第14話 王様、まさかの囚人デビュー
愛人の館で自堕落な日々を過ごし、心ゆくまで羽を伸ばしきった国王が、満を持して居城へと戻ってきた。
城門をくぐるなり、いつものように王妃が待つ自室へ足を向けた王だったが、部屋はもぬけの殻。国王の眉間に深く刻まれた皺は、その不機嫌さを如実に物語っていた。
すると、生真面目を絵に描いたような文官、アルベルト・フォン・シュナイダーが、まるで十字架を背負ったかのような面持ちで進み出た。
「陛下、まことに申し上げにくいことではございますが、王妃様は…その、例の異世界人のもとへ…」
アルベルトはそれ以上言葉を続けることをためらった。
その先を口にすれば、王の逆鱗に触れることを本能的に悟っていたのだろう。しかし、すでに遅かった。王の顔色はみるみるうちに赤黒く変貌していく。
「異世界人だと!? あの地下牢の変質者のことか!?」
国王の怒号が、城の廊下を震わせた。
愛しの王妃が、よりにもよってあのパンツ泥棒の元に入り浸っているという事実に、王の理性はあっという間に蒸発し、その形跡すら残さなかった。
王が向かっている地下牢は、ただの牢屋ではない。
それは、凶悪犯を閉じ込めるための特別な牢獄。通常であれば、一度そこに放り込まれた者が生きて出てくることはまずない。
それだけに、王の怒りは募る。
さらに、あの異世界人の危険性を危惧した勇者が、食料を与えず餓死させるよう衛兵に要請していたはずだ。
「あの異世界人がまだ生きているということは、王妃が食料を与えているということ!」
王は、胸の奥底から込み上げる怒りに震えた。
これはもはや、個人的な感情のもつれではない。王妃が、王の許可なく、それどころか王の意に反して囚人に食料を与えている。
それは、この国の法に対する明白な冒涜であり、ひいては国家に対する裏切り行為に他ならない。王の脳裏に、王妃と異世界人が睦まじく言葉を交わす、想像上の光景が浮かび、さらに火に油を注いだ。
怒りに任せて、王は地下牢へと続く重厚な扉を蹴破る勢いで開け放った。
扉は軋み、鈍い音を立てて大きく開いた。
その向こうに広がるのは、薄暗く、そして湿気を帯びた石造りの階段。カビと埃の入り混じった、不快な臭いが鼻腔をくすぐる。王は一段一段、荒々しく階段を下りていく。
革靴が石段を叩く音が、静まり返った地下に響き渡る。
地階の廊下を進むにつれて、なぜかどこからか微かに、甘く芳醇な香りが漂ってくる。それは、地下牢とはおよそかけ離れた、まるで花畑にでもいるかのような錯覚を覚える香りだった。
その瞬間、王の視界がぐにゃりと歪んだ。
「む…?」
微かな目まいを感じた次の瞬間、景色は音もなく一変していた。
王の目に飛び込んできたのは、薄汚れた鉄格子。
そして向こうに広がるのは――
「ここは、牢屋…?」
王の目の前に広がっていたのは、確かに城の牢獄の一室。
鉄格子の向こうには、同じような鉄格子があり、そこには薄汚れた囚人たちが閉じ込められていた。
彼らは皆、王の突然の出現に驚き、目を丸くしている。
「なんだあんた?」「見ない顔だな、新入りか?」「いつから牢屋に入ってたんだ?」「気づかなかったぞ」
そのうちの一人が、警戒心を露わにしながら、しかし好奇心に満ちた目で王を見つめて問いかけた。
王は、自らが置かれた状況が全く理解できず、頭の中が真っ白になっていた。
「ぶっ、無礼者! 貴様、この余に向かって、何たる口の利き方か!」
王は反射的に、日頃の威厳を保とうと怒鳴った。
しかし、囚人たちは一瞬驚いたものの、すぐにニヤニヤと笑い始めた。
「何やって捕まったんだよ? あんたみたいな立派な服着てる奴なんて滅多にいねえぜ」
「なんだ、罪人なのにそんないい服着てんのか? 王様かよ! なんつってな!」
囚人たちの言葉は、図らずも的を得ていた。
彼らは目の前の男が本物の王だとは夢にも思わず、ただ単に珍しい新入りが入ってきたことに興味津々だったのだ。そんな彼らの言葉を聞いても、王の頭は混乱するばかりだった。
「まさか、ここは本当に牢屋なのか? 王であるこの私が…牢屋に入れられているというのか!?」
王は、自らの両手で鉄格子を掴み、その冷たい感触に現実を突きつけられた。
誠一が女神におねだりして設置してもらった防犯装置「転移魔法陣」に引っかかって、王様は牢屋に閉じ込められる羽目になったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方その頃…
王が激怒し、そして絶望の淵に突き落とされていることなど露ほども知らず、誠一は王妃と優雅なバスタイムを満喫していた。
湯気が立ち込める豪華な大理石の浴槽には、ふんだんに湯が張られ、浴室全体が心地よい香りに包まれていた。二人は泡まみれのタオルを手に、互いの体を丁寧に洗い合っていた。
もちろん、彼らは裸ではない。
誠一はコンプライアンスを重んじる現代社会から来た異世界人。
いつなんどき、どんな状況で訴訟に発展するか分からない。そんなリスクを回避するため、念のため水着を着用していた。
誠一は小心者なのだ。
本心ではお互いに裸で風呂に入りたかったが、それを実行する勇気がなかった。
(そんなこと言い出せば、嫌われるかもしれないし、水着でも十分眼福だし)
心の中で言い訳を並べ立てる。
王妃もまた、それに倣うように可愛らしいデザインの水着姿だ。
湯気でほんのり赤みを帯びた肌が、水着から覗くたびに誠一の目に焼き付く。
「誠一さん、背中、もう少し上を…あぁ、そこですわ、気持ち良い…」
王妃の色っぽい、しかしどこか甘えたような声が湯殿に響く。
誠一は泡のついたタオルで王妃の背中を、まるで触れるだけで壊れてしまいそうな繊細な美術品を扱うかのように、丁寧に洗っていた。
「ええ、王妃様のお背中は、まるで絹のようですね」
なんて殊勝な言葉を口にしながら、彼の内心は、そんな淑やかな言葉とは裏腹に、不謹慎な思惑で満たされていた。「やっぱ王族って肌綺麗だよな~。なんかこう、湯上がり卵肌っていうか…。温泉旅館のCMとか出れるレベルじゃね? いや、もはや女優か?」などと、ひたすらに俗っぽいことを考えていた。
洗いっこが終わると、二人はゆったりと湯船に浸かった。
熱すぎず、ぬるすぎない、絶妙な湯加減が、疲れた体を芯から癒していく。城の地下牢とは思えないほどの贅沢な湯浴みに、誠一は目を閉じ、至福の表情を浮かべた。
湯の熱と心地よさに、思わずため息が漏れる。
「はぁ~、極楽、極楽。こんな生活がずっと続けばいいのにな~」
そう呟く誠一の横で、王妃がくすくすと上品に笑う。
「ええ、私もそう思いますわ、誠一さん。あなたといると、毎日が楽しくて仕方ありませんもの」
凶悪犯を捕らえておくための地下牢――
そこでまさか、こんな優雅で、そして少しばかりいかがわしい入浴シーンが繰り広げられているとは、誰が想像できただろうか。
そして、地上の牢屋では、自らの牢屋デビューという衝撃的な事態に打ちひしがれる国王の、哀れな叫び声が、誠一に届くことなくむなしく響き渡るのだった。




