第5章:秘密の逢瀬と、魂の渇き
夜が明ける頃、俺は麗奈の横で、まだ現実と夢の狭間を彷徨っていた。
彼女の肌の温もりと、昨夜の激しい情事が、現実であったことを証明している。
しかし、目覚めて最初に襲ってきたのは、甘美な余韻ではなく、猛烈な罪悪感だった。
「淳史……」
思わず口にした親友の名前が、静かな朝の寝室に響いた。
その声に、麗奈がゆっくりと目を開けた。
彼女は疲れの微塵も見せない、澄んだ瞳で俺を見つめた。
「まだそんなこと考えてるの? 淳史はもう関係ないわ」
「そうは言っても、あいつは俺の親友で……お前は、あいつの元妻だ。俺たちは、許されないことをしたんだ」
麗奈は、溜息をつくと、俺の頬に手を添えた。その指先は、ひどく冷たい。
「私たちは大人よ、秀樹。そして、自由。淳史が私から奪っていった時間と、あなたが私に捧げた童貞。これで、私たちは対等になったの。これは、誰にも侵されない私たちだけの秘密。小説の題材って言ったでしょう?」
麗奈はあくまで、この関係を「小説」という非日常の枠組みに押し込めようとする。
だが、昨夜、彼女の口から漏れた「淳史とは違う」という言葉は、俺の心に深く根を下ろしていた。
彼女は、本当に俺を題材として見ているだけなのか?
それとも、彼女もまた、禁断の愛の扉を開けてしまったのか?
その日以来、俺たちの関係は、水面下で変質した。
昼間は、以前と変わらない幼馴染。
時に、三人で淳史を交えて食事をすることもある。
その場で、俺と麗奈は、互いにアイコンタクト一つ交わさない。
二人の間に流れる重く、熱い秘密を、誰も知らない。
だが、麗奈からメッセージが来るたびに、俺の心臓は跳ね上がるようになった。
『今夜、取材のため、徹夜になりそうよ』
それは、暗号だった。
麗奈のマンションに行けば、彼女は「取材」と称して、俺の身体を求めるのだ。
俺は、会社を適当な理由をつけて早退し、麗奈のマンションへ向かう。
俺の心は、家族への裏切り、親友への背信という毒に侵されながら、麗奈の待つ甘い牢獄へと向かうことを止められない。
麗奈との夜は、常に官能的で、そして知的な刺激に満ちていた。
彼女は、俺の身体の隅々を知り尽くすにつれ、俺の心の内も深く探ろうとしてきた。
ある夜、事を終えた後、麗奈は俺の胸に寄りかかり、静かに尋ねた。
「ねぇ、秀樹。どうして、私に筆下ろしを懇願したの? バカにされたのが悔しかったから、だけじゃないでしょう?」
俺は、麗奈の黒髪を撫でながら、正直に答えるしかなかった。
「バカにされたのは、きっかけだよ。本当は……俺はずっと、お前が淳史と結婚した時から、嫉妬してた。お前を一番近くで独占している淳史に。俺は、お前を諦められなかった。
だから、三十路で童貞なんて、みっともないのはわかってるけど……お前に、俺の全てを塗り替えてほしかった」
麗奈は、しばらく黙っていたが、やがて顔を上げ、俺の目を見つめた。
「……バカね、秀樹。本当に」
その時、彼女の目には、冷たい探求心ではなく、一人の女性としての温かい感情が宿っているように見えた。
「あなたの純粋さは、私には眩しいわ。でもね、知ってる? 私は、もう淳史と別れたから、誰のものでもないのよ。あなたが、私を誰かの元妻として見ている限り、あなたは永遠に淳史の影から逃れられないわ」
麗奈の言葉は、俺の心を突き刺した。
そうだ。俺が罪悪感に苛まれているのは、彼女を「淳史の元妻」として扱っているからだ。
麗奈は、俺の頬にキスをし、優しく囁いた。
「秀樹。私は、あなただけの麗奈になってあげる。だから、あなたも、私をあなただけの女として、愛しなさい」
それは、麗奈から俺への、禁断の愛への、本格的な誘いだった。
俺の心は、愛と罪の間で、激しく引き裂かれていた。




