第23章 疑わなかったものと選んだもの-3
その次の夏は、いつもと違った。
領地へやってきたのは、ジョーだけではなかった。
ジョーの父──叔父が来たのは、昼のいちばん暑い時間。
馬車の音が中庭に響き、使用人たちが慌ただしく動き出す。
エリーマイヤは、階段の途中で立ち止まった。
叔父は、父と並んで歩いていた。
それだけのことなのに、なぜか、足が止まった。
二人は、声を潜めてもいなければ、大げさに振る舞ってもいない。
ただ、同じ歩調で、同じ方向を向いていた。
母は、別の部屋にいた。
身体を休めているのだと、誰かが言っていた。
ジョーは、少し離れたところにいた。
以前なら、エリーマイヤの存在に気づけば、すぐに視線を向けてくれたはずなのに。
その日は、父と叔父の会話の方を見ていた。
「暑いな」
叔父がそう言い、父が短くうなずく。
たったそれだけの言葉。
でも彼女には、それが何か意味があることのように聞こえた。
ジョーが、ゆっくりとこちらを振り向く。
視線が合いかけて、すぐに外れた。
「……あとで、声をかけるよ」
それだけ言って、彼は父たちの方へ歩いていった。
その背中は、いつもより少し遠かった。
エリーマイヤは、何も言われていないのに、その場を離れた。
廊下に出ると、なぜか胸が静かだった。
その知らせは、屋敷の奥から、静かに広がってきた。
誰かが走る音。
抑えた声。
いつもより早く閉まる扉。
「生まれました」
それだけで、使用人たちの動きが変わった。
彼女は、廊下に立っていた。
何をしていたわけでもない。
ただ、部屋から出てきただけ。
父が、階段を上がってくる。
その顔には、これまで見たことのない表情があった。
喜びと、安堵と、責任を果たした誇りと。
それらが、同時にそこにあった。
そのあと階段を上がってきた叔父は、父の少し後ろに立ち、短く言葉を交わす。
「無事か」
「母子ともに」
それだけで、二人はうなずき合った。
その仕草が、あまりにも自然で、エリーマイヤはなぜか目を逸らした。
「男児だ」
父が、そう言った。
誰に向けた言葉でもない。
けれど、その場にいる全員が聞いた。
叔父が、小さく息を吐いた。
それは、喜びとも残念ともつかない、ただの──確認のような頷き。
少し離れた場所に、ジョーがいた。
彼は、すぐには笑わなかった。
「……よかった」
そう言ってから、ほんの一拍遅れて、口元を緩めた。
その不自然な間を、彼女は見てしまった。
エリーマイヤは、自分がここにいる理由が分からなくなった。
呼ばれていない。
でも、追い払われてもいない。
ただ、何かが終わって、自分だけが取り残されている。
そんな感じがした。
ジョーが、こちらを見た。
視線が合う。
でも、以前のように、エリーマイヤのところへ歩いてはこない。
「……あとで」
そう言って、彼は父と叔父の方へ戻った。
その背中は、もう振り返らないかのように見えた。
あとになって知った。
その日が、「弟」の誕生日だったことを。
そして同時に。
自分が思い描いていた未来が、誰にも告げられないまま、消えた日だったことを──
*
そのあとから、ジョーは「年に二度帰ってくる人」ではなくなった。
領地を訪れても、その滞在は短く、彼は、以前ほど「ここ」に長く留まらない。
久しぶりに屋敷にやって来たジョーの背は、さらに伸びていた。
かつての兄のような人は、もう──立派に大人の男性だった。
「久しぶりだね」
そう言われて、エリーマイヤは少しだけ、言葉に詰まった。
懐かしさと、説明のつかない距離感が、同時に押し寄せたから。
その夜、彼女は思い切って尋ねた。
「……来年は、ここに来る?」
ジョーは、少しだけ間を置いた。
「どうだろう。たぶん、難しい」
理由は、聞かなかった。
聞かなくても、なんとなく分かってしまったから。
翌年、ジョーは結婚した。
幸せそうだった。
それが、何よりも答えだった。
エリーマイヤは祝福の言葉を送り、それきり、その話を口にすることはなかった。
婚約していたわけではない。
選ばれなかったのでもない。
ただ、疑わずに思い描いていた未来が消えたことが、はっきりとしただけ。
その夜、部屋に戻ってから、彼女は初めて気づいた。
ジョーは、一度も「待っていてほしい」と言わなかった。
一度も「将来」を約束しなかった。
それでもエリーマイヤは、約束された未来のように信じていた。
──それだけだった。




