第40話 迷いの森の爆音と、新たなる強敵
誠一たちが受けた依頼は「忘れ去られた古道の調査と魔物駆除」だった。
しかし、彼らは依頼とは全く関係のない、危険な「迷いの森」のど真ん中にいた。薄暗い木々の間を縫うように進む一行。足元の腐葉土は湿り気を帯び、重く湿った土の匂いが鼻腔をくすぐる。
極度の方向音痴であるリムムメイルの道案内は、今回も盛大に火を吹いていた。
「んもう! ここはどこなの!? かれこれ何時間、歩いてるのさ!」
リムムメイルは地図を逆さにしたり、空にかざしたりしながら、焦れた顔で首を傾げた。その緑色の髪が、わずかな木漏れ日に反射して揺れる。疲労で淀んだ空気の中、彼女の声だけが妙に響いた。
「……こっちが、聞きたい……」
ルーナルは、フードの奥で小さく呟いた。
彼女の顔は血の気が引いて、まるで幽霊のようだ。青白い唇が小刻みに震え、瞳の奥には諦めにも似た色が宿る。
「もう嫌ですわ! 疲れましたわ! おうちに帰りたいですわ~~!」
シルフィーネは、その場にへたり込み、子供のように泣き言を言い始めた。
光沢のあるドレスは泥と葉で汚れ、高慢なはずの表情は、もはや見る影もない。
森の奥から聞こえる小鳥のさえずりも、今の彼女にはただ耳障りなだけだろう。高慢なプライドも、この極限状態では意味をなさなかった。
森の中を歩き回っても、一向に出口は見えず、足元の草木が擦れる音だけが虚しく響く。誠一も泣きたい気分だった。
誠一が用意した携帯食料はすでになく、水もあと半分ほどしかない。
胃の腑が軋むような空腹感と、喉の渇きが彼を苛む。このままでは、本当に飢え死にしてしまうかもしれない。
脳裏に、色鮮やかな料理の幻影がちらつく。
誠一が絶望的な思考に陥りかけた、その時だった。
***
ドォォォォン!!
森の奥から、地を這うような轟音が響き渡り、それに続く悲鳴が聞こえてきた。
心臓を直接掴まれたような衝撃。その音は、疲弊しきった誠一たちの全身を震わせた。
「ぐわぁぁぁああああ!!!」
一度きりではない。
間髪入れずに連続して轟音が響き渡り、森全体が振動しているかのように感じられた。足元から伝わる微かな震えが、現実感を伴って足の裏に伝わる。
「えっ、なんだろ!? なんか、すごい音したけど!?」
リムムメイルが、驚いて身を震わせる。
その瞳は恐怖と好奇心で大きく見開かれ、暗い森の中でもきらめきを放っていた。
「……悲鳴……? 誰か、いる……?」
ルーナルは、恐怖と好奇心が混じり合ったような目で、音のする方向を見つめた。
薄暗い森の奥。何が起きているのか、誠一にはまるで想像がつかない。
だが、そこに「誰か」がいる、その事実は、わずかな希望の光となった。
「きっと、わたくしのことを助けに、アークライト家の騎士団が駆けつけたのですわ! 流石ですわ、わたくしのピンチに駆けつけたのですわ!」
三人の中で精神的に一番まいっていたシルフィーネは、現実離れした妄言を吐くまでになっていた。彼女の目が虚ろに、しかし確信に満ちた輝きを宿しているのを見て、誠一は言葉を失う。
誠一は、一瞬ためらった。
本来であれば、得体の知れない爆発音や悲鳴のする場所など、近づきたくはない。
危険な匂いが肌を刺す。
しかし、彼らは自力で、この森から抜け出せずにいる。
食料もなく、精神的にも肉体的にも限界だ。爆発音は気になるが、悲鳴は人のもの。話の通じる人間がいるかもしれない。助けを求めることもできるかもしれない。
かすかな希望が、誠一の疲弊した心に火を灯した。
「きっと、何者かが戦っているのだと思いますよ。一か八かですが……行ってみますか?」
誠一は、意を決して三人に問いかけた。
その声は、疲労のせいか、どこか掠れている。
「なんか派手な爆発音! これは行くっきゃないでしょ! もしかしたら、面白いことになってるかもだし!」
リムムメイルが、疲労を忘れたかのように目を輝かせた。
その好奇心旺盛な性格が、危機的状況でも顔を出す。まるで子供が新しいおもちゃを見つけたような熱量だ。彼女の瞳には、森の奥で繰り広げられるであろう「面白いこと」への期待が満ちている。
「……このままじゃ、どのみち死んじゃう……。行く……」
ルーナルは、諦めたような、しかし切実な声で同意した。
その言葉には、もはや生き残ることへの執着しかなかった。彼女の顔には、生気を取り戻すような、かすかな赤みが差した。
「心配ありません! 救援の騎士団ですわ! さあ、早く参りましょう、下僕!」
シルフィーネが、足取りも軽く、音のする方向へ向かい始めた。
彼女は完全に、騎士団が来たと信じ込んでいるようだ。
もはや止める術はない。その奇妙な高揚感に、誠一は一抹の不安を覚えたが、現状を打破するためには、進むしかなかった。
こうして、精神的にも肉体的にも限界に近い誠一たちは、救いを求めて、爆発音の響く森の奥へと足を踏み入れていった。
一歩ごとに、枯れ葉がカサカサと音を立てる。
森の奥深くへと誘われる、得体の知れない気配に包まれながら。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時は少し遡る。
誠一たちを追って「迷いの森」に入った冒険者たちは、五つのパーティが協力しながら森の奥を目指していた。
彼らは、誠一たちが「忘れ去られた古道」の依頼を受けたのではなく、「迷いの森で伝説の薬草採取」の依頼を受けたと完全に誤解していたのだ。
この森の奥深くには「月影草」という伝説の薬草がある。
夜の月光を浴びて淡く青白い光を放つ、幻の薬草だ。
その希少性ゆえに、高額な値で取引される薬草。だが、それは危険極まりない「迷い森」の奥深くでしか採取することはできない。
並の冒険者が足を踏み入れてしまえば、出ることすら叶わない「迷いの森」。
きっと「地下牢の剣聖」も、そこを目指しているに違いない。
冒険者たちはそう信じ込み、剣聖を引き抜くために、危険な森の奥深くへと進んでいた。
彼らの足元には、古く巨大な木の根が絡みつき、鬱蒼とした木々が頭上を覆い、太陽の光を遮っていた。薄暗い森の中、彼らの息遣いだけが響く。
そして、彼らが森の奥にたどり着くと、そこには一人の老魔導士がいた。
フードを深くかぶり顔は見えないが、しわくちゃで節くれだった手に、禍々しい輝きを放つ杖を握っている。
杖の先端からは、微かに魔力の波動が感じられ、周囲の空気を重くしている。
彼の足元には、珍しい薬草がいくつか生えており、その中には、確かに青白い光を放つ「月影草」らしきものも混じっていた。
おそらく老魔導士は「月影草」が目当てなのだろうと、冒険者たちは推測した。その薬草を採取しようとしていたところに、運悪く(あるいは運良く)冒険者たちが居合わせてしまったのだ。
老魔導士は、ゆっくりとフードを上げた。
そこから現れた顔には、長年の研究による疲労と、外界への不慣れな様子が浮かんでいる。白い髭は長く伸び、まるで年輪のように深い皺が刻まれていた。その瞳は、昏い森の闇に慣れ親しんだかのように、どこか遠くを見つめている。
「久方ぶりに、外に出てみれば……まさか、冒険者共がわしを退治に来るとは……」
老人は、冒険者たちを、自分を討伐しに来た者たちだと誤解した。
彼の正体は、魔王軍幹部、魔術師アザゼル。
彼は魔法の研究に打ち込むあまり、部屋から滅多に出ることはない引きこもり気質の魔導士で、魔王の命令ですら、無視することが多かったのだ。人間を見かけたからといって、積極的に戦うタイプではなかった。
しかし、今は研究の邪魔をされたと認識している。
彼の瞳の奥に、わずかな怒りの光が灯った。それは、まるで古びたランプに火が灯されたかのように、静かに、だが確実に輝きを増していく。
「ならば、容赦はせん……! 消え失せよ、冒険者共め!」
アザゼルは杖を構え、膨大な魔力を解放する。
大気が震え、周囲の草木がざわめいた。
杖の先端に禍々しい紫色の光が集束していく。その光は、周囲の闇を飲み込むかのように膨張し、熱を帯びていった。
冒険者たちの顔に、恐怖の色が浮かぶ。
ちゅど~~~ん!!!
一瞬にして、巨大な火柱が巻き起こる。
轟音と共に熱波が広がり、土が焦げ付く匂いが鼻を刺す。木々の葉は瞬く間に燃え尽き、黒い灰となって空へと舞い上がった。
「ぐわぁぁぁああああ!!!」
豪快な爆発音と、冒険者たちの断末魔の悲鳴が、「迷いの森」に響き渡った。
それは、誠一たちが耳にした、あの爆音と悲鳴に他ならなかった。
森の静寂を切り裂く、破壊と絶望の音。そして、その後に訪れたのは、焼け焦げた土の匂いと、耳鳴りのような静寂だけだった。




