ep6「見えざる純黒」
「ぐっ……!」
みしみしと軋む閉鎖空間に、幻也の呻き声が響く。
操縦桿とフットペダルを備えた閉鎖空間とは、つまるところ呪操槐兵の体内だ。コックピットに乗り込んだ幻也を道連れにして、機体は今まさに猛烈な加速度に晒されている最中だった。
走っていた。
黒い木製巨人は、あろうことか街を駆けているのだ。
「少し動かしただけで……これかっ!」
『早く慣れろ、水鏡。魂呼ばいが使えるお前なら操縦は出来るはずだ。人ではない人型の物体を遠隔操作する、それ自体は死体だろうと槐体だろうと変わらない』
シートに括り付けた無線機からは、猛烈な雑音が聞こえて来る。
呪術を併用して脳内に響かせなければ、聞き取れたものではない。
「例えば、こういう事か」
幻也が操縦桿を押し込むと、機体は手ごろな電柱の上に降り立っていた。こう動かしたい、と脳裏にイメージした傍から手足が勝手に機体を捌き出すのだ。
そして〈御霊〉は、電線の上を走り始めていた。
彼が僅かに力を込める度に、機体はコンマ数ミリ単位で寸分違わずに立ち止まり、駆け出し、思うがままに動作し続ける。コックピットに所狭しと並べられたアナクロな計器類が、小刻みに震えた。
――――筋肉性自動作用か。
つまり、トランス状態に陥ったイタコと何も変わらない、幻也はそう理解した。
降霊状態に陥った霊媒師は、時に自らの意思とは無関係に話し出すという。それと同じように、身体が知りもしない操縦をこなしているのだ。
『呪術を使える者でなければ槐兵は動かせない。だが』
「使える奴なら動かせる、そういう事だな。犬山」
魂呼ばいと似たような呪術を行使し、その上で機械的操作系を動かす必要がある。
恐らくはそれ自体が儀式化されているのだろう、と察しがついた。
神楽舞など、人体の動作行為を神に奉納する儀式は数多存在する。それらはいずれも神霊の口寄せ、ならびに部分的制御のノウハウだ。
こんな事が出来るのも、機体動作を管轄するOSの補助あってこそ。
「気味が悪いな」
『機体動作は全て呪操OS〈巫〉で制御されているんだ。早く慣れろ』
巫とは神託を伝える者を指す言葉。幻也自身の困惑をよそに、古き巫女の名を冠したOSは一切の隙を見せない。
操縦桿を押し込めば機体は跳躍し、一陣の風となった。
木製とは思えない重量出力比が、推進器も無しに実に数十mもの跳躍機動を可能とする。予想を遥かに超えて力強く、強靭なボディだった。
「何で動いているんだ、こいつは」
『植物性筋電池。光合成型燃料電池と駆動部を兼ねるある種の人工筋繊維だ。つまり、今のお前の身体に近い』
「なに?」
視界は一気にビルの屋上へと移っていた。
腰布をはためかせる〈御霊〉が、公安霊装庁舎ビルの屋上へと降り立つ。柔軟に曲がった木質筋繊維は、僅か1t足らずの機体重量を音も無く支えていた。
呪操OS〈巫〉の補助は完璧だ。
だから、犬山の声もはっきりと聞こえてしまう。
『お前はここ一年、何も経口摂取していない。水と空気と日光だけで生きていたんだ。つまり槐の呪いで身体の大半が木質化しているんだよ、こいつと同じにな』
「……そうだったか」
驚きは、意外なほどに薄かった。
致死性の呪いを受けて生き残ったのだ。ただでは済まないだろうと思っていたから驚けない。
むしろ呪操槐兵という身体が、身近に思えて来るくらいだった。
――――なら、俺ともっと深く繋がれるはずだろう。〈御霊〉。
交感接続、開始。
ミタマの全身に張り巡らされたガラス質の繊維を介し、魔なる者をも映し出す銅鏡が幻也自身の眼となる。
彼は銅鏡にリンクした視界で、赤いビル街を見渡していた。
辺りは夕暮れ、既に一般市民が逃げたらしい街並みは空っぽだ。公安霊装の庁舎が置かれていたのは、都心ビル街の只中だったと分かる。
――――葉を隠すならば森の中、なら人を隠すには人の中ということか。
何か怪しげな物は見当たらないかと、更に視界の倍率を引き上げて行く。
そして見つけた。
ビルとビルの影、人目から逃れるように止められた白塗りのワゴン車が数十台。車内から降りて来る信徒たちは、誰も彼もがフルフェイスヘルメットに密造銃火器という姿だ。
敵の増援戦力なのは明らかだった。
「犬山、第二波の敵集団を発見した。あと五分以内で庁舎に着く位置取りだぞ」
『そうか。これ以上の混乱で警察の介入を招くのは避けたい……それに私の予想が正しければ遥かに厄介なやつがいるはずだ。すぐに潰せ』
「了解」
敵を潰す、その意味は一つしかない。
幻也がフットペダルを繊細に踏み込むと、機体はビル屋上の縁をとんっと蹴り出していた。高度数十mからの自由落下。風を裂いてアスファルトを目指す〈御霊〉は、空中で背に手を伸ばしていた。
抜刀。
着地と同時に、〈御霊〉は全長8m近い木刀を振り下ろす。
神木から削り出された無垢材の刀身は、鋼鉄にも勝る切れ味を以て車を一刀両断としていた。
裂かれた鉄片に混じって、車に乗り込んでいたらしい信徒たちの腕が、脚が、首が宙を舞う。
「排除、完了」
赤い飛沫の中を跳躍し、機体は即座に離脱。たった一太刀で生み出した惨状を見下ろしながら、幻也は誰に気付かれるともなくその場を後にしていた。
呪操槐兵は究極の呪術兵装だ、と。
犬山が口にした言葉の意味をようやく悟る。操縦桿に乗せた幻也の手は、気付かぬ間に震え始めていた。
「本当に、こいつが見えていないのか」
眼下の信者たちは、未だ誰一人として〈御霊〉に気付いていない。
その暴力的なまでの優位性に、思わず背筋が凍り付く。
――――だが、7.62mmで殺すのと何も変わらないだろう。
そう、何も変わりはしない。変わりはしないのだと、思わず呪操槐兵の力に怯みかけた我が身に言い聞かせる。
幻也の足は、再びフットペダルを踏み込んでいた。すると、ばさりと腰布を広げた機体は緩やかに減速して、舞い散る木の葉のように着地する。
ターゲット捕捉。既に黒い木刀を振り上げた〈御霊〉の眼前には、見当違いな方角へ銃を構える信徒が五人並んでいた。
――――殺れてしまう、今度も。確実に。
音も無く接地した機体の脚部が、滑らかに踏み込む。
次の瞬間には、血飛沫とアスファルトの混合物が辺りに飛散していた。
『水鏡、機体の状況は』
「問題無い」
赤く汚れた木刀を振り下ろせば、遠心力で引き剥がされた血潮はシャワーのようにビル壁面へ降り注ぐ。
闇討ちにも等しい攻撃で討ち取って来た、数十人分もの血だった。
――――敵からすると、何が起こったように見えるのだろう。
幻也の脳裏を、素朴な疑問が掠めて行く。
赤い雨、ビルの合間を翔ける突風、車をも切り裂くカマイタチ。あるいは雷だとか、地割れだとか、そういった天災が起こったと思うのかもしれない。
そこまで気付いてようやく、呪操槐兵という存在の本質が見え始めて来た。
「犬山、呪操槐兵は究極のステルス兵器だとか言っていたな」
『ああ、言ったな』
「ふざけるな、これはそんなものじゃないだろう」
古来より人々は、天災や自然の猛威に八百万の神々の姿を見て来た。
ならば、今の〈御霊〉は、まさに神域に足を踏み入れているに違いないのだ。人間には本質を露わにせず、畏れられる者へと成ったのだ。
『――――尋常ならず人の及ばぬ徳のありて、畏き者。呪操OS〈巫〉に記されている一節だ』
「神の定義だったか? そういう事は、分かりやすく仕様書に書いておけ」
犬山は、しかしそれ以上は答えない。
漆黒の甲冑に血と油を滴らせる〈御霊〉は、幻也を収めたままビルの合間に佇んでいた。銅鏡を嵌め込まれた顔は、自ら生み出した惨状を顔布越しに睥睨している。
敵増援戦力の殲滅は完了。もはや人の姿は見当たらない。
「犬山、掃討はこれでいいのか」
『いや、奴らに庁舎への侵入を許したんだ。歩兵だけで警戒網を抜けられる訳が無い。連中も必ず同じモノを送り込んで来ている』
「それは――――」
『ギリギリでお前を覚醒させられたのが救いだ。来るぞ、同格が』
何かに見られている。
幻也の背筋に戦慄が走ったのは、その瞬間だった。
<カクヨムにて先行連載中>
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885880520/episodes/1177354054887735952