平穏の日々よ
川沿いを下流へと向かって歩いていた。
上流へと歩いたことはあるが、下流へと足を延ばすのは初めてだ。
先頭にはプーフとリリアがはしゃぎながら小走りで先へと進んでいる。時折川辺に見慣れない漂流物や川の中に見える小魚の群れを見つけると、そのたびに立ち止まってオオシマに報告している。
「本当に親子みたいですね。オオシマさんやっぱりママの素質ありますよ」
はしゃぐ二人を見ながら女神はオオシマに肩を並べて歩いていた。
金髪の美少女二人は目の前のエルフとサキュバスに朗らかな顔をしながらのんびりと歩く。
「舎弟の世話ならしたことがある。だからじゃねぇか?」
オオシマが否定せずに受け入れた答えを出すことに女神は驚いた。
間の抜けた顔をオオシマに向けるが、オオシマは少女二人を見ながらわずかに微笑んでいる。
何か心境の変化があったのだろうと思う女神は、徐々に世界に順応していくオオシマに微笑んだ。
「ヤクザさんって怖いイメージだとか暴力的なイメージしかありませんが、意外と世渡り上手ですもんね。オオシマさんなら安心してみていられます」
「怖いだとか暴力的な側面は確かにある。だけど、それだけで世の中生きていけるなら苦労はしねぇがな」
きっとその言葉の中には表に出して言えないことも含まれているのだろう。
過去に思いを馳せるように一瞬冷たい目つきになったオオシマの顔を女神は見逃さなかった。
「ていうかよ。オメェは女神なんだろ。こんなのんびりいていいのかよ? 神様ならやることとかあるんじゃねぇのかよ」
「お気遣いなく。私割と暇なんで」
軽いノリで女神は舌を出してピースサインする。
プリクラで撮影する女子高生のような姿にオオシマはこのまま川に突き落としてやろうかとも思ったが、プーフとリリアがいる手前、拳を握るだけでイラつきを抑えた。
「オメェ普段なにしてんの?」
「オオシマさんにしたことをしてますよ」
「死んだ奴を他の世界に飛ばすのか?」
「オオシマさんが言うと海外に売り飛ばすように聞こえますね」
「オメェやっぱり帰れや」
「嘘です嘘です。普段は亡くなった人たちの資料を纏めたり、死後、分岐点に転送されてきた人たちを他の世界に送り届けたりしています」
分岐点にいたときのことを思い出した。
あのときは白一色の世界にいた。死んだら天国か地獄かに行くと思っていたが、目の前に現れた世界は白一色の何もない世界。
戸惑うオオシマを導くように女神が現れ、転送されて今の世界へきたことを思い出す。
「神様っていうから奇跡を起こすにはちげぇねぇんだな」
「もっと褒めてもいいんですよ?」
次調子に乗ったら川に落とすと決めた。
そんな思いを他所に女神はニヤついてオオシマの顔を覗きこんでいる。
「でもオオシマさんが初めてでしたよ。能力も姿もそのままで良いなんて言う人」
「そうか?」
「大抵は誰よりも強い絶対的な能力や宇宙のように広がる知識を欲しがったりするもんですよ。なのにオオシマさんはこのままでいいなんて言うから、私面くらっちゃいましたもん」
「力ってのは争いを生むんだよ」
「分岐点でもそう言ってましたね。だから私オオシマさんのことが気になるんです。オオシマさんは気づいていないでしょうが、私常に見てましたからね」
手を口に当てて目じりをさげる女神にオオシマは何を見たのかと思案する。
なんだか見られたくない日常を見られている気がする。
女性の下着や衣類を前に困惑する姿。プーフやリリアを前にして恥ずかしい言葉をいったような気もする。
それを見られていたとなると、オオシマは顔が紅潮するのがわかった。
そんな顔を見られるわけにはいかない。視線は女神とは反対に投げられるとしばらく女神のほうを向けなかった。
「あんまり人の生活に首突っ込むんじゃねぇよ…」
「見られたくない場面でもありましたぁ?」
嫌味ったらしく言う女神にカチンときた。
先ほど心のうちで思ったようにオオシマは調子に乗った女神になるべく視線を合わせないようにして後ろに回ると女神の体をお姫様抱っこした。
「どうしたんですか急に? 私のあまりの美しさに愛でずにいられなくなりました?」
「よいせっと」
お姫様抱っこした身体を川に放り投げた。
いきなり川に大きな水柱があがると先頭を走っていたプーフとリリアが川に視線を投げた。
女神が落ちた所に駆け寄ると、いきなり川に投げ出されて慌てふためき手足を暴れさせる女神に目を輝かせた。
「おねーちゃんなにしてるの」
「オオシマさん! オオシマさんが投げた!」
「オメェがあんまり調子のってからだよ」
「にしても川に女神を投げ入れるなんて酷くない!?」
川底に足がつくのが分かった女神は頭にアシの根を被りながらびしょ濡れの体をオオシマに向けた。
白い服からは雫が落ち、水分を吸収した布が肌に張り付いている。
その姿を見るとオオシマは鼻息を鳴らして笑った。
「ママプーも! プーもはいっていい!?」
「おう、いいぞ」
「きゃー!」
麦藁帽と持っていたタモ網をその場に置くと、プーフも川へと向かって駆けだし勢いよく飛び跳ねて川へとダイブした。
「私も!」
プーフに続いてリリアも飛び込む。
二つの飛沫があがると、女神は両手で顔を覆って飛沫を防ごうとしている。
「つめたーい!」
「元気か! 元気の塊か!」
喚く女神に飛び込んだ少女二人はニヤりと笑うと手に水をすくって女神へ向かって水をぶっかけた。
無邪気な子供を前に大げさなリアクションを取る女神は恰好の標的となっていた。
水をかけられた女神は逃げ出そうとすると、プーフもリリアも執拗に水を掬って女神へと浴びせかける。
「ちょっと! お嬢さんたち! 私女神だよ! 女神様向かって水かけないで!」
大げさになればなるほど二人はより喜んで水をかけた。
水を浴びせながら川底に目をやったリリアは目の前に一匹のエビが歩いてくるのを見つけるとニヤリと笑い、エビを捕まえると後ろ手に隠して女神に近づいた。
「お姉さんお姉さん、後ろにゴミついてるよ。取ってあげる」
「え、本当ありがとう」
背中を向けるとリリアは服を引っ張って服の中にエビを放り投げた。
エビは服の中から脱出しようと跳ねると、女神はいきなり背に感じた異物に体を仰け反らせた。
「やだ! なに、背中に何かいる! ひぃ! なんかいる! ちょ! 取れないいいい!」
背中に入ったエビを取ろうと女神は背に手を伸ばしながらその場でくるくる回り出す。
その動作も表情も叫びもどれもがプーフとリリアにとってはたまらなく面白くて、二人は盛大な笑い声をあげた。
「やだ! オオシマさん! 服の中に何かいるの! 取って!」
体を回転させながら助けを求めるも、オオシマは川辺に腰を降ろすとぼんやりとしながらプーフとリリアに視線を向けている。
「あー平和だなぁ」
「ちょっとオオシマさん! 何ぼんやり平穏を噛みしめているの! 助けて!」
「エビごときで騒いでんじゃねぇよ」
「えびいいい! 取ってええええ!」