第35話 勝利の美酒と、おっさんの嬉しい受難
冒険者ギルドのカウンター前。
リムムメイルの甲高い声が、ざわめくギルドホールに響き渡った。
「やっっった~~~!! 小金貨50枚だって! マジ、超ラッキーじゃん!」
その声に、ギルドの喧騒が一瞬ひゅっと静まり返る。
誰もが驚きに目を見張った。
【誠一と愉快な仲間たち】は、目の前の真新しい小金貨の山に言葉を失っていた。
ずっしりと重みを主張するそれは、古びた木製のカウンターの上で鈍く輝いている。まさか、薬草採取の途中で遭遇したゴブリンの群れが、これほどの金になるとは思いもしなかった。
冒険者ギルドが「ゴブリンの大規模討伐依頼」に用意した報酬は、破格の小金貨50枚。本来であれば参加パーティーの貢献度に応じて配分されるはずだったが、今回は誠一たちが単独で、しかも意図せず討伐してしまったため、彼らが報酬を総取りすることになったのだ。
この資金は、王国や商業組合、そして冒険者ギルド自身が出資しているという。
ギルドとしても、冒険者が稼いだ金をギルドや関連店で消費することを期待しているため、重要な依頼には惜しみなく金を出している。
「え、じゃあ、これでご飯食べられるってこと……?」
ルーナルが、震える声で誠一を見上げた。
その瞳には、これまでの飢えと疲労の影が薄れ、たしかに新しい希望の光が宿り始めていた。
「当然ですわ! このわたくしが所属するパーティーが、小金貨50枚ぽっちで満足するわけがありませんわ! ……ですけど、食費に困っていたのは事実ですわね」
シルフィーネは、いつもの高慢な口調を保ちつつも、最後の言葉は本音が滲み出ていた。彼女の顔に、わずかな安堵の色が浮かぶのが、誠一にははっきりと見て取れた。
「よし! じゃあ、一人小金貨10枚ずつ分け合って、残りの小金貨10枚は、みんなで豪遊しちゃおー! おじさん、異議なしだよね?」
リムムメイルが無邪気な笑顔で誠一に同意を求めてくる。
誠一に異議があるはずもなかった。
むしろ、これでようやく、彼女たちがまともな生活を送れるのだと、心の底から安堵していた。共に魔王を討伐する、得難い仲間たちだ。彼らには、ちゃんとした生活の基盤を持ってほしいと、誠一は常に願っていた。
***
その日の夜。
冒険者ギルドの食堂は、いつにも増して熱気を帯びていた。
酒と肉の焼ける香ばしい匂いが充満し、あちこちから陽気な笑い声やジョッキを打ち鳴らす豪快な音が響く。
中央の広々とした木製テーブルには、【誠一と愉快な仲間たち】の四人と、なぜか受付嬢のミリリィも加わり、食べきれないほどの豪華な食事が並べられていた。
肉汁滴るローストチキンは黄金色に輝き、表面の皮はパリッと音を立てそうに見える。色とりどりの新鮮な野菜サラダは瑞々しく、山盛りの焼きたてパンからは、香ばしい湯気が立ち上っていた。
琥珀色の果実酒は、グラスの中で光を反射し、芳醇な香りをあたりに漂わせる。
誠一たちは、冒険の成功を祝して、心ゆくまで飲み食いにいそしむ。
その顔には、満ち足りた幸福感が浮かんでいた。
「うわ~! こんな美味しい料理食べたの、ここに来て初めてだよ! こんな贅沢していいのかなぁ!」
リムムメイルが、目を輝かせながらローストチキンを頬張る。
彼女の口元には肉汁が光り、満面の笑みはまるで花が咲いたようだった。その小さな体で、次々と料理を平らげていく。
「……これは、妹に自慢できる……」
ルーナルが、口いっぱいにパンを詰め込みながら、幸せそうに呟いた。
そのフードの奥で、わずかに口元が緩んでいるのが見て取れる。小さな呟きは、誠一の胸に温かいものを広げた。
「これしきの料理、我が家のシェフの足元にも及びませんわ。……ええ、もちろん、今は、いませんけど……」
シルフィーネは、ワイングラスを優雅に傾けながら相変わらずの高慢な口調で言ったが、最後の言葉は寂しげな響きを帯びていた。
それでも、彼女の手は止まることなく、次々と料理を口に運ぶ。その姿は、まるで失われた日々を取り戻すかのようだった。
三人の少女たちがそれぞれに喜びを表現しているのを見て、誠一は「楽しそうで何よりだ」と、じんわりと思った。
彼女たちの心からの笑顔を見ていると、自分の気持ちも自然と和らぐ気がした。冒険の疲れも、日頃の苦労も、この瞬間だけは忘れ去ることができる。
その時、誠一の隣に座っていたミリリィが、にやりと笑って顔を近づけてきた。
「ちょっと、おじさん、女の子見て、何ニヤニヤしてるんですか? いやらしぃ~~~!」
ミリリィは、わざと誠一の腕に体をしなだれかからせる。
彼女の豊かな胸が、誠一の腕に柔らかく押し付けられた。
ふわりと甘い花の香りが誠一の鼻腔をくすぐる。誠一の顔が、カーッと赤くなるのが自分でも分かった。
熱い視線が集中するのを感じ、冷や汗が背中を伝う。
「ちょ、飲み過ぎですよ、ミリリィさん!」
誠一は慌てて体を離そうとするが、ミリリィはさらにぴったりと体を寄せてくる。その笑顔は悪戯っぽく、楽しんでいるのが見て取れた。
「何赤くなって、照れてんの? かわい~~! ほれほれ~~、もっとくっついちゃおっか~!」
ミリリィは調子に乗って、ますます体を密着させてきた。
ギルドのざわめきの中、周囲の冒険者たちが好奇の目を向け、クスクスと笑う声が聞こえてくる。誠一は、どうすればいいか分からず、ただ固まるしかなかった。
まさか、自分がこんな状況に陥るとは。
「ちょっと受付さん! ウチの荷物持ちを誘惑しないでください! ほら、おじさん! 口開けて、あ~ん!」
リムムメイルが対抗するように、誠一の顔に肉の塊を突き出してきた。
彼女はフォークで肉を刺し、誠一の口元まで運んでくる。
香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。誠一は言われるがままに「あ~ん」と口を開け、肉を頬張った。
口の中に濃厚な旨みが広がり、一瞬現実を忘れる。
「……浮気は、許さない……」
ルーナルが、誠一の膝の上に音もなく乗り、ぎゅっと抱き着いてきた。
その小さな体から伝わる温かさと、不思議な圧力を感じる。
そして、そのフードの奥から、ジト目でミリリィを睨みつける。その目には、独占欲とまではいかないが、可愛らしい嫉妬の色がはっきりと宿っていた。
「わたくしの胸の方が大きいですわ。わたくしの勝ちですわ!」
シルフィーネが、ミリリィの反対側から、誠一の腕に自分の胸を押し付けてきた。ふくよかな感触が誠一の腕に伝わる。
誠一を挟んで、静かなる女たちの戦いが勃発していた。
四人の女性に囲まれ、誠一は身動きが取れない。
それぞれが、誠一を独占しようとするかのように、互いを牽制し合っている。食堂の喧騒すら遠く聞こえるようだ。
***
「私が連続で放った矢が、次々とゴブリンを貫いて、それで獲物が次々と倒れていって、最高だったよね!」
リムムメイルの声が弾む。
その瞳は、まだ興奮に輝いている。
「……私の操った二十匹のゴブリンが、敵の群れを抑えて、おじさんが敵を倒す隙を作ってあげたんだ……」
ルーナルの声には、いつもの無感情さが薄れ、わずかな誇りが滲んでいた。
「わたくしの華麗な魔法が、敵の群れにとどめを刺して、すべてを焼き尽くしましたわ! わたくしがいなければ、あんなに綺麗にゴブリンは消し炭になりませんわよ!」
シルフィーネは胸を張り、得意げな表情を見せる。
その言葉には、確かな自信が宿っていた。
「ね、おじさん、今晩、私の部屋に泊まりに来る? いっぱいお話したいんだけど~」
ミリリィの甘えた声が耳元で囁かれる。
酒の匂いと、甘い香りが混じり合う。
彼女たちは、それぞれの「武勇伝」を語りながら、互いを牽制し、そして誠一にアピールする。
誠一は、その喧騒の中で、ただひたすら料理を口に運び続けた。
***
冒険者ギルドが閉店する時間が近づき、祝宴はお開きになった。
食堂の喧騒が徐々に落ち着きを取り戻していく。テーブルには空になった皿とグラスが散乱し、天井のランタンの明かりもどこか物憂げに見える。
誠一は、飲みすぎてフラフラのミリリィと、すっかり上機嫌になった少女たちを、それぞれ部屋まで送り届けることになった。
ミリリィはギルドの上階にある比較的良い部屋を借りていたが、他の三人は冒険者ギルドが格安で提供している女性用の安宿の一室だった。質素な木製の扉が、彼女たちのこれまでの慎ましい生活を物語っているようだ。
全員を送り届けた誠一は、へとへとに疲れた体を引きずりながら、王城の地下牢へと戻っていった。
石造りの通路はひんやりと冷たく、彼の熱くなった体を静かに冷ましていく。
『誠一と愉快な仲間たち』は、この成功を糧に、それぞれが休養を取り、五日後に再び集まることになっている。
誠一は、小金貨10枚と銅貨45枚が入ったずっしりとした財布を手に、満足げなため息をついた。
そして、なぜか向けられる少女たちからの好意に、満更でもない気分になっていた。地下牢の薄暗く調整された照明の中で、彼の顔に微かな笑みが浮かんでいる。




