病ンデル女神
いきなりの来客にプーフとリリアは戸惑ったようにそそくさとオオシマのベッドに移ると、オオシマの背中に引っ込んで女神を見た。
オオシマは呼んでもいないし、見たくもない女神に視線を一度だけやると食事に視線を戻して構わずに食べ続けた。
「え、ちょっと、シカトですかー。オオシマさぁーん」
ベッドの前に腰かけると女神は何が面白いのかニヤつきながらオオシマの顔を見ている。
「オオシマさーん、オオシマさーん、聞こえてますかー。女神様ですよー」
「こちとら朝飯食ってんだよ。邪魔すんじゃねぇ。プーもリリーもビビってんだろうが」
「えぇ、酷い! 私これでも慈愛の女神と呼ばれているんですよ!?」
「いちいち声がデケぇ。黙れ」
「やーん! オオシマさん辛辣ぅ!」
教育上悪いと思った。プーフとリリアを育てていこうと思った手前、粗相はあまり見せるべきではないと思っていた。
しかし、軽いノリではしゃぐ女神にオオシマは手にしたフォークを投げつけると、笑う女神の額に勢いよく当たると頭を揺さぶらせて倒れた。
「イタッ!? え、どうして!? オオシマさん最近バイオレンスじゃない!?」
「朝からうるせぇんだよ!」
赤くなった額を擦りながら女神は涙目で体を起こした。
「ママこのひとだれ……」
「やだ! オオシマさんがママですって! 元ヤクザのおっさんなのに! ママですって!」
今度は枕が飛んだ。
女神の顔面に枕が叩きつけられると女神の体は盛大に仰け反って後ろへ倒れる。
「テメェうるせぇって言ってんのが聞こえねーのか」
「オオシマさん! 私女神! 女神様なんだよ!? 扱い酷くない!?」
自称女神にオオシマは良い印象がない。
確かに死後出会ってからここに来た過程を思えば、神だとか仏だとかに該当するものだとは思える。
しかし、目の前の女神といえば神々しさも神秘的な要素もまるでありはしない。
ノリも口調も軽くて、オオシマは女子高生でも相手にしているような気さえした。
「で、何の用だよ」
「私ぃーオオシマさんの担当女神なんでぇー、オオシマさんの様子を見にきたんですぅ」
「次舐めた口調で喋ったらヤキいれんぞ」
「すんません……」
これ以上舐めた口きいてると本当にヤキを入れられそうだと女神はオオシマの顔を見て思った。
女の体になってはいるが、任侠時代に培った相手を威圧する覇気は鈍ってはいない。
「で、何しにきたんだよ」
「オオシマさんがベヒーモスをステゴロで倒したと耳にしまして…大丈夫かなぁと思って見に来た次第です…はい」
「ベヒー? あ? なんだよそりゃ」
「オオシマさんがボコボコにした猪のことです。あれベヒーモスっていう幻獣なんですよ。結構強いモンスターなんですけど」
「猪のことか。ったくおかげ様でこんなんなっちまったよ。不自由ったらありゃしねぇ」
痺れる手を翳し、赤く腫れた足首に目を落とした。
「いやいや普通死んでますよ。あのモンスターを人間が素手で倒すなんて聞いたことありませんもの」
「そうか。昔っから喧嘩ばっかしてたからな。ちょっとやそっとじゃ俺は死なねぇよ。それに猪くらいなら倒せる」
「喧嘩に明け暮れた程度で倒せるモンスターでもないんですけどね……」
「もう終わったことだ。ってかよ、お前女神だったら傷治すとかできねぇのか?」
「あ、できますよ。余裕っすよ」
「じゃ、早く治せよ」
「うぃっす」
女神は長い髪を耳にかけながらオオシマの足首に口づけした。女神の口からは蛍のような光がいくつか零れると赤く腫れていた足首は嘘のように元の状態へと戻った。
「おぉ。マジだ。痛くねぇ」
「これぐらいなら余裕っす」
「じゃ、次手」
「うぃっす」
オオシマの前に跪いて手のひらを握ると女神の大きな緑色の瞳がオオシマの顔を見つめた。
「この体勢、プロポーズするみたいですね」
「オメェ、俺が何言いたいか分かる?」
「私と結婚してください……!」
「人の話聞いてんのかテメェ」
女神の顔は真剣そのものだった。目を閉じて手の甲に口づけすると足首と同じように感覚が戻り、痛みなどは感じられない。手を握っては開いて感覚を確認する。
その手は普段通りの健康的な状態へと戻っている。
「さぁ、オオシマさんの答えを聞かせてください……」
役者のように振る舞う女神の顔面すれすれに拳が突き出された。
突き出された勢いで女神の顔に風圧がぶつかると髪の毛を揺らしている。
風圧はかまいたちとなって女神の髪の毛を数本通りすがりように切り落とした。
「うん。ちゃんと手動くわ。ありがとな。用済んだらさっさと帰れや」
「ちょっと! 毛が! え、今風圧だけで髪の毛切れたよ!? てか、本当に殴られるかと思ったんだけど!?」
「ママてなおったの?」
「オオシマもう痛くない?」
「おう、この通りだ。手も足もぴんぴんしてやがる。これならもう動けそうだ」
「わー! じゃぁまたおさかなとりできるね!」
「そうだな。体もよくなったしちょっくら三人で足延ばすか」
「私蛇捕まえてみたい!」
「プーね! プーね! おさかなとりたいの! しろいおさかな!」
「よし、じゃぁ今日は下流のほう行ってみるか」
数日ぶりの魚捕りにプーフもリリアも目を輝かせるとベッドから飛び降りてタモ網やらサデ網、バケツと必要なものを用意しだしている。
オオシマも全身を伸ばしストレッチして感覚を確かめると、ベッドから立ち上がってまだ着ていなかった服をきようとタンスに手を伸ばした。
「フルシカトですかあああああああああああああ!? 私女神なんですけどおおおおおおお!?」
自分のことを全く視野に入れてもらえず、女神も立ち上がるとオオシマの背中に叫び声をぶつけた。
しかし、オオシマから返事はない。代わりに背中の龍が女神を睨むだけだ。
「ねぇ、まじ私泣きますよ? いいんですか? 女神様が泣いてしまいますよ?」
「プー、リリー、今日は外で昼飯食おう。パンと好きなもんバッグつめとけ」
「おそとでごはん! わかった!」
「外でご飯食べるなんて初めてだね。何持っていこうかなぁ」
二人は小さな麻袋を木箱の中から取り出すと、他の木箱を開けて何を持っていこうかと笑いあっている。
リンゴなどの調理の必要がなさそうなものを選ぶと、とても食べきれない量を麻袋の中へ詰め込んでいる。
普段は家で食事をしているので、外で食事を摂ったことはなかった。
二人にとってはそれが新鮮で、初めての経験に胸が弾んでいた。
「そろそろかまってくれないと私寂死しますよ? 私割とかまってちゃんなんですよ?」
助けを求めるような弱弱しい声だった。
ワンピースに着替えたオオシマの後ろにしゃがみこむと何処から出したのか『ひろってください。捨て女神です』と書かれたプレートを手に今にも泣きだしそうな上目遣いでオオシマを見つめた。
「オメェまだいんの? 帰っていいよ」
「よくこんな悲痛な私に冷たい言葉をかけられますね。オオシマさんの心はマイナス273度ですか?」
「それ知ってるぞ。絶対零度ってんだろ。昔標本作ってる奴がそんなん言ってた気がする。懐かしいなぁ、あいつぁカタギだったけど良い奴だった。まだ向こうで生きてんだろな」
「昔話はいいんです。過去のオオシマさんはくたばったんです。早く構ってください。早くひろってください」
「準備できたら行くぞ」
「プーもうじゅんびできたの!」
タモ網を持ったプーフは頭に麦わら帽を被って飛び跳ねている。その隣にいるリリアも同じく麦わら帽を被るとパンパンになった麻袋を持ってオオシマを待っている。
「オオシマの分のご飯も用意したよ! 早く行こ!」
「よし。じゃー行くかぁ」
「行かないで! 私を放置しないで! 病みますよ! 構ってくれないとメンヘラ女神になりますよ……」
その場に崩れ落ちる女神に小さな手が差し出された。
顔をあげれば太陽のようなまぶしい笑顔をしたプーフが女神に向かって手を差し出している。
「いっしょいこ」
「プーちゃんッッ!」
女神はプーフの優しさに涙腺を決壊させずにはいられなかった。