序章 国境へ
馬車の揺れが、思考を細かく砕いていく。
舗装の粗い石畳を叩くたび、かすかな金属音が混ざった。
風は冷たく、季節の境を越えようとしていた。
カーテンの隙間から見える景色は、少しずつ荒れていく。
穀倉地帯の褪せた金色は薄れ、かわりに灰褐色の草原に石垣と、ところどころ黄色を残した灌木が風に揺れていた。
遠くに尖塔の影が霞んで見えた──国境の城塞都市。
胸の奥に沈むのは、迷いではなかった。
世界から締め出されるかもしれないという焦燥と、自身の立場を守らねばならないという冷たい確信だけ。
車内には、自分の吐息と布の擦れる音しかない。
同乗する侍女は口を閉ざし、気配を消している。
この沈黙に、エリーマイヤはすっかり慣れていた。
視線を落とすと、膝の上の手袋にわずかな皺が寄っていた。
丁寧に伸ばしても、形は完全には戻らない。
それでも、伸ばす。
──それが夫人の務めだった。
外から風が入り、薔薇の香油の香りがかすかに揺らいだ。
王都で仕立てたその香りは、甘すぎて、今はただ遠く感じる。
飾りを剥ぎ取ったような、むき出しの空気が、肌を刺した。
ここでは、何も飾る必要がない。
けれど飾り立てねばならないのが、貴族夫人として生きる者の矜持だった。
馬車が大きく揺れた。
丘を越えれば、もうすぐ目的の地。
遠くで鐘の音が鳴った。
それは歓迎の音か、それとも警鐘か。
エリーマイヤにはわからなかった。
ただひとつ──
あの都市で、自分の名がどう語られているのか。
それを確かめなければならない。




