第11話 誠一と姫のお散歩デート、そしてゆるゆる警備
牢屋での生活がすっかり板についた頃――
誠一は、ふと重大な危機感に襲われた。
「まずい……このままでは、俺はこの世界でもニートになってしまうのでは……?」
王妃が運び込んだ上質な木製の椅子にふんぞり返り、誠一は腕を組んで深く唸る。もう手遅れなのだが、彼は気づいていない。
牢屋は快適だ。
三食昼寝付き、時々来る美女たちとの楽しいおしゃべり。
快適すぎて、逆に体が鈍り、思考まで停止しかけている。女騎士シルヴィアのスパルタ指導は、貴重な運動機会だが、それすらサボりたい日もある。
「そういえば俺って、異世界に来てからずっと牢屋に入れられていて、この世界の街並みすら見ていないじゃないか!」
(このままじゃ、ダメだ。快適なヒモ生活を維持するためには、適度なガス抜きと、社会勉強が必要だ)
高尚な目的を見出した誠一は、高らかに宣言した。
「よし! 外に出てみよう」
彼は立ち上がり、牢の扉を開ける。
ギィッ、と重そうな音とは裏腹に、軽く開いた。
姫や王妃や女騎士が頻繁に出入りするため、施錠はされていない。
薄暗い通路を抜け、階段を上る。
そこは王城の通路で、反対側の扉の奥には、いかにもな牢が並んでいた。向こうは集合住宅で、地下牢は一戸建てのようなもの。
どうやら誠一の住居は、特別室らしい。
「ふむ、VIPルームだったわけか。当然だな――何せ、俺は異世界人」
誠一は、誰に聞かせるでもなく得意げに鼻を鳴らした。
さて、問題は城からの脱出である。
途中、いかめしい鎧姿の衛兵に遭遇した。誠一は少しも慌てず、とっておきの「満面の営業スマイル」を顔に貼り付け、軽く会釈した。
「お疲れ様です。ちょっと、そこまで外出したいんですけど……、よろしいでしょうか? 王妃様から許可をいただいてるんですけど……一応」
「王妃様」というパワーワードに、衛兵は露骨に面倒くさがった。
(王妃様案件か……。下手に詮索して機嫌を損ねたらクビが飛ぶ。面倒ごとはごめんだ)
衛兵はどうでもいいやと言わんばかりの顔で、「ああ、いいぞ。通れ」と手を振った。門番とのやり取りも、だいたい同じだった。
城の裏門を出ると、人気のない森が広がっている。
木々のざわめき、鳥のさえずり、そして土の匂い。牢屋の管理された空気とは違う、生命力あふれる空気が誠一の肺を満たす。
「ふぅ……たまには外の空気もいいな」
大きく伸びをすると、全身の怠惰な細胞が悲鳴を上げた気がした。
「さて、人のいるところまで行くか? いや、でもなぁ……」
トラブルは御免だし、何より人と話すのはカロリーを消費する。
しかし、この日は異世界への好奇心が、彼の省エネ主義に打ち勝った。
「ちょっとだけ、城下町を覗いてみるか。美味いものがあればラッキーだ」
誠一は町の方へ歩き出す。路地を抜けると、活気あふれる城下町の広場が広がっていた。パンを焼く香ばしい匂い、焼きたてソーセージの肉汁が弾ける音、甘い菓子の悪魔的な誘惑……。
誠一は、まるで品定めをする美食家のように、その様子を遠目に眺めていた。
「へぇ、結構栄えてるじゃないか。飯も美味そうだ」
そんな思考の最中、近くの酒場から、無遠慮な会話が耳に飛び込んできた。
「なぁ、聞いたか? 『臆病者の勇者』が、また逃げ出したってよ」
「ああ、ゴブリン一匹にビビって聖剣投げ捨てて逃げたらしいぜ」
「あれじゃ魔王討伐なんて夢のまた夢だな!」
(ちょっと待ってよ。誰だって怖いものは怖いだろう。――安全なところから、好き勝手言うのは卑怯じゃないか)
一瞬だけ勇者に同情するが、すぐに思考を切り替える。
(……ん? 勇者って、俺を殴り殺そうとしたあの高校生か。まあ、あいつがどうなろうと、俺には関係ないな。それより、あの串焼きだ)
彼の関心は、完全に目の前の露店に釘付けになっていた。
よだれを垂らしながら串焼き屋に近づき、いざ注文しようとした、その時。誠一は天地がひっくり返るほどの衝撃的な事実に気づいた。
「あっ! お金……持ってないじゃん、俺……ッ!」
ヒモ生活が長すぎた。
労働の対価として貨幣を得るという、人間社会の基本原則を忘れかけていたのだ。ポケットを探っても、出てくるのは綿ぼこりのみ。
絶望の淵に立たされた誠一だったが、彼は諦めない。
困ったときには人に頼ればいい。
誠一は、躊躇なく念話を発動した。
「もしもし、姫様、少しよろしいでしょうか?」
『誠一さま!? どうかなさいましたか?』
姫の少し慌てた声が、脳内に響く。
「実は今、城下町に来ているのですが、美味しそうな串焼きを見かけまして、姫さまも召し上がりたいのではないかと……」
『まあ! 城下町ですって!? 羨ましいですわ! わたくし、お城の外に出たことがありませんの! 串焼きですか、良いですわね!』
姫は誠一の窮状など完全に忘れ、外の世界への憧れを爆発させていた。
話がまったく噛み合っていない。
「姫様も来ますか? お金があれば、一緒に買い食いできますよ」
ニート兼ヒモである誠一に、年下の女の子に奢ってもらうことへの抵抗など、一ミクロンも存在しない。
『まあ、素敵ですわ! すぐに用意いたします!』
姫の声が、かつてないほどに弾んだ。
「その際、いつものドレスではなく、目立たない格好で来てください。でないと、俺が誘拐犯に間違われる」
『では、メイド用のローブを着ますわ。これなら目立たないと思いますので!』
誠一は人目のない城裏の森に移動し、準備を整える。
「用意はよろしいですか?」
『はい、準備万端です』
「では、パンツを盗みます」
『はい、どうぞ!』
誠一は心の中でアリア姫の姿を思い浮かべ、高らかに能力を発動した。
「スティール!」
次の瞬間、メイド用のローブに身を包んだアリア姫が、彼の目の前にぽすんと現れた。
そこからは、まさに姫の独壇場だった。
姫は目をキラキラと輝かせ、珍しい食べ物や雑貨を次々と指さし、そのたびに誠一の口にも何かが放り込まれる。
誠一は、至れり尽くせりの状況で、熱々の串焼きにかぶりついた。
(うまい……! やるじゃないか、この異世界……!)
誠一が異世界の庶民の味に太鼓判を押していると――
姫がトテトテと近づいていく。
「ねえ誠一さま、あの……腕を組んで歩いても、よろしいでしょうか?」
姫が恥ずかしそうに、しかし潤んだ瞳の上目遣いで誠一を見上げる。
その頬は夕焼けのように赤い。
「お安い御用です、姫様」
誠一は満面の笑みで腕を差し出す。
二人は腕を組み、まるで恋人同士のように街を歩いた。周囲の「あの男は誰だ?」という視線など、彼には全く届いていなかった。
十分後、姫は「また誘ってくださいね!」という言葉を残し、光の粒子となって城へ転送されていった。
誠一の腕には、姫の残り香と、食べかけのクレープが残されていた。
「じゃあ、俺も帰るか」
誠一は城の裏門から悠々と帰還する。
もちろん、帰りもノーチェックだ。
自室の豪華なベッドにダイブし、満腹の腹をさすりながら、誠一はふと、ある重大な問題に思い至った。
「それにしても、この城の警備はガバガバが過ぎるのではなかろうか?」
それは、この国の未来を憂う忠誠心からでは断じてない。
純粋に、自らの生活圏の安全に対する懸念からだった。
(こんなザル警備じゃ、いつか泥棒や強盗が忍び込んでくるかもしれない……。そんなのが入ってきたら、怖いじゃないか! きっと、殺されてしまう!!)
誠一は、ベッドからガバッと起き上がった。
その瞳には、かつてないほど真剣な光が宿っていた。
これは、他人事ではない。
誠一は、自らのヒモ生活を守るため、この城の警備システム改善、すなわち「自宅警備」の強化を真剣に検討し始めるのだった。




