ep32/36「紛いなる者たち」
『この仮面の下にある顔が分かるか? 誰でも無い、この仮面こそがボクだ』
二振りの大刀を携えた〈影光〉が歩み寄って来る。白き巨人の中に身を収める青年は、自らが出来損ないの式神だと語る。
故に彼は仮面の男。「お前は誰だ」と問うたのがいかに無意味な行為であったのかを、幻也は今さらながらに悟っていた。
仮面は何も隠してはいない。
仮面の下には何も無い、それだけの事だった。
『あの方は孤独だった。ずっと来るはずもない迎えを待っていた。だから無意識に式神などを創り出して一人ではないと信じようとした、ボクはその為だけにこの現世へ形を留めるなり損ないなんだよ。なのに……ボクでは到底孤独を埋められない』
「それがお前の生きる意味か」
『貴様への復讐でもある、消えて貰うぞ。水鏡幻也』
鬼火を纏う〈影光〉の前で、徐々に傷だらけの黒い槐兵が立ち上がる。あくまで退かぬと叫ぶように、折れた太刀で自らの身を起こして行くのだ。
誰かになる為に生み出された。
故に誰でもない存在だった。
己をそう語るアラトを前にして、幻也の裡に湧き上がって来るのは不可思議な想いだった。心の底に滑り込んで来るのは認め難い既視感だ。
「お前も誰かに成り切れなかったのか」
白と黒。相容れない色を纏っているはずなのに、自ずと〈御霊〉の機影が純白のシルエットに重ね合わされてしまう。
誰かの代替品として呼び出された男が、そこにいた。
誰かの複製品として造り出された男が、ここにいた。
誰かを装って生み出された紛い物であるならば、アラトも水鏡幻也という男も同質だと思えてしまった。
誰かを守る為に生きると決めた事も。
そして、その想いこそが己を己たらしめる事さえも。
「アラト……ッ!」
『水鏡幻也ッ!』
瞬間、玉突き事故後の惨状に突風が吹き荒れる。
対峙していた二機はその場から消え去ると、再び目黒区方面へ向けての疾走を始めていた。傍から見ればまるでカマイタチが吹き抜けて行くかのように、首都高の遮音壁や街灯が次々に斬り付けられては砕け落ちる。
巨人たちが繰り広げられる超高速戦闘は、鏡写しの果し合いだった。
白き〈影光〉が大刀を振るう。
――――〈御霊〉は皮一枚で逸らす。
またも〈影光〉が切り上げる。
――――〈御霊〉は間一髪で刀を受ける。
優勢は明白、にも関わらず壮絶な斬り合いが終わる気配はない。
前代未聞とも言える剣戟の最中に走破した距離は実に10km超、いつしか二機は通行規制区間へと足を踏み入れ、異様な静けさに満たされるゴーストタウンに剣戟の音を轟かせていた。
ここは既に〈森羅〉に汚染された目黒区。
〈御霊〉は鍔ぜり合っていた敵機から逃れるようにして、首都高と交わる環状七号線に飛び降りていた。人も車もいない通りに風切り音を響かせ、腰布をなびかせるままに槐兵は渾身の力で飛び上がる。
苛烈なGが機体を軋ませる。
幻也の体内で心臓が不意に暴れた。
「早く……!」
跳躍。まるで鏡面に光が反射するかのように、〈御霊〉は20階建ては下らないタワーマンションの外壁を蹴り出して加速した。
途端に、背後で全長100mにも達する鬼火の刃が空を切る。凄まじい破断音と共にマンションを斬りつけて行った呪詛の刃は、寸前で〈御霊〉の背を捉え切れていなかった。
『逃がすか』
背後から猛然と追い上げて来る〈影光〉は、執念深き追跡者となって黒き槐兵の背を追う。
辺りはもはや人が住まう街ではない。
一か月前に起動した〈森羅〉から垂れ流された生態系により、呪詛汚染された古代森林地帯に移り変わっているのだ。森に漂う可視化された魂、すなわち人魂を引き裂かんばかりの勢いで、二機はまるで砲弾の如くに戦域へ飛び込む。
白い弾道と黒い弾道は鋭角的に街を縫い上げ、ジグザグと壁から壁へと飛んで伸びて行く。二つの曲線はいつしか絡まるようにして重なり合い、拮抗する二機の戦況はやはりショートレンジでの剣戟にもつれ込んでいた。
そう、今や鍔迫り合いは拮抗し始めていた。
『何故だ、貴様はどうしてまだ〈影光〉の動きについて来られる。その槐兵、十年前ともあの時ともまるで――――』
速度も馬力も今は〈影光〉が圧倒している、だというのに仕留め切れない焦りが足を止めての斬り合いを加熱させて行く。
断続的な発光が一瞬ごとに切り取るのは、コマ撮りじみた風景。打ち合わされる度に弾ける火花は、まるで機関銃が連射されるが如くに弾けて夜闇に散って行った。
「俺と〈御霊〉なら容易く殺せると思っていた、そうだろう。だからお前はイチイを葬る為に俺を利用したしここまで生かしても来た」
『〈御霊〉は敗残兵だ、十年前の戦争でもただ生き残ったというだけでさしたる戦果は挙げていない。対呪術戦特化仕様、たったそれだけが取り柄のイレギュラーとして蘇るまではな』
「お前はそれさえ止められない……!」
関節部を過負荷に軋ませながら、〈御霊〉は残る木刀の一振りを敵機に向けて振り下ろす。
付喪神さえ宿していないイレギュラーがどうしてこうも稼働できるのか。
今や極めて強力な第三位教団幹部専用機と渡り合えるだけの槐兵、それこそが〈御霊〉だ。遥か格上の敵機と刃を交える中で、既に幻也の中では一つの答えが出ていた。
――――〈御霊〉の正体、俺の考えが正しければ……斃せる。
敵を斃してもう一度だけ、共にかなえの下へ帰れるかも知れない。
未だ僅かばかりに小指に残っているのは、この〈御霊〉の前でかなえと交わした指切りの感触だ。それが限りなく嘘に近い約束だという事は、自分自身が誰よりも分かっている。
だから、これは賭けなのだ。
――――どちらにしても長くは保たない、だったら!
死力を振り絞って喰らい付いてもなお倒せない、〈影光〉の遠さが一太刀毎に分かってしまうからこそ賭けたくなる。
愛機たる〈御霊〉の真実に。
途端にふっと操縦桿が軽くなる。幻也はもはや痺れて感覚さえ薄れて来た指先に、物言わぬ機体の声を聞いたような気がした。死地にあってもなお付き合ってくれた、もはや切っても切り離せぬ半身の声が。
――――そうか、お前も明日に行きたいのか。
もう構いはしない、と幻也は操縦桿を引き込んでいた。
賭けるのはたった一つの呪われた真実、だが恐れはしない。共に帰ると誓った愛機の正体がいかなる物であろうとも、身を委ねる覚悟は出来ていた。
友に導かれて〈御霊〉と出逢った、その瞬間から。
『貴様には感謝している。貴様こそが神呪兵装〈神薙〉を起動させ〈御木之真柱〉をも稼働させてくれた』
激しい競り合いの中で、遂に〈御霊〉が押し負ける。
がら空きとなった隙を見逃すアラトではない、すぐさま〈影光〉から打ち込まれた一撃は円弧上に大気を裂く。
大刀が黒き甲冑を切り開くまであと僅か。まるで豆腐に包丁を突き立てるかのように、刃はごく滑らかに漆塗りに食い込んで行く。
『――――後はボクが貰い受けよう』
「断る、こいつは俺に託された槐兵だ」
大刀が振り抜かれる間もなく、一帯に衝撃波が轟く。
〈御霊〉の装甲を割り開いた一撃は、黒い掌を深々と切り裂いたままで止まっている。袖の下から打ち出されたパイルバンカーが受け止めた大刀は、それ以上進むことが出来ずにぎりりと火花を散らすしかない。
ほんのコンマ数秒、僅かに生じたその隙に。
宙に高々と大刀が舞う。〈御霊〉が電撃のように繰り出した蹴りは、敵機の二振り目の得物を手から弾き飛ばしていた。
『この……ッ!』
「斬ったな、この機体を」
神木製の大刀が切り開いているのは、同じく神木で出来た〈御霊〉の掌だ。ちょうど接ぎ木のように一体となった切り口からは、瞬く間に伸びた根による侵蝕が始まって行った。
無論、それだけで終わるはずがない。
〈影光〉が携えていた大刀はぼろぼろと朽ち果て、柄を握っていた腕部までもが純白の艶を喪って崩れ去る。
茶色い朽ち木と化し始めた腕部は、次の瞬間には幻也が手を下すまでもなく地面を叩いて行った。敵機が自ら手刀を振るい、侵蝕被害が広がらない内に腕の一本を切り落としたのだ。
「判断が早い、流石だな」
『呪詛に対して極めて高い耐性を誇る槐兵をこうも朽ち果てさせる、これは何だ……水鏡幻也、一体何をした』
僅かに後退る〈影光〉からは、常にない動揺を滲ませたアラトの声が聞こえて来る。
アラトの言う事は正しい。
ただの呪詛ならば槐兵をこうも朽ち果てさせることなど出来ない。
降霊した神木からただの木片へと成り果てた腕は、強制的に付喪神を剥がされたのだという事実を物語っている。そして付喪神の代わりに、見えざる何かが流し込まれたという証に他ならないのだから。
『貴様、付喪神を剥がしただけではないな。代わりに何を流し込んだ……!』
「死霊だ」
無数の創傷を刻まれた〈御霊〉がふらりと歩み出す。
顔布の奥にのぞく銅鏡は赤く艶めき、今しがた腕を切り落としたばかりの敵機に向けて無機質な殺意を滲ませていた。
己の本性を露わにするかのように、幽鬼の十の眼光が煌めく。
「イチイが言っていたよ。神薙システムの根幹を成しているのは神木に宿った魂だったと。だから俺にも気付けた、〈御霊〉の本質は呪詛を無効化することなんかじゃない。それはあくまで呪操OS神薙の作用に過ぎないからな」
触れた者の命をも奪う赤き雨の呪い、すなわち禁呪〈贄雨の儀〉を成功させた時からあるいはと思っていた。
本来なら自分にあれほどの術を使えるはずがない。稀代の呪術師たるイチイだからこそ可能だった超高難度の大術式を、いかに手を尽くしたとはいえ己の力量だけで発動させられるはずが無かった。
ならば何故使えてしまったのか。
不可能を可能とした答えは、一つに違いなかった。
「殺めた者の魂を取り込む鎮魂の人型。きっとそれこそが〈御霊〉の本質だ」
『魂を、取り込む……?』
〈影光〉の腕を朽ちさせた事こそがその証だった。
呪操槐兵〈御霊〉が取り込んでいるのは自らが殺めた者たちの死霊。それ故に強くなる、返り血を浴びるほどに呪われて行く。
まさにアラトの言葉通り、十年前は半端な存在でしか無かった槐兵が、今や真っ向から教団幹部専用機と渡り合えるほどにだ。
「こいつは神霊を降ろす形代なんていう生やさしいモノじゃない。歴史を通じて数百機と建造された槐兵の中で恐らくはただ一機、死霊の口寄せを成功させた機体だ」
殺めた者の魂と縁を結び、取り込むことで自らの血肉と変える。
それではまるで、自らの裡に黄泉の国を作っているようなものだ。狂気と言い表わしてもなお足りない程の、現代呪術が煮詰めた業のような機体特性だった。
『これまで一体何機の槐兵が死霊に祟られて、制御不能になって来たと思っている。不可能だ。口寄せした死霊の安定制御などそんな事が……』
「だが、この機体に付喪神は憑いていない」
〈御霊〉が赤い眼光を放って歩む。
黒い甲冑から零れ出す彼岸花は、滴る血のように地面で弾けた。
『だとしたらそれは呪操槐兵ですらない……ただの化け物だよ、槐兵とは似て非なる紛い物だ』
残った三本腕を構える〈影光〉は、白い手甲からそれぞれに仕込み刀を飛び出させていた。
呪操槐兵としての汎用性を極めた〈影光〉。
そんな光差す正道の機体を前にするからこそ、〈御霊〉という機体が纏う漆黒はなお深まっているようでもあった。片手に刀、片手にライフルを抜いて敵機へ歩み寄るにつれ、白と黒の対比は互いの色を強めあって行く。
――あなたが振るう力は何もかもが偽りです、その槐兵も!――
かつてイチイはそう看破してみせた。
――化け物だよ、槐兵とは似て非なる紛い物だ――
立ちはだかる者は皆、そう否定して来た。
〈御霊〉は槐兵とは似て非なる紛い物。
化け物と言われても否定など出来ない、だが。
それがどうした、と幻也は嗤ってみせる。
「偽物の俺にはお似合いだよ――――熾せ、神呪兵装〈御木之卯杖〉」
かつてイチイが言い放った様子そのままに、その一言が神呪兵装たる杖を目覚めさせる。〈御霊〉が構える90mm対呪物ライフルは、銃剣として取り付けられた杖からみるみる内に赤い葉を芽吹かせ始めていた。
それはまさしく稀代の呪術師が執り行った儀式の再現。
幻也の脳裏をよぎって行くのは、自らの手で葬った仇の姿だ。
――――イチイ、貴様のやったようにだ!
黒き〈御霊〉の輪郭は急速にぼやけ、何も聞こえなくなるほどの羽音が音をもかき消して行く。
召喚されたのは空間を埋めるほどの八咫烏の群れだった。
ほんの一秒にも満たない時間の裡に、辺りは一寸先も見通せぬほどの闇に押し包まれる。〈影光〉の白い機影もまた、黒い津波のように押し寄せる霊獣の中に呑み込まれていた。
「これは八咫烏か、小賢しい真似をする」
『お前がやってみせてくれた事だ! そして犬山も……!』
言うやいなや、殺到する鴉の群れは火の津波と化した。
90mm対呪物ライフルを手にした〈御霊〉が、まるで松明のように赤々と燃え盛る銃剣を一振るいしたのだ。かつて犬山がプラスチック爆弾を括り付けた八咫烏で特攻爆撃を仕掛けて来たように、今また霊獣そのものが弾と化す。
断末魔の悲鳴を上げて狂ったように飛び回る鴉たちは、あろうことか衝突した〈影光〉が纏う炎をかき消して行く。
ただの炎ではない。
無数の赤い火の玉が、蒼白い鬼火の鎧を剥いでいるのだ。
『忌み火とは。考えたな水鏡幻也!』
「もう遅い」
無数の八咫烏が燃え散った直後、〈御霊〉はまるで影のように敵機の懐へと現れていた。
超常の獣である八咫烏を燃やしていたのは、清浄な火種から熾された神聖なる火。穢れを払う忌み火が鬼火を払うは必然の道理だ、黒い槐兵は今や何の術も掛かっていない生身の〈影光〉に刀を振り上げていた。
「〈神薙〉の間合いだ」
〈影光〉は筋繊維を肥大化させることも出来ずに、渾身の踏み込みより放たれた一撃を逸らす事しか出来ない。自らの機体内に張り巡らせていた呪いさえ、神薙システムに侵されるほどに弱っていた。
敵は既に腕を一本喪い、更には全身に毒が回っている状態だ。
付喪神を宿して動く身体へと流し込まれた、死霊という名の毒を。
ここからは我慢比べだった。不規則な心拍で霞む意識の中、幻也は自分自身と同様に死へ近付いて行く人型の姿を睨みつける。
――――機体の強化術は使わせるものかよ。
付かず離れず、決して間合いを取らせぬように立ち回る。
神薙の効果範囲まで踏み込むことで、〈影光〉に掛けられていた全ての術式を解除したまま強制的に同等条件へ持ち込む。
贋作祝詞に由来する呪毒は、神道系呪術を。
身に宿した死霊の毒は、呪操槐兵そのものを。
正統なる神道系呪術を蝕む二重の毒が、この瞬間にも〈影光〉の動きを鈍らせて行く。
全ての呪術を封じられ、付喪神をも侵された呪操槐兵は、人に例えるなら麻痺毒と出血毒を同時に流し込まれたにも等しかった。
「アラト、お前がこの〈御霊〉の真価を解き放ってくれたんだ。言え、お前は初めからどこまで知っていた! こいつをどうするつもりだった!」
『あらゆる呪詛を殺す異端の槐兵だと思っていた、だからボクは貴様の神呪兵装を解き放ちもした。だが……これとはな。娘を殺したかも知れない槐兵と知ってのことだろう!』
「違う、もう"そうだったかもしれない"なんていう可能性の話じゃない」
黒き槐兵は、ようやく〈影光〉を対等に追い詰めて行く。一閃、肩口から斬り飛ばした白い腕が高々と宙を舞う。
「今ならもう分かるんだよ、〈御霊〉がかなえを殺したんだってな……!」
肩部装甲を砕かれ、肘からは千切れかけた人工筋繊維が飛び出す、そんな満身創痍の身体を晒して〈御霊〉はなおも木刀を振るう。対する敵機もまた、全身に巡る毒に苦しみながらも両腕を操っていた。
互いにぶつけるのは恩讐の言葉。
幻也が息も絶え絶えに語る言葉は、執念の重さとなって剣先に込められる。
「〈御霊〉が殺めた者の魂を取り込んできたのだとしたら、恐らくはかなえもその一人だった。お前が見せてくれた公安の機密資料にも端にこう書いてあったんだ、かなえの樹齢はおよそ50年相当だったと」
『貴様はまさかそこから』
「この意味が分かるよな、〈御霊〉と同じ樹齢なんだよ」
かなえの魂を宿し、定着させた神木とは一体何なのか。
ずっと考え続けて来た。
その答えが〈御霊〉だとしたらどうだろう。
かなえを轢き殺した時に魂を取り込んだ機体が、何らかの原因で魂を神木片ごと分離させていたとしたら。全ての辻褄が合ってしまうのだ。
イチイでさえ知らぬ事が起こったことも。
かなえが神木として蘇ったことも。
樹齢がぴたりと一致することも。
つまり〈御霊〉の木材こそが、今のかなえの身体を構築する神木材の正体なのではないかと幻也は思い至っていた。
「あの夜、かなえを殺した〈御霊〉が何もかも運命を狂わせた。だが、〈御霊〉がもう一度かなえに逢わせてくれた……だからこいつは俺の槐兵だ、他の誰に利用される為の機体でもない!」
『あの娘に出会えたからと、それで何もかもを救えた気になったつもりか。貴様は何一つ救えてはいない!』
あるいはアラトの言う通りなのかも知れなかった。幻也はほんの数mの距離にまで迫った〈影光〉を睨み、それでもと操縦桿を握り締める。
忌々しいほどに似ていた。
救いたい者の為に戦う、そう叫んで喰らい付いて来る男はまるで鏡写しの自分の姿を見ているかのようだった。しつこく付きまとう既視感を振り払うかのように、〈御霊〉は鍔ぜり合っていた敵機を打ち払う。
『ボクは貴様とは違う、シロヒメ様をお救いしてみせる!』
「いいや、俺たちはきっと違わない。だから……消えろッ!」
立場が違えば、分かり合えていたかもしれない。
だからこそ、今この瞬間には相容れないと分かってしまう。
純白と漆黒。どこまで行っても対照的な色を纏う巨人たちは、両者ともに傷付いた身を引いて刺突の構えを取る。無色透明の殺意が刃を研ぎ澄ますその一瞬、一斉に脚を踏み出した二機は超音速の極地で互いを捉える。
それでも僅かに。
ほんの僅かに〈影光〉が速い。
『殺っ――――』
互いにどこまでも近い存在だから分かってしまう。脚を踏み出した瞬間に、あるいは刃を引いた瞬間に、刃を交えるまでもなくどちらが先に斬るかを理解出来てしまう。
極限まで引き延ばされた刹那の裡に、既にその勝負は決していた。
後は慣性という名の惰性が必然的な結果を導くのみ。両機が真っ向から突き込んだ刃は、激突の衝撃を乗せてばきりと神木製装甲を貫く。
衝突。互いに力なくもたれかかるようにして停止した二機は、遅れてやって来る発砲音に身を震わせた。
『なんだと……いや、そういう事か』
「そういう事だ、アラト」
身動ぎしたのは黒い槐兵の方だった。〈御霊〉は逆手に構えた木刀で、白い南蛮甲冑の胸を深々と刺し貫いている。
そして〈影光〉とは真逆の方へ伸ばした手には、一筋の硝煙を立ち昇らせる90mm対呪物ライフル砲を構えていた。
最後の切り札は、反動利用機動。
衝突する寸前に撃ち放った空砲こそが、その切り札たる一射だった。桁外れの戦車砲がもたらした莫大な反動は僅か1tに満たない機体を弾丸の如くに押し出し、その勢い全てを木刀の突きに注ぎ込む荒業を可能としたのだ。
〈御霊〉がずるりと木刀を抜き放つと、コックピットを刺し貫かれた敵機は力なくその場で膝を屈していた。
「俺にはな、約束がある」
『……だったらどうする。ここにはもう教団の戦力が集結しつつあるぞ、その前に森羅を見つけられるのか、貴様に!』
直後にアラトは喉を血反吐でつまらせたのか、ごぽりという粘着質な呼吸音を伝えて来る。致命傷を負ってそう長くはないはずだというのに、その声音は思わず幻也の背筋を冷やすほどに鬼気迫っていた。
実際、既に時間が無い。
幻也は〈影光〉に止めを刺す時間さえ惜しむと、ふらつく身体に喝を入れるようにフットペダルを蹴り込む。隻眼に映り込む景色は端から暗くなって行く。
「まだ終わっちゃいない、あと少しだ」
明後日には死ぬかも知れない。
それでも明日、一緒にいる為に約束を交わしたのだ。
たとえ力を使い尽くしたところで全てを救う事など出来はしない。それでも今、この瞬間に己が持てる全てを振り絞るには充分な理由だった。
持てる限りの気力を振り絞り、その右手はなんとか操縦桿を押し出す。
――――パパは帰るよ、かなえ。
排莢、装填。引き込まれたレバーの動作音が機体を伝う。
銃剣を構えて走る〈御霊〉は、既にボルトアクション式ライフルの発射前動作を終えていた。
薬室に込めたのは一発の呪装徹甲弾。
そして狙いを付けたのは、霞む月が浮かぶ夜空だ。
手頃なビルの屋上まで駆け上がった〈御霊〉は、手にしたライフルの砲口を底なしの空に向ける。砲身の真下に据え付けられた杖もまた、銃剣として共に空の方を見上げていた。
「こいつでやれるか……!」
ライフルに据え付けられた神呪兵装〈御木之卯杖〉
それはかつて呪操槐兵〈氷雨〉が用いていた杖だ。
すなわち都内から400kmも離れた大仙陵古墳の〈森羅〉を呼び覚まし、あまつさえその力を宿した杖に他ならない。
今やこれだけが最後に葬るべき敵への道標だった。一度は高位の神を宿した仇の呪物に、神降しの縁が今も残っているというのなら。
「発射」
発砲。炎を足場にして飛び出した呪装徹甲弾は、夜空に複雑怪奇な弾道を描いて行った。
やがてゴーストタウンに爆炎が上がる。まるで自らが撃ち抜くべき敵を知っていたかのように、縁によって引き寄せられた90mm弾は何もないかのように見える地点に着弾したのだ。
「そこだな」
山手線恵比寿駅付近、都道317号線を挟んだビル街の只中には着弾の煙が立ち昇っている。すぐさま屋上を蹴り出した〈御霊〉は、大烏神社の辺りを目指して街に飛び込んでいた。
<カクヨムにて先行連載中>
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885880520/episodes/1177354054888172689




