ep26/36「夜暴く閃光」
巨人の足元で立ち尽くす〈御霊〉からは、驚愕とも絶望ともつかない声が上がる。頭上で自由落下を始めた〈影光〉とて、同じことだった。
異形の巨人は辺りを森と変えながら、足跡を刻み付けている。
そのシルエットは、薄雲を被った山とでも言うべき異様さだ。
胸を覆う石板にはルーン文字、梵字にラテン文字と、時代と地域を問わずにあらゆる文字体系が混在してしている。それはまさしく、古今東西のあらゆる呪術/魔術理論を用いて、全高100mもの大神木を制御しようとした痕跡に他ならない。
古神道系呪術を以てしても、完全制御には足りなかったのだ。
『大地の巨人、力を加え封ずる』
そう記されているらしい古代文字にしても、いか程の効力を発揮しているのか。
少なくとも今は、誰も〈森羅〉の歩みを止められはしない。頭部に突き刺さった卒塔婆の数々が死者の王冠を形作っているように、それはまさしく黄泉から来たりし王だった。
――――知っていたつもりだった。が、そんなものじゃない。
ビル屋上に降り立った〈影光〉は、ほぼ同じ高さで巨人と目を合わせる。朽ちた顔布の奥に埋め込まれた直径5m近い銅鏡に、白い機影が映り込んだ。
たったそれだけで、その場から足を動かせなくなる。
〈森羅〉は槐兵ごときとはまるで神格が違う存在なのだと、アラトはほんの目と鼻の先を過ぎ去っていった怪物をそう理解する他なかった。
「そうだ、これはボクたちがずっと望んでいた御木伝説の体現だとも。だが、あれには――――」
アラトは最後まで言い切れずに、苦し気に歪む口を閉ざした。
呪操槐兵に乗っているというのに、半径数kmの至近にまで近づかねば気配さえ察知できなかった怪物。それが〈森羅〉。樹高2000mを超える神木から造り出された巨人は、全身から呪詛を漏れ出させている。
土に染み込んだ呪詛は、木々へ。
あるいはコンクリートに弾かれて、大蛇へ。
神代の生態系そのものを垂れ流しつつある〈森羅〉は、やがてビルの間で足を止める。苦し気に天を仰ぎ始めた巨人の全身からは、眩いばかりの火花が弾け出す。
――――何をする気だ。
全身から稲妻を迸らせる〈森羅〉は、顔布の奥からひときわ強い輝きを放ち始める。人の背丈よりも大きな銅鏡は、ぎぎぎと不気味に震えて共振を始めているのだった。
そして、アラトは気付いた。
〈森羅〉の全身を形作る木質性筋繊維とは、すなわち光合成型燃料電池システムに他ならない。莫大な電力を注がれた銅鏡の一つ一つが太陽の如くに輝きを放ち、直径5m近いレンズと化して極限まで増幅された可視光を湛える。
辛うじて〈影光〉が退避した直後、巨人の眼から激光が迸った。
生体励起放射光、照射開始。
ただ一本の閃光が、真っ直ぐに天を貫く。
巨人から吐き出される光線は、太陽にも勝る光量を放って街を逆光に沈める。炙られた大気は一瞬にして数万℃へと達し、強烈な衝撃波で以て建造物の壁を粉々に砕いて行った。
そして、光線は無慈悲にも振り下ろされる。
光が薙いで行った先では、光線を浴びせられたビルがまるで冗談のように切り裂かれていた。
ふつふつと真っ赤に煮え立つ断面を境にして、半ば融け落ちたビルがずり落ちる。その悪夢のような光景を経て生み出された衝撃は、局所的に震度7もの大地震と化して森を崩壊させていった。
「なんて威力だ……こんなものが呪術であってたまるか」
やがて光の柱は途切れ出し、街には再び闇が取り戻される。
レーザー発振を止めた〈森羅〉は、雨のような瓦礫を浴びながらうなだれていた。過大な熱を帯びた全身から白煙を噴き出し、踏み砕いていたアスファルトをも熔融させながらその場に根を張って行く。
腕の一本を吹き飛ばされた〈影光〉は、その光景を呆然と見上げていた。
もはやこれは呪術体系の産物でもなければ、人が扱えるような代物でもない。
強いて言い表すならば神話の具現だ。たった一射で街をも亡ぼす威力は、神代の時代から蘇った怪物のそれとしか言いようがなかった。
――――だから、今だ。
漂う粉塵を押し退けるように、白い槐兵は〈森羅〉の足元を走り抜けていった。目指すは〈御霊〉、その漆黒を誇る甲冑に向けて鋭い一閃が繰り出される。
目にも留まらぬ剣戟、そして銃声。
パッと煙が晴れた時には、既に両機はその場から消え失せている。白い槐兵と黒い槐兵はドッグファイトじみた機動で街を縫い、絶え間なく紫電が迸る巨人の足元で切り結び始めていた。
「その娘を渡せ」
『初めからそのつもりだったのか』
「当然だ、そうでなければ手助けなどするものか。今は貴様たちを殺す、そうしなければ〈森羅〉を呼び出した意味も無い」
『知るか。俺はもう、かなえを離したりはしない……そう言った!』
空中で切り結び、互いを激突の衝撃で突き放す。〈影光〉は巧みに腰布を広げながら、降り注ぐ瓦礫の豪雨の中で黒い敵機に襲い掛かって行った。
振り下ろされた脚部が、奇怪な古代植物を踏み砕く。
見ようによっては幻想的な光景だった。
文明の凌辱にも等しい形で街を侵した古代森林帯は、レーザーの輻射熱で各所から煙を立ち昇らせている。だから、対峙する両機の間に漂う煤煙の中には、数え切れないほどの人魂が浮かび上がっていた。
「貴様は何故、動ける……!」
腕を一本吹き飛ばされた影響か、〈影光〉の剣筋は微かに揺らぐ。
アラトの視界には、依然として二刀を振るう〈御霊〉の機影が映り込む。その姿には立ち止まる気配も、諦めようとする気配もない。
理解出来ない。動けるはずがない。アラトは決して有り得ぬ存在を前に、その不条理を口にせずにはいられなくなっていた。
「水鏡幻也。呪操槐兵は何故、神木で作られていると思う。そして何故、付喪神を降ろすシステムになっていると思う」
粉雪のように流れ行く人魂は、一つ一つが死霊の欠片だ。
歴史上、死ななかった人間などいないのだから、人が誕生する度に同じだけの数が死ぬのは世の必然。膨大な死霊たちはこの世に蓄積し続け、もはや空間を埋めるほどになっている。
その数、数億かあるいは数十億か。
全ては黄泉平坂から始まった、死という宿命がもたらす結果に他ならない。魂が可視化される森だからこそ、この現世の真実を目の当たりにすることも出来る。
「この空間中に漂う数多の死霊に憑かれれば、形代は制御不能の怨霊となって暴走するからだ。しかし、先に付喪神で器を満たしておけば余計なモノを憑かせずに済むし、こうして制御も……出来る!」
跳躍した二機の槐兵は、巧みに空気抵抗を利用して空中でぶつかり合う。
〈御霊〉の振るった木刀を寸前で躱し、白い槐兵は回し蹴りを叩き込む。同時に黒い木刀が肩口を掠め、白漆の装甲を薄く削ぎ落としていった。
「だから百年を経た神木でしか作れない。それが呪操槐兵というモノだ」
『それがどうした!』
「なのに、なぜ貴様の槐兵は平気で動いていられる。付喪神を降ろさずに動ける槐兵など存在するはずがない」
二機の槐兵が鋭く切り返し、正面衝突も辞さない勢いで再接近する。
白き〈影光〉の三つ腕は、素早く拳銃を抜き放った。至近距離から撃ち放った弾丸が敵機を掠めた直後、両機はすれ違いざまに刃を交わす。
「もう一度問う、お前の槐兵には何が入っている」
『呪術を呪術で否定する……入っているのはきっとそんな馬鹿みたいな理想だけだ。そして俺は託された。もうこれ以上言う事はない』
「それがお前に掛けられた呪いか」
『願いでもある』
視界を揺らす轟音、閃光。されど訪れる静寂。
地上に降り立った二機の槐兵は、先ほどまでの剣戟が嘘のようにじりじりと距離を詰め出す。迂闊に動けない事は互いに分かっていた。
次の一太刀が勝負を分かつ。
極限まで張り詰めた緊張がびりびりと空気を震わせ、遂に爆発せんと思われた刹那。突如として唸り出した木々のざわめきが、〈森羅〉の唸りに呼応するかのように強まり始める。
尋常ならざる呪詛の嵐に晒され、槐兵でさえも小さく痙攣を始めるほどだった。
『アラト、あの〈森羅〉とかいう機体を放って置いていいのか。この街を亡ぼすことがお前たちの望みなのか? 答えろ』
「黙れ、水鏡幻也、貴様はそれで娘を助けたつもりか」
『そこまで驕っちゃいない。だがな、俺はどんなに弱くてもかなえを守る、その為ならどんな手を使っても敵を殺す。お前は俺の敵なのか』
「違う、貴様は何も知らない……何もな!」
アラトは自ら矛を収めるように、苛立たし気に操縦桿を引き込んでいた。
戦場からの跳躍を果たした〈影光〉は、異常な素振りを見せ始めた巨人に向かう。その白き背を見送るように佇んでいた〈御霊〉は、しかし、ほぼ間を置かずに戦場たる目黒区から離脱していった。
アラトは敵たる男を逃したと知りつつも、苦し気な唸り声を上げる〈森羅〉へ近付くのを止めようとしない。
止まることだけは、出来なかった。
「あれは初めから制御出来るようなものじゃない」
腕の一本を喪った〈影光〉は、崩れた機体バランスを庇いながらも一直線に巨人を目指す。
再び〈森羅〉の全身から迸り出した稲妻は、まるで蛇のようにのたうち回ってはアスファルトを砕いて行った。更には暴走しつつある呪いが、あらゆる者を絡めとらんとするツルとなって噴き出し始める。
白き槐兵はそれでも止まらない。
行く手を遮っていたツルを切り裂き、不規則に襲い来る放電をも避けながら前に進む。人工筋繊維があらん限りの馬力を叩き出すと、その速度は音速域に達していた。
本来なら化石となって然るべき古代樹は、弾丸と化した〈影光〉の足場となって踏み砕かれる。リンボクの木片が散った。
――――こんなものを起動させるべきでなかった!
ヴェイパーコーンを纏う〈影光〉の前に、ほんの僅かな隙間が開ける。
途端に三本目の腕が狙いを定め、口径25mm拳銃が火を噴く。隙間を抉じ開けるように撃ち込まれた弾頭が化石植物を吹き飛ばすと、機体は呪いの茂みを縫うように〈森羅〉へと肉薄していた。
神業じみた剣戟でツルを切り払い、そして遂に巨人の頭上へ足を掛ける。
「シロヒメ様!」
アラトはこの巨人に乗り込まされている少女を想い、焦燥に焼かれながらも操縦桿を押し込んでいた。すると〈森羅〉の脳天に向けて、全高10m近い大刀が突き立てられる。
刀を突き立てた〈影光〉はあらん限りの馬力を振り絞り、その木質性組織を引き千切るように抉じ開けて行った。あまりの過負荷に筋繊維が弾け飛ぶのも構わず、怪物の深奥に囚われている少女へと手を伸ばす。
そうしてようやく、裂け目の向こうにコックピットが見えた。
――――あの女を放て、この化け物が!
白き〈影光〉の胸当てが唐突に口を開ける。コックピットから飛び降りたアラトは、愛機が切り開いた裂け目の底に降り立っていた。
ようやく露出したコックピットは球体状、張り子細工の要領で重ねられた呪符が分厚い封印殻を成している。アラトは手が焼かれるのも構わずに、その呪符へと掌を押し当てていた。
「――――ニカムヅマリマススメラガムツカムロギカムロミノミコトモチテヤホヨロヅノカミ」
口にするのは、最終手段として用意されていた解呪の呪言。唱え始めてから数秒か、あるいは数分か、遂に〈森羅〉の全身が弛緩して行く。
コックピットを構成していた呪符も解かれる。
焼け爛れた手に構うことなく、アラトは呪符を掻き分けるように裂け目を抉じ開ける。一刻も早く、その想いだけが身体を内から焼いていた。
そしてようやく目にした内部の光景に、しばし言葉を喪う。
「シロヒメ様、お迎えに上がりました」
「……うっ」
あるいは、それはある種の拷問装置なのかも知れなかった。
球体空間の中央に磔にされた少女、シロヒメは四肢の末端から木に侵されている。末端の皮膚は分厚い樹皮に覆われ、未だ無事な裸身にもうっすらと枝葉が食い込む。更に深くの体組織はすっかり根に侵蝕されているに違いなかった。
槐兵とのインターフェイスが未熟だった古代。人ならざる身体と人体とを繋ぐ手段と言えば、こういった侵蝕型神経接続方式のみだったという。それは現代で言うところの、槐の呪いによる呪殺と同じ方法だ。
つまり操縦者は根に侵蝕され、木と一体になる。
一度乗り込めば、遠からず確実に死ぬ。だからこそ〈森羅〉の操縦には決して死なない人外が求められた。
アラトの眼前で、弱り切ったシロヒメが掠れた呻き声を上げる。
「アラ、ト……?」
「はい、ここに」
「いつまで、なの……ねぇ、いつ、まで……こんなこと」
アラトは仮面の下に感情を押し込めながら、なおも無力感を抑え切れずに思わず唇を噛み切っていた。仮面の下から滴る赤い血筋は、涙の如くに足元で弾ける。
彼女は、確かに決して死なない。
ならば、殺し続けてもいいのか。
アラトは何も出来ない我が身を呪いながら、心の裡に全ての自問を抑え込む。あるいはあの男のように全てを裏切れたなら、と願う自分がいた。
「ボクにはまだ……貴女を、救えない」
千年越しの起動を果たした〈森羅〉は、動かぬ彫像となって目黒区山手通り付近にて稼働停止。一帯に深刻な呪詛汚染を撒き散らし、シルル紀からデボン紀にかけて繁殖していた絶滅植物たちに囲まれる形で北進を止めた。
呪術を使えぬ者には、その存在さえ知る余地がない。
原因不明の災害として取り立たされた後、一連の被害は無制限増殖の初観測ケースとして知られるに至った。公安なき後の東京に、〈神籬社〉を抑えられる勢力など存在しなかった。
そして、裏切りの呪操槐兵〈御霊〉は、混乱極まる東京へと消えて行く。一カ月が経過してもなお、誰もその足取りは掴めていなかった。
<カクヨムにて先行連載中>
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885880520/episodes/1177354054887929223




