ヤクザ
舗装された道を行くとオオシマが住む家と同じような木目造りの家が立ち並んでいた。
とはいってもさすがにオオシマの家とは違い二階建てであったり、装飾がされた豪華な門構えの家など様々だ。
町へと入ると、オオシマの眼には多くの異形の姿が目に入った。
人の姿ではあるが、頭から角が生えていたり、背中から小さな翼が生えていたり、はたまた二足歩行する服をきた熊の姿なんかもある。
まるでファンタジーの世界である。
オオシマは目に入るものが現実とは思えずに、眩暈がする思いだった。
反対にプーフはもともとこの世界の住人であるがゆえに、それらを見てもまるで驚きもしない。
「ママ、こっとういちどこ?」
「どこだろうな……ていうか少し待ってくれ。頭が整理できねぇ」
「どうしたの? あたまいたいの?」
「そうじゃねぇ。この状況が俺には全く理解できねぇだけだ」
行き交う人々はどれも異形だらけだ。
むしろなんの変哲もない人間のオオシマのほうが、かえって浮いてしまうほど。
しかし、だからと言ってそれに面を喰らっていてはヤクザの名折れだとオオシマは胸は張ると辺りを見回した。
歩いているうちに色とりどりの見慣れない形をした果実や葉菜類を並べる八百屋や、川では見れなかった大きさの魚を扱う魚屋などもある。
さらには鉄でできたナイフやトンカチ、釘などを売る店なんかもある。
「金さえあれば色々揃えられそうだな」
金さえあれば。
オオシマの手元にはこの世界で使われる金銭を持っていない。
自給自足の生活をすることで金銭など使わなかったし、そもそも無くても何一つ不自由がなかった。
しかし、いざ目の前に様々な道具や食べ物を見せつけられると金銭が欲しくなる。
それに見てみれば行き交う人々は異形であるが、身なりはキチンとしている。
自身のお古を着せているプーフに申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。金さえあればプーフに服を着せてやれるのにと思い、オオシマは胸の内を痛めた。
歩きながら行き交う人々。
1人の黒い民族衣装を纏う男とすれ違うと、男は眉を潜めてオオシマたちへ振り返った。
「プーフ、もしかしてプーフじゃないか?」
「あぁ?」
呼びかけられた声に振り返る。
遊牧民のような民族衣装の男はオオシマではなくプーフへと視線を向けている。
気づかれたプーフは男の顔に見覚えがあるのか、オオシマの後ろに隠れるとスカートをぎゅっと握って手を震わせていた。
「テメェ、プーの知り合いか?」
「知り合いも何も……私はこの近くで奴隷商を行うものです。先日、エルフの少女に逃げられたのですが、あなたの後ろにいる少女がそれによーく似ているのです」
「奴隷商だと?」
オオシマは拳を握っていた。
「えぇ。入荷したはいいものの、言うことを聞かない奴隷でしてね……何度躾をしても脱走を繰り返していたのです。ほれプーフこっちに来なさい」
呼ばれたプーフは今にも泣きだしそうな顔で震え始めた。
「つーことは、テメェんとこの商品ってわけか。こいつは」
「左様です。しかし、逃げられて一月経ち死んでいるかとも思いましたが驚きました。すっかり綺麗になってしまって。これならば高く売れることでしょう」
「こいつは俺んとこに盗みに入ってな……しばらく世話をしていたんだ」
「それはそれはご迷惑をおかけしました。もしプーフを返してくれるのならば……」
奴隷商は懐から大きな革の財布を取り出すと束になった札を取り出した。
「迷惑料と世話をしてくれたということで……」
「……足りねぇな。まだあんだろ」
オオシマはこの手のやりとりには慣れている。
素人相手に札束を見せつければ大抵は条件なり約束なりを飲み込む。
しかし、その札束は実は最低限の金額であり相手がゴネた際にはより多くの金額を出す手筈をしているのが定石だ。
まだ強請れると思ったオオシマは、さらに金を出すように奴隷商にあたった。
「おっと、お嬢さん。これでは足りないですか……そういえば私もう一つ財布を持っていました。これでいかがでしょう?」
男は手に札束を二つ持ってにこやかにオオシマに差し出している。
日本円でもドルでもないが、恐らくは大金であることに間違いはない。
それならば良いとオオシマも笑顔で金を受け取った。
やりとりを見ていたプーフは心が砕けそうだった。
同じような状況を見たことがあった。札束をつんで売られていく奴隷たち。
プーフは奴隷商のもとにいたとき、同じような境遇にいた者が金を積まれ売られていく姿を見た。
売られたものたちとは二度と会うことがなかった。
その後どうなったのかは知る由もなかったが、どこか遠くにいってしまうのだろうと子供心に思っていた。
信用していたオオシマが笑顔で金を受け取っている。
あんなに楽しかったのに、あんなに安心させてくれたのに。プーフは金を受け取るオオシマが信じられなかった。
金を受け取ったということはまた奴隷商のもとに戻らなくてはならないのか。
不安が心を真っ黒に染めて焼き尽くす。
裏切られたと感じた心、震える手足、すでに頬には涙が伝っている。
――どうして、どうして。
オオシマにそう言いたかったが、プーフは口が震えて何も言えなかった。
否、言葉にするのが怖かった。
はじめて安心できる生活ができた。はじめて人を信用できた。はじめてこの人といたいと思えた。
オオシマはそんな人柄だった。
なのに、目の前のオオシマは奴隷商から笑顔で金を受け取っている。
心が焼きつくされそうで、プーフは涙を零すしかなかった。
「ご理解いただけたようで何よりです」
奴隷を回収できたと奴隷商は笑顔で握手しようとオオシマへ手を差し出した。
――お願い、その手を握らないで。そいつの所へ行きたくない。
プーフは願いながらオオシマの顔を見上げた。
しかし、オオシマの顔は笑顔のままだった。
心が真黒な灰へと変わってざらつく心地だった。もう生きた心地を感じないプーフは嗚咽が漏れてしかたない。
差し出された手にオオシマは笑顔で手を取った。
――否、掴んだ。
瞬間的に奴隷商の身体が宙へ舞い上がる。
突然の出来事にプーフも奴隷商も何が起こったのかわからなかった。
差し出された手首を左手で掴み、奴隷商の胸倉を右手に掴むと一気に背負い投げしていた。
時が止まったように感じた。
背負い投げするオオシマの姿。わけもわからず浮かびあがる奴隷商。
止まった時が動き出すと、オオシマは背負った奴隷商を思い切り地面へと叩きつけた。
受け身すら取らせぬほどの速さで叩きつけると、奴隷商は頭から落ち、頭と鼻から血を流してうずくまる。
だが、それだけに終わらなかった。
倒れた身体に素早くマウントを取って馬乗りになるとオオシマは握った拳を顔面へと叩きつけた。
何度も、何度も、何度も、何度も。
殴りまくり、自分の手が裂けても、相手の鼻が折れて、目元が陥没しても、なお殴り続けた。
金を受け取った笑顔は鬼の形相へと変わっていた。
「テメェ、殺すぞコラァ!」
鬼が絶叫する。
プーフは涙を流しながら目の前で何が起こっているのか分からずにただ奴隷商を殴りまくるオオシマを見つめた。