第5話 王妃の添い寝と贅沢な調度品
食と住環境。
誠一は人間にとって最も基本的な欲求を満たした。
そして夜、彼は女神が魔法で空調を整えてくれた牢屋で、冷たい石の床の上、寝返りを打っていた。空調は快適だが、硬い床は体を休めるには程遠い。
「ぐー、ぐー……」
誠一は寝息を立てる。
睡眠不足で疲労が限界に達し、あっという間に深い眠りに落ちていた。
彼は夢を見ていた。
夢の中に王妃様が現れた。
誠一は必死に、彼女のことを抱きしめようとする。
けれど、なかなか手が届かない。
「うーん……」
誠一は体を動かそうとすると、何か柔らかい感触に抱き着いていることに気づく。その温かさと、甘い香りに、誠一は安堵のため息をついた。
誠一はゆっくりと目を開ける。
彼の顔は、何か柔らかい感触に包まれている。
そして、甘い匂いがする。
誠一が抱き着いているものを確認すると、それは紛れもなく女性の胸だった。
(うおっ、おおお!!)
誠一は顔を上げる。
そこにいたのは、王妃セレニア・アストレアだった。
齢は30代半ば。
優雅で気品に満ちた絶世の美女。
柔らかな金髪を美しく結い上げている、優しく慈愛に満ちた女性である。
「なんと、美しい……」
誠一はうっとりと呟き、王妃を見つめている。
その瞳は、まるで宝石を鑑定するかのように輝いていた。
ネグリジェ姿の王妃は目を覚まし──
誠一の顔が自分の胸に埋まっていることに気づいた。
***
「きゃああああああ!!!」
王妃は誠一の顔を見て、天を衝くような悲鳴を上げた。
牢獄の冷たい空気に、その甲高い声が響き渡る。王妃の肌に、誠一の頬の感触がまだ残っているようだった。
「な、なぜわたくしがここに!?」
王妃はネグリジェ姿のまま、なぜか牢屋にいた。
誠一は夢の中で、王妃のパンツをスティールしたことを思い出す。
(ああ、そうか、俺が召喚してしまったのか……。とりあえず、これはお返ししないと)
奪ったものは、きちんと返す。
誠一は真面目な男だった。
「あの、王妃様、これを――」
王妃は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「わ、わたくしのショーツを……また、盗んだのですか!?」
「まあ、そうなんですけど……わざとではなく、無意識にですね……」
「わたくしは、王妃ですよ! なんというご無体な!」
王妃は立ち上がり、怒りと羞恥に顔を歪める。
その顔は、まるで燃える炎のように赤く染まっていた。
しかし、誠一は動じない。
彼には、アリア姫との交渉経験がある。
セレニア王妃とは、踏んできた場数が違うのだ。
「ちょっと落ち着いてください。王妃様……、大声を出すのはマズいですよ。こんなところにいることを知られてもいいんですか?」
王妃は誠一の言葉に詰まる。
彼女の視線が、薄暗い牢獄の入り口をさまよう。
「そ、それは……」
「それに、俺に抱き着いていましたよね?」
誠一がにやりと笑うと、王妃は顔を真っ赤にしながら必死に否定した。
「ち、違いますわ! わたくしが、目を覚ましたら、そこにあなたがいらしたのです。わたくし、あなたのことなんて、知りませんから!」
王妃は誠一に背を向けた。
「そうですか。それほどまでに俺はあなたに嫌われているのですね……」
誠一は傷つきやすい元ニートなので、しょんぼりと肩を落とした。その背中からは、見るからにしょんぼりとしたオーラが漂っていた。
「そ、それは……」
王妃は誠一の寂しそうな背中を見て、言い過ぎたと後悔した。彼女はパンツを盗まれてから、彼のことを密かに好ましく思っていたのだ。
「では、少し離れて過ごしましょう。もうすぐ時間ですし、王妃様は自然と寝室に帰れるはずです」
「先ほどは言い過ぎました! それに、私はあなたが寂しそうにしているのが不憫に思ってもいるのです……。だから、少しお話しするくらいなら……」
王妃の言葉に、誠一の顔ににやにやとした笑みが戻る。
「優しいですね。さすが王妃様。では遠慮なく……」
誠一は調子に乗って、王妃に抱き着こうとする。
王妃は反射的に、誠一を突き飛ばした。
彼は事を急ぎ過ぎたのだ。
「そこまでしていいとは言っていません! あっ! 何か光り出しました! もう、時間ですね! わたくしは元居た部屋に戻ります!」
王妃はそう言い残し、光に包まれて消えた。
誠一は王妃がいた場所の匂いを嗅ぐ。
彼女の甘い匂いが、まだ微かに残っている。
「いい匂いだ」
誠一はひとしきり深呼吸をしてから、また硬い床に寝転がる。
その夜、誠一は安らかな眠りについた。
***
次の日の夜、誠一は再び王妃を召喚する。
「うっ……またですか……」
王妃は誠一の前に現れると、ため息をついた。
その表情には、既に諦めが滲んでいる。
昨夜の出来事が、夢ではなかったと悟ったかのように。
「王妃様、お願いがあります」
「なんですの……」
「背中を流してくれませんか?」
「はぁ!?」
王妃は誠一の言葉に絶句した。
彼女の瞳が、驚きと困惑で大きく見開かれる。
「わ、わたくしに、そのような恥ずかしいことをさせようと!?」
「いや、女神さまが風呂場を作ってくれたんですけど、背中に手が届かないんですよ」
「そんなこと、わたくしには関係ありません!」
「そうですか……。じゃあ、諦めます」
誠一は、王妃に背中を向け、しょんぼりとした様子で風呂場に向かう。
その背中は、まるで捨てられた子犬のようだ。
王妃は誠一の背中を見つめる。
(この男、また私を呼び出すつもりね……。ここで断ったら、また何かワガママを……それに、なんだか放っておけない気持ちになるのは、なぜかしら……?)
「……待ちなさい」
王妃はそう言い残すと、誠一の後を追う。
風呂場では、誠一が湯船に浸かっていた。
湯気でぼんやりとした浴室に、誠一の裸の後ろ姿が浮かび上がる。
「貸しを作っておくのもいいでしょう。わたくしにできることでしたら、何でもいたしますわ」
王妃はそう言いながら、誠一の背中を流し始める。
温かい湯が誠一の肌を滑り、王妃の指先が優しく背中を辿る。滑らかな肌の感触。それは、普段の王族としての振る舞いからは想像もつかない、親密な触れ合いだった。
王妃の心臓が、微かに高鳴る。
「気持ちいいですね。これが人妻のテクニック」
「……お黙りなさい」
王妃は誠一の背中を流しながら、不思議な感覚に襲われていた。
なぜ、この男の世話を焼いているのか。
なぜ、こんなことをしてまで、彼のもとにいるのか。
王妃にはわからなかった。
しかし、彼のそばにいると、心が安らぐのだ。
「さあ、綺麗になりましたわ」
王妃は誠一の背中を洗い終えると、浴室から外に出た。
「ありがとうございます。王妃様」
「……いいえ」
王妃は誠一の言葉に、少しだけ微笑んだ。
その微笑みは、先ほどまでの困惑や怒りとは異なる、穏やかなものだった。
***
それから、誠一は王妃に「夜ひとりで寝るのが寂しいので添い寝をしてほしい」「硬い床は腰に悪いのでベッドがほしい」とワガママを言うようになり、王妃は文句を言いながらも結局は世話を焼いてしまうのだった。
一カ月が経過したころ、誠一の牢獄は――
王妃によって、ふかふかのベッドや絨毯、金の刺繍が施されたカーテン、そして繊細な装飾が施された読書灯など、高級な調度品が運び込まれ、牢屋は「城で最も豪華な寝室」へと変貌を遂げていた。
薄暗い石壁は柔らかな布で覆われ、足元には温かい絨毯が敷かれている。
中央に置かれた天蓋付きのベッドは、見るからに寝心地が良さそうだった。
誠一のヒモ生活は、盤石になりつつあった。
そして、彼の脳裏には、次の「計画」が浮かび始めていた……。




