ep20「逢魔が時に戦火熾りて」
限りなく夜に近い空はすみれ色に染まり、逢魔が時の東京は散発的な銃火に貫かれる。教団側の先制砲撃によって始まった市街地戦闘は、既に膠着状態の様相を呈していた。
まるで雪虫のように人型の紙切れが舞う、それは地獄だった。街は既に現代呪術戦の血生臭い臭気に満たされていた。元は人が行き交っていたはずの通りには、見下ろせば無数の死体が転がっている。
その内の一体。後頭部を赤く花咲かせた死体は、やがて原型をとどめないほどに潰れた顔を晒して立ち上がる。立ち上がった途端に5.56mm弾の斉射を受ける死体は、それでも何ら怯むことなく敵歩兵の下へと駆けて行った。
直後、その冷えた内臓は盛大に撒き散らされていた。
何の前触れもなく引き裂かれた肉片は塀にべちゃりとこびり付き、血霧は見えざる突風によって吹き流されて行く。
――――誰一人として、通り過ぎた巨人の姿には気付けない。
霧がかった空気に晒されてもなお、艶を失わない漆塗りの甲冑姿。文字通りの漆黒を誇る巨人は、轢き殺した死体を気にする素振りも見せずに走り続ける。
〈御霊〉だった。
刃のように薄い脚部は僅かに空気を巻き込み、踏み出す度に突風を呼び起こす。
閃く刃と化した槐兵の脚は、すれ違いざまに公安部隊員の首を刎ね飛ばしていた。まだ新鮮な血だまりに脚を踏み入れた〈御霊〉の足裏には、血交じりの粘液が薄い糸を引く。
――――おかしい、犬山が何もしていないはずはない。
何処かで犬神の召喚術式を組み込んだ手榴弾が爆裂したらしい。通り一つを挟んで聞こえて来る遠吠えが、幻也の腹の底をざわつかせる。
ぞっとする美を湛えた呪術戦の音色。どこか懐かしい音に骨の髄を震わされながらも、拭い去れない違和感が喉の奥に刺さり続ける。
「庁舎の周囲に部隊を展開した公安に対し、教団側も迂闊に動けず包囲を縮められない……だったら犬山、お前は何を待っているんだ」
公安が保有する呪操槐兵は、今ここにある一機のみ。絶対的な優位性を誇る敵戦力がいつ投入されるとも知れない中、沈黙を続ける犬山の行動はあまりに不可解だった。
各所から散発的な銃声が鳴り響く中、やがて街にノイズ交じりの声が響き出す。防災無線を垂れ流すスピーカーが、甲高いハウリングに震えた。
『現在、戦闘区域に展開する〈神籬社〉構成員に告ぐ……もちろん呪操槐兵に乗っている奴も含めてだ』
「犬山……!」
ぴたりと黒い槐兵の歩みが止まり、跳躍。咄嗟に近くのビルへ飛び上がった〈御霊〉を追い上げるように、突如として弾けた炸裂音が大気を震わせる。
手榴弾では無い。
街の各所から同時多発的に聞こえて来る音に耳を澄ましてみれば、発生源は路上駐車されたトラックの数々だったと分かる。
爆砕ボルトによって荷台を解かれたトラックからは、見慣れぬ異形が次々に這い出ようとしていた。
「あれはなんだ」
全長およそ4m、足裏にタイヤを備えた四脚構造の異形。鉄の蜘蛛にも似た正体不明の異形たちは、予め荷台に積み込まれた上で街に配備されていたらしかった。
少なくとも教団側の戦力には見えない。
そんな予感を裏付けるように、鉄蜘蛛たちは犬山の呼びかけに呼応して唸りを上げる。一斉に起動した異形たちは、腹に抱えたディーゼルエンジンを轟かせながら一直線に幹線道路へと整列していた。その数、三十台超。
『庁舎周辺5kmは前回の襲撃以来避難が継続されているから、今は無人だ。幾ら撃って貰っても構わない、どうせ除染が必要になるホットスポットだらけだ。だが、お前たちがこの防衛ラインを超えて庁舎側に侵攻した場合……』
遮蔽物の影で撃ち合っていた信徒の何人かが、ぐちゃり、と粘着質な音を立てて宙高く打ち上げられる。歩兵を轢き殺して整列した鉄蜘蛛たちは、ずらりと血に濡れた砲身を露わにしていた。
『直ちに聖地ミケを攻撃する』
『そんな事が貴様らに出来るのか、公安の犬め』
いっそ滑稽ですらある犬山の脅しに、何者かの声が応えた。
未だ銃火が絶えない戦場に、一筋の清廉な残光を曳いて降り立つ槐兵の姿があった。呪操槐兵〈影光〉、純白に輝く人型は送電鉄塔の上から鉄蜘蛛の群れを睥睨する。
四脚の異形たちはぴくりと蠢くと、シャッターレンズに保護されたモノアイを目まぐるしく開閉させる。三十もの眼は鉄塔の上に向けられていた。
『出来るとも。私からは見えなくとも代わりの眼がある』
『ほう、まさかボクを見ているのか』
含みを持った犬山の返答が、幻也にとって最悪の予感を肯定する。
見下ろす白い槐兵、見上げる鉄蜘蛛の群れ、両者の視線は無音の裡に切り結んでいるに違いなかった。
――――間違いなく〈影光〉を感知している。
対呪操槐兵用の兵器システム。犬山の自信はこれに由来していたのだ、と幻也は背筋が凍る思いを味わっていた。
敵の反応を探るためにわざわざ身を晒したアラトとて、驚いていないはずはない。槐兵でも無いのに槐兵を認識し、あまつさえ不可視の神域に踏み込むことが出来る存在など、ただの多脚戦車でも自律機械でも有り得ない所業だった。
「すると、あれは全て無人か。制御は一体どうやって……」
『そしてこの警告がただの脅しだと思われていることは、分かっているつもりだ。たかが公安に何が出来ると思っているだろう、だから特別に試射実験を見せようと思う。〈神籬社〉の諸君、よく見ておけ』
犬山の宣言じみた放送は、しばし戦場から銃声を消し去っていた。
誰もが自然と注目する中、夕陽の逆光に縁取られた庁舎ビルからはひゅるるとか細い風切り音が上がる。
空を裂くのはロケット弾頭ですらない飛翔体。すみれ色の背景に描かれた蒼白い鬼火は、飛行機雲とも流れ星ともつかない光跡を浮かび上がらせる。
幻也は空に機体の頭部を向けさせると、銅鏡とリンクした視界にじっと目を凝らす。顔布の奥に秘められた銅鏡は、ほどなくして飛翔物体に焦点を結んだ。
あれは鬼火を纏う鏑矢だ――――そう判断しようとした幻也は、すぐに己の間違いに気付いた。冷たい戦慄が脊髄を駆け抜けて行く。
「腕がついた鏑矢……だと」
そうとしか形容しようがない、目にした己の正気を疑いたくなる造形。まさしく人の片腕を据え付けた矢の一本は、彼が唖然としている間にも放物線を描いて地に迫って行く。
一対何が起こるというのか。
呆気ない残響を闇に溶かしていった矢は、その問いに応えるように北の空を照らしていった。鮮烈な光は一瞬にして直径数百mもの光球と化し、浮かび上がった歪な地平線の先からただ無音の閃光だけを届けて来る。
せいぜい10kmと離れていないはずの着弾地点は、小高いビルの屋上に立つ〈御霊〉からは見通すことも出来た。既に消え去った光球の跡には、幻想的な残光を帯びる都心の公園地帯が広がっている。
――――代々木公園……やられたのは明治神宮か!
幻也が見守る間にも、代々木公園を形作っていた緑は異様な速度で増殖していた。
まるで時計の針が加速しているかのような光景。およそ数千年に亘る成長サイクルを繰り返していった木々は森と化し、一分と経たない内に茶色くくすみ始める。森林が迎えるべき変化の終着点、極相林へと達した森は死の床に就こうとしていた。
植物の異常成長、そしてそれに伴う枯死。再びスピーカーを介して街に響き始めた犬山の声音は、その何たるかを口にする。
『これは疑似神呪兵装、御木之羽々矢。人に害はない、だが呪術的防御が施された鎮守の森も枯らすことが出来る。〈神籬社〉の諸君、こいつがミケに撃ち込まれる光景を見たいか』
『……』
白き槐兵、〈影光〉でさえもその場から動けない。
当然だった。教団の最重要聖地たるミケでさえ枯死に至らしめる、その可能性を秘めた矢は抑止力に他ならなかった。樹高600mもの巨樹を倒木させるリスクがあったとしても、聖地を人質に取った公安側の優位性は揺らがない。
「つまり、これ以上進めるのは俺だけか」
幻也が操縦桿を押し込むと、がくんという衝撃がコックピットを揺らした。
電柱に降り立った機体は、軽乗用車よりも軽い自重を電線に預けて歩き始める。僅かにたわむ足場を引き千切る事も無く、〈御霊〉は誰よりも前へと出ようとしていた。
佇む〈影光〉の横をも通り過ぎ、黒い槐兵はよどみない足取りを公安庁舎の方角へと向ける。
『水鏡幻也、あの矢の正体に気付いているのか』
「そうだ、だから俺は行く」
アラトからの呼びかけが何を指しているのかも、分かっていた。あの奇怪な形状の矢を目にすればいやでも分かってしまっていた。
矢じりの代わりに括りつけられていた腕は、まさしく教団側に差し出されたのと同じ少女の腕。未だ地下に囚われているかなえは、魂を宿した神木として疑似神呪兵装の素材に使われたに違いなかった。
――――かなえ、今行く。
神呪兵装の無力化、そして遂には摸倣まで果たした犬山という男。彼はイチイとは異なるベクトルに呪術の才能を開花させた男に違いなかった。
それが何だと言うのだ。
歩調を速めて行った〈御霊〉は、一直線に公安庁舎へと走り始めていた。
守るべき者を何一つ持たないからこそ進める――――否、助けるべき者がいるからこそ進まなければならない。群がって来る四脚の異形に向けて刃を抜く、その動作に一切の躊躇いは無かった。
「退け!」
たわむ電線を一気に蹴り出すと、漆黒の機体はほとんど直角に転進。交差点に並んだ敵軍に向けて、腰布を翻す〈御霊〉が鋭く飛び掛かった。
対するは鉄蜘蛛たちの群れに他ならない。
黒い槐兵を捕捉する眼は、実に三十以上。それに付随して同じだけの砲口がぽっかりと口を開け、虚ろな丸い闇から無機質な殺意を放射する。
直後、直径25mmの闇から一斉に砲火が弾けた。
鉄蜘蛛に搭載された軽装甲車用チェーンガンが火を噴き、人差し指ほどの鉄塊がマッハ3以上の速度で殺到する。群れる敵から吐き出された弾は、ものの数秒と経たずに数百発の弾幕へと化そうとしていた。
水平に放たれた鉄の豪雨は、歩兵たちをも巻き込んで射線上の全てを貫いて行く。砲弾に次々に身体を弾けさせる男達は、〈御霊〉が過ぎ去った傍から赤い霧へと変わって行った。
――――単騎での突破は無理があるか、どうする。
ばきり、と鈍い衝撃が機体を震わすと、もつれそうになった脚先がアスファルトを抉った。25mm弾頭がいとも容易く槐兵の神木装甲を撃ち抜いたのだ、と気付くまでに時間は要らない。
咄嗟に踏み込んだフットペダルに鞭打たれ、〈御霊〉は遮蔽物たる建物の影に飛び込んでいた。すぐ傍で捩じ切られて行った電柱を横目に、黒い疾風はぼろぼろに穿たれたビル壁面を駆け上がる。
『対呪術戦だけに特化したその槐兵では勝ち目がない。あの無人兵器は呪術を使ってこないからな』
「神薙だけが〈御霊〉の武器じゃない」
火線をわずかに振り切った〈御霊〉は、一瞬の隙を突いて対呪物ライフルへの装填を終える。
振り上げられた砲身は真っ直ぐに鉄蜘蛛の一体を捉えていた。
「発射」
噴き出す発射炎。鉄の豪雨を遡るように、500mlペットボトルにも匹敵する神木製弾体が飛翔する。ビルすれすれを掠めた衝撃で数百枚ものガラスを砕きながら、弾頭はあやまたず敵の臓物を撃ち抜いていた。
だが、仕留められたのは一体のみ。
着弾の余波で体勢を崩したらしい残敵を背に、〈御霊〉は入り組んだ通りを駆け始めていた。黒き槐兵に続いて、白き槐兵までもがその背を追う。
『苦戦しているな、今度は途中までボクも支援しよう』
「勝手にしろ」
たとえ〈氷雨〉のような大呪術が使えなくとも戦いようはある、と。男の執念を秘める一対の刃は、抜き放たれた途端に鬼火を浴びて煌めく。
こうして逃げている間にも、鉄蜘蛛の群れはタイヤを唸らせながら追い上げて来る。再び交差点に躍り出た白黒の人型は、未だ数が減っているようには見えない敵の群れへと切り込んでいった。
再び始まったチェーンガンの掃射。火線の嵐に呑まれそうになりながらも、自在にビル壁面を駆け回る回避機動に衰えはない。〈御霊〉は華奢な街灯を蹴り出すと、猛烈な勢いで横合いから敵に突っ込んでいた。
ほぼ同時に〈影光〉も白い残像を曳いて敵へ飛び掛かる。白き腕が振るう大弓刀は音速を超えて振り抜かれた、が、仕留め切れずに空を裂く。
「聞いているかアラト。こいつらは視界を共有しているかも知れない」
『データリンク機能か、ある種の群体だな』
「だから、こいつらに死角はない……! 小細工なしで押し切る」
鉄蜘蛛はその火力と反応速度、そして死角の無さから来る連携によって槐兵さえ封じ込める兵器システム。耐弾性も装甲車以上と来れば、呪操槐兵が真正面から撃ち合って勝てる道理はない。
それでも〈御霊〉は、歩兵たちを薙ぎ払いながら猛然と敵に迫っていた。自らがいつ粉々に粉砕されてもおかしくないという間合いで、〈御霊〉は敵の砲身目掛けて木刀を投げ付ける。
「呪え、〈御霊〉!」
柄に繋がれた鎖を介して、槐兵の黒い手からは見えざる呪詛が流し込まれる。木刀が突き刺さった砲身はぎぎぎとひび割れ、目にも鮮やかな若葉が吹き出して行った。
木質化を始めたチェーンガンに戸惑う鉄蜘蛛は、急速回転するタイヤからもうもうと白煙を立ち昇らせる。
が、次の瞬間にはびくりと震えて停止していた。ゴムが焼ける異臭はパッと薙ぎ払われ、後には敵に刀を突き立てた〈御霊〉の機影が現れる。
「接近戦をやるにも……かなり骨が折れる。ただ、砲撃戦をやるとしてもこちらで撃ち合えるのは90mm砲だけだ」
『随分と苦労しているな、二体目だ』
言うやいなや、すぐ傍に降って来た〈影光〉が敵の一体を袈裟懸けに斬り下ろす。清らかな白に艶めいていたはずの甲冑は、返り血のような機械油を籠手から滴らせていた。
白い腕は合計で四本。
一対の腕で機体全高にも匹敵する刀を振るいながら、空いたもう一対の腕は何か箱状のモノを掴んでいるようだった。
『水鏡幻也、使え』
白い槐兵から箱状の何かが放り投げられる。〈御霊〉が咄嗟に掌へと収めたそれは、90mm呪装徹甲弾の弾倉に他ならなかった。
目にも留まらぬ手さばきで、弾は薬室へと押し込められる。
装填、発砲。弾を受け取ってから二秒と経たずに火を噴いた対呪物ライフルは、黒い槐兵が構える砲身の先で鉄蜘蛛を撃ち砕いていた。
『こちらを撃ってくれるなよ』
「公安同士で潰しあっておけという事だろうが」
白い槐兵と黒い槐兵、二機はほとんど同時にその場を左右に分かれていた。
突風が辺りを吹き抜けたかと思えば、鉄蜘蛛の群れは主に〈影光〉へとチェーンガン掃射を浴びせかける。自在に加減速を繰り返す機体は、まるで正確無比な狙いを弄ぶように壁を走り回っていた。
そして、僅かに脚を止めた鉄蜘蛛の一機が粉砕された。
90mm呪装徹甲弾による狙撃。まったくの別方向から砲撃を撃ち込んだ〈御霊〉は、アンカー代わりに突き刺していた日本刀を抜き放つ。
一転、即座にその場から駆け出した〈御霊〉は、蛇のようにしなる鎖を巻き上げる。そして勢いよく戻って来た日本刀を手に、向かい風のように襲い来る弾幕へと身を晒していた。
その間にも、鉄蜘蛛の群れは逃げ遅れた戦闘員ごと炎に呑まれる。
呪操槐兵〈影光〉が放った蒼白い火焔は、逃げ損なった鉄蜘蛛を数体まとめてすっぽりと飲み込んでいた。熱の無い炎は大気を妖しく揺らし、敵が纏う鋼鉄をも変質させて朽ち木と変えて行く。
――――アラト、奴も本気か。
幻也操る〈御霊〉と、アラト操る〈影光〉は、傍目にはほぼ完璧な連携で以て各々の役割を果たしていた。
90mm呪装徹甲弾による狙撃と、神呪兵装による遠距離攻撃、度重なる波状攻撃が鉄蜘蛛の群れを徐々に切り崩して行く。そしてまた、綻んだ群れの隙間へと黒い疾風が吹き込む。
『今のうちに数を減らしておけ』
「貴様に言われなくても、なぁ!」
群れの只中に飛び込んだ〈御霊〉は、敵の密集地帯で手にした両刀を振るう。敵が纏う装甲を斬った刃は、その正体をも露わにしていた。
斬り抜ける最中の一瞬、銅鏡とリンクした幻也の視界に、ぱっくりと裂かれた敵の背面が飛び込んで来る。滑らかに割られた装甲の隙間からは、確かにささくれ立った木片が飛び散ろうとしていた。
「こいつはあの時の……!」
『イチイに呼び出された人形だったか』
幻也たちはようやく、自らが切り伏せた敵の正体を悟っていた。
鋼鉄で装甲化された木製人形。それはつまり、今は亡きイチイが無数に呼び出した木の鬼に他ならない。あの夜、90mm呪装徹甲弾を撃ち込んでようやく封じた木人形は、犬山の手で近代兵器へと仕立てられていたに違いなかった。
――――昔からそうだ、お前は抜かりない奴だった。
幻也の両手が、きつく操縦桿を握り締めた。
直後、やり切れない想いのままに押し込んだ操縦桿は、〈御霊〉に一段と鋭い斬撃を繰り出させる。ちょうど降り注ぐ火線に重なった剣筋は、金属音じみた音を立てて砲弾を切り払ってみせた。
視界の向こうでは、実に十体以上の鉄蜘蛛に囲まれた〈影光〉が器用に立ち回っている。目では捉え切れないほどの機動を繰り出す機体は、二刀流に加えて二挺拳銃を自在に操り続けていた。
それでも白と黒の槐兵はなお劣勢を覆せない。まさに一つの群体として這いまわる鉄蜘蛛の群れは、25mm弾頭の嵐でことごとく空間的自由を奪って行く。
『久しぶりだな、水鏡』
聞き覚えのある声が飛び込んで来たのは、その時だった。
コックピットシートに縛り付けた無線機を介して、犬山は公安時代に使っていた周波数帯から悠然と語り掛けて来る。
「犬山……ッ!」
『この庁舎に張り巡らせた術式は私にしか扱えないと言ったら、こんな役を押しつけられてしまった。損な役回りだとは思わないか』
かつて友だと信じていた男の声は、幻也の裡に灼熱の油となって注がれようとしていた。
捕えたかなえを切り刻み、被験体五号として身体に蟲を植え付けておきながら、その声はあくまで冷静に落ち着き払っているのだ。そう感じてしまった途端に、幻也の脳裏で見えざる撃鉄が引き起こされる。
もはや友では無い。
今は交わすべき想いさえ、無かった。
「……かなえを引き渡せ」
『出来る訳がないだろう。あれはまたとない素材だ』
その瞬間、敵が一人増えた。
公安構成員と教団信者数万に加えて、斃すべき者がまた一人。あるいは虚構だったかも知れない思い出を振り切るように、幻也は顔を上げていた。
友と語らっていた頃は、何処にでもいる人間として生きていたのかも知れない――――心のどこかでそう願っていた自分をも切り捨ててしまえば、どこか場違いな安堵感が胸を満たして行く。
かなえと生きる邪魔をする者は全てが敵、そう定めた男の決意はどこまでも黒い漆の如く固まり切っていた。その手が操る〈御霊〉は、戦場の外縁にそびえ立つ公安庁舎を顔布越しに睨みつける。
「犬山、今からお前を殺しに行く」
かつての友を殺す。
呪いの道を行く覚悟は、とうに出来ていた。
<カクヨムにて先行連載中>
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885880520/episodes/1177354054887250732




