鬼姫の傷だらけ
猪相手の喧嘩はさすがのオオシマにも傷を残していた。
といっても外傷があるわけではない。殴りつけた拳は痺れて動かず、蹴りつけて感覚がなくなった足には遅れて痛みが出ると立つことが困難になった。
濁流が続いていた川はすっかり元の姿になっており、楽しみにしていた荒れた川での魚捕りは不発に終わった。
されど、プーフは楽しみにしていた魚捕りを残念には思わなかった。
むしろ魚を通じてオオシマと遊べるという概念自体が消え去り、そのようなことをせずともオオシマと繋がっているということが意識ができた。
それはリリアも同じで、猪の襲来に身を挺して守ってくれたオオシマに対して深い信頼感を持つようになっていた。
狭いベッドに横になるオオシマの両腕にはプーフとリリアが腕枕をしてもらって横になっている。
湿布も痛み止めもないため、オオシマは痛みを感じながら体を休めるしかない。
動けないオオシマにプーフもリリアも常に寄り添っていた。
「チクショー、こんなにダラダラしてちゃ身体がなまっちまう」
「ママもううごける?」
試しに手に力を入れてみると指先は動くがまだ感覚は感じられない。
蹴りつけた足など赤く腫れあがって動かすことすら億劫だ。
不自由な身体に力を入れるのを諦めると脱力して目を閉じた。こんな状態ではしばらく動くのは無理そうである。
折れたりはしていないだろうが、内部で何かしらのダメージが蓄積されているのが分かる。
「猪ぶちのめしたのはいいけど、これじゃぁ洗濯も料理もできやしねぇ」
普段調理したり洗濯したりとの家事が全てオオシマが行っていた。
だが、こんな手足ではフライパンは持てないし洗濯を干すのも不可能だろう。
「じゃぁプーおせんたくする!」
「私ごはんつくる!」
二人は起き上がって動けないオオシマに代わって家事をしようと意気込んでいる。
その表情は熱気が籠ったように真剣だ。
現状オオシマは家事ができない。幼い二人に任せるのはどうかとも思えたが、二人のやる気を奪うのも忍びない。
家事を教えたことはないが、これも二人の成長に繋がると思えば頼むのは道理に思える。
「俺がこんな状態だしな。オメェらできるか?」
「プーやれる!」
「私も!」
「よし。じゃぁ今日からプーが洗濯係。リリーが飯係だ。手ぇ抜くんじゃねぇぞ」
「はい!」
「はい!」
威勢のいい返事が狭い部屋に広がった。
自分たちに役割ができると二人はベッドから起き出してそれぞれの担当についた。
プーフは脱衣所にあった衣類を纏めると大きな桶にぶちこんで外へと飛び出していく。
リリアはキッチンに向かうと木箱から野菜と肉を取り出してまな板の上に乗せるとリリアの手には大きなナイフで一個一個慎重に切り刻んでいく。
威勢のいい二人にオオシマは何故だか笑みが零れた。
しばらくの間一緒に過ごしていたが、二人はちゃんとオオシマの背中を見ていた。
言わずとも何をすればいいのか分かっている。
ベッドから上半身を起こして枕を背にすると、家の中に響く不器用に食材を刻む音に耳を傾けた。
一回一回ドスンとナイフの刃を落とす音が響き、そのたびに食材は無残に散らされる。
慣れない手つきだが、一生懸命にやっている姿は何とも愛しく感じる。
外へ出たプーフは空になった桶を持って入ってくると、オオシマのもとへと駆け寄ってきた。
「ママ! ママのおようふくも洗ってくる!」
そう言って両手に抱えた桶を目の前に差し出す。
オオシマが着ている服は猪と喧嘩したときから同じものを着ていた。体を動かすことができず脱ぐのすら辛いが故にそのままにしていた。
なんとか左手だけでワンピースを降ろして脱ぐと差し出された桶の中へと突っ込んだ。
「ママ、ぱんつも!」
「あーそうだな。替えのパンツ持ってきて」
「はい!」
桶をその場に置くとタンスの引き出しを漁り青いレースのパンツをオオシマに手渡した。
渡されたパンツを摘まんで目の前に持ってくると目元がピクピク動いた。
可愛らしい下着はまだ慣れない。女性ものの下着は昔のオオシマにとっては身に着けるものではなく、脱がすものだった。
「ママ! ぱんつ!」
「はいはい…」
履いていたパンツを脱ぐと桶の中にぶちこむ。
渋い顔をしながら新しいパンツを履くと少しは心地いい気がした。女性ものではあるが、同じ下着を着続けるよりはましだった。
「じゃぁ洗ってくる!」
「あ、おい」
プーフを呼び止めようと手を伸ばすも、桶を抱えたプーフはさっさと出ていってしまう。
パンツを新しく替えたはいいが、他は何も身に着けてはいない。
てっきり新しい服も出してくれるだろうと思っていた予想は外れて、オオシマはパンツ一丁で茫然とした。
「俺パンツだけなんだけど…」
視線を落とせば大きな乳房や太ももが何物にも包まれずに曝け出されている。
女性らしさを存分に発揮している恵体を見てオオシマは言葉が出なかった。
仕方なく毛布に包まってベッドに横になっていた。
家の中には切られた食材が焼かれて香ばしい匂いが漂ってきている。
洗い物を終えたプーフが戻ると空になった桶を脱衣所に放り込み、リリアの手伝いをして皿やフォークをテーブルに並べている。
「私盛り付けるからプーはミルク入れてきて」
「わかった!」
両手にコップを持つと小走りに出ていく。
窓に目をやればプーフが通りすぎて家の裏へと走り抜けていく。少し経つとコップにミルクを注いだプーフが小走りに視界を横切っていく。
同じことを繰り返してテーブルの上にコップを揃えると盛り付けを終えたリリアが皿をテーブルに置いた。
「できた!」
「できました!」
「あのよ、テーブルに皿置かれても俺そっち行けないんだけど」
「あ!」
「プーもってく!」
普段通りに揃えたはいいが、今のオオシマが動けないことを忘れていた二人はテーブルに置いていた皿やコップをベッド脇へと持っていった。
「リリー空いた木箱持ってきてくれ。テーブル替わりにすっから」
「はーい」
リリアが持ってきた木箱の上に皿とフォーク、コップを置くと、体を端に寄せて左手で食事にありついた。
二人も自分の分の皿を持ってくるとテーブルではなく、ベッド横に腰を降ろして食事に手をつけた。
「オメェらはテーブルで食ってていいんだぞ?」
「ママのとなりがいいの」
「私も」
家事はできてもやはり甘えられる部分は甘えたい。
オオシマは鼻で笑うと目の前で食事をする二人を見ながら食事を口に運んだ。
「オオシマさぁーん! お久しぶりでぇーす!」
食事時には聞きたくないイラつく声がオオシマの耳に届いた。
ノックもせずに扉が開かれると、そこには後光を浴びた女神がニコやかに立っている。




