滴り落ち、怯えたように引けた腰をしている。
肌は死体のように生気がなく白い。髪質も肌質も子供とは思えないほどに荒れまくっている。
一目みてそれがプーフと同じような境遇の子だとオオシマは感じると、リリアに風呂を沸かすように命じた。
「プー、お前もミルク絞ってこい」
「はい!」
キッチンからコップを持ち出したプーフは少女を置いてさっさと家の裏へと駆けていった。
残されたのはオオシマと少女のみ。少女は急に一人になると肩を震わせている。
少女の目の前にしゃがみこむと長い前髪をかき分けて少女の顔を見た。
茶色い瞳は潤んで今にも泣きだしそうだ。オオシマは少女の頭を撫でると落ち着かせようとゆっくりと口を開いた。
「心配すんな。叩きも縛りもしねぇ」
「……あなた、だれ?」
「オオシマだ。今のチビ二人の親だ」
「……ママ……なの?」
「おう。そうだ」
「ママ……わたし……ママいない……」
少女の言葉に胸が痛む。
やはり、この子もプーフやリリアと同じ境遇で生き、ここにたどり着いたのだろう。
そう思えば、もう後はすることは決まっている。
「さて、まずは風呂入って飯食うか。着替えは……プーのでいいか。身長同じくらいだしな」
オオシマの手は背丈を測ろうと少女の頭に乗せられると、少女はビクリと体を震わせた。
頭に触れた手は濡れて泥などの汚れがついている。
「……あなた……生きてる?」
「あァ?」
少女の問いかけの意味がわからなかった。
そりゃ生きてるよ、と言おうとも思ったがオオシマは一度死を経験している。
もしかしたら、この少女も転生者なのだろうかと考えるも、それにしてはおかしな身なりをしている。
転生する際には女神から能力の提案などがあるはずだし、女神もそうしていると話を聞いていた。
となれば、この少女が転生者ということはないだろう。
「生きてるぞ?」
「……どうして……あなた……生きてるの?」
少女の濡れた手がオオシマの頬に触れた。
ひんやりとした体温のないような冷たい手。少女は震えながら手のひらでオオシマの頬を不思議そうな顔して指を這わせた。
「冷たい手してんな。先ずは風呂はいるぞ」
「どうして……」
「どうしてって、そりゃ体冷えてるからだよ。髪も体もビショビショじゃねぇか。風呂はいって温まってこい」
「ママー、みるく!」
ミルクをコップに並々注いだプーフが戻ると、プーフは少女にコップを手渡した。
少女は何故だかプーフの手には触れないように怯えながらコップの縁を持ち受け取った。
「うちのね、うらにいる羊さんのミルクなの。おいしいよ」
「ありがとう……」
恐る恐るミルクを口にする。
その様子をプーフもオオシマも見つめると、視線に気づいた少女は背を向けてミルクを飲み込んだ。
「おいしい……懐かしい……ような気がする」
「よし。じゃー、風呂だ」
少女の手を引くと脱衣所へと連れていく。
ぼろぼろになった服を脱がせると湯気のあがる風呂場へと足を運ばせる。オオシマも同じように服を脱ぐと桶にお湯を組んで少女の体にゆっくりと浴びせた。
「あったかい……」
「だろ。リリーが火吹けるおかげで、一年中温かい風呂に入れるんだ。さ、背中洗うからな」
少女に背を向けされるとヘチマで少女の体を擦った。
お湯をかけたのに、まだ冷たい肌だった。その体は長い間川底にでもいたかのような汚れがへばりついている。
背中を洗い終えると今度は頭に湯を被せて髪の毛を洗う。
長い髪の毛はオオシマの指が通ると、細かな枯れ葉や木の枝、泥が無限に湧いて出てくる。
それだけ長い間外での生活をしていたのだろうなと思うと、オオシマは少女の悲惨な過去を予想して心を痛めた。
どうしてこんなにも幼い子たちがこのような現状にあるのか。
プーフもリリアもそうだった。そして今目の前にいる少女も。
何度も頭を洗っては流すのを繰り返し、やっと汚れが落ちると、少女を浴槽へと入れさせた。
「あったかい……」
狭い風呂ではあるが少女が足を伸ばせる程度はある。なのにもかかわらず少女は体育座りをして浴槽に入ると足を折り畳んで肩まで浸かっている。
「風呂から出たら飯にしよう。なんか食べたいものあるか?」
「……あまいの」
「あまいのか。後はなんかあるか?」
「……あったかいの」
「じゃぁ、何か温かくて消化のいいもの作ってやる」
少女は流れ作業のように話を転がされて、困惑したようにオオシマを見つめた。
オオシマに向かって浴槽から手を伸ばす。手を握ってほしいのかと思ったオオシマは伸ばされた手に自分の手を重ねた。
冷たく小さな手は怯えたように小刻みに震えている。
「どうした?」
少女は握られた手を不思議そうに見つめている。
その手は風呂に入っているのに、まだぬくもりを感じない。本当に血流があるのかと思えるほどに冷え切っていた。
「……あなた……なんで生きているの?……どうして……触っていられるの?」
少女の目から涙が零れた。
その意図はオオシマには分からないが、何かしらのトラウマがあるのだろうと思えた。
悲惨な過去を拭い去りたいように両手で少女の手のひらを温めようと包み込んだ。
「何で触るかって、そりゃぁ、オメェの手が冷たすぎるから温めてやるためだよ」
「……わたしの手……わたし……わたしは……神さまに嫌われているの……」




