第22章 疑わなかったものと選んだもの-2
風向きが変わったのは、エリーマイヤの歳が二桁に入って少ししてから。
外に出てばかりだった父が母と一緒にいることが増えたのだ。
この頃、父と母は、よく同じ部屋にいた。
どちらかが声を潜めることもなく、使用人を遠ざけることもなく、まるで最初からそうだったかのように。
午後の家族用の居間。
窓は開け放たれ、庭の緑が揺れている。
母は刺繍枠を手にしていて、父は書類を広げたまま、椅子に腰かけていた。
二人は、ときどき言葉を交わす。
それは、特別な話ではない。
天気のこと、領地のこと、一緒に出掛ける予定のこと。
ただ、それだけ。
エリーマイヤは、部屋の隅にいた。
読みかけの本を膝に置いたまま、ページをめくることもせず、二人の会話を聞いていた。
聞いてはいけない気がして、でも、耳を塞ぐ理由もなくて。
母が、ふと笑った。
声を立てるほどではない、でも、確かに幸せそうな笑いだった。
胸の奥で、何かが小さく揺れた。
母は、泣く人だった。
それが、彼女の知っている母だった。
父が顔を上げ、母の方を見て、何か言う。
そのやり取りは、穏やかで、自然で、どこにも無理がなかった。
まるで──これまでずっと、そうだったかのように。
エリーマイヤは、本を閉じた。
音を立てないように、そっと立ち上がろうとして、迷った。
ここにいていいのか、それとも、出ていくべきなのか。
誰も、何も言わない。
結局、彼女はそのまま、居間を出た。
廊下に出ても、胸がざわつく理由は分からなかった。
ただ、ここは、さっきまで知っていた場所ではない。
そんな気がした。
きっとこのとき、エリーマイヤは知らないふりをした。
彼女が信じた未来が、崩れ落ちるだなんて気づきたくなかったから。
誰も傷ついていない、誰も泣いていない、そんな穏やかな日々。
だけど、エリーマイヤの気持ちだけが、どこか落ち着かない中。
変わらず長期休暇に帰ってくるジョーと過ごす時だけが、彼女を安心させた。
エリーマイヤの目線は、とうとう彼の喉元に届くほどになった。
ジョーはもう、彼女を「小さな妹」のようには扱わなかった。
「小さな淑女」として接してくれる。
そんな少しの変化が、くすぐったくもあり、嬉しくもあった。
そんなある日の午後、彼は執事と短く言葉を交わしてから、彼女のもとへ戻ってきた。
「どうしたの?」
彼女が尋ねると、彼は首を横に振った。
「大したことじゃない。父からの手紙だ」
それ以上は言わなかった。
けれど、その声には、少しだけ硬さがあった。
庭を歩きながら、彼女は思い切って聞いた。
「叔父さまは、厳しい?」
ジョーは、少しだけ考えたあと、答えた。
「……厳しいというより、現実的だね」
そして、淡々と続ける。
「未来は決まっていない。だから、期待しすぎるなって」
彼女には、その言葉の重さが、まだよく分からなかった。
「ここにいるのは、楽しい?」
そう聞くと、彼は立ち止まり、彼女を見た。
「うん。楽しいよ」
即答だった。
けれど、そのあと、少しだけ言葉を足した。
「だからこそ、ここが約束された場所だとは思わないようにしている」
その意味を、彼女は深く考えなかった。
夜、部屋へ戻る前。
ジョーはいつものように言った。
「エリー。君は、ここにいていい。……それだけは、間違いないよ」
それは、その時点で彼が差し出せる、最大限の誠実さだった。
エリーマイヤは、その言葉を「未来への約束」だと、疑いなく受け取った。
彼が、自分自身の未来を信じきっていないなど、知る由もなかったから。




