ep22「目黒区呪術攻城戦」
『対戦車ミサイル・ジャベリン、あれでも入手するのは骨が折れたんだがな。槐兵に向かって精密機器を撃つものじゃない、すぐに付喪神の干渉を受けて回路が役に立たなくなる』
〈御霊〉の足元で再び対人地雷が炸裂。咄嗟に電柱を蹴り出した黒い槐兵の姿は、ほんの数km先にそびえ立つ公安庁舎へと近付いて行く。
走り去った後には、墨色の空から八咫烏が次々に降り注いでいた。
『呪操槐兵は人には感知できない。だからマン・イン・ザ・ループ方式の既存兵器では対処できないし、かといってAIを実装すれば回路は霊障で誤動作を起こす。厄介な兵器だ』
「だから槐兵を殺す為にお前はここまでやるのか。イチイを超える為か」
『いいや、イチイは呪術の天才だった。だがやり方はあまりスマートじゃなかった。槐兵を斃すのに呪いをぶつける必要がどこにある? 術に長けた敵を惑わし、欺き、陥れる為にこそ呪術は最大の効力を発揮する。それが現代戦だ』
群がり始めた鉄蜘蛛たちが、地上からチェーンガンを撃ち放って来る。
曳光弾に照らされる〈御霊〉は、これまで無数に重ねた擦過傷によって漆塗りの艶を失いつつあった。犬山が対呪操槐兵用に練り上げた戦術に対して、未だ反撃の手段は見当たらない。
既に庁舎は見えているというのに、あと一歩のところで手が届かない。
『術を使わせなければ、呪術師など弾一発で殺せる。その為に開発したのが呪いを無力化する呪操OS〈神薙〉だった』
「だが、お前は今も疑似神呪兵装などというものを作っている。この東京で一体何がしたい」
『――――ここで諦めろ、水鏡。公安霊装に戻って人の為に力を振るえ。そうすれば記憶は蟲で書き換えて再び迎えてやる、誰も罪には問えない』
「断る」
犬山との通信を打ち切れば、幻也の耳に届くのはくぐもった爆発音と連射音だけになる。
既に夜へと足を踏み入れた無人街、まるで迷路のように入り組んだ戦場を駆け巡る〈御霊〉は、ほどなくして白装束の槐兵と合流していた。やはり八咫烏と鉄蜘蛛に追い回されていたらしい〈影光〉は、無数の擦過傷によって純白の輝きを翳らせていた。
『水鏡幻也、北東側の防衛線に穴はあったか』
「無かった。その分だと北西からの侵入も難しいらしい」
教団第三位幹部の槐兵といえども、さすがに消耗が激しい。
〈御霊〉も同様に疲弊しているというのに、相手は疲れなど知らない兵器システムなのだ。二十倍にも達する戦力差の中で、白黒の槐兵は自然と背を合わせながら鉄蜘蛛相手に立ち回っていた。
ちょうど交差点の中央に追いやられた二機は、じりじりと狭まって行く包囲網の中心で神速の剣戟を繰り出し続ける。
「この鉄蜘蛛を潰す上で、問題点は三つある」
『言ってみろ』
飛来する弾丸を刀で斬り捨てる。弾は分断されると同時に木片と化して、複雑なステップを踏む〈御霊〉の装甲を打ち付けて行った。
「先ず一つ、こいつらの統合制御システムが庁舎のどこにあるかが分からない。二つ、庁舎内部には今も多数の公安警官が立てこもっている」
『つまり、このまま突入したところで制圧は不可能か』
「そういう事になる。そして三つ目、庁舎の循環システムには軍用規格のNBC防護フィルターが設置されているから毒ガス散布も厳しい。見たところ教団の信徒にはガスマスクを付けている連中もいた、あれによる制圧を考えていたかもしれないが……」
『ガスの注入も選択肢としてはあった、当然だ。庁舎内の人間を皆殺しにしてしまえば話は速い』
「そんな真似はさせない」
かなえを助ける為の戦いなのだから、と幻也は操縦桿をきつく握りしめる。鉄蜘蛛による包囲が完了するまでもはや猶予はない。
「アラト、こちらを援護しろ」
『命令される謂れはない』
言いつつ、アラト操る槐兵は〈御霊〉のカバーに入っていた。その隙に素早く飛び退った黒い影は、近くの電柱へと飛び移る。
〈御霊〉の手で抜き放たれた木刀が、変圧器を刺し貫いた。
すると接続されていた電線からは、ゆらりと蒼白い鬼火が立ち昇って行く。まるで着火された導火線の如くに伸びていく鬼火は、街の電線を介して公安庁舎を目指していた。
霊魂は物質を透過し、時に霊障と呼ばれるような物理的干渉を引き起こす。
特に大規模集積化が進んだ半導体技術は、呪術に対しては脆弱だった。数nm程度の配線を通う電子の動きを狂わせ、磁化の度合いをほんの少し狂わせてやるだけで精密機器は動作不能と化す。
動けぬ〈御霊〉の装甲表面を、流れ弾が掠めていった。
『水鏡幻也、あと何秒かかる』
「十秒で終わらせる」
『七秒だ』
鬼火が到達した瞬間、電子的に接続された経路から精密機器を破壊する。
アラトが鉄蜘蛛たちを引き付けている間、動けぬ幻也にとっては焦れるような時間が過ぎて行った。
――――まだか。
数秒後、順調に燃え延びていたはずの鬼火は、それ以上進まなくなっていた。遂に目標へ届くという直前になって、庁舎から漏れ出ていた灯りは一斉に落ちる。
成功したのではない。
呪術的電子攻撃を感知した庁舎側の電源システムが、外部から隔離されている非常電源に切り替わった証だった。もう外部からクラックを仕掛ける事は出来ない。
幻也の口元がほんの小さく歪んだ。
「それでいい」
電柱から飛び降りた〈御霊〉は、自由落下の勢いに任せてアスファルトに銃剣を突き立てる。
幻也の口からぶつぶつと零れ出る祝詞は、〈御木之卯杖〉を妖しく輝かせていった。神木に呼び寄せられた式神が辺りに充満し始め、神木を媒介として増幅された術式はちりちりと火花を散らす。
「来い!」
夜空に一筋の雷光が伸びたのは、その瞬間だった。唐突に降り注いだ稲妻は、上空の八咫烏をも巻き込んで〈御木之卯杖〉へと導かれる。
辺りは真昼の如くに照らされ、逆光の中に全てが飲み込まれる。
鮮烈な光に焼かれる幻也の網膜には、微かな獣の姿が映り込んでいた。日本古来の物の怪の一つ、雷獣が音も無く吼える。
雷と共に地上へ落ちて来ると伝えられるそれは、杖を介して地中に潜り込んでいた。大電力に誘われる性質を持つ雷獣は、今や幻也が放った式神としてその支配下にある。
知りたいのはただ一つ、非常電源へと切り替わった庁舎の何処に優先的な電力供給がなされているか。やがて雷獣が何処かへ走り去った後、幻也はゆっくりと瞼を開けて行く。
「見つけたぞ、システムの中枢は地下一階の区画か」
『終わったのか』
「ああ、これで奴のいる所が分かった。かなえの場所もだ」
再び戦列に加わった〈御霊〉は、鉄蜘蛛の一体に的を絞る。
鋭角的な軌道を描いての接近。建物の影から〈影光〉を狙っていた敵機は、敢え無く砲身を斬り飛ばされていた。
「アラト、庁舎に向かってお前の神呪兵装を撃てるか」
『まだあの娘を助けてもいないのにか? だが良いだろう、ボクの神呪兵装で消し飛ぶなよ』
幻也が向けた視線の先で、〈影光〉は機体全高にも匹敵する大刀を大きく振り上げていた。
刀身からゆらりと立ち昇る鬼火は、こうして離れていてもなお悪寒で背筋を粟立たせる。尋常ならざる呪いを帯びた炎は、鉄蜘蛛が作り上げた包囲網の隙を突くように解き放たれようとしていた。
『貴様に協力するのはこれが最後だ』
「二度目はこちらから断る!」
『……焼け、神呪兵装〈御木之生太刀〉!』
アラトの叫びが耳朶を打つと同時に、〈影光〉からは蒼白い鬼火が噴き出す。白い機影をも飲み込まんとするほどに膨れ上がった暴流は、ほとんど一直線に庁舎へ向けて伸びて行った。
そして純然たる呪いの奔流に、一点の異物が紛れ込む。
致死性呪術に呑まれながらもなお形を保つそれは、〈御霊〉に他ならなかった。神薙によって無効化した鬼火に紛れ、機体は庁舎へ突っ込む。
――――あと少しだ……!
壁面まであと数十m。窓を透かして内部が見えるという距離になって、〈御霊〉が纏う暴流はふっと消し去られる。
思わず歯噛みしつつ、幻也はその正体を悟っていた。
「これも神薙システムなのか!」
当然と言えば当然ではあった。
呪操槐兵〈御霊〉に搭載されているシステムが、他の場所に実装されていてもおかしくない。神木という強力な呪具を使わなくとも、動作原理を解する者がいれば槐兵でなくとも再現できる。
そう、例えば庁舎そのものだ。
規模が肥大化するというデメリットは、施設防御に用いればさして問題にもならない。恐らくは数十人規模の大呪術として、神薙は現にこうして発動していた。
鬼火を剥がされた〈御霊〉は、神薙とはまた別種の防壁によって勢いを殺されつつあった。
神薙と神薙、全く同じシステム同士がぶつかり合った結果、機体を構築する神木はぎぎぃと悲鳴を上げる。そしてダメ押しとばかりに、〈御霊〉が取り出したライフルは後方に向けて盛大に砲火を噴いていた。
「……ぐッ!」
本来は数十tの自重を以て受け止めるべき反動が、機体を容赦なく庁舎に向かって押し出す。
直後、モルタルを塗り込んだ壁は衝撃で吹き飛び、〈御霊〉は庁舎の屋上を引き裂きながらなんとか停止していた。衝突した弾みで轢き殺したらしい死体を見下ろしつつ、機体はライフルから焼け爛れた薬莢を排出する。
「俺にやれるのか……いや、やってやるさ」
幻也は脳裏に庁舎の見取り図を思い浮かべると、己を落ち着かせる為に大きく深呼吸していた。
神木はそれ自体が比類なき呪具、術式を行使するには最適な依り代となる。かつてイチイはそう告げた。呪操槐兵は術者の力を伝える呪具であると同時に、それ自体が術の主体を成す人型足り得るのだと。
仇たる男が用いた杖を手に、〈御霊〉は静かに跪く。
「〈御木之卯杖〉の機能制限を解除、術式限定を解除、フルスペックで再起動開始」
屋上に突き立てられた杖の周りからは、赤く呪われた草花が芽吹き出す。徐々に拡大して行く萌芽の波は、まるで水面に広がる波紋のように屋上を伝って行った。
〈御木之卯杖〉は発動術式の限定を解かれ、本来の神呪兵装としての呪力を取り戻しつつあった。術が発動するまでの時間を短縮することと引き換えに、敢えて封じられていた自由度が露わになっているのだ。
同心円状に広がる波紋が、いっそう高い波となる。
「呪言改竄、開始」
杖から流し込まれる呪詛は、庁舎そのものを侵蝕し始める。
ちょうど外壁と内壁の断熱層に仕込まれていた札は、杖の比類なき呪力に音も無く侵されつつあった。呪術防御の為に仕込まれていた神符は、外部からのアクセスによって独りでに呪文を書き換えられて行く。
無防備な穴を穿たれた庁舎は、今や呪いを防ぐことも出来ない。
「タカアマハラギカミロチテオオワタツミコワダツミタカアマハラギカミロチテオオワタツミコワダツミ――――」
幻也の額からは絶え間なく汗が吹き出し、鬼気迫る勢いで唱えられた祝詞がコックピットに反響し続ける。
それは有効節だけを取り出した祝詞、いわゆる贋作の祝詞と呼ばれる改造呪文に他ならなかった。専門家ならばまず手を出さないような禁じ手を以て、彼は身を削りながら一心不乱に詠唱を続ける。
まだだった。これでも足りなかった。
肌に刻まれた入れ墨が燐光を帯びる度、内臓系に負担がのしかかる。退かない悪寒に身を震わせながらも、呪いが巡る血管だけは灼熱に焼かれているようだった。
贋作の祝詞。
呪言を彫り込んだ入れ墨。
どれもこれも邪道だった。身の丈に合わない呪術を行使しようとする時に、三流の呪術師がよく使う手だった。極めつけに、神呪兵装による発動補助まで使っている。
ようやく一通りの詠唱を終えた幻也は、荒い息を吐いた。
――――イチイのようにはいかないな。
滝のように噴き出す汗が全身を濡らしていた。恐るべき負荷が圧し掛かる大呪術の苦しみに耐え、震える手はシート上の無線機を掴み取る。
「犬山、聞こえているか」
『降霊を解いたから機影も見えているぞ。庁舎の屋上を吹き飛ばして……派手にやってくれる。今度はそちらから通信を繋いでくるとは何のつもりだ』
「贄雨の儀だ」
「なに?」
犬山の声音に、微かな動揺が混じった。
「消火用スプリンクラーへの水を加圧するポンプシステムに、こちらから呪いを掛けた。致死性の感染呪術だ。噴霧される水は贄雨になって、スプリンクラーが作動すると同時に庁舎内へ降り注ぐ……そして地下は二酸化炭素消火式だったな、どちらにしてもお前は死ぬ」
『水鏡、冗談はよせ。贄雨の儀を発動させた奴は歴史上数えるくらいしかいない。ここ百年でイチイくらいのものだ』
「〈御木之卯杖〉という触媒、屋内に限定した発動、呪具による補助、贋作祝詞を使った詠唱、入れ墨……使える手は何でも使った。疑うならそれでもいいが、俺が一発でもこの90mmライフルから焼夷弾を撃ち込んだらどうなると思う」
『やってくれたな、まったく……』
発動空間の限定、呪操槐兵という呪具、そして触媒に加えて祝詞の改造。ここまでしなけれ再現できなかった大呪術、それこそが禁呪〈贄雨の儀〉だった。そして触れた者の命を奪う雨とあっては、いかなるNBC防護フィルタも役には立たない。
支払った代償に見合う価値は、あった。
それ以上の返答を寄越してこない犬山に、幻也は最後通告としての言葉を投げつけていた。
「もう一度だけ言う、皆殺しにされたくなければかなえを引き渡せ」
『そうか、それは残念だが……もう遅い』
「無力化する手段があるとでも言うのか」
その通りだ、と犬山は続けていた。
『お前も前に見ただろう。この庁舎の地下格納庫では、呪操槐兵を清める為に大量の超純水を使っている。禊ぎを終えた後の穢れ水の浄化設備は庁舎内の循環に組み込まれていてだな……つまり、バイパスすれば贄雨の儀の無力化が可能だ。屋外とは違って幸い流路も分かっている』
「もう少しマシな嘘をつけ」
『疑うならそれでもいい』
この短時間にそれだけの措置を講じられたのか、そもそも贄雨の儀を解呪できるほどの浄化設備があるのか、幻也には判断がつきかねた。
肝要なのは事実そのものではない。
脅迫が成立するだけの、あるいは脅迫を挫けさせるだけの説得力が、その言葉に含まれているかどうかに他ならなかった。無線機越しに交わされる無言の攻防が、互いに手の内を知り尽くした――正確には知り尽くしているはずだった――相手の腹を探って行く。
――――結局はこうなるか!
動いたのは、〈御霊〉の方だった。
がきりと引き込んだレバーが弾頭を装填、砲身は庁舎の屋上へと真っ直ぐ突き立てられる。銃爪が引き込まれた途端に、盛大な発射炎が屋上を吹き飛ばしていた。
途端に床が抜ける。
崩れ落ちる瓦礫と肩を並べつつ、〈御霊〉はろくな狙いもつけずに再び銃爪を引き込んだ。真下へと向けられた砲火は数階分を貫き、直径数m以上の大穴を抉じ開けながら次々に発射される。
ものの数秒で二十階分を降った〈御霊〉は、遂に庁舎正面入口のエントランスに降り立っていた。
真上から差し込む月光が、濃い粉塵に光跡を浮かび上がらせる。白く硬質な光を受け止めた漆黒の槐兵は、更に仕上げとばかりにライフルを構えていた。
「発射」
発射。壁が吹き飛ばされた跡には、まるで花びらのように裂けた鉄扉が無残に口を開ける。隔離区画たる地下へ通ずる隔壁は、戦車砲の直撃によって極めて暴力的に抉じ開けられていた。
90mm呪装徹甲弾の前では、厚さ10cmの鉄板も頑強な結界も無意味だった。
その場に跪いた〈御霊〉はぱっくりと胸部を開き、体内から主たる男を降り立たせる。粉塵の中に身を晒した幻也は、よく見知ったエントランスの成れ果てを隻眼で見渡していった。
手にした自動小銃が、小気味よい音を立てて弾を飲み込む。
この手で救うべきは、かなえただ一人。
打ち倒すべき敵は、それ以外の全て。
この夜、男の裏切りはさらに積み重ねられようとしていた。
<カクヨムにて先行連載中>
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885880520/episodes/1177354054887928895




