四話 一本背負い
イーグルはフレーム剛性と加速力、軽量性を意識した機体設計になっている。そのおかげで標準重力下でもムーンサルトが可能なほど運動性が高いが、弊害もある。
それは、単純なパワー不足。軽量化を図るために各部サーボモーターの小型化を進めたイーグルは、徒手格闘戦で力比べとなるような場面では不利な部分が多い。
対して教官の駆るパンツァーは、機動力よりもパワー、装甲強度を重視している。
つまりは腕を交差させるような近距離ではパンツァーの方に分があるという事だ。
故に俺は、決定打となるはずだったイーグルの拳が擦過音を上げた時点で距離を取ろうとした。
『逃がすと思ったか?』
教官の高みからの発言が届くのと同時に、パンツァーに伸ばしていたイーグルの右腕ががっちりと固定される。
肩越しにイーグルの腕が引き込まれ、パンツァーの背に負われるこの体勢。これはっ!?
刹那の思考の後、フッと身体が浮くような感覚と同時に機体は空中に投げ出されていた。
『一本背負いとかっ!』
全スラスターで必死に姿勢制御しながらも悪態を漏らしてしまう。幾らBHFが人の動きをトレースする機械だと言っても、徹底的に重量軽減したイーグルでも五十トン弱の重さがあるのだから、そんなものを柔術の応用で投げるなど想定の埒外だ。
なんとか姿勢制御に成功し、足裏で地面を捉えることが出来た。
体勢を崩し、惨めにも地面に這いつくばっている俺とは対照的に、教官は涼しい顔でその場に立っていた。
『お前らー、ちゃんと見てたかー? これがBHFにおける徒手格闘戦だ。パイロットの技量が大きな比重を占めるこの分野は、逆に言えば技術があれば機体の性能差は幾らでもカバーできるという事でもある。肉体での訓練もしっかりと行っておけー』
強引にまとめる教官を尻目に俺は立ち上がる。誰がどう見ても教官の方が勝っていたのが分かったから、素直に敗北を認める。だけど、悔しくないわけではなかった。その気持ちを隠したくて、俺はコックピットで独り唇を噛む。
『じゃあ、あとは各自模擬格闘戦による訓練に移ってくれー』
ここからいつもの丸投げ授業に移行するようだ。みんなそれをよく理解しているのか、三々五々グループを作って訓練を始める。
みんなが動かすBHFを見ながらぼんやりと突っ立っていると、教官のパンツァーが近寄ってきてイーグルの肩を掴んだ。接触回線による個別通信だ。
『さっきの模擬戦、中々良かったじゃないか』
? それはどういう意味だ?
『特にあの標準重力下でのムーンサルト。流石に驚かされた』
『……どういうつもりですか?』
いつもスパルタで指導してくる(指導すること自体がまれだが)な教官が唐突に褒めだすなんて、気持ち悪い以外の感情が湧かない。
『いやなに、成長したなと思ってな。初めて俺の元に来た時はまともに動かすことすらできなかったのに、今はもう俺とタメを張るまでになっている。俺も年を取るわけだ』
『タメを張るなんて冗談でしょう? 後、教官はまだ二十代だった気がするのですが』
『細かいことは記憶しない主義なんでな』
ようそんなんで部隊の隊長なんてやってたな。
『だが、こと格闘戦においては玄人の域だぞ。シィレイさんにはまだ及ばないが、それでもかなりの実力は有している。もうこの士官学校内に、お前ほどの格闘戦技術を持っている者はいないんじゃないのか?』
『そう言ってもらえるのはうれしいですけどね。自分ではまだまだだと思ってます。親父から託されたこのイーグルを完全に乗りこなすまでは、まだまだです』
『そうか……。まあ、頑張れ。……相手がいないんなら、俺がしてやろうか?』
柄にもない発言に少々吹き出してしまう。冗談で言ってないんだとしたら爆笑ものだ。
『あんまり俺ばかりに構ってたらエコ贔屓だって言われますよ? 俺は大丈夫ですから、他の奴の指導をしてやってください』
そう言って背中を押す。物理的にだ。
渋々と言った体でみんなの元へと向かう教官の背中を見送る。
……やっぱり教官はすごい人だ。
改めてそう実感した。