3話 眠れない夜
俺とサリアは、安心して眠れる場所を求めて、サリアの家からそう遠くない宿屋の前に立っていた。
「お金は持ってきたんだろうな」
「ちゃんと持ってきてるわよ。安心しなさい」
「じゃあ、入るか」
俺たちが入り口の扉を開けて中に入ると、カウンターの奥から宿主の女性が出て来た。
「いらっしゃい。今日はどんなご用事で?」
「一人用の部屋を二つ借りたいんです」
「それなら、銀貨2枚だね」
「わかりました」
サリアは手持ちの袋をガサゴソとあさりだしたが、その顔がだんだん青ざめだす。
「もしかして、足りないのか?」
そうでないことを祈りながらサリアに尋ねると、サリアは俺の方を向いて、首をゆっくりと縦に振った。
こいつ、やりやがった。あれだけ自信満々に安心しろと言っていたくせに、当たり前のように期待を裏切りやがった。
「お客さん、一体手持ちにいくらあるんだい?」
「銀貨一枚と銅貨三枚です」
「うーん、一つの一人用の部屋を二人で使うなら、銀貨一枚と銅貨三枚で手を打つよ」
「やったな、サリア! なんとか泊まれそうだぞ」
俺が喜んでいるのに対して、サリアは不満げな顔をしている。
「何か問題があるのか?」
「なんでイツキと同じ部屋なのよ。身の危険を感じるわ」
「心配するな。お前に手を出すことなんてないよ」
そのポンコツっぷりを見ていると、サリアに対しては、どうにもそんな気が起きないのである。
「今日はもう疲れたから、早く寝ちまおうぜ」
「はー、仕方ないわね。我慢してあげるわ」
俺たちは受付を済ませると、さっそく借りた部屋に向かった。
部屋の中は一人用だけあって、決して広いとは言えない。ベッドももちろん、シングルベッドである。しかし、この際そんなことは気にしない。
俺はベッドに入り、眠る前に、今日あったことを思い出していく。
いきなり異世界にしょ――
「ちょっと、何勝手にベッド使って眠ろうとしてんのよ!」
「人が回想しようとしてんのに、序盤も序盤で邪魔するなよ」
「あんたは床に決まってるでしょ。お金を払ったのはこの私。つまりベッドも私のものなの」
「そもそも、サリアが俺を召喚したせいでこうなったんじゃないか」
「それとこれとは別!」
「じゃあ、半分半分にするか」
「今回は特別に、それで手を打ってあげる」
このまま言い争っていても、埒が明かないので、半分譲ることにした。
俺が体をベッドの端に詰めて、サリアのためのスペースを開けると、すぐさまサリアはそのスぺ―スを占領した。俺は、サリアに対して背を向けた姿勢をとる。
これでやっと回想の続きができる。
いきなり、いせ――
「スピスピスピスピー」
背後からサリアの不思議な寝息が聞こえてきた。俺の回想はまたしても、邪魔されてしまった。
「ポムッポムッポムッ」
何なんだこの音は。
まるで、やわらかいボールが地面の上ではねているかのような音である。これも、サリアの寝息であった。
「プカプカプカ」
「ミョミョミョ」
「トーン、トーン、トーン」
人がこんな寝息を出すことができるのか?! サリアの繰り出す様々な寝息が気になって眠れない。
しかし、しばらくするとこの寝息もなくなって、部屋は静かな状態に戻った。
変な寝息に邪魔されたが、これで今度こそ回想に戻ることができる。
いきな――
「イタッ!」
俺の背中に突然痛みが走った。何が起きたか振り返って確認してみると、どうやらサリアが寝ぼけながら腕を伸ばしたことで、俺の背中を殴ってしまう形になったようだ。
さっきから邪魔をされてばかりである。けれど、俺自身、かなり疲れているので、サリアにいちいち注意する気も起きない。
そんな俺の顔にもう一発パンチが飛んできたが、俺はそれをよけられず、頬にもらってしまう。
眠っているときのサリアは、まるで近くの人間の睡眠を全力で妨げる兵器のようだ。
どうせ眠らせてもらえないのならこちらも手を打つしかあるまい。
俺はサリアの体に呪術を飛ばす。
これでサリアにも眠れない苦しみを味わってもらおう。
「へっくしょん」
サリアがくしゃみをして、薄く目を開く。くしゃみの反動で目が覚めたようである。
「んー、眠い」
一瞬起きたものの、またすぐに眠りに入ろうとする。
しかし、それは甘い。なぜなら、このくしゃみは偶然のものではなく、本当の地獄はここからである。
「へっくしょん、へっくしょん」
またもやサリアがくしゃみをする。今回はさすがに違和感を覚えたのか、体を起こした。
「へっくしょん……、なんだろう? くしゃみが止まらない」
「それは俺が術をかけたからな。それは『クシャミトマラン』と言って、くしゃみが止まらなくなる術なんだ」
「はあ?! 何てことしてくれんの! これじゃ私、眠れないじゃないの!」
「お前を眠らせると、こっちに迷惑がかかるんだ。そんじゃ、おやすみ」
俺は、すぐさま眠るための態勢に入る。術が切れて、サリアが再び眠りに入る前に、何としてでも眠らなければならない。しかし、そんな俺をサリアがくしゃみをしながら強くゆすってくる。
「イツキだけ……っくしょん、眠れると思ったら大間違いよ。私が起きてる間はあんたも起きてなさい。じゃないと魔法をぶち込むわよ」
「それはやめろ! もし、宿屋を壊したら、弁償しなきゃいけないんだぞ!」
「イツキの行動次第ね」
俺は仕方なくサリアのくしゃみがおさまるのを待つことにした。
くしゃみから解放されたサリアは幸せそうに眠りに入っていく……と同時に俺の頬に寝ぼけたサリアのビンタが飛んできた。俺は、またもやよけられず、もろにくらってしまう。
サリアを眠らせるのは危険すぎる。こいつは起こしておいた方がまだましだ。
俺はサリアに術をかける。今度は、『マエニアル―ク』をかけた。
サリアの体が本人の意思とは無関係にむくりと起き上がる。それにつられてサリアの目も開いた。
「あれれ、私の体が勝手に動いてる?!」
「俺だよ、俺」
「またあんたなの!」
俺は横になったまま、ベッドを降りて壁に向かって歩き出すサリアを見送る。
さらば、サリア。このまましばらく壁とおしゃべりでも楽しんでくれ、俺は眠ることにする。
「止めなきゃ魔法を打つ」
「今すぐ止めます!」
俺はベッドから跳ね起きて、すぐさまサリアの両肩をつかむ。
宿屋を壊して弁償なんかさせられたら、たまったものではない。
俺は死力を尽くしてサリアを止め続けたが、その健闘もむなしく、俺の力は尽き、サリアは壁に激突してしまった。
「イ……タ…イ」
サリアはそれだけ言い残すと、そのまま壁の前で気絶するように眠りに落ちていった。
俺も、疲労がたまっていたこともあり、立ち上がってベッドに戻ることもできずにそのまま床で泥のように眠った。
♢♢♢
俺とサリアはうつらうつらしながら、会計を済ませる。
「昨夜はだいぶお楽しみだったみたいですね」
「そんなことないですよ」
宿主の言葉に俺は疲れの取れていない声で答える。
昨日の夜は結局床で眠ってしまい、固い床で横になっていたせいで、体中が痛い。サリアも同じ様子である。
「でも、部屋の外まで仲のよさそうな声が聞こえてきましたよ?」
「声が聞こえたってのは、間違ってないと思いますけど、仲のいい声なんかじゃないですよ。ではもう行きます。ありがとうございました」
「ええ、またいらしてくださいね」
俺とサリアは宿屋から出る。
これからどうするかだが、まず、何をするにしてもお金が必要である。
「サリア、今手元にいくらある?」
「0よ0。すっからかんよ」
「お前の家にもないのか?」
「最近魔法に関する本を買い込んでたから、まったく残ってないわ」
そうなると、昼飯にも困ることになる。
さらに大きな問題は今日の宿だ。サリアの家は、床の湿りについては、少しは乾いているだろうが、外から見えてしまうのはどうしても看過できない問題だ。寝込みを盗賊に襲われてしまうかもしれない。
「なにかサクサクっと金を稼ぐ方法はないかな~」
「モンスターの狩りはどうかしら?」
「モンスターか、まぁ俺の世界の鬼みたいなものなのか。」
俺たちはまず、昼食を得るために弱いモンスターを狩りに行くことにした。