最終章:最高の題材、感動の終焉
淳史の復縁の願いは、俺と麗奈の関係に、避けられない終焉の予感を持ち込んだ。
その夜、麗奈のマンション。
俺は、淳史からの電話の内容を、全て正直に麗奈に話した。
麗奈は、何も言わず、ただ窓の外の夜景を見つめていた。
その横顔は、人気小説家としての冷静さと、一人の女性としての迷いが入り混じっていた。
「淳史は、私があなたとの禁断の愛で満たされていることを知らない。彼は、私が『空白』を抱えていると信じている。そして、その空白を埋めるのが自分だと思っている」
麗奈は、静かに語った。
「麗奈、どうするんだ? お前が望むなら、俺は……俺たちの関係を、全て淳史に話す。そして、お前を奪う。俺は、もう逃げない。男として、お前を愛している」
俺は、生まれて初めて、三十年のコンプレックスを完全に脱ぎ捨て、一人の男として麗奈に全てを賭けた。
麗奈は、ゆっくりと俺に振り向いた。
その瞳には、今までにない深い慈愛が宿っていた。
「秀樹。あなたは、本当に変わったわね。あの時、私に筆下ろしを懇願した、弱くて意地っ張りな男は、もういない」
彼女は、俺の頬に触れ、優しく微笑んだ。
「ありがとう、秀樹。あなたは、私に最高の刺激を与えてくれた。そして、私が本当に求めているものを、私自身に教えてくれた」
しかし、麗奈の次の言葉は、俺の予想とは全く違うものだった。
「淳史とは……復縁しないわ」
俺は息を飲んだ。勝利の予感に、胸が高鳴る。
「じゃあ、俺と……」
「いいえ。あなたとも、もう会えない」
「な……なぜだ!?」
麗奈は、俺の頭をそっと抱き寄せた。
「あなたは、私の『題材』を完成させてくれた。そして、私自身も、女としての満たされない欲求から、真の愛へと昇華することができた。この関係は、禁断の愛として完成したのよ。これ以上、この小説を世俗の泥沼に引きずり込んではいけない」
彼女は、俺の人生をコンプレックスから救い出し、男として完成させた。
そして、自分の創作意欲を満たした。
全ては、最高のエンディングを迎えるために、終わらせるべきなのだと、彼女は言った。
「あなたの禁断の愛は、私の魂の傑作になった。そして、あなたの三十年の孤独と未熟さは、私によって感動的な物語として昇華されたのよ。これ以上の愛の形は、私たちにはないわ」
「そんな……俺は、お前がいないと……」
「あなたはもう、大丈夫よ。私に筆下ろしをされた『男』だもの。あなたの人生は、ここから新しく始まるの。私との甘美な罪を、あなたの自信にしなさい」
麗奈は、俺の瞳に、涙を浮かべながら、別れを告げた。
その涙は、小説家としての感動なのか、女性としての愛の別れなのか、俺には判断できなかった。
俺は、愛する女を失った悲しみと、彼女によって新しい人生を与えられた感動、そして三十路の童貞から真の男へと成長できた達成感を胸に、麗奈のマンションを後にした。
翌日、麗奈は出版社に、新しい大作の執筆を宣言したという。
その題名は、まだ発表されていない。
だが、俺は知っている。
その物語の主人公は、三十路で未経験の俺であり、その筆下ろしが、俺たちの禁断の愛の記録なのだと。
俺の人生は、三十路での屈辱的な懇願によって終わり、最高の愛の物語として、感動的に幕を開けたのだった。




