愛されてる
「そんなにその紅茶が好きなの」
「さあな」
「さあな、って……」
「ただ喉が渇くのだ」
話の最中もほとんど指はティーカップから離れず、話の腰を折ってまでお代わりを要求し、人の分まで取っておいてさあな。はないだろう。
「はいはい。お代わりと、それからお菓子も持ってきましたよ~!」
マコが入ってくる。龍姫は口を噤んだ。
お盆にはティーポットとクッキー。注がれれば早速とばかりに龍神は口を付ける。
龍姫も自分のカップに口を付け一口含んでみる。美味しいが、普通だ。感動するほどでも、特別喉が渇くものでもない。
「ん。美味しい」
むしろクッキーの方が好みだ。
龍は間食をしないのか、あそこではお菓子の類いを見かけなかったので、久しぶりということも相まって余計に美味しく感じられた。
「ふふっ。よかった。下の子たちが作ってくれたんです。後で伝えておきますね」
マコが直接作ったわけではないらしい。クッキーを焼くほど時間を空けていたわけではないから当然か。
龍姫も機会があれば感謝しようと思った。
「それで龍神様。彼女をここに連れて来たのは……」
「ああ、そうだ」
ティーカップを口から離すが指からは離れず、龍神は続ける。
「戦龍は確かに戦いに長けているが、龍姫のような事例については前例がなく我でも知らないことが多い。
魔古龍。何かわかることがあれば教えてほしい」
「はい、わかりました」
あっさりと頷いたマコ。龍姫は佇まいを直し、背筋を伸ばす。
「では、龍姫さん」
「はい」
「服を脱いでください」
「……はい?」
そっと微笑むマコ。
「服を、脱いでください」
「……」
にこやかな顔をしているが、聞こえなかったわけじゃない。そういう意味で訊き返したのではない。
苦笑いを浮かべ、言葉に詰まる。目で龍神を示せば、あぁ。とマコは理解したようだ。
「龍神様。少々外に出ててください」
「なぜだ」
「龍姫さんが今から裸になるからです」
「何か問題か?」
「裸は見られたくないのですよ、女の子的に」
「ふむ……魔古龍ならば良いのか」
「ど、同性と異性とでは……違うでしょう」
「……ふむ」
どこか納得していない様子。
戦龍とのあれこれもあった。なぜ魔古龍に裸は見せて、自分には見せられないのか。そんな感じだ。
嫉妬の標的は性別問わず。これは嫉妬深い男だ。しかも本人は嫉妬という自覚がない。なんて質の悪い。
「この紅茶は全部飲んで良いので。外の子どもたちと遊んできてください」
「……」
それならば、まあ……といった風に、龍神はマコにお盆ごと渡されて部屋を追い出される形で出て行った。
「どんだけ紅茶が好きなんだよ」
階段を降りていく音を訊きつつ、独りごちる。
目の前でにこやかにしている魔古龍に気付き、龍姫は縮こまった。
龍神に対してタメ口でのツッコみ。不敬だとか言われるだろうか。
「あの紅茶は、初代の龍神様が好んでいた紅茶なんです」
「……へ?」
「とはいえ、あの時代、龍は空を生きていたので、茶葉の収集も容易ではありませんでした。それ抜きでも、日々神々の領土争いが勃発していたので、無理だったでしょうけど」
あはは、と笑うマコにはどこか影がある。
「あの龍神様はもう初代とは違います。同じ記憶を持っているためか多少なりとも似ていますが、年月が過ぎてあらゆる記憶といまの彼自身の感性によって、完全なる別人となっています。それでも……」
龍神への敬意がないわけじゃないと言ったのは彼女自身だ。
代替わりを経て龍神も変わったため、彼女が付き従っていた龍神と、龍姫の知る龍神とでは違うところもあるのだろう。
それでも、
「龍神様にお渡しできて、よかったです」
嘘偽りのない笑み。憑き物が取れたかのような笑み。龍姫も柔らかい表情となる。
「さて! 久しぶりの龍神様からの命ですからね! 張り切っていきますよー!」
立ち上がったマコの立って立って! に急かされて龍姫も立ち上がる。抵抗する暇もなく彼女に身体を操られて脱がされていく。
「あ、あの……服、脱がなくちゃダメなんですか?」
「別に良いんですけど」
「じゃあ……」
「この服はダメです」
「それは、なぜ……?」
「それは……ふふっ。龍姫さんが龍神様に愛されてるからです」
訳のわからない言葉で誤魔化された気がする。
この世界に来て龍神から渡された衣服。着るのも脱ぐのも面倒だが動きづらさはなく、なぜか汚れることも臭うこともなく文字通りずっと着ていた衣服。姫と呼ばれるだけあって高そうなものではあった。
衣服は何重と重なっているそれ一つのみ。下着の類いも身に着けていない。それでも胸にも股にも違和感や不便さはなかったのだ。謎のフィット感があったそれが、マコの手によって脱がされる。
「はい。良いですよ~」
胸の膨らみ二つを手で隠す龍姫。寒くはないのに、身体が震える。
マコに対する恐怖はなく、彼女が悪人だということはないのに、それでも裸というのは怖い。
心を守るための壁が肉体だとすれば、肉体を守るための壁が衣服なのだろう。たとえ薄かったとしても、布一枚だとしても、重要な壁だったのだろう。
「平気です。大丈夫ですから……手を、外してください」
龍姫は手を胸から外した。
そこにマコに対する信用とかはない。ただただ、言われたからそうしただけ。
はぁ、はぁ、と息切れする。マコがどんな顔をしているかは見えない、見ない。
ぱさっと音がした。布が落ちるような音……
「大丈夫です。ここには、あなたを傷つけようとする人はいません」
強制的に顔を上げさせられる。
マコの真剣で、それでいて温かみのある瞳。笑顔はあいつと違って、龍姫を想ってくれている。
そしてなぜか、マコも裸だった。
「な、なんで……マコさんも裸、なんですか……っ」
つい噴き出してしまった。
「裸を見られるのは恥ずかしいですからね。相手にだけ恥ずかしい思いをさせないのですよ、私は」
涙を隠すように笑う。
マコは何も言わず、背中を撫でてくれた。
「……恥ずかしいところを見せてしまいました」
お互いに衣服を身に着け、椅子に座り直したが、龍姫はまともにマコの目が見られなかった。
「それでこれ、本当に服を脱ぐ必要あったんです?」
泣いていた事実、裸や涙の一件を忘れるよう急いて話題を振る。
今ばかりはマコの笑顔も、全部わかっているような気がして恐ろしい。
「ええ。意味はありましたよ。たとえば」
すっと持ち上げたマコの手。
龍の民や神徒を見た時にあった揺らめぎ、視界の霞みが、彼女の手の平で強く発生した。
感覚としては初見だが、知識から検索するにそれが魔力と呼ばれるものなのだろう。魔力はマコの手から発射され、龍姫に襲いかかる。
「……!」
思わず目を瞑るが、痛みも衝撃もなかった。
透明な……壁? のようなものが発生している。どうやらそれが防御してくれたらしい。
すると、部屋に一つだけある丸い窓が割れた。ガラスを踏む音。外からの襲撃者は、……龍神だった。
いきなり何をするのかとマコに詰め寄る暇も、この壁に触れる暇もない。龍神は怒ったように言った。
「魔古龍。貴様」
怒りはマコに向けられているようだった。今まで見たこともない顔だ。これこそ怒っている、だろう。
ならば確かに、普段の龍神は怒っていない。
ごくりと喉が鳴る。龍姫も緊張した。
しかしさすがは古龍と言われるだけある。彼女はにこやかな笑みのままだった。
「龍神様。龍姫さんにこの服について、ちゃんと説明していないでしょう」
「いや、した」
「龍姫さん?」
「え? ……えっと」
一年間昏睡していたことを伝えられ、人間ではなくなったことを告げられ、そして汗でびっしょりな前の服の代わりに、
「これを着ろとは言われた」
龍神はほら、というように得意げな顔をする。魔古龍ははぁ、と小さく溜め息をついた。
「その服に何を仕込んでるのかは言ってないじゃないですか」
「言われてない」
魔古龍と龍姫の責めるような目を行ったり来たりする龍神。
「その服には我が術式を仕込んである。防御魔術、障壁展開だ。同時に、発生すれば我に伝わる仕組みだ」
「龍姫さんの身体を見るためには、その服が邪魔だったんです。龍神様の魔力が、龍姫さんの魔力を上書きしているので」
「ああ……なるほど」
脱げと言われた理由は納得した。
「じゃあ、龍神。いいよ。……子どもたちと遊んでて」
「……ふむ」
龍神の身体には複数人の子どもが貼り付いていた。筋肉自慢の父親が腕に子どもをぶら下げたり、足に巻き付いてお父さんの邪魔をするぞー! みたいな感じで、案外打ち解けていた。
「龍のおじちゃん。今のもう一回やってよ!」
一人の少年が首裏に座り、頭を叩くようにして要求する。それが神様だと知ったら、どう思うのだろう。
「ああ、わかった」
「ガラス、戻してくださいよー」
「ああ」
窓から出て行った龍神。子どもたちの楽しそうな悲鳴。完全なるアトラクション扱いだ。
ガラスは、時間が戻るようにして勝手に元通りになった。
「ふふふ。良いですね、龍神様が子どもたちと……そして、愛する人を見つけた……」
嬉しそうにしているところ悪いが、龍姫は言わずにはいられなかった。
「私って、……龍神に愛されているんですか?」
目を丸くパチパチと瞬きするマコ。何を言っているのと言わんばかり。
「何を言っているんですか!」
言われてしまった。
しかし何もおかしなことは言っていない。
客観的に見て、龍神に愛されているという事実は今のところない。
愛しているだとか好きだとか、恋人、夫婦らしく求められたこともないのだから。
「今までの龍神様は古龍のもとに出向くことはなかったんですよ! たとえ私のもとでも!」
「場所がわからなかったとかではなく?」
「いえいえ! 龍神様は龍の民ならお見通しです! まあ、他の古龍やそもそも龍神のことを知らない遠い地で産まれた龍は龍神様のことを信仰していないのでわかりませんけど。私は古龍でありながら、龍神様のことは信仰しています。つまり歴代の龍神様は、私のことを認知しながらずっと訪問しなかったんです。
なぜかわかりますか!?」
「……いえ、わかりません」
早口で捲し立てられ、唾が飛びそうなぐらいに迫るマコ。
「それはプライドの問題です、外聞の問題なのです! 龍神様は私に許可を与え、送り出すことまでしました。一度そうした手前、引き戻したり自ら会いに行くことができなかったのです! 龍神様が古龍に屈した、などと広まってみれば信仰が離れますから!
でも私のもとに、あの龍神様は来たのです! 七百年生きているのに、今来たのです! なぜかわかりますか!?」
「……いえ。……わかりません」
唾を受け止め、キスをされないように手で顔の前に防御を作る龍姫。
「それは……あなたのことを愛しているからですよ! あなたのためなら、プライドも外聞も要らない! と、そういうことなんですよ!」
まあ、確かにそう言われればそうかも知れないが。
「でも私、龍神に好きだとか愛しているとか、求められたこと、ないですよ?」
「……なのに、龍姫?」
「なのに、龍姫」
「なんでですか」
「なんででしょう」
字面からも、龍の姫は龍の神と対を為しているようにも感じられ、二人は夫婦関係。……と、言えなくもないが。
「あ、でも。龍神の妻ならそういう呼び名にしません?」
もっと一発でわかる、龍神妻とかそういう名前にすれば、よりわかりやすいだろう。
「それだと長いしダサいですけど、まあそうですね」
龍姫。龍の姫。龍神の姫ではないのだ。
「お二人ってどういう関係で?」
マコの中では二人は恋仲か夫婦ぐらいになっていたのだろう。改めるように問われる。
どういう関係と問われるとどういう関係なのだろう、と龍姫も悩んでしまう。
「私のしたいことをそばで見たい、その許しをくれ、とは言われた……けど」
ぱぁあ! と輝くマコのその眩しさとは何たることか。
「ほらやっぱりそうじゃないですか! 何ですか、照れ隠しですか? もうっ!」
もうっ。じゃないが。
古龍がこんな恋バナ大好きな女の子みたいな感じで良いのだろうか。
古くから生きる偉大なる龍。誰だってこう聞いたらもっと威厳がある感じを想像するだろう。
「龍神様を呼びましょうか! もう龍姫さんの身体についてはある程度わかりましたし!」
「え」
恋バナばかりかと思っていたが、やることはやるらしい。古龍なのだから当然なのか。
龍姫の中で古龍に対する認識、マコに対する認識がごちゃごちゃになりそうだ。
「龍神様ー! もう戻って良いですよー!」
外では子どもたちのえぇー! という音が何人も聞こえる。この短時間でどうやってあそこまで好かれたのだろう。
龍神も交え、マコは一つ咳払いをすると、結論を言った。
「私も、龍姫さんの状態については初めて見ました。しかし、話を訊いたことがあります」
「つまりその者は」
「ええ。彼女は龍姫さんと同じ状態になった人間のことを直接見たことがあります。彼女なら、私よりも詳しいはずです」
「して、その者は」
「氷古龍です」