第24章 疑わなかったものと選んだもの-4
朝の食事の席で、父と母は並んで座り、弟は乳母に抱かれていた。
父が、何気ない調子で言った。
「そろそろお前の婚姻先の話も考え始めなければな」
母は弟に布を掛け直し、頷く。
「外へ出ることになるでしょうね」
エリーマイヤは、スプーンを持ったまま止まった。
外。
その言葉だけが、遅れて胸に落ちた。
これまで、自分の未来はこの家の中にあった。
庭があり、書庫があり、窓の位置まで知っている場所。
そこで、誰かの──ジョーの隣に立つのだと、疑いもしなかった。
けれど今、両親の視線は、弟に向いている。
彼女の未来は、その輪の外側に置かれていた。
「……そうですね」
*
外に出される未来が確定して、エリーマイヤは寄宿制の花嫁学校へ入れられた。
彼女がその学校に入れられたのは、選択ではなく、処理に近かったと思う。
家にとって都合の悪くなった娘を、いちばん角の立たない形で外に出す方法。
彼女は、そこでようやく気づいた。
疑わず享受しているだけでは、未来がないことに。
自分で選び取らなければ、大人は、後から全部書き換えてしまうということに。
校舎は整っていて、教師は穏やかで、誰も彼女に冷たくはしなかった。
ここでは、感情を出す必要がないのだと、すぐに理解した。
求められているのは、考えることではなく整うこと。
正しく笑い、正しく黙り、正しい距離を保つ。
エリーマイヤはその点で、問題がなかった。
目立ちもしなければ、遅れもしない。
褒められるほどでもないが、直されることもない。
教師たちにとって、扱いやすい生徒だった。
アンナと出会ったのは、その頃だ。
彼女は、その場にいた誰よりも美しく、軽やかで、「愛する人と結ばれたいわ」と公言する、恋に恋するような令嬢だった。
男性の話題になると、アンナは冗談めかして笑い、執着を見せない。
──わたしの運命の人じゃないから。
その言葉を、エリーマイヤは何度も聞いた。
彼女自身は、運命という言葉を、使う必要がなかった。
代わりに覚えたのは、失敗しない振る舞いと、選ばれる理由の作り方。
この学校で彼女が身につけたのは、夢ではなく、期待に応える姿勢だった。
その集まりは、花嫁学校の校長が後援者への礼として毎年開く、小さな舞踏会だった。
公式の社交界ではなく、教育の一環としての、いわば練習の場。
参加している令嬢は皆、まだデビュー前の年頃で、招かれた男性も、本来は無難な顔ぶれのはずだった。
その年、近隣の駐屯地から、数名の将校が招かれていた。
戦争は終わっている。
だが、終わったあとに残るものまで、きれいに片づくわけではない。
エリーマイヤが最初に手を取られた男は、年上で、片目に眼帯をしていた。
一礼は丁寧だった。
だが、距離を詰めるのが早い。
革と金属と、ほのかに消毒薬の匂い。
音楽が始まる前、彼はわざと袖を引いた。
見ろ、と言わんばかりに、布の下で義手がはっきりと鳴った。
彼女は視線を落とした。
だが男は、動きを止めない。
わざとらしく仄めかしておいて、
「気にしなくていい」
そう嗤う。
暗く、低く濁った声だった。
「こういうの、女は苦手だろう?」
彼女は何も答えられない。
「戦争ってやつは、後から効く」
そう言いながら、男はもう一度、彼女の視界に入る位置に腕を持ってくる。
義手が、また鳴った。
音楽が始まった。
男は、踊りに慣れていなかった。
「右」
低く、切るような声。
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「右だ」
囁きだった。
足が考える前に動いた。
「次、左」
合図が増えていく。
男は、彼女の反応を見るように、わざと遅らせたり、急に指示を変えたりした。
「……問題ないな」
何が、とは言わない。
「平和なところで育つと、こういう反応が遅れなくて助かる」
冗談の調子だった。
聞く人がいれば、笑って流せる程度の言葉だ。
それでもエリーマイヤは、自分が試されていると、はっきり分かった。
踊り終えたあと、彼は一礼して離れた。
教師は微笑み、何もなかったかのように次を促した。
最初は、その男だけの問題なのだと思えた。
だが次の曲で、別の将校に手を取られた瞬間、胸の奥が冷えた。
同じ近さ、同じ距離の詰め方。
こちらに眼帯はない。
その代わり、首筋に、はっきりとした傷跡があった。
「気になる?」
小さく口を歪めて笑う。
踊り始めてすぐ、彼は、息を吹きかけるように、彼女の耳元に顔を寄せた。
ぞわりと肌が粟立った。
「平和でいいですね」
声は穏やかだ。
雑談の調子ですらある。
「こんな音楽を、毎晩聞いていられる」
彼女は返事を探したが、その前に、また言われた。
「左に行け」
命令だった。
条件反射で、身体が動いた。
男は邪気のないような顔で笑った。
「素直だ」
その一言に、背筋が凍った。
音楽が終わる頃、彼女は自分の呼吸が浅くなっているのに気づいた。
教師はまた言った。
「落ち着いて踊れていたわ」
褒め言葉だった。
その帰り道、彼女は初めて、自分がどんなふうに見られているのかをはっきり理解した。
感情をぶつけられる相手として、彼女は選ばれていた。
エリーマイヤなら、何を言っても、どんな顔を見せても、問題にならないと思われている。
それ以来、軍服を見ると、身体が先に強張るようになった。
同じ匂いを、もう一度嗅ぎたいとは、どうしても思えなかった。
*
社交界デビューは、滞りなく終わった。
エリーマイヤは失敗せず、噂にもならず、「感じのいい娘」として、ちょうど良い位置に収まった。
お披露目からまもなく、ひとりの独身令息が、アンナに関心を示していると聞いた。
爵位も家柄も申し分なく、将来も約束されている。
社交界でもっとも結婚したい殿方のひとりだといってもいい。
しかしアンナは、それをあっさり断ったという。
アンナは非常に裕福な財産家のひとり娘だが、階級はずいぶんと低い。
彼はアンナが選べる相手としては、優良中の優良。
最高の物件だったはずだ。
正直に言えば、あの紳士は、エリーマイヤが狙っていたのだ。
そんな彼女の心を知ってか知らでか、アンナはそれは綺麗に、にっこりと笑んで言った。
「だってわたし、あの方を愛していないもの」
それから間もなく、エリーマイヤの家に縁談が持ち込まれた。
花嫁学校の校長を介し、「家を任せられる娘はいないか」という、非公式な問いが、静かに行き来した末の話だ。
相手は、伯爵家。
三男だが、次期当主の座を、繰り上げ継承するらしい。
軍での経歴があり、人柄も問題ないという。
軍歴があると聞いて、一瞬ためらったが、エリーマイヤはその話を最初から断る気にはなれなかった。
恋でも、ときめきでもなかった。
だが、貴婦人として体面を保ち、家を回すということならば失敗しない、という自信があった。
それが、エリーマイヤとライナスの出会いだった。




