第22話 おっさんの見栄と、ひとかけらの勇気
その日、アルカディア王国の地下深く、元牢獄だったVIPルームの朝食は、いつもより少し静かだった。
窓のない部屋には魔導ランプの柔らかな光が満ち、テーブルには焼きたてのパンとスープの湯気が微かに立ち上る。誠一はアリア姫と向かい合って食事を摂っていた。
「たまには二人での食事も悪くないな」と、彼は心の中でつぶやいた。王妃やシルヴィアも、今頃は城のどこかでそれぞれの朝食を楽しんでいるのだろう。
食後、二人はまったりと過ごした。
姫は鮮やかな挿絵の絵本をめくり、誠一はぼんやりと天井の模様を数える。やがて、アリア姫は習い事の時間となり、「また明日、伺いますわ。誠一さま!」と小さな足音を立てて自室へ帰っていった。
一人になった部屋で、誠一は寝転がって小説でも読もうかと思ったが、ふと、昨日の出来事が脳裏に蘇る。
シルヴィア、王妃、そしてアリア姫の前で聖剣デュランダルを構え、素振りを披露した時のことだ。拙い剣筋だったにもかかわらず、聖剣の神々しい威光がそれを補い、まるで熟練の剣士のように見えたのだろう。
三人の女性から称賛の言葉が贈られた。
アリア姫の宝石のようにキラキラした瞳、王妃の優雅な微笑み、そしてシルヴィアの微かに緩んだ口元。その全てが、誠一の脳裏に鮮やかに蘇る。
「ふっ、俺もまだまだイケるじゃないか」
誠一は思わず顔をニヤニヤと歪ませた。
次はもっとかっこいい姿を見せよう。
そう思った彼は、ごく自然な流れで勇者からデュランダルを【スティール】する。
空間がわずかに歪み、銀色の光が瞬くと、聖剣デュランダルが誠一の手に現れた。柄から伝わる冷たい金属の感触が心地よい。剣を手にし、彼は部屋の片隅に置かれた等身大の姿見の前へ移動した。
そして、「かっこいいポーズ」の研究を始めた。
剣を構え、腕の角度をミリ単位で微調整し、顔の向きを慎重に変える。
横顔を決め、剣先を斜め上、まるで天を指すように掲げてみる。
鏡に映る自分に満足げに頷き、誠一は心の中で呟いた。
「おっ、これは、かっこいいな。俺も毎日訓練してるし、剣の扱いも様になってきたぞ。ちょっとはシルヴィアさんの指導も役に立ってるってことかな?」
その時だった。
突然、アリア姫の焦ったようなSOSが響いた。
滅多に聞くことのない、か細い悲鳴にも似た声だ。
『せ、誠一さん、大変です! お城に魔王軍の偉い人が攻めてきました! 怖いです!』
「魔王軍の偉い人?」
誠一は知る由もなかったが、それは数日前に勇者を打ち破った魔王軍の剣士、ベリアルだ。漆黒の鎧を身につけた、彫りの深い筋肉質なイケメン。
アリア姫のSOSと同時だった。
まるで運命の悪戯のように、誠一の右手に握られていた聖剣が、キラキラと光の粒となって、跡形もなく消え去った。
ちょうど十分が経過したのだ。
聖剣は、役目を終えたかのように音もなく勇者の元へ戻っていった。
「大変なことになったぞ……」
誠一は呟いたものの、まだそれほどの危機感は持っていなかった。
この国には聖剣を携えた「勇者」がいる。
誠一が借りていた聖剣も、タイミングよく勇者の手元に戻っているはずだ。
「きっとあの若者が駆けつけて、魔王軍の偉い人を退治してくれるはずだ。俺がいなくても、大丈夫だろう」
自分に言い聞かせるように、誠一は胸をなでおろした。
しかし、姫からの切羽詰まったSOSに、彼の心は落ち着かない。
ソワソワと部屋の中を歩き回る。
「いや、さすがに姫様が困ってるのに、知らん顔はできないよな……」
***
「ちょっとだけ、様子を見に行くか……」
誠一は意を決して、重々しい牢屋の扉を開けた。
普段は固く閉ざされているその扉の向こうには、上層部へと続く石造りの階段が薄暗く伸びている。彼は一歩一歩、慎重に、しかし早く、姫と王妃がいる城の上層部へと向かった。
心臓の鼓動が、彼自身の足音のように大きく響く。
階段を上がりきると、以前お邪魔したことのある玉座の間へと向かう。
そこに広がっていたのは、誠一の予想をはるかに超える光景だった。
広々とした石造りの廊下には、無数の兵士たちが床に倒れ伏している。
彼らの鎧は歪み、盾は砕かれ、武器は散乱していた。
誰もが苦しげな呻き声を上げ、細く呼吸をしている。倒れているのは兵士ばかりではない。騎士たちも、そして文官たちも、皆、力尽きたかのように横たわっていた。
立っているのは、漆黒の鎧を身につけた一人の悪魔と、その前に立つ王様、そして数名の文官たちだけ。その中に姫と王妃の姿もあった。
戦える者は皆、床に臥せっている。
誠一が目を凝らすと、その中に、見慣れた銀色の髪と騎士の鎧が見えた。シルヴィアだ。彼女もまた、地面に膝をつき、肩で荒く息をしていた。
誠一はその姿を見て、血の気が引いたが、彼女が生きていることに安堵の息を漏らした。シルヴィアだけでなく、城の者全員が生きている。兵士たちの苦しげな呻き声が、がらんとした廊下に響いていた。
魔王マモンの狙いは人間を殺すことではない。奴隷として使役すること。この段階ではまだ、彼らは生かされていたのだ。
この惨状をもたらしたのは、紛れもない魔王軍の魔剣士、ベリアル。
見た目は筋肉質なイケメンだ。
黒の鎧には傷一つなく、まるで漆黒の彫像のようだ。
彼がどれだけ圧倒的な力で兵士たちを制圧したかを物語っていた。彼は王様の前に立ち、重々しく降伏を要求していた。
「我ら魔族の奴隷となると誓いなさい。あなた方王族だけは特別な地位を約束してあげましょう。ただし、毎月決まった数の人間の奴隷を魔王様に献上しなさい。人間を管理し、奴隷を献上する。それがこれからのあなたの仕事です」
ベリアルの声は、冷たく、感情が一切こもっていなかった。
氷のような声が、静まり返った廊下に響く。
王様の顔は、屈辱と怒りで赤く歪んでいる。
「ぐっ、ぐぬぬ……」
とんでもないことになっていた。
誠一は思わず、近くの柱の物陰に身を隠し、呼吸を潜めた。
ベリアルはこれだけの兵士と戦い、すべて倒している。
しかも、殺さないように手加減していた。彼の手に持っている武器は、刃のないただの鉄の棒でしかない。愛用の剣は背中に背負っている。
(使うまでもなかったということか。あいつが剣を取れば、どれだけ強くなるんだ? それにしても勇者はこんな時に何してるんだ?)
誠一は物陰から、はらはらしながら様子を窺っている。
彼の心臓は、警報のようにドクドクと大きく鳴り続けていた。
(ヒーローは遅れてやってくるというし、もうすぐ来るだろう。きっと、華麗に登場して、この状況を打開してくれるはずだ!)
だが、ベリアルは王様に決断を迫っていた。
王様の顔には、深い絶望の色が刻まれている。王様は悔しそうにうなずき、震える手でペンを取ろうとしている。そのペン先が、契約書に触れる寸前だった。
このままでは人類は、魔族の奴隷になってしまう。
勇者・裕也が来る気配は、まだない。
時間は、刻一刻と過ぎていく。
誠一は、このまま黙って見過ごすことはできなかった。
勇者が来るまでの時間稼ぎをするために、物陰から飛び出して、彼らの前に姿を現すことにした。
その一歩は、彼の臆病な心を振り絞った、勇気ある一歩だった。




