第23話 おっさんの決め台詞と絶体絶命の危機
アルカディア王城の広々とした廊下。
陽光がステンドグラスを透過し、色とりどりの光の粒となって床に散乱していた。
しかし、その輝きとは裏腹に、王の間の扉の前には重苦しい空気が澱む。
魔王軍の剣士ベリアルは、黒い外套を翻し、冷徹な眼差しで王様を射抜いていた。
王様の目の前で、ベリアルのペン先が冷たい羊皮紙に触れる寸前。
――このままでは、人間は魔族の奴隷となる。
物陰に隠れてその光景を見ていた誠一は、息を潜めた。
埃っぽい空気と、微かに漂う古書の匂いが鼻をくすぐる。彼の心臓は、まるで警鐘のようにドクドクと不規則に鳴り響いていた。
(勇者が来るまで、なんとか時間を稼ぐんだ……!)
彼は床に散らばった掃除道具の中から、藁と鶏の羽でできた、くたびれたはたきを手に取った。柄の木目が指にわずかに食い込む。その軽い感触は、先ほどまで手にあった聖剣デュランダルの重みとは比べ物にならない。
(こんな物でもないよりはマシだろう……いや、マシなのか?)
誠一は、午前中に聖剣デュランダルを【スティール】したことを激しく後悔した。
かっこいいポーズの研究のため、聖剣を盗んだ自分を叱りたくなる。
同一人物から物を盗めるのは一日に一度、十分間だけ。
今日はもう【スティール】できないのだ。
(よりによって、こんな危機的な状況で使えないなんて!)
冷や汗が背中を伝い、服に張り付くような不快感があった。だが、ここで立ち止まっているわけにはいかない。人類の未来がかかっているのだ。
(そうだ。ベリアルの持っている鉄の棒を【スティール】しよう。武器を奪っておけば、時間稼ぎもしやすくなる!)
誠一は閃いた。
彼の瞳に、かすかな希望の光が灯る。
ベリアルが手にしているのは刃のない棒だが――
そんなものでも奪っておいて損はない。
「【スティール】!」
誠一は能力を解放し、ベリアルの持つ「剣」に意識を集中させた。
しかし、彼の予想に反して、剣はピクリとも動かない。
(おかしいな?)
戸惑う誠一の全身に、熱い電流が流れるような奇妙な感覚が走った。
脳の奥深く、そして全身に、何かが急速にインストールされていく。
「ん、あれ??」
誠一は目を瞬かせた。
武器は奪えなかった。
誠一が奪ったのはベリアルの「剣術」だったのだ。彼の身体に、ベリアルが長年培い研鑽した恐るべき剣の技量が、一時的にインストールされる。それはまるで、膨大な剣の教科書が頭に丸ごと詰め込まれたような、情報過多な感覚だった。
(なんか知らんけど、すごく強くなった気がする。体が勝手に動くような……いや、気のせいか? でも、確かに、いける気がする!)
その得体の知れない自信に後押しされ、誠一は先ほどまでとは見違えるような、迷いのない足取りで、王様とベリアルの元へと進んでいく。
はたきを片手に、その背中はどこか頼もしげに見えた。
***
誠一は不平等条約締結を阻止すべく、勇んで声をかけた。緊張のせいでわずかに上ずっていたが、それでも静まり返った廊下に、はっきりと響き渡った。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか? お取込みの最中に申し訳ありません」
彼はただのおっさんだ。
喋り方はいつもの卑屈な癖が抜けず、自信なさげな響きがあった。その手には、なんの変哲もない、柄の擦り切れたはたきが握られている。
「「誠一さん!!」」
王様の隣に控えていたアリア姫とセレニア王妃が、驚きと安堵と、そして深い心配が入り混じったような声で誠一の名を呼んだ。
アリア姫の小さな顔が、不安でいっぱいに歪むのが見て取れた。
「なっ、こんなところに、に、逃げろっ、そいつは強い……!」
床に膝をつき、息も絶え絶えだったシルヴィアが、誠一の身を案じて、か細い声を振り絞った。彼女の目には、誠一を心配する色が色濃く浮かんでいる。
だが、誠一は逃げなかった。
いや、逃げられなかった、という方が正しいのかもしれない。彼の足は、なぜかその場に縫い付けられたように動かない。全身の筋肉が硬直したように感じられた。
(なんとか、勇者が来るまで足止めしてやる……! ここが、俺の見せ場だ!)
珍しく、格好いい決意が彼の胸に宿る。
はたきを握りしめた手に、わずかな力がこもった。誠一はベリアルと真正面から対峙した。冷たい石畳の廊下に、二人分の影が伸びる。
ベリアルは訝しげに誠一を見た。
彼の漆黒の視線が、はたきを握る誠一の姿を上から下まで値踏みする。まるで獲物を品定めするような、冷酷な眼差しだった。
「なんだ、貴様は?」
ベリアルは低い声で問いかけた。
その声には、わずかな苛立ちと、底知れぬ威圧感が混じっていた。
「なんだと言われてもね。……俺は、ただのおっさんですよ」
彼はそこで、ちょっとだけ悲しげな表情を作る。
「――ちょっとばかり『パンツを盗む』ことが得意なだけの、ただそれだけのおっさんです」
誠一は、まるで舞台役者のように、用意していた長文を読み上げた。
長台詞なので噛まずに言えるか不安だったが、なんとか淀みなくしゃべることができて安堵する。
その言葉は、静まり返った玉座の間に、妙にクリアに響き渡った。
ベリアルは誠一を見つめる。
彼の鋭い眼差しは、誠一の全身を貫くかのようだ。しかし、その表情の奥には微かな困惑が見て取れた。
「ただ者ではないな。――貴様」
ベリアルは誠一から剣術を盗まれている。
そのため剣の技量を失ったベリアルは、一時的に剣の素人になっていた。彼の脳裏には、はたきを構える誠一の動きが、まるで剣の極意を体現しているかのように映っていたのだ。
ただの古い「はたき」を構える誠一の姿が、ベリアルには、歴戦の剣豪が名刀を構えているように感じられる。
「面白い」
ベリアルは、そう呟いた。
その言葉と共に、手に持った鉄の棒を振りかぶった。
先ほどまでの精錬された動きとは違い、どこか不器用な、しかしそれでも素早い一撃が、誠一目掛けて放たれた。空気を切り裂く微かな音が響く。
「きゃあああああ!」
アリア姫とセレニア王妃の悲鳴が、甲高く、廊下に響き渡った。
「誠一殿、危ない!」
シルヴィアの絶叫が、こだまする。
誠一は、はたきを構えたまま、その攻撃を静かに見定めていた。
果たして、ただのおっさんは、魔王軍幹部の攻撃を防ぎ切れるのか!?




