腹を括る
下流へと歩いていたオオシマは目ぼしいものも見つけられず、ただ宙ぶらりんな気持ちだけを持て余した。
途中、乾いた岩を見つけると腰を降ろして濁流をぼんやりと見つめている。
足元にある石を拾うと力任せに川へと投げつける。
茶色くなった水面が飛沫をあげるが、流れの速い川はすぐに飛沫すら飲み込んで下流へと流れていく。
プーフの泣き顔を脳内に描いていた。
網を放り投げたことも、言うことを聞き入れず泣きながら家へと戻ったのにも、その時はイラッとした。
だが、冷えた頭で考えれば、子供相手に大声をあげたことはみっともなかったと思える。
きっとリリアもプーフを責めたことに対して怒ったのだろう。
さすがにやりすぎだとリリアは言いたかったのだろう。
考えれば考えるほど自分は浅はかだったなと思える。
初めてともいえる叱責は、オオシマに後悔とこうすれば良かったという思いばかりを思い起こさせる。
足元にあった石を掴んで、力任せに川へと投げる。
いつまでこんなにボケっとしているんだと、心の中のもう一人が自分に突っ込んでくる。
いつまでそんならしくねぇことをやってんだ。ちゃっちゃと悪かった部分は反省して詫びを入れてこい。
なんてふうに。
「分かってんだよ」
突っ込みをいれるもう一人の自分に答える。
任侠から外れてもうしばらくの月日が経つ。食うか食われるかの熾烈な世界で生きてきたオオシマは常に牙をむき出しにしていた気がする。
それが今は異世界にきたのをきっかけに、その牙がボッキリと折れた気がした。
それは女になったからなのか、プーフとリリアという守るべき存在ができたからなのか。
自分より遥かに年下の存在。それこそ自分の娘といってもおかしくないくらいの年齢差である。
二人の顔を見れば、よく『俺にも娘がいたらこんな感じだろうか』と思った。
その思いは大きくなって、だろうかというIF的思考な部分が薄れてきているような気がした。
たらればではなく、実際に二人はオオシマの娘も同然のような存在になってしまっている。
それを余計に感じさせるようにプーフはオオシマをママと呼ぶ。
最初こそ否定していたものの、いつしか呼ばれることに否定をしなくなった自分がいた。
――もうお前は自分の娘だと思ってるんじゃねぇか。
心の中のもう一人が言う。
「そうなっちまったのかもしれねぇ」
――だったら腹括れや。それでも任侠かテメェ。
「……上等だコノヤロウ。母親でも父親でもなってやろうじゃねぇか」
腰かけた岩から飛び降りるように立ち上がると、両手で思い切り頬を叩く。
腹を括った。
オオシマはちゃんと二人の母として、父として、親として接しようと気持ちを定めた。
だったら、こんな所でいつまでもセンチメンタルになってるわけにはいかない。
弱い自分と決別するように拳を作ると、腰かけていた岩に向かって拳を叩きつけた。
自分を痛めつけることで戒めにしようと思ったはずだった。
しかし、オオシマの拳は岩をあっさり砕くと岩の中からは紫色の鉱石が見えた。
拳は多少痛んだが、それよりもオオシマの目を引いたのは鉱石だ。
「こりゃぁ、アメジストか!」
岩の中は空洞になっており、薄暗いがわずかに紫色の結晶が見える。
砕いた破片を見れば岩肌にびっしりと細かなアメジストの結晶が生えて輝いている。
まさか座っていた岩がアメジストの塊だとは思わず、思わぬ獲物にオオシマは胸が舞い上がった。
さすがに巨大な岩を持ち帰ることは不可能だが、砕いた破片はいくつもある。
それらを集めるとポケットに押し込んでいく。
「これをプーフたちにやりゃぁ、機嫌も直るだろうよ。全く、何があるかわかんねぇもんだな」
家に戻ろうと来た道を振り返る。
――違和感が過った。
先ほどはなかった獣道が出来上がっている。それもかなり大きなものだ。
獣道は下流から家の方角へと続いている。
まさか。
嫌な予感が頭に過る。それを確かめるように獣道の中に入れば、まだできたばかりだと分かるようにほんのりと獣の臭いがする。
獣道は川を沿って上流へ――家の方へと続いている。
もしこんな大きな獣が家へと向かっていたら。
次の瞬間には身体が勝手に動いていた。
家を目指して足が駆けだす。嫌な予感を振り払いたいのに、駆ければ駆けるほど獣の臭いは強くなっていった。
*
枯れるほどに涙を流したプーフは赤くなった目をこすった。
「落ち着いた?」
「うん……」
ベッドの上に胡坐をかいて顔を向き合わせる二人。
時間が経つとプーフもいくらかの落ち着きを取り戻していた。心の中には悲しさがまだあったが、少しばかりの反省も芽生えていた。
あれほど大きな声で怒鳴られることはあることではない。
それだけ何か危ないことがあって、オオシマはそれから自分たちを遠ざけるために怒っていたのかと思えた。
「プー、ママにきらわれた?」
「嫌うなんてないでしょ。大丈夫だよ」
「プーもママの言うこときかなかったの。だからママおこったの」
「あんな大きな声あげるのも珍しかったね」
「……ママにごめんなさいしなきゃ」
視線を落とすプーフにリリアは笑って頭を撫でた。
いじけているような表情ではあるが、それでもプーフは素直に謝ろうとしている。
きっとすぐに仲直りできると思うとリリアには笑顔が浮かんだ。
急に家に何かがぶつかるような音がして、壁や屋根がきしんだ。
起こったことに二人は咄嗟に身を寄せ合って窓の外へと視線を向ける。
窓の外には黒い大きな岩のようなものがあり、その真ん中から短い枝のようなものが垂れさがって左右に揺れている。
よく見てみれば岩のようなそれは黒い毛の塊だった。揺れているものは尾だ。
恐る恐る窓に張り付いてみると、そこにいたのは巨大な黒い猪であった。
「本当に大きい獣いたんだ……」
「なに、なに、ねぇリリーこれなぁに?」
不安そうな顔をしたプーフが尋ねるもリリアも何が現れたのかわからない。
猪など見たこともなかったが、頭にはオオシマが言う言葉が思い出された。
『近くに大型の獣がいる。多分ここにまた戻ってくるだろう』
オオシマの言う通りになってしまった。
川辺で動物を食い荒らしていた猪は、再び餌を求めて家の前まで来ている。
耳をすませば何かを探すような荒い鼻息が聞こえ、鼻先を家の壁にこすりつけているのか壁がミシミシと音を立てている。
「わかんない……でもオオシマが言ってた獣だと思う」
「けもの!? プーたち食べられちゃうの? リリーどうしよう! プーたべられたくない!」
脅すように言った、食われるという言葉が頭にくっきりと思い浮かぶ。
味わったことのない恐怖にプーフは枯れたはずの涙が目から零れ落ちそうだった。
プーフはリリアを頼るが、リリアもどうしていいか分からない。
「ママ……ママどこいっちゃったの」
「外にはいないみたいだけど……」
「ママもたべられちゃったの!?……や! ママたべられちゃったなんてや! うぅ……ママぁ!」
恐怖からオオシマが食べられてしまったのではないかと考えると、プーフは涙を流しながら嗚咽をあげた。
「今泣いちゃダメ! 獣に気づかれちゃう!」
「ママたべられちゃったんだああああ! プーが言うこときかないからママたべられちゃったんだああああ」
「違うって! きっとどこかにいるよ!」
声に反応した猪は再び家を揺らした。
外にいた猪は泣き声に反応すると、後ろ脚に力を入れて立ち上がり、前足を壁に向かって叩きつけていた。
声のするほうへと巨大な鼻がヒクヒクしながら壁越しの匂いを感知する。
猪の嗅覚はすでにこの中に何かがいるのを感じ取っていた。
人間やエルフ、サキュバスの匂い。さらには家の中には町から仕入れた肉や野菜などの食料もある。
それらは腹が減った猪にとってはたまらない匂いがしていたのである。
「ママあああああああ!」
「プー、大丈夫だから! 泣かないで!」
泣き止ませようとするリリアも恐怖と泣き止まないプーフを前にして声が大きくなっていた。
泣き声と大声は猪の耳にこれ以上ないほどに聞こえている。
猪はここだという場所に狙いを定めると、再び立ち上がって前足を叩きつけた。




