書き方次第
○
「丸い卵も切りようで四角、という言葉があるわ」
「食べれば四角じゃなくなりますね」
「そうだけど。そうじゃなくて」
「四角い豆腐も切りようで丸い、という言葉があります」
「無いわよ」
「あるんです。今作りました」
「それってアリなの?」
「無かった言葉もあると言い張ればアリになる、という言葉があります」
「おい」
「新しい言葉はこの一瞬ごとに生まれ続けているのです」
「……もういいわ。話を続けて良いかしら?」
「どうぞ」
◇
「意味としては――あんたも理解してるわよね。同じ意味で違う事例を出してきたんだから。まあ一応解説すると、同じ意味のことでも、言葉の選び方によっては受け取られ方が違ってくるって話よ」
「まあ卵をわざわざ切って四角にしたら美味しそうに見えなくなりますけどね」
「豆腐だって同じでしょ」
「え、豆腐丸く切れるんですか。すごいですね」
「……あんたねえ」
「今わたしの言った『すごいですね』には称賛の意味しかありませんでしたよ?」
「どう聞いても皮肉だったけど」
「どうやって判断したんですか?」
「それは……あれ、どうやってだろう」
「さっきの言葉で、わたしの表情とか見えました?」
「見えないわよ。そもそもあんたに表情とか存在してないし」
「言葉のトーンとか分かりました?」
「それも聞き取れないわね。ここにあるのはただ言葉だけだし」
「そもそもわたしって誰ですか?」
「……分からないわね。あんたと私には台詞しかないんだし、それを判別するのは無理かな。ああ、でもこれを見ている誰かには分かるかも」
△
「わたしの使う『わたし』って一人称のイメージと、あなたの言い方や反論からですね。さっきの『すごいですね』のあと、あなたが『……あんたねえ』って返した。だからこのやり取りを見ただけだと、皮肉っぽいと感じてしまう。これって、すごいですね」
「あ、今度は称賛、っていうか感心してるみたいに聞こえた」
「という反応のおかげで、さっきとは違う『すごいですね』に切り替わってしまうわけです。実は前後の文脈も関係してますけど……いくつかある読み取り方のうち、文章を読むひとは自分なりに最適なものを勝手に当てはめてしまうものなんですね。ただ、そのひとにとっての最適であり、正しいと思う読み方であって、それが真実と合致しているかというと――」
「そうとも限らないのが難しいのよね。じゃあ、最初の皮肉っぽかった『すごいですね』を称賛として読み取るために必要だったのは」
「一番大事なのは、あなたの反応です。いやほんと、すごいですね」
「ありがとう」
「ほら、これだけで称賛に見えてくるでしょう。もちろんこの『ありがとう』こそが皮肉っぽいとか、呆れ顔で言っているイメージになるかもしれませんが、一応は称賛としての『すごいですね』にそれを素直に受け取った『ありがとう』のセットになってます」
「つまり、私があんたの『すごいですね』を皮肉にしてしまったと」
「台詞だけしか無い場合、このやり取りから無理矢理にでも情報を得ようとするものです。『わたし』って一人称と『あなた』って呼び方から可愛らしい女の子を想像したり、『私』って一人称と『あんた』って呼び方から冷たそうな女性を想定したり」
▲
「どっちも女の子なのは変わらないんだ」
「一番最初に女性口調で始めているので、まず想起するのは『普通の言葉が使える女性』ということになります。十代前半から四十代後半くらいと幅があるでしょうが、小説家になろう読者の方であれば普段慣れ親しんだ小説のヒロイン、十代後半から二十代前半が真っ先に思い浮かぶかもしれません。舌っ足らずや言語があやふやな幼児、朦朧とした老女はこの段階で弾かれます。女性口調だけでオカマやニューハーフまで一足飛びに想像するのは無理がありますし。その上で他のイメージを挟んでいないので、次の台詞の持ち主、つまり『わたし』もこのイメージに引っ張られます。そして言い争っている風に見える以上、この二つの台詞の主は同格、あるいは同年代ということになってくるでしょう。実際は何ら外見描写が存在していないので、『わたし』は美しく可憐でか弱く儚げな心優しき美少女で、もうひとりは分厚い化粧をしてバニーガールの格好をした五十六才の汚いオカマかもしれませんね。現状そこに書いていないってことは、書かれていると都合が悪い情報なのかもしれませんし」
「ははは、ぶっ殺すわよ。というか余計なコトばかり言うんじゃないわ」
「ああ怖い」
◆
「脱線したけど、元の話に戻すわね。というかこいつが長々と語ったからもう分かったと思うけど、言葉にはそれそのものに付随して様々なイメージが発生するわけ。たとえ軽い気持ちで放った一言でも、その周囲に存在する情報――あるいはその周囲に「存在しない」情報――と総合して判断されてしまうものなの。これが小説であれば、その曖昧さは深さになるわ。言葉を書きすぎないことで想像の余地を与えて、イメージを膨らませるための材料になる。でも他者に対するメッセージであれば別。どれだけ言葉を尽くしても足りないことの方が多い。何の気無しに使われたその言葉で、ひとは傷つくのよ。自分に向けられた言葉であれば、逃げ場が無いんだもの。ひとたび書いて、それを相手が見て何かを受け取ったあとで、そんな気じゃなかった、は通用しないわ。だって読んだ瞬間に受けたダメージは読んだ者の内側に発生するから、容易く回復してくれないんだもの。肌じゃなくて内臓が傷つくようなものよ。それが相手のことを想ってのものであったとしても。むしろ、だからこそ傷は深くなる。そしてその痛みは決して拭うことはできない。読み返すたび、何度でも同じ場所を傷つけられて、痛みは蘇るのよ……!」
「と満面の笑みで語る彼女なのでありました」
「あんたねえ、せっかくシリアスに進めてたのに一発でひっくり返すんじゃないわよ」
「やはりドMでしたか」
「とまあ、こうやってメッセージ性の強い文章のあとに茶化して和らげる手もあるわね。どうしても書き手ってのは自分の思った内容、書きたいことを重視してしまって、それを読んだ側がどう考えるか、どう思うかにまで想像が追いついてないことが多い気がするわ。それがある程度計算尽くでやってる場合にはどうしようもないんだけど……良かれと思って迂闊なこと書かれて、そのままエタる作者もけっこういるから感想欄に書く瞬間やメッセージ飛ばすときは気をつけるように! ただでさえモチベーション下がってるときにそれやられると、ホントに投げ出したくなるというか、善意なのが分かってても落ち込むから」
「というわけで最初の台詞に戻りましょう。丸い卵も切りようで刺客」
「え、卵が襲ってくるの?」
●
「ちなみにわたしは本当に美少女ですよ?」
「私だって美少女よ」
「というのも、このやり取りを見苦しいオッサン二人がやっているとなれば、この台詞の応酬が見るに堪えないというか、不愉快極まりないものに感じられるからです」
「小説内の登場人物であれば現物用意しなくていいから楽よね。齢二万才でありながら可憐な美少女の外見をしたロリババアとか」
「実はわたし、顔を見るだけで道行く人々を絶頂させてしまうほど美しすぎる美少女なんです」
「馬から落馬して頭が頭痛みたいな表現ね」
「ああ、皆さんに顔をお見せできないのが残念です……」
「あんたねえ! ……あれこれ言うだけならタダだけど、書き込む前に考えてからにしなさい」
「事実ですし」
「事実かどうかの問題じゃないわ。心の問題よ」
「実はわたし、触れるだけで昇天してしまうほど美しい心の持ち主なんです」
「すごいですね」
「ありがとうございます!」
「皮肉よ!」
「知ってます!」
「……はぁ。もういいわ。書かれた以上は事実ってことで」
「存在も何もかもフィクションですからいいんです」
「それもそうね」
「あなたが納得してくれたところで、おさらばです! お相手は超絶美少女こと『わたし』と」
「その数倍、心が優しくて美少女で頭が良い『私』でした!」
「……比較で描写って楽でいいですよね」
「だってこれ、言ったもん勝ちだもの。じゃあね!」
ミ☆