金髪の美少女
意識がぼんやりとしている。まるで朝方まで飲み明かして昼頃に目を覚ましたときのような気分だ。
身体はだるくて重い。瞼を開けるのですら重たく感じてしまう。
眠気に包まれた身体に一滴の冷たい雫が額に落ちた。雫は眠たいオオシマを起こすように頬を伝う。
「……」
目を半分だけ開ける。
格子から日が差しているのが見える。時間で言えば恐らくは昼過ぎかそこらだろうか。
日の光りを遮ろうと手を翳すと、オオシマは見覚えのない白く華奢な手が目に入った。
生前のオオシマの腕は浅黒く焼けて男らしい太さを誇っていた。喧嘩で鍛えたはずの自慢の腕がなくなっている。否、変わっている。
夢、なのだろうか。
まだ寝ぼけ眼なオオシマは腕の力を抜いて落とした。
パシャリと音を立てて腕は水に浸かる。どうやら水の中に浸かっているようだ。跳ね返った水が再び顔にかかって垂れる。
「オオシマさぁーん! 転生しましたよぉー!」
どこからか聞こえるやかましい声。
半開きの眼で姿を探すがどこにも声の主はいない。
声の主はわかっていた。あの分岐点で出会った女神の声だ。女神は視界の隅からひょこっと顔を出すと悪戯をする子供のように笑っている。
「オオシマさん、ごめんなさぁーい。転生するにあたってぇ、何かしらの能力を授けなきゃならない規則なんですよぉ。でもオオシマさん何もいらないって言うから、勝手にこちらで決めちゃいましたー」
女神らしさはどこへいった。その口調は女子高生のように軽い。
オオシマはぼやける視界の中に映る女神をぼんやりとみていた。
長い金髪に緑色の瞳。顔は幼いが女性らしい可愛い顔をしている。もし飲みの席やなんかだったら口説き落としてみたいと思う程度には可愛らしい。
「やだーオオシマさん、女神様に対してそんなこと思ったんですかぁ?」
思ったことを察したように女神は笑う。
心の内を読まれたとしてオオシマは動揺などはしない。それが素直な気持ちであり、男らしい気持ちだとむしろ誇っている。
ヤクザの世界では男としての威厳も保たねばならない。
そのために女を落とすというのはむしろ威厳を保つための手段。男を誇るという点で、やましい気持ちなどまるでない。
「でもざんねぇーん。オオシマさんはもう男の人ではないんですよぉー。じゃ、これからの生活に幸福があらんことをー」
軽口調を吐いて女神は手を振って姿を薄れさせていく。
やはり夢なのだろうか。半開きの眼を閉じながらオオシマは股間に手を伸ばした。
男の人ではないとはどういうことか。
全く女神のいうことがわからず、オオシマは普段より目にしていた喧嘩慣れした自慢の肉体を確認した。
――無い。
そこにあるはずのものがない。
やはり夢なのだろうか。指先で肌を確認してみれば、柔らかくて筋肉などまるで感じられない。
筋肉がない変わりに、ふんわり柔らかな脂肪が指先に感じる。
夢だと思いたい気持ちに反して、オオシマの意識は徐々に現実へと目を覚ましていく。
――落ち着け。これは夢だ。
そう言い聞かせると余計にこれが現実であると脳は認識してしまう。
オオシマはゆっくりと目を完全に開いた。
目の前には格子から溢れる日の光。周りは木目の壁に囲まれている。
どうやらここは風呂のようだ。人1人入れるほどの樹でできた風呂。そこにオオシマは浸かっている。
恐る恐る自分の身体を目にした。
見たくない現実があった。
「どうなってんだこりゃああああああああああああああああああああああああ!!!!」
思わず叫んだ。
普段から肝を据わらせるように鍛えられていたはずの元ヤクザの精神は完全に動揺しきっていた。
わけもわからず風呂からあがると裸のまま飛び出した。
目に入ったのは小さなテーブル、玄関扉。石造りのキッチン。昔の世界でいえばワンルーム程度の広さだが、そのいずれも原始的な木や石で作られている。
何か姿を確認できるものを。
オオシマは素っ裸で部屋の中を荒らした。端にある小さなベッドをひっくり返し、小さなタンスの棚を全て引っ張りだす。
タンスの引き出しの中にA4サイズ程度の鏡があった。
鏡を見つけると先ず自身の面を確認する。
以前のオオシマは浅黒い肌に黒い短髪、そして無精髭のイカつい男らしい顔立ちであった。
顔だけでチンピラなど恐れをなして逃げ出すような強面にそれは誇りを持ったものであった。
しかし、鏡に映る姿はまるで逆である。
白く傷一つない柔肌。たれ目気味で青い瞳は大きくて円ら。小さく整った唇はリップをしたかのようにほんのりピンク色。シワというものが一切見当たらない顔は恐らくは10代か20代前半くらいだろう。
それらのパーツを埋め込んだ顔を長い濡れた金髪が包んでいる。
強面だったオオシマの顔は自分でも息を呑むような美少女の姿へと変貌している。
「嘘だろ……」
鏡をゆっくりと下にずらしていく。
鏡を使うまでもなく豊満なバストが見える。男ならば思わず目で追いかけたくなるような素晴らしいものだ。
さらに下に鏡を下げれば縊れた腰とわずかに切れ目のように入った臍が見える。
「バカな……そんなバカな……」
その場に膝から崩れ落ちた。
なんということだろう。男らしい姿は微塵もなく消え去り、鏡に映ったのはどこからどう見ても素晴らしい恵体をした完璧な美少女だ。
さらには口にした言葉も酒にやられたしゃがれ声ではなく、透き通った美しいソプラノボイスである。
顔も声も体も失った。
脳裏には先ほどの女神がよぎる。
『勝手にこちらで決めちゃいましたぁー』
ということは何も望まなかったオオシマに対し、女神は勝手に魔法かなにかでオオシマの姿を変えてしまった。
男らしさの塊であった姿に反比例するような金髪の若い美少女に。
「これから……どうしよう」
素っ裸の元ヤクザの美少女は虚無感に包まれながらただ無常な時間が流れていた。