第32話 剣聖降臨! パーティの危機を救え
森の奥へ進んだ誠一たちの目の前に、突如として巨大な崖が立ちはだかった。
切り立った灰色の岩壁が空を覆い、行く手を完全に塞ぐ。苔むした岩肌は湿気を帯び、冷たい空気が肌を刺した。
どうやら、リムムメイルの地図読み(という名の方向音痴)のせいで、盛大に道を間違えたようだ。
「うわっ、ホントだ、行き止まりじゃん!」
リムムメイルが顔を上げ、陽光を遮る崖の頂を見上げる。
誠一たちは仕方なく引き返そうと踵を返した。
その時だ。
「ギッ……ギギギッ……!」
背後から、朽ちた木々が擦れるような、不気味な鳴き声が響いた。
ゾクリと背筋が凍る。
振り返ると、そこには粗末な棍棒を構えたゴブリンが三匹、道の真ん中に立っていた。腐った草のような緑色の肌、血のように赤い瞳、そして醜悪な笑みが浮かんだ口元からは、生臭い息が漏れている。
突然の敵の出現に、誠一たちは軽いパニックに陥った。
「ゴ、ゴブリン!?」
リムムメイルが腰に下げた弓を慌てて掴む。
その手は微かに震え、弓がカタカタと音を立てる。
「ひぃ……!」
ルーナルは恐怖で全身を震わせ、深いフードをさらに顔に引き寄せた。
まるで光を拒むかのように、全身で身を守る。
「ば、化け物!?」
シルフィーネは腰を抜かしてその場にへたり込み、土埃が鮮やかなスカートに付着した。膝が震え、立ち上がれない。
幸いなことに、ゴブリンたちはすぐに襲ってくることはなく、数十歩離れた場所で様子を窺っている。
彼らの赤い瞳は獲物を前にした獣のようにギラギラと光を放っているが、なぜか一歩も動かない。まるで何かを待っているかのように、不気味な静けさが森に広がる。
「えっと、皆さん、攻撃手段はありますよね?」
誠一は今更ながら、そして当然すぎることを尋ねた。
荷物持ちの彼は、何一つ武器を携えていない。
丸腰の自分に、わずかな焦りを感じる。
「あっ、そうだね、攻撃しなくちゃ!」
リムムメイルが震える腕で弓を構え、ゴブリンの一匹に狙いを定める。
カチャリ、と矢をつがえる音が緊張感を高めた。彼女の狙いは正確だ。敵がこれ以上近づけば、最初の一匹は確実に弓矢で仕留められるだろう。
残りの敵は二匹……。
誠一は頭の中で冷静に数を数えた。
「……このあたりに死体や霊がいれば、使役できる……」
ルーナルが蚊の鳴くような、か細い声で呟いた。
その声は森の静寂に吸い込まれていく。彼女の視線が、枯れた地面を彷徨う。だが、残念ながら、周囲に使えそうな死体や霊は見当たらない。
このままでは、彼女は無力な少女に過ぎない。
「じゃあ、リムムメイルさんがゴブリンを倒せば、その死体を使えますかね?」
誠一は閃いたようにルーナルに尋ねた。
一筋の光が見えたかのように、彼女の顔にわずかな希望が宿る。
「……使える」
ルーナルが小さく頷く。
「なるほど、それなら、残る敵は一体だ!」
誠一はこのピンチを切り抜けるため、冷静に状況を分析していた。
敵と味方の戦力を把握し、勝ち筋を見つけ出そうとしているのだ。誠一は普通のおっさんだが、算数くらいはできる。
「ちょっと待って、おじさん! それって、私にかかるプレッシャー、半端ないんだけど!!」
リムムメイルが焦ったように抗議した。
その顔は、極度のプレッシャーで引きつり、額には脂汗がにじむ。しかし、誠一はその抗議を無視し、今度はシルフィーネに確認する。
「あの、大丈夫ですか? 魔法で攻撃はできますか?」
誠一に心配されたシルフィーネは、パニックのまま虚勢を張った。
その声は上ずり、顔は真っ青だ。
「もちろんですわ! こんな下等なゴブリンども、わたくしの魔法で消し炭にして差し上げますわ!」
シルフィーネは震える手で杖を構え、震える声で呪文を詠唱し始めた。
ブツブツと途切れがちな詠唱。
パニックになったまま、彼女は渾身の魔力を込めた魔法を放つ。放たれた火球は、真っ直ぐにゴブリンたちを通り過ぎ、狙いを大きく外れて後方の森に着弾した。
ドォォォン!!
地を揺るがす轟音が森に響き渡り、土煙が大きく舞い上がった。
枯葉や小石が舞い上がり、森の静寂をパラパラと騒がせる。驚いた鳥たちが、一斉に枝を蹴って空へと飛び立っていく。羽ばたく音が、轟音の余韻に重なった。
そこで誠一は違和感に気づく。
ゴブリンたちは、あれだけの爆音に微動だにせず、まだ襲ってこない。
彼らの赤い瞳は相変わらず誠一たちに向けられたままだ。
(冷静すぎるだろ、こいつら……。いやそれ以前に、いくらなんでも、動きがなさすぎる……)
誠一はそう思い、改めて周囲を見回した。
そして、森のあちこちに、隠れるようにゴブリンが潜んでいることに気づく。
木々の陰、茂みの中、朽ちた岩の裏……無数の赤い瞳が、ジッとこちらを見つめている。獲物を取り囲むように、ゆっくりと、しかし確実に包囲網が狭まっているのがわかる。
「……か、囲まれてる……!」
ルーナルが、誠一の視線を追うように、絶望的な声で呟いた。
その声は、森の奥に吸い込まれていく。
ゴブリンたちは、味方が来るのを待っていたのだ。
そして、誠一がその事実に気づくと同時だった。それまで様子を窺っていたゴブリンたちが、一斉に咆哮を上げ、襲い掛かってきた。
「ギギギッ!」「グワァァァッ!」
耳をつんざくような咆哮が森に木霊し、ゴブリンたちが土埃を巻き上げ、誠一たちに向かって突進してくる。
足元が震えるほどの地響き。
リムムメイルが咄嗟に弓を引き絞り、放たれた矢が先頭のゴブリンの眉間を正確に射抜いた。ゴブリンは甲高い悲鳴を上げて倒れ伏す。緑色の血が、乾いた土にじんわりと染み込んでいく。
「……い、一分で、使役する……」
ルーナルが震える声で誠一に告げた。
彼女の視線は、倒れたゴブリンの死体に釘付けになっている。
焦燥感がひしひしと伝わってくる。
「ええっ、そんなにかかるの!? 間に合わないって!」
リムムメイルが叫んだ。
刻一刻と迫りくるゴブリンの群れに、焦りが募る。
その顔は青ざめ、口元は震えている。
矢筒から次の矢を引き抜く手が、震えで定まらない。
「もう終わりですわ! お終いですわ! わたくし、こんな森で死にたくありませんわー!」
シルフィーネは完全にパニックに陥り、再びその場にへたり込んだ。
顔を覆い、甲高い悲鳴を上げる。
リムムメイルも顔を青ざめ、次々と迫るゴブリンに震える手で矢を放つが、その精度は明らかに落ちており、矢は明後日の方向に飛んで行った。弓を引く弦の音が、虚しく響く。
森に潜んでいた無数のゴブリンたちが、ゆっくりと、しかし確実に距離を縮めてくる。彼らは焦らず、獲物を確実に仕留めるつもりだ。
その足音と唸り声が、徐々に大きくなる。逃げ場のない状況に、誠一の背筋に冷たい汗が流れた。背中にまとわりつくような不快感が、危機感を募らせる。
「くそっ、こうなったら……!」
誠一は、最後の手段として、【スティール】を使うことにした。
(まずは、ゴブリンたちから武器を奪う。それで無力化できれば、一時的ながらも時間を稼げるはずだ!)
「スティール!」
敵の数が多い。
誠一は狙いを定めず、このあたり一帯にいるゴブリンから無作為に盗むことにした。
彼の右手が、フッと鈍い光を放つ。
その光はすぐに消えた。
「「「きゃあ!!」」」
その直後、誠一の隣にいた少女たちから、耳をつんざくような悲鳴が上がった。
誠一の右手には、なぜか三枚の可愛らしい女性用パンティーが握られていた。
白いレース、淡いピンク、そして水色の縞模様。
微かに、甘い洗剤の香りがする。
リムムメイルとルーナル、そしてシルフィーネの顔が、一瞬で真っ赤になる。湯気が出そうなほどに、怒りと恥辱に染まった顔。
(女子のパンツは嬉しいが、盗むのは今じゃないだろっ!)
誠一は自分の能力に、心の中でツッコミを入れる。
そして、彼の能力が盗んだ物は、パンツだけではなかった。
誠一の左手には、一本の刀が握られている。
鞘ごと盗めたようだ。
ずっしりと、手応えのある重さが掌に伝わる。
柄の部分のざらついた感触。
「これは、ゴブリンから盗んだ武器か……。ほかには?」
誠一は刀を握りしめ、周囲を見渡した。
しかし、それ以外に敵の武器は奪えなかったようだ。
周囲には武器らしきものは何も落ちていない。
無数のゴブリンたちは、誠一の放った光を警戒し、慎重になったようだ。
棍棒や粗末な剣を構え、じりじりと距離を詰めてくる。彼らの唸り声が、森に響き渡る。
(まだ勇者から聖剣を盗めるけど、ここを切り抜けて町に戻るまでに、また魔物に出くわすかもしれない。奥の手は残しておきたい……!)
誠一は、その最終手段を温存することに決めた。
「くっ、仕方ない。これで何とかしよう!」
誠一は手に持ったゴブリンの刀を抜き放った。
カキン、と硬質な金属音が森に響き渡る。
その音は、迫りくるゴブリンたちの足音を一時的にかき消した。それと同時に、もう一度、能力を使う。
盗む力は二つ。
彼の脳裏に魔剣士ベリアルから【スティール】した「剣術」が鮮明に蘇る。
流れるような体捌き、刀を振るう軌跡が、幻影のように脳裏を駆け巡った。
手にした刀が、まるで長年使い込んだ相棒のように馴染む。
そして、同時に王様から【スティール】した「怒りの感情」が、誠一の心に戦いを恐れぬ、圧倒的な覇気をもたらした。
背筋がシャンと伸び、全身に力が漲る。
「剣聖」誠一の降臨である。
効果時間は十分――
その間に、この無数のゴブリンたちを倒し切らなければならない。
誠一は刀を構え、迫りくるゴブリンたちを静かに待ち構えた。
その瞳からは、すでに迷いは消えている。
獲物を狙う獣のような、鋭い光が宿っていた。




