三話 ムーンサルト
レジデント宇宙軍士官学校のパイロットコースで実技を教える教官であり、俺の師匠でもある男、エルフィ・ラフ。
彼は俺の死んだオヤジとは師弟関係だったそうで、その関係で親父が死んだ後、ちょくちょく俺にBHFの指導をしてくれていた。
だからこそ知っている。今目の前に立っている鋼の巨人の恐ろしさを。
教官の乗る機体は、レリックス社製造のLR‐U005‐S3。『PANZER』という機体のスペック3――つまり三回目の改修機。炸裂装甲を備えた重装寄りの万能機体で、レリックス社のポピュラーな量産機として知られている。まあ訓練中なので、リアクティブアーマーは装備していないが。
こちらのイーグルは少数製造されたハイスペック機だから、量産機のパンツァーに性能では勝っている。
それを考慮に入れても、俺は教官に勝てる気がしなかった。
つまりそれが、実力差という事だ。
『じゃあこれからBHFでの徒手格闘戦をやってみせるから、よっく見とけよー』
気の抜けた声とともに、教官のパンツァーがクイクイッと手招きする。かかってこいという事だろうか。舐められている事は明白だが、事実俺と教官との間にはそれ相応の力量差があるので苦笑いを浮かべることしかできない。
いつもの、訓練の時のようにやればいいんだ。みんなの目があるからって、下手に緊張することはない。冷静に、落ち着いて。
心でそう呟くと身体が軽くなったような気がして、俺はそれを失わないうちに動き出した。
BHFの巨体が俺の手足として動くその感覚を存分に感じながら、教官の元へと駆けていく。
現状のリンクシステムに、パイロットと機体の間のレスポンスの差はごくわずかだ。それ故に格闘戦はBHFが得意とする分野の一つとなっている。パイロット本人の格闘技術を戦闘にフルで応用できる点もまた然り。
つまりBHFは、人間と同格以上の動きを再現出来るという事。
俺は助走の勢いを利用して、各部スラスターを使わず機体のバネとサーボモーターの力のみで空中に飛び上った。
ムーンサルト。BHF戦闘では主に月などの低重力下で使用される技術だが、軽量化を徹底したイーグルならばコロニー内の標準重力下でも行うことが出来る。
俺は教官の操るパンツァーの頭上を飛び越えると、その背面に着地した。
一切の逡巡を捨てて、教官のパンツァーにイーグルの拳を振り上げる。俺の視界には無防備な背中を晒すパンツァーの姿。普通に考えればここで勝敗は決するだろう。
だがそこはBHF――ロボット同士の戦い。人間ではありえないことが可能となる。
唐突に、背中を見せていたパンツァーが半回転して向き直る。それに要した時間はゼロコンマ五秒。それは足を動かして身体を向き直すためには少なすぎる時間だ。
教官が用いたのはスラストリバース・ハーフターンと言う、サブスラスターを使ってその場で半回転するマニューバスキルだ。基礎技術の一つだが、だからこそ完全な機動を見せることは難しい。しかし教官は全ての工程を素早く、滑らかに、正確にそれをこなしてみせた。伊達に教官を名乗ってはいないな。
俺の正拳突きの軌道に、教官はギリギリのタイミングで腕をねじ込んできた。
鉄と鉄が擦れる音と、それによって生じる火花。俺の腕と教官の腕が交錯する。
戦いは始まったばかりだ。