ep35/36「魔都の収奪者〈天地〉」
『逃げろ逃げろ水鏡幻也、前の首都抗争では使えなかった呪操槐兵〈火焔〉のお披露目なんだ。出来ればこんなもんは使いたくなかったが、お前を処理する為に用意した手向けだよ』
「何が手向けだ……!」
疾走。薄雲のようなヴェイパーコーンを纏う〈御霊〉は、集中砲火から逃れんとして山手通りをトップスピードで駆け抜ける。
執拗なまでに黒い槐兵を狙う火線の源は、一糸乱れぬ歩調で走る6機もの槐兵〈火焔〉だ。|槐兵用サブマシンガン《対空機関砲ZU-23-2》から放たれた口径23mm曳光焼夷徹甲弾は、次々にアスファルトを打ち据えて弾痕を連ねて行く。
「どれもサカキが操っているから、それぞれの弾道を示す為に曳光弾を使用しているな。呪術は……奴め、全く使わないつもりか」
故に厄介だった。
赤き量産型槐兵たちは、対呪術戦に特化した御霊対策として現代火器を装備しているに違いなかった。呪詛で木質化させられた改造対空機関砲が、電線から電線へと飛び移る〈御霊〉を徹底的に追い込んで行くのだ。
鮮やかに描かれる無数の弾道が、光の雨となって水平に降り注ぐ。
左右をビルに挟まれた大通りは、既に燃える蜂の巣と化していた。
――――もう3機は殺った。こいつらの相手をするだけならまだ……だが。
幻也の視界の端でちらりと発砲炎が瞬く。
直後、辺りに盛大な土柱が立ち上がっていた。すぐさま電柱を蹴り出した〈御霊〉は、そのまま建物の影に飛び込む。
直後、音も無いままに電柱は引き千切られていた。
光る雨に割り込むように、鋭い劣化ウランの豪雨が降り注ぐ。
〈天地〉からマッハ3近い劣化ウラン弾が次々に飛来、遅れてやって来た轟音が機関砲の吼声となって街に轟く。掃射の巻き添えを喰らった敵機は、弾が掠めただけだというのに目の前で千々に粉砕されて行った。
『そんなビルごときが遮蔽物になるものか、アベンジャーだぞ?』
「く……ッ!」
連射を受けたビルの柱が瞬く間にやせ細り、遂には喰い千切られる。各国の主力戦車をも仕留めるという、世界最大の航空ガトリング砲が誇る威力は伊達ではない。
直撃を受けた小ビルが半ばから倒壊し始める。
大量の瓦礫が雪崩と化して大通りに流れ出て行く中、その轟音と粉塵に紛れるようにして〈御霊〉は再び山手通りに踊り出していた。
疾風となって駆ける巨人は、手頃な位置の〈火焔〉を見据える。
一閃、敵のライフルが宙を舞う。目にも留まらぬ速度で敵機の懐へ飛び込んだ〈御霊〉が、一太刀の下に腕を切り飛ばしたのだ。続けて打ち込まれた黒い右腕は、深々と敵の腹を突き破っていた。
「貫けよ、〈御木之真柱〉!」
どん、という鈍い衝撃音が敵機の身体を震わせる。
赤い装甲を易々と打ち抜いた杭は、敵の腹をも貫いて背から飛び出していた。杭の周りからぼろぼろと腐り始めた朽ち木の槐兵は、木屑だけを残して崩れ落ちて行く。
――――これで撃破数は4。
木屑が舞い散る中、〈御霊〉が伸ばした杭の半ばには一つの種子だけが取り残される。無数のトゲを生やした独特の外見には、幻也も見覚えがあった。
大きさが10倍以上も違うだけで、イチイの礼拝所で配られていた種そのものだ。
「どの〈火焔〉を斃してもこの種が出て来る……つまりあれも呪われた代物だった、という事かよ。中に入っているのは元人間だった連中か」
〈御霊〉のすぐ傍で、路面に散乱していた無数の木片が寄り集まって行く。ガトリング砲の掃射に巻き込まれて粉砕されたはずの〈火焔〉たちが、機体の再生を終えようとしているのだ。
立ち上がりつつある敵機は8機。
サカキに粉砕される前よりも、その数は増えている。
――――アベンジャーで株分けとは。
砕かれた木片から株分けされたことで、朽ち木の槐兵は数を増して行く。ガン細胞にも等しい無限増殖能を発揮する〈火焔〉は、やはり手にしたサブマシンガンからの射撃を始めていた。
神呪兵装〈御木之真柱〉を撃ち込む事でしか倒せない、鉄蜘蛛システムよりも反応速度と統制の面では劣るが極めて強力な敵だった
それら全てを一括で操っているのは、サカキの槐兵だ。
『公安霊装は陥落しイチイもいない。もう森羅の再起動を止められる者はいない……十年だ、俺は御木を見てから十年もこの時を待って来た!』
耳をつんざくような轟音が全身を押し包む。全方位から浴びせられる鉄塊の嵐に、〈御霊〉の漆塗り装甲が削り取られていた。
たまらず跳躍。
嵐のような弾雨に逆らって黒い槐兵はビル壁面を垂直に走って行く。ちょうど90度だけ傾いた視界には、遥か彼方のスカイツリーが映り込んでいた。
「あの御木がなんだ、〈森羅〉と何の関係がある……!」
『あれは二代目だ、初代の御木とは古事記に伝えられる大神木の名だよ。かつて人々はその奇蹟の大樹を切り倒すという罪を負い、祟られた。その呪われた木材を使って造り上げた原初の呪操槐兵こそがあの〈森羅〉だ』
「イチイが執心していた訳だ」
眼下を見据えた〈御霊〉は、猛禽さながらに天から降り注ぐ。
着地、降り立ったのは8機の量産槐兵の只中だ。すぐさま抜き放った木刀はたった一振りで敵機を切り飛ばし、赤い前腕が、銃身が、あるいは頭部が、残心を極める〈御霊〉の周りで一斉に宙へと舞い上がる。
これだけでは〈火焔〉を倒せない。
右腕に杭を伸ばした黒き槐兵は、そんな事は解っているとばかりに敵機の胸を刺し貫く。一機、更に続けてもう二機、抉り抜いた勢いのままに敵機を押し出す〈御霊〉は、崩れ行く敵機をマンションの正面入り口にめり込ませていた。
――――これで残りは5機。このまま早くサカキを!
残りの雑兵は半分。
ライフルを抜き放った〈御霊〉は、辺りで放置されていたトラックに向けて刀を投げ付ける。荷台に深々と突き刺さった木刀は根を張り出し、機体はその柄から伸びる鎖を強引に手繰り寄せる。
横転しアスファルトを滑り始めたトラックは、その轟音と巨体で以て〈御霊〉と赤い敵機の間を塞いで行く。
『必死なことだな』
「装填完了、照準固定……発射」
トラックを重し代わりにした〈御霊〉は、膝立ちのままで90mm対呪物ライフル砲を撃ち放つ。
狙いは目の前の雑兵では無く〈天地〉。
こうして戦っている内に敵機との距離は詰まっている、それこそが狙いだった。弾速を殺されないほどに近い場所から放たれた呪装徹甲弾は、あやまたずビルの上にそびえる敵機へ着弾する。
だが、効果は無い。
晴れ行く煙の向こうに現れたのは、神木製90mm弾頭の直撃を受けても煤けただけの〈天地〉だ。強力な祟りを帯びた神木が直撃したというのに、金属装甲は木質化する気配さえ見せない。
『近付けば貫徹できるとでも思ったのか、この機体が纏う緋緋色金の複合装甲を!』
「この距離でも抜けないか。これではっきりしたな……!」
反撃とばかりに降り注ぐ劣化ウラン弾の雨が、横倒しのトラックをいとも容易く引き千切る。辛うじて射線から逃れた〈御霊〉は、それでも諦めずにトップスピードで距離を詰めて行った。
緋緋色金、それは偽書に記された伝説の金属の名だ。超常じみた耐弾性/耐呪性を誇る機体の謎が幻也の脳内で一つに繋がる。
――――やはり〈天地〉の設計思想は〈御霊〉と似ている。
第一位幹部サカキ専用呪操槐兵〈天地〉。
それは本来ならば降霊を妨げてしまう金属を纏い、超重量を誇り、呪術の一切を使わないイレギュラーの槐兵だ。何もかもが槐兵らしくない。
故にあれは〈御霊〉とは異なるアプローチで対呪術戦を主眼に置いた槐兵に違いない、と幻也は理解した。
――――呪術戦なんてものは端からやる気がないんだ。
神薙システムと緋緋色金装甲は、共に偽書を由来とする神道系呪術へのカウンター技術。呪詛を祓う方法こそ違えど共通項は多かった。
呪操槐兵を装い、対呪術戦へ特化した〈御霊〉。
呪操槐兵でありながら、対呪術戦へ特化した〈天地〉。
違うとすればその一点でしかない。サカキの機体はあくまで槐兵でありながら、徹底的に物量戦と火力戦へ引きずり込む為の対呪術戦仕様に違いなかった。
「昔話は聞き飽きた、そんな槐兵に乗ってまで貴様は何がしたい。目的は何だ」
『たかが呪術教団による国家転覆、とでも言ったらお前は嗤うかね』
「絵空事を!」
隙間など見当らない集中砲火をすり抜けるように、〈御霊〉がビルとビルの合間を鋭角的に駆け上がって行く。
ビルの屋上に陣取る〈天地〉へ、瞬く間に黒き風が迫る。アンカー代わりにビル壁面へ打ち込んだ鎖を巻き上げながら、機体は壁を蹴り出す度に猛然と垂直上昇を続けていた。
『元来、政治と卜占は不可分だったし、呪術という奴も社会の中に息づいていた……なのに今はどうだ、それをすっかり忘れてしまったこの東京を神代の頃に戻す。その為のサイレント・クーデターだ』
「それならこんな騒ぎを起こす必要も無いだろうに!」
『いいや、意味ならあるさ。呪術は秘されてこそ意義がある。しかし秘されてばかりいると、民衆という奴は畏れることを忘れちまうんだ。神への信仰はただの形骸と化し、バックボーンを失った神像なんていうモノは、ちょっとばかし曰く付きのインテリアでしかなくなって行く!』
「その槐兵〈天地〉のようにか!」
跳躍。電線を蹴って天高く飛び上がる〈御霊〉は、既に量産機たちを遥か後方に振り払っていた。
いくら〈火焔〉を斃しても決着はつかない。
目指すは〈天地〉ただ一機だ。
拭き上がるビル風に腰布をなびかせながら、黒き槐兵はほぼ一直線に敵機へ突っ込んで行く。手にしたライフルは既に装填を終えていた、リコイルマニューバによる軌道変更もいつでも可能だった。
――――隙を見せた瞬間に殺る、来い。
狙うべきは、敵機が撃ちかけて来るその一瞬。
幻也は銅鏡越しに敵機の一挙手一投足に目を凝らす、ガトリング砲を構える〈天地〉の動きに全神経を集中させる。
その時、不意に皮膚を温められるような錯覚が走った。
全く予想外な方向に光が瞬くのを認めたのは、ペダルを蹴り出した直後の事だ。
「あれは」
目黒区上空を一条の光線が貫いて行く。
途端に〈御霊〉の腰布は発火し、光線で貫かれた箇所には拳ほどの穴が口を開ける。何処からか放たれた恐るべき熱量の矢は、ただ掠めただけで漆塗りをも蒸発させるほどの威力を誇っていた。
この出力のレーザー光を撃てる存在は、一つしかない。
「くそッ!」
背から煙を噴いて姿勢を崩す〈御霊〉は、手にした銃剣を咄嗟に振るっていた。神呪兵装たる杖が切り開いた空間からは、視界を真っ黒に染めるほどの霊獣が飛び立って行く。
続けて襲い来る第二波。
再び夜空を貫いたレーザー光は、しかし召喚された八咫烏の群れによってせき止められていた。一瞬にして烏が蒸発した煽りを喰らい、辛うじてレーザー狙撃を防ぎ切った〈御霊〉はたまらず吹き飛ばされる。
『今はあまりに多くの奴が神を忘れてしまった。だからこそ今この時代に再び神を具現させる必要があったんだよ、それこそが〈森羅〉だ』
「シロヒメはもう機体を動かせる状態じゃなかった。貴様は〈火焔〉だけじゃなく、〈森羅〉の操縦系統にまで……ッ!」
『高く飛び過ぎると、俺の〈森羅〉に堕とされるぞ?』
俺は神に祈ったりなんかしない、続けてそう吐いてみせたサカキの声音には愉悦が混ざり始めている。ガトリング砲の掃射が〈天地〉を起点にして夜景を薙ぎ払って行く。
『ただしこんな時代だから、神は制御し得るものではなければならない。イチイはやり過ぎた、しかし奴は強過ぎてね。原理主義的に神を崇め、ありのままの姿で呼び出そうとしたばかりに、お前に消してもらう事になった』
「貴様、一体何年前からそうさせるつもりだった……」
『初めからだ、結果的にアラトもそれに乗ったが』
イチイを葬り去る為の取引は、教団の総意だとアラトは語っていた。その裏に在ったのはサカキとアラトによる結託、そして古代兵器の復活を防ぎたかった公安側の思惑だ。
しかし、サカキの目的だけは少しズレていたのではないか。
幻也は今さらながらにその可能性に気付かされていた。サカキは初めから〈森羅〉を呼び出させるつもりだったのか、と。
――――何もかも謀ったように言ってくれる!
ビルの屋上から屋上へと駆ける〈御霊〉は、高さ違いの足場を自在に蹴り出して行く。その軌跡を描くようにばら撒かれているのは、まるで季節違いの雪虫のようにも見える人形札の数々だった。
撃ち出された無数の劣化ウラン弾は、次々に人形札を消し飛ばして行く。
『盾にでもしたいのなら戦車の正面装甲でも持って来る事だな!』
「なら、お前で試してやるさ……仕込みには時間がかかったが、不用意に弾など撃ちかけるべきじゃなかったな!」
砲火から逃れていた〈御霊〉は、小さく印を切っていた。
すると、30mmガトリング砲の七連砲身は唐突に火を噴き、触れてもいない砲身が連鎖爆発を起こし始める。それだけではない、敵機そのものに殺到する30mm劣化ウラン弾の嵐が分厚い装甲を打ち据えて行った。
『く……ッ、何をした!』
「返し矢だ」
それは幻也自身、いつか目にしたことがある古の呪詛だ。
あくまでイチイが生身で行っていた事を辛うじて再現したに過ぎない。だが、相手がサカキのような三流の呪術師ともなれば話は別だった。
「返した弾は……必ず命中する」
瞬間、夜空に幾百もの弾道が一斉に浮かび上がる。その全てが人形札を撃ち抜いた弾頭だ。
返し矢による必中の劣化ウラン弾が、まるで時を遡るように敵機へと収束して行く。
壮絶な着弾の煙と衝撃が止むころを見計らって、〈御霊〉は今度こそ敵機の頭上から襲い掛かっていた。
「喰らえ」
〈御霊〉が手にするのは鎖で繋いだ木刀の一振りだ。鎖鎌のように振り回される刀身は、今や半径50m以上の円弧状に空を裂いている。
眼下で砲火に晒された敵機に、避ける術など無い。
火花が上がるほどの勢いで鎖を巻き取りつつ、機体は勢いを殺さぬように刀身を振り下ろしていた。
角運動量保存則により、鎖が巻き取られて半径が最小となった時に角速度は極大に達する。
――――すなわち、今だ。
斬撃の速度は極大。ヴェイパーコーンの鞘を纏わせて振り下ろした木刀が、兜割りの要領で敵機の頭上へ叩き付けられる。
轟音が大気を打ち据えた。
激突の衝撃だけでビルの屋上は崩壊し始め、僅か1tにも満たない物体が衝突したとは思えないほどの余波が数kmに亘って轟き渡って行く。
だが、渾身の一撃を受け止めているのは、辛うじて切断し切った肩部装甲と前腕だ。装甲に食い込みはしても左腕を切断し切れていない、急所にはなお浅い。
「浅い!」
『甘いねぇ!』
数百もの弾着によって全身をひしゃげさせた〈天地〉は、ようやく傷らしい傷を負った姿を晒している。
しかし、その動きは衰えてなどいない。
むしろその巨体からは想像できぬほどの速度で以て、煤けた敵機は煙を突き破って来ていた。背負った二基のジェットエンジンは獰猛な唸りを上げ、ノズルから噴き出す青炎が莫大な推進力で機体を押し出す。
『せっかく十年以上も前から練って来た計画なんだ、それを見るまで俺は死にたくないんでね。プレイヤーが駒に殺られたらただのお笑い種だろう』
それはまるで戦車が航空機の運動性を得たようなものだ。いかなる仕掛けによるものか、超重装甲の機体はほぼ一瞬で時速数百kmへ達する。
次の瞬間には衝突。
〈天地〉は迎撃など物ともせずに〈御霊〉へ手を伸ばし、その顔布で覆われた頭部をぎりりと締め上げて行った。ぴしりという破断音が聞こえて来ると、まるで満足したかのように無造作に投げ飛ばす。
『この〈天地〉を走らせたか、いやはや滾るねぇ』
「なんて馬力だ、こいつは……!」
圧倒的な馬力で吹き飛ばされた〈御霊〉は、空中で姿勢を立て直すやいなや即座に駆け出す。
直後に降りかかって来た敵機の拳は、轟、と恐るべき風切り音と共に突風を巻き起こす。一気に戦闘レンジを詰めた二機の槐兵は、中目黒付近のビル街を抜けて疾風のように代官山方面へ駆け始めていた。
代官山地区を貫く山手線路線地帯、ちょうど4本の線路が並行して伸びる路線内には壮絶な火花が上がる。
ぶつかり合う拳と銃剣は互いを削り合い、人には見えざる巨人たちの姿をストロボのように闇から浮かび上がらせていた。〈天地〉は蒼白いジェットエンジンの尾を引いて驀進し、手負いの〈御霊〉は軽業師のような身のこなしで縦横から斬り付けて行く。
対向する電車が過ぎ行くのも構わず、二機は擦過する勢いで猿楽橋付近をも通過して行った。
――――これは、マズい!
渋谷駅のホームへと雪崩れ込んだ二機は、打ち合いの衝撃で屋根を切り裂きながら取っ組み合っていた。
〈天地〉の恐るべき膂力にひき潰されそうになりながらも、黒き槐兵は辛うじて鉄拳を逸らす。鼓膜が破けんばかりの轟音が鳴り響いているというのに、ホームに佇む人々は巨人同士が打ち合う様に気付く素振りも見せていない。
槐兵に気付けないのは人だけではない、電車もだ。
甲高いブレーキ音と共にホームへ進入して来た電車は、狭い路線内で打ち合いを続ける巨人たちを轢き殺さんと迫って来る。
すかさず跳躍。
〈御霊〉はタイミングを見計らって膝を屈すると、高圧電線を千切りながらホーム上空へと飛び上がっていた。千切られた高圧電線は漏電の火花を漏らしながら、全身を金属で覆われた〈天地〉へと襲い掛かる。
――――感電の効果は、無いか!
上空から振り返った幻也は、すぐさま後を追い上げて来る敵機を見てそう結論付けた。
跳躍した〈御霊〉が渋谷駅直上の高速道路を真横に突っ切ると、続けて〈天地〉もまた高速道路を横断する。そうして飛び込んだ渋谷中心のビル街へと、二機の槐兵は戦場を移しつつあった。
人々の頭上で激しく拳と刀を打ち鳴らす両機は、辺りを取り囲むように配置された〈火焔〉に見守られるようにして決闘を続ける。残る5機の雑兵もまた、先回りで渋谷へと送り込まれていたらしかった。
「こいつにはどこまで見えている……!」
第一教団幹部サカキ、その予言じみた先読み能力に幻也は呻き声を漏らすしかない。眼前の黒幕たる男には十年前から一体何が見えていたのだろうかと、気の遠くなるような想いが視界を眩ませる。
サカキを昂らせている喜悦の正体が何なのか。
それは計略が実を結びつつある快感に他ならないだろうと直感した。
『〈御霊〉のシステムには、人の魂を宿した神木が不可欠だったらしいな。我々がわざわざ社にそんな貴重な神木を放置したのは何故だと思う? 何故、あの夜に突入して来たお前たちを呪操槐兵で始末しなかったと思う?』
「だからお前は見逃したとでも言うのか」
『そう、概ねこの状況を望んだのは俺だよ!』
ジェット推進の炎を曳きながら、〈天地〉が強烈なストレートで以て機体を打ち据える。たまらず殴り飛ばされた〈御霊〉は、百貨店ビルに背から叩き付けられていた。
交通事故にも勝る衝撃に、一瞬意識が遠のく。
だが、すぐさま制御を取り戻した〈御霊〉は、左右から取り押さえようと飛び掛かって来た〈火焔〉たちを銃剣で薙ぎ払う。
『たまたま突入した礼拝所で娘の呪物に遭遇するなんて、十年前の夜は何もかもが都合よく行き過ぎていたとは思わなかったのか』
「お前は!」
あの夜のちっぽけな奇蹟さえ否定する言葉が、許せない。
幻也が蹴り込むフットペダルに鞭打たれ、〈御霊〉は圧倒的な質量差を誇る敵機に向けて銃剣突撃して行く。
視界を埋めるのは、爆裂する炎と鉄片の嵐だ。
〈天地〉は両肩を覆う盾のようなアーマーを展開し、その裏に収めた歩兵用対戦車ロケットランチャー10門を一斉に解き放つ。
一撃で戦車をも屠る無誘導ロケット弾が逸れ、誘爆させられ、都心上空に炎と鉄片を散らして進路を埋める。その壮絶な弾幕に傷付きながらも〈御霊〉は辛うじて敵機の懐へと飛び込んでいた。
――――奴の関節の隙間を狙う、今度こそ!
渾身の膂力で引いた左手は〈影光〉から接いだ側の腕だ。手甲から飛び出した刃は残光を曳いて一気に突き降ろされる。
「かなえは……あの場所で俺を待っていてくれたんだよ、ずっと!」
『感傷だな。そう夢見がちじゃあ何も掴めない、そろそろ終わりだ』
不意に〈天地〉の銅鏡が反射光を放つ。
マズいと幻也が直感したのも束の間、〈御霊〉はほとんど一瞬にしてその場から100m以上も離れた壁面へと叩き付けられていた。ガラス張りの店頭を砕いた槐兵は、全身に亀裂を刻み込まれたまま沈黙する。
機体を襲ったのはたった一撃、されど痛烈な打撃だった。
辛うじて敵機からの打撃を逸らしたライフルは、半ばから折れている。
千切れた左脚に至ってはもはや動かない。太腿を覆っていた装甲は無残にも打ち砕かれ、中身の木質性筋繊維に至ってはごっそり吹き飛ばされている始末だ。
――――派手に、やられたな。
機体と同じく、自分も脚を動かせない。
幻也もまた、ひしゃげたコックピット内で千切られた左脚を見下ろしていた。どくどくと生温かい粘液が足を伝って行くも、果たして我が身から流れ出るそれが樹液なのか血液なのかを確かめる余裕さえない。
もはや痛みさえ感じない。全身を満たすのは痺れを伴う吐き気だった。
『やっと大人しくなってくれたなぁ、散々手を焼かせてくれた』
勝者の足取りで歩み寄って来る〈天地〉は、振り抜いたばかりの得物を手にしている。
それはまさしく鈍刀だった。並の乗用車より長い菜切包丁とでも言い表すべきだろうか、刃物にさえ見えない長方形の鉄塊がただ振るわれていたのだ。
喰らってしまえば槐兵など一たまりも無い。
『呪操槐兵〈御霊〉と水鏡幻也、イレギュラーだからとはしゃぎ過ぎたな。徹底的にお前たちを潰す為にやらせてもらった、お前たちが勝てる理屈は何一つ用意されていないんだよ。夢見ていたところ悪いが、これが現実だ』
「現実、ね……」
脚をも潰された黒い槐兵は、聳え立つ壁のような〈天地〉を見上げるしかなかった。
敵機は呪いらしい呪いなど使ってこない。舗装された大地が一歩ごとに砕け散る、その超重量はまさしく全身に現実的な火器を装備するが故の重さだ。
小細工程度の呪術では足も止められない。
火力では遥かに及ばない。
装甲も抜けない。
対呪術戦特化機としての〈御霊〉の特性は全て潰されているも同然だった。イレギュラー同士がぶつかったならば強者が勝つ、この構図はまさしくシンプルな力の体現に他ならない。
サカキという男は本質的には呪術など必要としていない、その真の恐ろしさは計略にあるのだと幻也は悟っていた。
――――サカキ自身が強い訳じゃない、だからか。
サカキは呪術の天才でも無ければ一流でもない、それでも戦う前から勝つ為に必要な全てを整えていた。
故に当たり前の結末しか許さない。
相対する者には一切の希望を与えない。
それこそが第一位教団幹部にまで上り詰めた男のやり方。つまりは勝つ為に十年もの歳月を費やし、最終的にはイチイさえ追い落とした男の戦闘教義なのだと知った。
ただ当たり前のように、現実を叩きつけて来る者の力だった。
「こんな奴をどうやって殺せばいい……」
もう一度だけかなえの下に帰る。確かに掴みかけていたはずのそんな願いが、指の間をすり抜けて急速に遠ざかって行く。
かなえとは沢山の約束を交わして来たし、その度に守って来た。それでも最後だけがどうしても叶えられそうにない。今度こそと思っていた約束なのに、もう帰れないことを受け容れつつある自分が居た。
――――俺はまた、嘘をついてしまったのかな。
今晩は観覧車にだって連れて行けた。
かなえとの約束は全て守って来たつもりだった。
ただ一つ、ずっと一緒にいるという願いを除いては。
――やくそく、です――
この期に及んで、かなえと指を結んだ感触が小指に蘇って来る。
それでも瀕死の身体に鞭打つのは止めない。幻也は未だ手に残る温度を振り切るように、血が滲むほどの強さで操縦桿を握り締めていた。とうに歩けぬ左脚でフットペダルの感触を探っていた。
「それでもお前だけは……この手でッ!」
血を吐くような叫びが喉の奥から絞り出される。
幻也は酷使し続けたせいでひび入った拳を、掌に収めた操縦桿ごと押し込む。根元から上がる悲鳴のような軋み音は、まさに今この瞬間に約束が破れて行く音であるのかも知れなかった。
約束と引き換えに、命と引き換えに、〈御霊〉が徐々に首を起こして行く。
『健気な事だな、水鏡幻也。脚も潰されたお前にこれ以上何が出来る』
「出来るとも……お前には理解出来ないだろうがな」
もはや生身では歩くことさえ出来ないほどに弱り切った身で、幻也は不敵な笑みを浮かべる。砕かれた脚で大地を踏み締める〈御霊〉が、操縦席に収めた彼をも代わりに立ち上がらせていた。
もはやそれで充分だった。
同じ銅鏡で同じ戦場を見て来た術者と槐兵は人機一体、ならば立ち上がるのは片方だけで良い。
「そうだろう、〈御霊〉」
共に重ねて来た罪が、浴びて来た返り血が、一機と一人を運命共同体と変える。この数カ月で切り抜けて来た死闘には、いつも鎧であり仇であり同類でもある黒い人型が連れ添っていたのだから。
まともな射撃兵装さえ残っていない〈御霊〉が、辺りの瓦礫を押し退けながら身を起こして行く。そして手にしたライフルから杖を引き剥がし、吹き飛ばされた脚部断面に据え付ける。
左脚に接いだ杖は、義足の代わりだ。
たとえどこまで堕ちようとも一人ではない。これが最期になろうと今さら変わりはしない。千切れた脚を義足と変えた〈御霊〉は、ちっぽけな願いと溢れんばかりの死霊を載せてぎこちなく歩み出す。
――こいつとならば共に堕ちて行けるかも知れない――
歩むごとに上下する視界の中、霞む幻也の脳裏にはいつか覚えた予感が蘇って行く。それは犬山に導かれて地下格納庫へ辿り着いた夜、初めて〈御霊〉で人を殺めた時に憶えた予感だ。
あの夜から共に堕ち続けて来た、そして地獄のような戦場の底でこの機体はかなえに再び出逢わせてくれた。
だから今こそ、もう一度だけ確信できる事があった。
「俺たちはまだ堕ちて行ける、正道を外れた紛い物だっていうなら俺たちは更にその深淵へ行けるはずだ。だから付き合え……今度もお前は道連れだ」
瞬間、物言わぬ〈御霊〉の銅鏡は、まるで応えるかのように赤い煌めきを放つ。
それがただの感傷めいた妄想でも、ただの偶然でも構いはしなかった。
「悪いな」
きっと初めから運命は決まっていたのだ、と幻也は眼前にそびえる最後の敵機を睨みつける。槐兵に乗り込まずとも十人を殺した、その瞬間からこの終わりの時へと走り続けて来たに違いなかったのだ。
父として、あるいは一人の男として、人の道を外れてでも理不尽に抗って来た意味はこの為にあったのだと確信できた。
――――パパは行って来るよ、かなえ。
全身に創傷と弾痕を刻み込まれ、今にも砕けそうな〈御霊〉が黒い右腕を伸ばす。焦げた袖布の奥から射出された杭は、何を貫くでもなく尖端から彼岸花を零れさせていた。
誰もが無言で杭の行方を見守る中、右腕はすっと引き絞られる。
「こんな俺に生きる意味を与えてくれて……明日の夢を見させてくれて、ありがとう。愛しているよかなえ――――さよならだ」
そして、呪毒の杭は自らを貫いていた。
<カクヨムにて先行連載中>
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885880520/episodes/1177354054888162149




