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魔古龍


「ね。それって嫉妬?」


 隣を歩く龍神を見上げて言う。彼は横目だけを向けてくる。


「これが嫉妬なのか」

「いや、知らないけど」


 質問に質問で返されてしまった。龍神の気持ちを龍姫が知ることはできない。


「だとしたらおかしな話だな」

「なんで?」

「貴様を我が物扱いしているということになる」

「……」


 自分の物だと思っているから、他の人と楽しそうにしている風景に気分が良くない。それが嫉妬という感情。

 龍神の理屈はわかった。


「私は龍神の物じゃない?」

「当たり前だ」


 何を当然のことを、と龍神は返してきた。


「貴様は貴様以外誰の物でもない」


 口角が上がっていた龍姫。彼女もそのことを自覚している。心が温かくなった。


「それでどこに向かってるの?」


 山の外は極寒。一歩目で空気が肺を凍らせるがごとく。彼女はまだその大地を歩くことはできない。

 龍神の開いた空間から秘境、龍の間、龍神の帰るべき家を歩いていた。


「魔古龍のもとだ」

「魔古龍?」

「いまでこそ、龍は龍神に付き従っているが、誰も彼もそれに理解を示していたわけではない。龍神、神という体制を嫌った者は、いた。神という支配体制ができた当初はより顕著であり、神を嫌い、龍神を嫌い、そのもとから離れた龍は数名いた。

 彼らを古龍と呼ぶ」

「その古龍と魔古龍は何が違うの?」

「世界は神を選んだ。それは世が混沌を極めていたからだ。争いに争い、血で血を洗う日々が続いていた。そこで神が誕生し、秩序をもたらし民を束ね、時に盾となり剣となった」


 どれだけ前のことなのかはわからないが、やっと神らしい話、この場合は逸話と呼ぶべきか。それが訊けた。

 今の龍神は、龍姫からすれば良くて監視員。悪くてストーカーだ。


「龍神もそうだったの?」

「そうらしい」

「らしい?」

「当時の世を我は生きていない。あの時代、初代と呼ばれるべき龍神が見聞きした物事は知っている。記憶はあるため何があったのかは知ることができる。だが、初代龍神が何を思い何を感じ、なぜそのような行動を取ったのかまでは我の知れることではない。推察するのが限界だ。

 ……まあ、記憶というのも時に改竄してしまい、薄れ行くものなのだがな」


 どこか寂しそうな遠い目をする龍神。

 龍神でなくても、龍神を始めたとした大半の人が経験しているだろう。

 たとえ百年を生きたとしても、百年分の記憶というのはない。もっと簡単に言えば、一週間前の朝食昼食夕食を鮮明に語れる人はいない。

 そして、何かを思い出そうとした時、こんなだったかな……と都合よく改竄してしまうことも多々ある。

 記憶というのは、改竄してしまい、薄れ行くもの。理解も共感もできる。


「嫌な記憶ほど、忘れられないのにね」

「……ああ」


 しかしだとすると、存外神というのも人と同じ仕組みをしているのではないか。


「話を戻す。

 その混沌の時代を、群れから脱しても生きていけるほどの知恵と力を持っていたのだ。彼ら古龍にはそれぞれの強みもあった。ゆえに、戦龍や医龍、飛龍のように呼び名がある」

「それが今から会いに行く魔古龍……」

「そうだ」


 つまり古龍というのは複数名を指す言葉。神徒のようなもので、魔古龍というのは戦の龍、医の龍、みたいな個別を指す言葉ということか。


「ん? あれ、でも待って。それじゃあおかしくない?」

「何がだ」

「古龍は龍神のことを嫌ってるんでしょう? その古龍に会いに行く。……大丈夫なの?」

「魔古龍ならば、平気だ」


 白が揺蕩う回廊を歩いた先、一際強い白い光を乗り越える。


 強い風が吹き付けた。しかし温かい。心地よい爽やかな風だ。

 周囲は緑が多い。木々と芝生、小鳥やリスが駆け回っている。あの地にはない自然らしさがある。

 森だが鬱蒼とした印象はない。辺境の片田舎、落ち着いたらここに住むのも良いかもしれない。


「ん?」


 ふと視線を感じる。

 繁みの向こうでは子どもが二人、様子をうかがっている。

 あれで隠れていると思っているのだろうか、バレバレだ。そこも可愛らしい。

 龍姫が和やかに手を振れば、二人の子どもも恐る恐る肘を曲げ、手を……


「……!」

「ひぃや!」


 一人は恐怖に顔を歪め、もう一人は悲鳴を上げ、共に駆け出していった。

 龍姫も恐る恐る見上げる。無表情の龍神。怖い。


「まあ、そうだよね……」


 逃げ出すのも納得だ。

 二人は歩き出す。


「もう少し笑った方がいいよ。龍神は怖いんだから」

「……我は怖いのか」

「そうだよ怖いの」


 このやり取りも何度目か。

 龍の民は皆、赤子であっても龍神に恐れを抱くことはない。ゆえに龍神は自身が怖いという自覚がないのだろう。龍姫に何度も言われていることだが、彼には何百年と生きて無表情でも平気だった経験がある。

 龍神の表情が動くのは長いだろう。


「逆に貴様はよく笑うな」

「えー? そうかな。まあ、女の子だし?」

「その理屈はよくわからないが」


 女の子の一番の化粧は笑顔だと知らないのか。おそらく龍神はモテないのだろう。これで童貞なのだろう。龍姫に対する扱いでもわかる。女の子に対する扱いを知らないのだ。


「いつか本当の笑顔が見れれば良いが」

「……」


 つい黙ってしまった。

 それってどういう意味ー? とヘラヘラ返せば良いものを。ここで黙ってしまったら、認めたようなものだろう。

 しかし、仮にどういう意味ー? と訊き返せば、龍神はこっちの心情を無視して言葉通りに龍姫の心を抉ってくる。それがわかっていたから、黙ってしまったのだ。


「はぁーあ」


 たまに龍神はドキッとさせてくる。

 少女漫画らしいキュンとするタイプではなく、どちらかと言えばホラー的な意味でのドキッだ。

 いったい龍神には龍姫がどう見えているのか、どこまで見えているのか、どこまでバレているのか。


 そうこうしていれば目的地らしい場所に辿り着く。

 縦長の三角建物だ。二階、三階建てか。だとしても小さく見える。

 外では多くの子どもたちが遊んでいた。洗濯をしている者もいる。先ほどの二人の子ども見かけた。開けたここは敷地的に余裕があるのだから、もっと家を横に広くすれば良いのに、と思わずにはいられなかった。

 龍神の目線を追う。丸い窓は太陽の反射で見えないが、人がいることだけはわかった。


 子どもたちの間を通る。楽しそうな声は鳴りを潜め、二人の様子をうかがっている。今回ばかりは龍神が怖いのではないだろう。大人を見るのが珍しいのか、好奇心が勝っている。


 扉をノックする……前から、奥では喧しい音がした。階段を駆け下りる音だ。


「い、いたた……」


 おそらく踏み外したのだろう。どたたっ、と崩れ落ちる音もした。

 慌ただしい誰かは扉の前にいるはずなのだが、扉は開かない。

 龍神がノックした途端に、待ってましたと言わんばかりに扉が開いた。


「どうもこんにちは! お久しぶりです!」


 元気の良い女性だった。丸眼鏡を鼻に乗せ、純真無垢な瞳をしたよく言えば快活な、悪く言えば慌ただしい。そんな女性だ。桃色の髪、毛量は凄まじく床を引きずっている。これで足を滑らせたんだろうな、と龍姫は思った。


「……ん?」


 とその時、桃色の髪に紛れて明らかに意志を持って揺れているそれに気付いた。


「久しいな、魔古龍」

「余所余所しいですね、龍神様! マコと呼んでくださいよ!」

「え」


 言葉を失う龍姫。


「どうした」


 龍神と、……魔古龍? がこちらを不思議そうに見てくる。


「この人が……魔古龍?」

「はい? ええそうです! 私が魔古龍です! でも可愛くないので、マコと呼んでください!」

「……」


 どんな言葉でどんな表情をすれば良いのかわからなくなった龍姫は額を抑えた。


「どうしたんだ」

「もっとこう、邪悪な存在だと思っていたのに……」


 肩透かしを食らった龍姫は何とか振り絞る。

 龍神のもとを離れた古龍。敵対するぐらいの勢いは考えていた。


『グワハッハッハッ! 人間喰う!』


 みたいな魔王をイメージしていたのだが……普通に普通の人っぽいのだ。


「あははっ。それは龍神様の言い方が悪いかもですね」


 階段を上がりながら、龍姫がどんな心構えをしていたのか、龍神がどう古龍について語ったのか言うと、魔古龍、マコは笑いながら龍神を非難した。

 肘で龍神を突きながら、やはり彼女は他の龍の民とは違うな、と確信する。

 彼らは間違っても龍神を悪いとは言わない。たとえ間違っていても、悪くても、龍神の言うことならば正しいと言う。黒くても白になるのだ。

 そういうと絶対的な服従、盲目信者のように聞こえるかも知れないが、事実龍神は正しい。そこがまた質が悪いのだ。


「事実を言ったまでのはずだが」

「まあ、そうですね。龍神様の言ったことは事実ですけど、言ってないこともあるのでは?」

「……?」

「あ、ありがとう~」


 一人の少女がお茶を持って来てくれた。龍姫も会釈して受け取る。彼女は引きずるような毛量ではないし、尻尾もない。


「他の古龍は……まあ、自ら龍神様のもとを離れたわけですけど。別に龍神様自体を嫌っていたわけでもないですし、龍そのものを嫌っているわけでもないんですよ」


 どういうこと、とじろりと目を向ける。龍神は気付いていないのか無視なのか、紅茶を啜った。


「自ら離れた……あなたは違うんですか?」

「はい。私は当時、あの時の龍神様からの命を受けて、古龍の皆さんのところに向かったんです。龍神様本人が行ったら話を訊いてくれないだろうから、と。それで私は、どうか戻ってきてくれないか、と龍神様の言葉を伝えたんですが……」

「逆にこやつは、古龍と共にすることを決めたのだ」

「えっ!?」


 それは裏切りなのではないか、とマコに目をやる。


「……てへっ」


 彼女は否定することなく、自分の頭を小突いた。


「え。龍神は……当時の龍神は、それを許したの?」

「ああ。だからマコはこうして生きている」

「あの頃はいろいろありましたからねぇ。いきなりあなた方の神様です、と言われても、はいそうですか、とはなりませんから。私たち龍は龍なりに長を決めていたのに、……龍神は彼を殺してその座に座ったわけですから」


 マコは昔を思い出し、嫌な出来事だったとばかりに溜め息をつく。

 龍神はまたしてもうんともすんとも言わず、龍姫の視線を無視して紅茶を啜る。


「でも別にそのことについてとやかく言うつもりはないんです。お互い合意のもとで、勝った者の方に龍はついていく、勝った者は負けた者の意志も引き継ぐ、と確約があったので。龍神様は実際、私たち龍のことを第一に考えてくれていましたから」


 そうならばそうと龍神も言えば良いのに、と責めるようにするが、彼が口を開く時とは紅茶を飲む時だけらしい。


「じゃあ、なんで古龍たちは……離れていったんですか?」

 

 確約があるのならば、従うはずなのではないか。そう尋ねる。

 マコは寂しそうに、笑った。


「龍を統べていた長、負けた龍王の側近は納得できなかったんです」

「我ら龍は聡明であり理屈で動くが、それでも感情がないわけではない」


 やっとしゃべったと思えばそれだ。

 マコは頷く。


「だけど龍神に歯向かうのも正しいこととは言えない。だから立ち去ることにした。それが一人目」

「前例ができれば、次も流れやすい」

「はい。二人目は神徒にさせられることを嫌がって。三人目は自分の存在意義を見失いかけて。四人目は強制されたくなくて。そして五人目が、はい。私です。あと二人ほど続きますが、訊きます?」


 答えの代わりに、こう問う。


「なんでマコさんは……龍神を裏切るような形になってまで、古龍になったんです?」


 すると彼女はふっと笑った。


「龍神様も龍神様で悩んでらっしゃいました。彼もいきなり神と言われて、動揺している節はあったのでしょう。龍王を殺すことのほどだったのか、彼が生きていた方が良かったのでは。そう思うことは何度かあったようで……そこに抜けていく古龍たち。

 彼ら彼女らはあの世を生きていけるだけの強さがあり、また人望もありましたから……龍神にとっては痛手でした。

 彼はあの時、古龍を説得するよう命を下した時、こうも言いました。その目で、心で、真偽を確かめてきて欲しい。もしも彼らが自由に生き、心から楽しんでいるのであれば、もう何も言うまい。と」


 彼女、マコが龍の民を抜け、古龍となったのは、彼らが本当に自由だったから、なのだろうか。


「私は見事に感化されてしまい、みんな楽しそうで良いなと思ったので。龍神様の命で動いていても文句は言われず、二足の草鞋で働いていたのですが……龍神様が、どちらかを選べと後押しをしてくださって。

 そんな経緯があるので、別に私は龍神様を嫌っているわけでないのです!」


 ないのです! と明るく言うようなことではない気がするが。


「ここにいる子どもたちはみんな……龍? の子で?」

「いえいえ。彼らは普通に、人間の子でもあれば、獣人の子でもありますし、もちろん龍の子でもあります。さしずめ異種族孤児院ってところでしょうか」

「なんでそんなことを?」

「なんで? だって、みんな楽しい方が良いじゃないですか!」


 魔古龍の根底には、一本の芯があるようだ。

 楽しくあること。

 そこには自分ももちろん含まれるが、他者が楽しいかどうかも重要なようだ。


「この紅茶、もう一杯あるか」

「はいはい! いくらでもありますよー!」


 ばんっと扉を開け、どたどたと階段を降りていくマコ。開ききった扉、階下からはがちゃがちゃとうるさいが、まあともかく。


「もっと情緒とかないの」

「? 何がだ」

「……はぁ」


 マコから大切な話を訊かされたはずなのに、龍神はひたすら紅茶を飲んでいた。

 しかも話が終わって開口一番がお代わりの要求とは。

 感動シーンで龍神は無粋なことを言うタイプなのだろう。


 額を抑える。


 ああ、龍神としての記憶がうんたらかんたらとか言っていたな。それならば彼にとっては今の話も自身にある記憶が語られているだけなのか。

 いやしかし、記憶はあれど感情を知ることはないとも言っていた。今の話を訊いて、彼自身どう思ったのか。


「何?」


 横目で見やれば龍神はただ一点、あるものを見ていた。


「飲まないのかと思ってな」

「いいよ。飲んで」

「助かる」


 龍姫の分の紅茶を龍神は飲み始めた。まだ龍姫は一口しか飲んでいない。間接キスになっていることも気付いていないのか、童貞とはいえその程度で慌てるほどではないのか。

 まあ、そもそも龍神が慌ててもあまり気付けないのだが。

 彼について悩んでいること自体、バカらしくなった。

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