妻を守れない夫に嫁ぐなんて、なんて不幸な事なんでしょう。わたくしはお断り致しますわ。
バリウスは金の髪に青い瞳のそれはもう美しい王太子である。
自分に自信を持って生きてきた。
歳は17歳。婚約者候補の令嬢が二人いる。
二人の令嬢を王宮の庭に面したテラスに、一緒に呼びよせてお茶をする。
婚約者候補の二人と交流を深める茶会だ。いずれこの二人のうち一人を選んで婚約者にしようとバリウス王太子は考えていた。
どちらの家柄も名門の公爵家の令嬢である。
バリウスを挟んでお茶をするのは、一人はプリメシア・レイド公爵令嬢。銀の髪に青い瞳の深紅のドレスを着た令嬢だ。
もう一人は、アレディーヌ・サルティ公爵令嬢。
こちらは黒髪に青い瞳、ブルーのドレスに襟元に白いレースをあしらったこれまた美しい令嬢である。
二人の令嬢は対面に座り、その中央にバリウス王太子が座っているのだが。
二人の令嬢は顔を見るなり、舌戦が始まるのだ。
「あら。ご機嫌好う。プリメシア様。今日もまた、派手なドレスで。王太子殿下は派手なドレスが好きですもの。お似合いのお二人ですわ」
「あら、何をおっしゃいますのやら。アレディーヌ様。王太子殿下はシックな大人の装いがお好きと伺っております。まさに王太子殿下にふさわしいドレス。さぞかし王太子殿下もお喜びでございましょう」
「何をおっしゃっておりますのやら。王太子殿下は派手好きと知られておりますわ。深紅だなんて。王太子殿下の好みをまさに表しておいでですわ。わたくしにはとてもとても、わたくしはこんな派手なドレスなんて着る事は出来ませんから。本当にプリメシア様は王太子殿下にお似合いですわ」
「いえいえ、アレディーヌ様。王太子殿下は、空のお色がお好きだとか。まるで王太子殿下の好みを体現しているようなそのドレス。わたくしにはとてもとても、そのような気遣いは出来ません。本当にお似合いのお二人ですこと」
「そういえば、プリメシア様。王太子殿下から深紅の薔薇の花束を貰ったとか。愛されている証拠ですわね」
「何をおっしゃいますやら。アレディーヌ様。青の珍しい薔薇の花束を貰ったということを聞いておりますわ。さすが愛されておいでですわね」
バリウス王太子は頭が痛くなった。
赤の薔薇も青の薔薇も大好きだ。だからそれぞれにふさわしい薔薇の花束を贈ったまでである。
深紅のドレスも青のドレスも令嬢に似合っていれば、良いのだ。褒めもする。
しかし、この二人、王家に嫁ぎたくないようだ。
バリウス王太子は聞いてみた。
「王妃になるのがそんなに嫌なのか?」
プリメシアは扇を口元にあてて、
「王太子妃教育を受けるのは大変だと聞いております。アレディーヌ様が受ければ良いではありませんか。わたくしより優秀なのですから」
「何をおっしゃいます。プリメシア様は王立学園時、学年で一位だったではありませんか。わたくしは残念ながら二位。一位のプリメシア様にこそ王太子妃にふさわしいですわ。王太子妃も軽々とこなせるでしょう」
「何をおっしゃいます。アレディーヌ様。アレディーヌ様は手を抜いて二位になったのでしょう。なんて奥ゆかしい。わたくしは手を抜かずに頑張ってしまいましたわ。王太子妃になりましたなら、手を抜かずに輝いてもよろしくてよ」
「手なんて抜いていませんわ。わたくしは力一杯、頑張った末に二位だったのですわ。優秀なプリメシア様には勝てません。ですから、王太子殿下の婚約者はプリメシア様に決定したら如何です」
「何をおっしゃいますのやら。わたくし、ああ、ちょっと気分がすぐれなくて。眩暈がして参りましたわ。こんなに身体の弱いわたくしに王太子妃が務まるとでも?」
「ちょっと何をおっしゃっておられるのやら。わたくしも眩暈がして参りました。幼い頃からわたくし身体が弱くて弱くて。本当にか弱いんですのよ。こんな弱いわたくしに王太子妃は務まりませんわ」
バリウス王太子は二人の令嬢に、
「確かに今日は暑いな。二人とも呼び立ててすまなかった。帰っていいぞ」
「ではご機嫌好う。王太子殿下」
「失礼致しますわ」
二人の令嬢はカーテシーをすると、テラスから部屋へ入って行ってしまった。
バリウス王太子は思う。
確かにな。この王国の王太子妃教育は過酷だ。それに母であるマリー王妃は完璧主義で帝国から嫁に来ただけあって国王も頭が上がらない位、きつい女性だ。
誰も苦労する為に、王太子妃になりたい女性はいないだろう。
とある日、マリー王妃に言われた。
「バリウス。いつまで婚約者選びをしているのです。さっさと選んで命令を下せばよいのです。断ることなど出来ないでしょう。王族からの命令を。早く婚約者を決めてしまいなさい」
「でも、母上。どちらの令嬢も捨てがたく。どちらの令嬢も美しくて優秀で迷っているのです」
「逃げられたらどうするのです。ともかく、早く決めてしまいなさい。どちらも優劣つけがたいのなら、尚更です」
「解りました」
バリウス王太子が二人の令嬢のどちらにするか、決めないとと思っていた頃。
二人の令嬢は、カフェの個室で話をしていた。
アレディーヌが優雅にカップの紅茶を飲みながら、
「もう、嫌になりません?プリメシア様。王太子殿下、優柔不断で」
プリメシアもレースの手袋をした手で、カップをスプーンでかき混ぜながら、
「本当に。早くどちらかに決めてしまえば、諦めもつくというのに」
「本当に。王太子殿下と婚約なんてしたくはないのに。王族からの命令ならば、婚約するしかないですから」
「本当にそうですわね。アレディーヌ様は、お好きな方はいらっしゃるの?」
「わたくしはいないわ。ただ、わたくしがサルティ公爵家を継いで、女公爵になりたいのよ。憎たらしい義弟になんて公爵家を継がせたくないわ」
「ああ、確か養子を貰ったのよね。サルティ公爵は貴方が王太子殿下と婚約をすることを望んでいるから、遠縁から養子を貰ったって聞いているわ」
「そうなのよ。その養子の義弟が生意気で。わたくし、絶対に女公爵になるわ。だから義弟なんかに公爵家を渡したくないの」
プリメシアはアレディーヌの言葉に笑って、
「好きなんでしょう。義弟のルイードの事が」
「す、好きだなんて。そんな事ないわ。絶対にないわ」
「赤くなって。わたくしも好きな人はいるわ」
「ええ?どなたなのかしら?」
「それは‥‥‥秘密よ」
そう、わたくしが好きなのは、バリウス王太子殿下。
幼い頃から父にあの人に嫁ぐと言われて。お前は将来王妃になるのだと言われて育ってきたから。
ずっとバリウス王太子殿下の事が好き‥‥‥好きだったの。
でも、あの人は、わたくしとアレディーヌを婚約者候補にして、いまだに決めかねている。
わたくしは貴方の為なら苦労も厭わないというのに。
マリー王妃様からのきつい教育も、王太子妃教育も耐える覚悟はあると言うのに。
貴方はいまだに決めかねている。
だから、わたくしは貴方の前では、態度を冷たくするの。
王太子妃になりたくないって態度を見せるの。
貴方がわたくしを選んでくれたら、わたくしは頑張るわ。
選んでくれなかったら、わたくしは諦めるの。この恋に終止符を打つわ。
貴方はわたくしとアレディーヌ。どちらを選ぶのかしら?
バリウス王太子は二人の令嬢を再び、王宮のテラスに呼びよせた。
そして宣言する。
「長く決めかねていたが、私は決意した。アレディーヌ・サルティ公爵令嬢。そなたを私の婚約者に決定する」
アレディーヌはカーテシーをし、
「王太子命とあらば、喜んで受けさせて頂きます」
プリメシアはアレディーヌに向かって、
「おめでとうございます。アレディーヌ様。王太子妃として、末永くバリウス王太子殿下を支えて王国に幸をもたらす事を願っておりますわ」
「有難うございます。プリメシア様」
プリメシアは、心の底から悲しかった。
でも、バリウス王太子が、アレディーヌを選んだのなら仕方が無い。
プリメシアは心の中の恋を諦める事にした。
バリウス王太子がアレディーヌと婚約を結んでから三か月経った。
久しぶりに王宮の廊下でアレディーヌを見かけた。
やつれ果てて、疲れたような顔をして、
思わずプリメシアは駆け寄って。
「どこか具合でも悪いのかしら?アレディーヌ様。心配だわ」
「わたくしは大丈夫。ただ、王太子妃教育がきつくて。マリー王妃様にも未熟だと言われ続けて疲れているの。でも、わたくしは選ばれた。頑張らないと。もっと頑張らないと」
「このままでは倒れてしまうわ」
「でも、文句を王族に対しては言えないでしょう。貴方も何もしないで頂戴。あなたの家に迷惑がかかるわ」
プリメシアはレイド公爵令嬢だ。王族に文句等言おうものなら、レイド公爵家に迷惑がかかる。
それでも、プリメシアは見ていられなかった。
だから、バリウス王太子に面会を求めた。
バリウス王太子は王宮の広間で会ってくれた。
「何用だね?レイド公爵令嬢」
「このままでは倒れてしまいますわ。アレディーヌ様が。あんな青い顔をして。疲れ切って。何とか考えて下さいません?このことが不敬だと心得ております。我が公爵家には関係ないわ。わたくしが独断で王太子殿下に頼んでいるのです。このままではアレディーヌ様は倒れてしまう。どうかお願いです。教育を考え直して下さいませんか?」
バリウス王太子は首を振って、
「母上の方針だ。私は口出し出来ない」
「だったら、王妃様にわたくしを会わせて下さい」
「それは出来ぬ。母上を怒らせたら、レイド公爵家を潰すと言いかねない。公爵に不敬だと少なくとも苦情は言うだろう。レイド公爵令嬢。プリメシア、君に罰を与えろと言うだろう。だから、言えない。母上には言えない」
「でも、このままではっ」
「君は優しいな。やはり君を婚約者にしなくてよかった。苦労させるからね」
「わたくしは、優しくなんてありませんわ。王太子殿下の婚約者を嫌がっておりました」
「ああ、嫌がっていたな。君もアレディーヌも。本当はどちらも選びたくなかった。かわいそうだからな。母上の厳しい王太子妃教育に耐えなければならないから」
「だったら、アレディーヌ様をっ。王太子殿下から、どうか。お願いです。あのままではアレディーヌ様は」
「解った。私からも母上に話してみよう」
「有難うございます」
しかし、アレディーヌはとある日、王宮に通わなくなった。
ベッドから震えて出られなくなったのだ。
心配して、プリメシアはアレディーヌの所に見舞いに行った。
部屋の前で以前、話していたアレディーヌの義弟に当たるルイードが立っていて。
「義姉上が貴方に会いたいって言う物だから通した。具合が相当悪い。あまり長い時間、話をするのは無理だ」
「解っておりますわ」
部屋に入ると、毛布をかぶってアレディーヌが震えていた。
「プリメシア様。お、お願いだから逃げて」
「アレディーヌ様」
アレディーヌは毛布から顔を出して、震える手でプリメシアの手を握り締めて、
「誰も助けてくれなかった。父も王族の命だから頑張れって。王妃様に虐められて。お前はなんて駄目な女だって。わたくし、頑張ったのよ。マナーも、勉強も。寝る間も惜しんで。でも駄目だって言うの。バリウス様も守ってくれなかったわ。わ、わたくし、きっと婚約解消されるでしょう。修道院へ行かされるでしょう。こんな身体を壊した女なんて、父は必要ないって言うでしょう。ああ、どうか、プリメシア様。逃げて。わたくしが婚約を解消されたら貴方が婚約者に選ばれるわ。だったらその前に、新しい婚約者を決めて、王家から手を出されないようにしてっ。貴方の事を心配しているわ。わたくし、とても心配しているのよ」
涙がこぼれる。
こんなに痩せて。こんなに苦しんで。アレディーヌはそれでも、自分の事を心配してくれているのだ。
だから、その痩せた手を握り締めて。
「有難う。アレディーヌ様。逃げてっていうのは、王家から逃げて、婚約を別の男性と結べって事ね。解ったわ」
プリメシアはバリウス王太子殿下の事が好きだった。
でも、婚約者である女性を守る事も出来ない男なんていらない。
結婚したら、妻である女性を守る事すら出来ない夫になるだろう。
苦しむだけだ。
だったら、許されるなら他の男性と結婚したい。
実は何人か婚約を申し込まれていたプリメシア。
父レイド公爵に相談した。
「ああ、私はお前が王太子殿下の婚約者から外れてほっとしていたのにな。また、婚約者に選ばれたら厄介だ。早く婚約者を決めて縁を結んでしまおう」
同じ派閥のディテス・ハルディ公爵令息。
彼は25歳。結婚相手を探していた。
前妻とは上手く行かず、離縁していたのだ。
ハルディ公爵と、レイド公爵は仲が良かったので、話はトントン拍子に進んだ。
ディテスはというと、お茶会に母に連れられて出席した時、前の妻と一緒にいるところを見た事がある。
背の高い黒髪碧眼の美男だ。
ディテスはプリメシアに向かって、
「我がハルディ公爵家に嫁いできてくれたら心強い。君は優秀だと聞いているから。前の妻が浮気をしてね。出て行ってしまった。母とも折り合いが悪くて。どうか婚約者になって欲しい。私は君を一番に考えるよ」
そう宣言してくれた。
プリメシアの苦しみを、アレディーヌを見て感じた苦しみを知っていたらしい。
この人となら幸せになれる。
プリメシアはそう感じて、父とも相談して婚約をすることにした。
ハルディ公爵家に通って、公爵夫人とも親しくなる。
何かと、プリメシアの事をディテスは気遣ってくれた。
そして、ハルディ公爵夫人もとてもいい人で。
「わたくしも義母に苦労をしたのよ。王妃様はとても厳しい方だから貴方は王太子妃にならないで良かったわね。勿論。我が家にとっても貴方が嫁いでくれるのですもの。とても嬉しいわ」
と言ってくれた。
ディテスに向かって、
「アレディーヌ様がとても苦しんでいたのに、わたくしは助けられなかった。身体を壊すまで彼女は耐えて」
「本当に王妃様は厳しい方だからな。私は君の事を大事にするよ。女性は男性に守られるべきだ。妻は夫に守られるべきだ」
抱き締められた。
嬉しかった。
この人となら幸せになれる。
そう思った。
一月後、王宮の廊下でバリウス王太子殿下に呼び止められた。
「アレディーヌと婚約解消した。身体を壊してしまったから。私から母に言ったんだ。王太子妃教育が厳しすぎると。でも、駄目だった。君はもう婚約をしてしまったんだな」
「ええ、わたくしは婚約しましたわ。ディテス・ハルディ公爵令息と」
「考え直して貰えないだろうか。優秀な王太子妃が必要なんだ。我が王国は」
「お断りします。妻を守れない夫に嫁ぐなんて、なんて不幸な事なんでしょう。わたくしはお断り致しますわ」
「私は私なりに母上にっ」
「それでもアレディーヌ様は倒れた。修道院に行かざるを得なかった」
「彼女は駆け落ちしたそうだぞ。ルイードという義弟と共に。行方不明だ」
ルイードという義弟と共に?
ああ、アレディーヌ様はルイードの事が好きみたいだった。
どこかできっと、好きな人と幸せに過ごしているわ。
そう信じたい。
「アレディーヌ様はどこかで幸せに暮らしていますわ。貴方と婚約解消して良かったとわたくしは思っております」
「そうだな‥‥‥私は守れなかった。最低な男だ」
雨が降って来た。
肩を落として廊下を歩いて行くバリウス王太子。
彼は母に頭が上がらなかっただけだ。
かわいそうな人‥‥‥彼の婚約者になる女性が現れるのかしら。
でも、わたくしには関係ない。
わたくしはディテスと共に幸せになるわ。
王家の庭を眺めたら、以前、アレディーヌと舌戦を繰り広げたテラスが見えた。
懐かしさに涙がこぼれる。
ああ、わたくし貴方を探すわ。苦しんでいるようなら、手を差し伸べたい。
ディテスが迎えに来てくれた。
喜んで駆け寄る。
愛しい人の腕の中で、遠くへ行ってしまった友に思いを馳せるプリメシアであった。