第10話 聖剣消失、逃げ惑う勇者と広まる悪評
地下牢では誠一が女性陣に囲まれ、まるで殿様のようなヒモ生活を満喫している。彼の口元には、王宮シェフ特製の高級チーズがかすかに付着していた。
その頃――
遠く離れた王都の片隅で、一人の若者が己の不運と無力さに頭を抱えていた。
その名は、鈴木裕也。
異世界から召喚された、この国の「勇者」だ。
だが、彼の顔は青ざめ、目の周囲にはアザが刻まれている。町のチンピラに絡まれ聖剣を抜こうとしたとき、剣が鞘ごと消えてしまったのだ。
聖剣のない勇者は、ただの高校生――
チンピラに敵うはずもなく、一方的にボコられてしまった。
***
「くっそー! またデュランダルが消えた!」
裕也は、冒険者ギルドの一角で、荒々しく机を叩いた。
その衝撃で、彼の目の前に広げられた討伐対象のオークが描かれた魔物図鑑が、バサリと音を立てる。
ギルドの受付嬢は、またかとばかりに冷たい視線を向けた。
「おい、ユウヤ。……もうこれで何回目だよ、聖剣が消えるの」
仲間の魔法使いが、額に手を当てて呆れたように声をかけた。
その声には、もはや怒りすら含まれていない。ただただ疲労困憊といった様子だ。冒険者として組んでいるが、実質、彼は裕也のお守り係と化している。
「しょうがねぇだろ! なんでか知らねぇけど、戦いの肝心なところでいつもデュランダルが消えるんだよ!」
裕也は叫んだ。
彼は真実を語っている。
しかし、誰にも信じてもらえない。
聖剣デュランダルは、装備できる者が極めて少ない伝説の武器だ。それが、よりにもよって戦闘中に、しかも定期的に消えるなど、まともな人間が信じるわけがない。
実際にその場面を目撃した冒険者仲間たちは、「聖剣から嫌われてるんじゃないか?」「勇者の資質が瞬間的になくなっているのでは?」「もう、笑うしかないな、あははっ」などと、好き放題言われている。
現場を見たことのない者の中には、「手汗がひどくて落としてるだけじゃね? 風呂に入れ、風呂に」と真顔で言ってくる者までいた。彼は、その度に顔を真っ赤にして反論するが、誰も聞いてくれない。
裕也は、生まれつき「聖剣を装備できる」という稀有な才能を持っていた。
だが、それ以外は、ごく普通の日本の男子高校生。体力もなければ、剣術の心得もない。
すべてを聖剣の性能に頼り切った戦闘をしていたのだ。
聖剣がなければ、ただの一般人である。
故郷にいた頃は、高校生でありながらバイト先でバイトリーダーのように振舞い、将来を嘱望されると思い込んでいた裕也。
勇者として女神に召喚され、チート能力(聖剣)を与えられた時には、人生イージーモードだと高をくくっていた。
しかし、誠一による定期的なスティール能力の発動により、彼の聖剣は必要な時に限って消失する。結果として、彼は何度も戦場から逃げ出し、冒険者としての評価は地に落ちていた。
「もう裕也と組むのはやめようぜ。あいつ、いざって時に武器が消えて、いつも俺らを置いて逃げ出すんだぜ。前に組んだ時なんて、魔物と鉢合わせした瞬間、聖剣が消えて『うわああああ!』って叫びながら走って逃げてったぞ」
「ああ、『臆病者の勇者』って噂、マジだったんだな。見損なったぜ」
冒険者ギルドの片隅で、裕也を指さしてひそひそ話す声が聞こえる。
彼の悪評は、もはや王国中に広まっていた。
依頼達成率は激減し、仲間は皆、彼から離れていった。裕也の周りには、閑古鳥が鳴いているどころか、蜘蛛の巣が張りかねない勢いだった。
***
裕也は最初、デュランダルが消える原因が、あの牢屋にいる得体の知れない「おっさん」ではないかと考えた。彼は一度、目の前でデュランダルをスティールされているので、瞬間的にそう思ったのだ。
しかし、すぐに「それはありえない」と否定する。
なぜなら、裕也の提案で誠一を牢にぶち込んだ時、こっそり衛兵たちに「あいつに食料と水を与えるな。死ぬまで監禁しておけ」と命令しておいたからだ。
もう、とっくに死んでいるはず。
(そう、あのおっさんは、もう死んでいる……。この世にはいないはずなんだ……)
裕也は自分の手をぎゅっと握りしめる。
冷や汗が掌を伝った。
(はっ! ……ひょっとして、悪霊になって俺の邪魔をしているのか!? アイツ、俺を逆恨みして憑りついている!?)
背筋に冷たいものが走る。
裕也は幽霊などのオカルトは信じていない。
しかし、この不可思議な現象は、そうとしか思えないのだ。
だが、お化けなんているわけがない。
理性と恐怖の間で、一人で苦悩する日々を送っていた。
彼の心の中では、科学的思考と怪奇現象が激しくぶつかり合い、最終的にはオカルトに傾きつつあった。
「くそっ……! 魔王さえ倒せば、全部終わるんだ! そしたら、姫様と結婚して、俺の悪評も全部なくなるんだ!」
裕也は、自室のベッドに寝転がり、天井を見つめて歯ぎしりした。
枕元には、アリア姫の肖像画が飾られている。アリア姫の可愛らしい笑顔を思い出しながら、「はぁ、はぁ、はぁ……、うおおおお!」と小さく叫んだ。
彼の魔王討伐への執念は、婚約者である姫との結婚という、個人的な目的によって支えられていた。
その目的のためなら、どんな困難にも立ち向かう覚悟はある。
……はずだ。
聖剣が消えるのは一日に一度、十分間だけ。
これまでの経験で、それは分かっている。
しかも、毎日消えるわけではない。
極まれに、気まぐれに消えてしまうのだ。
それがたまたま、魔物と戦う前の、あるいは戦闘の重要なタイミングで消えることが多いだけで……。
数日後、裕也は単独で魔物退治に出かけた。
森の奥深く、ゴブリンの群れに遭遇し、彼は意気揚々と聖剣を構える。
だが、今日も聖剣は消えてしまった。
彼の掌には、聖剣の重みがなく、ただ虚しい風が通り過ぎるだけだ。
ゴブリンたちは、獲物を見つけたかのようにニヤリと笑っている。
(十分間、持ちこたえれば……いや、無理だ! 聖剣がないんだ。ゴブリン相手に、時間稼ぎとかできないって!)
裕也は踵を返して、ゴブリンから一目散に逃げ出した。
その足は、かつてないほど速かった。
彼の背後からは、ゴブリンたちの嘲笑が聞こえてくるようだった。
勇者・鈴木裕也は、自身のプライドと、聖剣の消失という謎に翻弄されながら、今日もどこかで空回りし続けているのだった。
彼の冒険者としての明日は、果たして来るのだろうか。




