第27話 勇者、監獄ニートになる
誠一が「剣聖」としての役割を担い、冒険者ギルドへと向かっていた頃、この異世界に召喚されたもう一人の重要人物、勇者・鈴木裕也はアルカディア王城の門をくぐった。
分厚い石造りの門は、彼の焦燥を嘲笑うかのように重々しく、その足取りはどこか急いでいるようだった。
***
彼は城が魔剣士ベリアルから襲撃された日、ゴブリン退治に出ていたのだ。
一日かけて現地に赴き、土埃舞う荒野で数十匹のゴブリンを聖剣デュランダルで蹴散らした。青白い聖なる光を放つ剣が振るわれるたび、醜い緑色の肌を持つゴブリンが塵となって消える。
依頼を達成し、久々に勇者として活躍した彼は、勝利の余韻に浸りながら意気揚々とギルドに戻った。しかし、そこで耳にしたのは、彼の心をざわつかせる噂話だった。
「へえ、知ってるか? この前、魔王軍の幹部が王城に攻め込んだらしいぜ」
「ああ、聞いた聞いた! でも、それが謎の剣士に撃退されたんだろ? すげぇよな!」
「なんでも『牢獄の剣聖』って呼ばれてるらしいぜ。どうやら城の地下牢に住んでるらしい」
裕也はその話を聞いて、血の気が引くのを感じた。
『牢獄の剣聖』だと?
しかも王城の地下牢に住んでいる?
そんな怪しげな存在が、清廉なアリア姫のすぐ近くにいるなんて……。
彼の脳裏には、最悪のシナリオが鮮明に浮かび上がった。
(このままでは、アリア姫の婚約者の地位を『牢獄の剣聖』とかいう怪しい奴に奪われるかもしれない!)
そう考えた彼は、いてもたってもいられなくなった。
ゴブリン退治の報酬を受け取るのもそこそこに、王城へと急いだ。姫と直接会い、婚約の意思が揺らいでいないか、その目で確かめておかないと不安で仕方なかったのだ。
***
ようやくアリア姫との謁見にこぎ着けた裕也は、広間の中央で、意を決して切り出した。
「姫様! 魔王を倒したあかつきには、この俺と結婚する約束に変わりはないですよね? 当然、俺の嫁になってくれるんですよね!?」
裕也の言葉には、喉元までせり上がってくるような不安と、それを必死に隠そうとする焦り、そしてわずかながらの自信が入り混じっていた。
彼は、姫の答えを固唾を飲んで待った。
静まり返った謁見の間には、壁に掛けられたタペストリーの微かな揺れすらも聞こえそうなほどだった。
アリア姫は、申し訳なさそうに視線を伏せ、しかしきっぱりと宣言する。
その声は、静かな部屋に思いのほか響いた。
「申し訳ありません、勇者様。わたくしとあなたとの婚約は、とうに破棄されています。わたくしは……『牢獄の剣聖』様のことが好きになってしまったのです。あなたとは、結婚できません」
ズガーン!
裕也の頭の中に、雷鳴が轟いたかのような衝撃が走った。
彼の世界は、音を立てて崩れ落ちていく。
まさか、そんな、そんな馬鹿な話があるものか! 自分の婚約者が、たった数日で、名も知らぬ『牢獄の剣聖』なる男に心変わりしたというのか!?
彼の眼前が真っ白になり、足元がぐらついた。
***
「誰だか知らんが、アリア姫をたぶらかしやがって、許さんぞ!!」
ショックのあまり、裕也は半ば逆上した。
理性を失った彼の脳裏には、姫をたぶらかした憎き『牢獄の剣聖』を、この手でぶった切るという恐ろしい感情だけが渦巻いていた。
彼は、その憎しみを胸に、王城の地下へと続く、薄暗い石の階段を荒々しく下りていく。一歩ごとに、彼の怒りが階段に叩きつけられるようだった。
(あのおっさんが死んだ監獄で暮らしている謎の剣士――誰だか知らんが、ぶった切ってやる。姫様を返してもらうぞ!)
裕也は怒りに任せ、地下牢への階段を駆け下り、人気のない廊下を進む。
彼の革靴の足音だけが、ひんやりとした石畳に響く。
そして――
彼は、誠一が女神アクア・ディアーナに頼んで設置してあった、ごくシンプルな「転移の罠」に、ものの見事に引っかかった。
ゴオォン!
空間が歪むような鈍い音と共に、勇者・鈴木裕也の姿が、その場から掻き消えた。彼の体が不快な浮遊感に包まれ、次の瞬間、地面に足がついた。
彼が転移したのは、地上にある城の牢屋の、一つの独房の中だった。
***
「えっ? なんだ、ここは……?」
勇者は目を瞬かせ、周囲を見渡した。
薄暗い石の壁、錆びた鉄格子、そして湿った空気。どこからどう見ても、そこは牢屋だった。カビ臭いような、古びた石の匂いが鼻をつく。
「ここは、牢屋? どうなっているんだ、一体??」
裕也は困惑し、とりあえず大声で助けを求めた。
声が、石の壁に反響して響き渡る。
「誰かいますかー! 開けてくださーい!」
彼の叫び声が、牢屋の中に響き渡る。
すると、周囲の牢に入っている囚人たちから、一斉に怒鳴り声が返ってきた。
彼らの声は、寝起きで不機嫌な響きを帯びていた。
「うっせーぞ、ばか! 大声を出すな!!」
「てめえ、新入りか? 静かにしろ!」
「俺たちゃ、ゆっくり眠ってんだよ!」
囚人たちの罵声に、勇者はシュンとなった。
肩を落とし、まるで叱られた子犬のように、物音を立てないように、その部屋の薄汚れた藁の上に寝そべる。藁は湿気を含んでいて、ごわごわとした感触だった。
(く、くそ、俺は勇者だぞ……! なんでこんな目に……!)
心の中では憤慨するが、囚人たちに怒られた恐怖と、牢屋番に大声で助けを求めることへのためらいから、声を出せずにいた。
***
(見回りか食事の配給で、兵士が通るだろうから、その時に助けを求めるか……)
勇者は、寝そべったまま、次の機会を待つことにした。
彼は腰に聖剣デュランダルを装備している。
やろうと思えば、その聖剣で鉄格子を切って脱獄することなど造作もないことだった。神聖な輝きを放つ剣が、この薄暗い牢獄では異様な存在感を放っている。
だが、彼はそうしなかった。
(損害賠償を求められるかもしれないし、脱獄した囚人と間違われてしまったら、門番たちと戦闘になる……)
戦いには勝てるだろうが、警備兵に暴行を加えたとなれば、ただでは済まないだろう。この世界に召喚されて以来、面倒事ばかりに巻き込まれてきた裕也は、争い事を極力避けたかった。
(なんでか知らないけれど、いつのまにか牢屋にいたんだ。などという言い訳は通用しないだろう。なるべく穏便な形で、ここから出るべきだ)
勇者は横になったまま、いつの間にか、うとうとと眠りに落ちていた。
心地よい疲労感が、彼を深い眠りへと誘う。
その間に、ガラガラと車輪の音を立てて食事のワゴンが通り過ぎ、彼の牢にも、冷めたパンと水がそっと置かれていった。パンは硬く、水は生ぬるかった。
(しまった。言いそびれた……。まあいいか、次の機会に説明すれば……)
しかし次もタイミング悪く、勇者は食事の配給の際に寝過ごしてしまう。
いや、もはや、説明するのが面倒になっていたのかもしれない。
そうこうするうちに、勇者はここでの生活を「悪くない」と思い始めていった。
眠ってごろごろしていれば、食事は届けられる。
食費も宿賃もかからない。勇者として過剰な期待をされることもなく、かといって臆病者として嘲笑されることもない。
囚人たちは、彼に特に干渉してこない。まるで、隠居生活のようだ。湿った空気と薄暗い環境にも、彼はすっかり順応していた。
三か月後――
勇者・鈴木裕也は、すっかり立派な牢屋の囚人になっていた。
彼の顔には、どこか満足げな、そして少しばかり怠惰な表情が浮かんでいる。




