答えたくないこともある
体調が万全となってから、早一ヶ月が経った。
「……うぅん」
いつも通り昼食のため、食堂に着いていた彼女は唸る。
部屋の外は傾斜となっていた。右が上、左が下。降りていく道中にも洞穴の入り口のような穴がいくつかあり、そこが龍の民の個人部屋となっているらしい。
ぱっと見、龍神(今は少女も住んでいる)部屋と他の部屋に違いは見えない。中まで入ったことはないが、龍神の部屋も特別感は見当たらない。
傾斜を下った先は広場となっている。食事ができる店があったり、賭け事をしていたり、演劇のようなものをしていたり。行ったことはないが続く穴の先には子どもに授業をするための教室や、鍛えるための訓練場もあったりするらしい。
「……はぁあ」
再度唸り、頭を抱え、空を見上げる。天井は硬い岩。
洞窟だと思っていたここは山の中らしい。太陽というものを拝めたことはない。
山の中をドリルでくり抜いたような光景。段差のない螺旋階段、渦巻いている。
「ど、どうされました……か?」
オドオドとした様子で、医龍が声を掛けてくる。龍神の神徒? らしいが、ファンタジーに明るい方ではないので神徒がどういった存在なのかはイマイチわからない。
ただ、他の龍の民が龍神に次いで敬っているのは明らかなので、特別な存在であるだろうことはわかっている。
「いや……いろいろ溜まってて」
「溜まってて……?」
「あ、そういうんじゃない。違う。……たぶん」
自分の身に何が起こったかは訊いた。
龍神と医龍から話を訊く限り、この身体は魔力への適応力がないらしい。そのため、魔力を排出することも中和することもできず、蝕まれて昏睡状態に陥った。
魔人化の一歩手前まで進んだ。もう人間ではない中途半端な存在。……これは龍神の言葉だ。
やっぱり理解はできない。魔人とはなんぞや。人間ではないと言われても……これと言って変化は感じられない。
時折視界が霞むぐらいか。
「ストレス? かな。自分でもよくわかってないけど」
溜まっている、が魔力ではないことを伝えるように、彼女は説明する。
龍神の次に医龍とは長く接している。龍神の命でもあるが、彼女自身この特異な身体、症状について興味を示しているらしい。
医龍は納得したように頷く。
「あ、ああ……そ、そうですよね。一人の時間がない、というのは、いろいろ窮屈です……す、すみません」
「あ、ううん。良いの。医龍さんには、居てもらって助かってるから」
自己肯定感が低いのか、卑下することが多い医龍。慌てて否定した。
「どちらかというと、離れてほしいのは龍神」
同性でもある医龍、龍神と違ってまだ人情味を感じられる医龍とは接していて楽だし落ち着ける。
しかし龍神は相変わらず何を考えているかわからないし、視線を感じると大抵龍神がこちらを見ているのだ。睨みにも思えるし、不機嫌にも思えるし、表情筋をもっと動かしてくれればまだマシなのだが。
「極めつけは、……寝るのも一緒だからなぁ」
部屋がないので彼女は最初の通り龍神の部屋で眠っている。
それはしょうがない。ちゃんとしたベッドが用意されていることには感謝しよう。
ただし外を歩いていても隣にいて、眠る時も隣のベッドにいて、自分よりも遅く眠るくせに自分よりも早くに目覚めているのは、もはや監視されていると言っても過言ではないのだろうか。
「ストレスの原因として最も可能性が高いのは、龍神だよ」
「あ、あはは……」
医龍はそのことについて何も言わず、苦笑いで過ごした。
日本人だからかさほど信仰という概念がよくわからない。何かあれば神様お願いと縋ったことはあるが、神の存在は信じていない。矛盾のような考え方ではあるが、大半の日本人がこうだろう。
まあ、もしも生まれて物心つく前から身近に神が人の形をして、そういう教育をされていれば、崇めるかも知れないが。
「何を話していた」
三人分の料理を持って来た龍神が席に着く。
「も、申し訳ありません龍神様。龍神様に持って来させるなど」
「良いんだよ。私がそう言ったんだから」
「ああ。彼女がそう言ったのだ」
龍神と二人きりにされても気まずいので、行けと彼女が言ったのだ。
まあ、実際はそんな命令口調ではないが。
というかこのやり取りはさっきもやった。
「あ、あ、ありがとうございます……」
信仰、尊敬、というよりも恐れに近い態度で医龍は皿を自分に引き寄せる。少女も同じようにした。
竜の髭麺。しょうゆ味。
ラーメンだと思えばラーメンである。コリコリとした歯ごたえのある硬い麺で、まあそういうラーメンもあるよな、って感じだ。しょうゆ、味噌、塩と味にバリエーションがあるのが気に食わない。
彼女はこれをラーメンだと思うことにしている。竜の髭を食べているとは思いたくないから。ただ……ラーメンだと思えば思う程、ラーメンとは違うと思い知らされ、泣けてくる。
「それで、何を話していた」
まずはスープから味わう。芯から温まる、あっさりとしている。つい飲み干してしまうぐらいだ。
「龍神も食べるし寝るんですね、って話を」
「……!?」
同じようにスープを飲もうとした医龍が咽せた。医龍のあからさまな態度と、少女の隠さない態度に、龍神もそれが嘘だと見抜いただろう。
「はぁ」
ただ、それ以上追及するようなことはしてこない。
隠した、つまり言いたくない。龍神は少女の意志を尊重してくれる。
「我ら神は確かに食べずとも眠らずとも活動は続けられる。しかし、どうやら食事とはそうではないらしい」
「そうではないらしい?」
「人々は、生命活動を維持するためだけに食事をしているのではないらしい。眠るのが好きという者もいる。食べることを趣味、生きがいとする者もいるらしい。彼らの理解のためにも、我は知る必要がある」
「へぇ~……」
そう訊くととても勤勉で、民思いの良い神に聞こえる。
「幸い、我らは眠ることもできる。味を感じないわけでもない」
睡眠は身体を休める休息だと考えているが、龍神はその間も睡眠について学んでいるようだ。
睡眠中に学ぶ。自分で言っていてはてなが浮かぶ文言だ。
「意外と神様って不便なんですね」
「貴様が神をどのように定義し、どのように思っているかは知らないが、神とは万能でも完璧でもない。世界の一部であり、世界に指名されたシステムでしかないのだ」
「はあ」
難しいことを言っているのだけはわかった。
「医龍さんは? 眠らなくても平気?」
「えっ! い、いえ! 私は……その、ちゃんと眠りますし、お腹も……空きます。……ごめんなさいっ」
「謝ることじゃないよ」
神様がおかしいだけなのだから。
箸で麺を挟み、息を吹きかけ冷ます。ずずっと啜り食感を味わう。
「あ、じゃあ一つだけ訊いても?」
「一つと言わず」
「なんで二人は、日本語しゃべれてるの?」
一時静寂となる。
ざわざわとしたざわめき、他の龍人の喧噪。
ショッピングモールのフードコーナーと考えてくれればわかりやすいだろう。大勢が好き勝手に話しているその話し声。ざわざわとしか聞き取れないが、隣の席の人が何をしゃべっているかは理解できる。
たとえ喧噪であっても、耳を傾け注視すれば、話の内容は掴めるはずだ。
「―――――?」
「―――――! ――!」
頭痛がする。
喧噪を遮断し、視界に龍神を捉え、敢えて他の音を拾わないよう努める。
「日本語。貴様らの国、日本で扱う母国語、だったな」
「知ってるんだ」
やっぱり、と確信する。
が、龍神はふるふると首を振った。
医龍が龍神の視線を受け、口を開く。
「わ、私は日本語というものを知りませんし、……しゃべっているつもりもありません、よ……」
眉を顰める。ならばどういうことか。
一ヶ月間、部屋の外に出て少女は食事を取った。その間、龍神と医龍以外の言葉が何も聞き取れないことに気付いた。
まるで他国に投げ込まれたかのよう。外国人に取り囲まれているかのよう。まあ、世界そのものが違うのだから、当たり前と言えば当たり前だったのだ。彼らには彼らの言語がある。
となれば、なぜ龍神は普通に会話ができるのか。医龍もそうだ。なぜ日本語をしゃべっているのか疑問に思ったのだが……医龍は、日本語を知らない? しゃべっているつもりもない?
「飛龍」
「ここに」
龍神が呼びかけると、どこからともなく一人の龍人が現れた。男性。スマートそうな龍人である。医龍と同じく、彼には飛龍という名があるらしい。
「貴様は日本語というものを知っているか」
「日本語。……記憶にございません」
「よい。下がれ」
軽く顎を引くと、その飛龍はまた消えた。
「今のも特に日本語での会話ではなかった。が、貴様には何を言っているか理解できただろう」
「う、うん……わかった」
「龍には龍の言語がある。人間曰く、龍語だ」
「曰く?」
「人間は国ごとに言語が違うらしい。まったくどうしてそんな不便なことをするのかは理解しがたいが、人間のように我ら龍は言語を変えない。龍ならば龍語だ」
親近感がある。
彼女の世界にも日本語以外に英語、中国語、ヒンディー語と多くある。彼女が知らない言語、解析もされていない言語があるらしい。国ごとに母国語とは変わってくるが、なるほど確かに。龍の民の主君は龍神。ならば国も王様もなく、一律して龍語を話すのだろう。
少女は首を捻った。
そうするとどういうことなのだろう。
今の話では二人、飛龍も入れて三人は龍語を話していることになる。聞き取れない周囲の龍人らも龍語を話していることになる。
なぜ三人の言葉は聞き取れて、他の人は聞き取れないのか。
「……私の身体を弄くったとか?」
「そんなことは……まあ、したが」
「したんだ!?」
「人間を辞めさせ、魔人の一歩手前まで進めたが、貴様が思っているような意味では弄っていない」
なんだ、とガッカリした。ガッカリした自分になぜ? と疑問を持った。
「じゃあ、どういうこと?」
「神の言葉は言語などには囚われない。神徒とは、神の代弁者」
これでわかるだろう、とばかりに龍神は水を飲む。
何もわからないが! と机を叩きつけたくなったが、抑える。ファンタジーに明るい彼なら理解も早かったのかも知れない。
ラーメンを食べながら、落ち着いて考える。もぐもぐと咀嚼を終え、飲み込んでから。
「神徒は神の代理、神様がしゃべっているのと同義だから、神同様言語に囚われないってことね」
「そうだ」
なぜ神の言葉が言語に囚われないのか。そこは考えても意味がないのだろう。空気があるのと同じように、そういうものだ、と受け入れるしかない。
「じゃあ逆に、なんで日本語知ってるの」
「貴様以外にも転生している者は、歴史を見ると多くいるからだ」
驚きこそしたが、よくよく考えれば何らおかしなことではない。
自分と、あの少年も転生したのだ。二人が初めての試みと言われるより、大多数の一部と言われた方が納得する。
「同じように転生させた人がいる……ってことね」
「我は貴様が初めてだがな。全て人神がやっていることで、今回我は参加させてもらい、貴様をもらった。そのような経緯がある」
「ふーん」
もらったという物扱いな言い方は少し気に食わないが。まあいい。
「まあ、でもそっちの方がいろいろと便利そう。龍神が日本語の存在を認知しているなら、話は早い。私も勉強したいんだけど。言語の」
「良いだろう。教科書ならここにある」
またどこからともなく物が現れた。
『よくわかる! 共用語の本!』『これで君も龍と友達に!? 目指せ三日で龍語マスターへ!』
「うわぁ……」
ドン引きである。
よくわかる。○日で。こういった謳い文句がある参考書や、絶対と口にする人は信用がならない。これを龍神が出してくることもドン引きである。
少女は目を擦った。
「龍神が持つと文字も変換されるの?」
「そのようなことはない。我が書いたならそうなるが。貴様の見ている通り、これは日本から転生した日本人が日本語で書いた本だ」
受け取り中身を洗ってみる。
表紙も日本語ならば、中身も日本語。日本語のカタカナで龍語や共用語の発音が書かれている。
「共用語って何」
「人間の共通言語だ」
「なんで、……人語? とかじゃないの」
「昔、人間の言葉も統一しようとした者がいたが、人間の国はそれぞれ文化や権利を主張した。とある国の母国語を基本に作った言語を人語としたため、文化の侵害だ権利の独占だ、などとな。結果、国ごとの言語はそのままにしつつ、どの国でも通じる共通の人間言語として、共用語となった」
「じゃあ共通語じゃん」
「使えない者は通じていない、通じ合っていないというのか、との主張が」
それ以降は訊く必要もないだろう。いきなり、日本語を基本にした言語を世界共通言語とする。とか宣言しても、何言ってんだこいつと思われるのが関の山。それでも通そうとすれば、なぜ日本語なのだ、なぜ統一する必要があるとか。まあ難癖つけられた、ということだ。世界が違えど人間の本質的な部分は同じのかも知れない。
嫌になってしまう。
「こんなものが出せるってことは、その転生した日本人はよっぽどの成功者だったんだ」
「人神がいったいどれだけの者をこちらに招いたのかは知らないが、この世界に変革をもたらした日本人は二名だ。どちらも死んでいるがな」
まあ、そうだろう。人間なのだから、寿命というのはある。
生きていれば同じ日本人同士、苦労や悩みを打ち明けることもできたかも知れないが。
やっぱり彼に会いに行くしかないか。
「一人目は我ら神に名と家を与えた」
耳を疑った。
「人間に、神様が……?」
「そうだ。我らに名と家はなかった。もとより、必要がなかった。なぜなら我らの家とは民の住まう場所だからだ。龍神ならば龍の住まう場所が領土となり家となる。人神の場合は人間の領土が人神の家となっている。が、その人間はそれをよしとせず、帰るべき場所を作った。
そして名。これもまた、我ら神には不要だった。……なぜ人が人に、母が子に、名を与えるか。知っているか」
知らない。首を振る。
「お互いを区別するためだ」
「区別?」
「仮に人間がこの世に一人だとしよう。それならばそのものに名前は要らない。人間とはそのものだけを指すからだ。だが現実とはそうではなく、人間とは数多く存在する。人間と呼んでも誰だかは判然としない。我が龍の民もそう。ゆえに彼らは親から名をもらう。個としての存在を確約するため。
我ら神とは一つしか存在しない。龍神は同じ時に二つとして存在せず、それは他の神もそう。だから名前は不要。しかし、あの少年はそう考えなかった」
あの少年、と呼ぶ際の声音、遠い目は、どこか懐かしむような感じがあった。僅かながらに、口角も上がり、微笑んだようにも感じられた。
「呼ばれたら嬉しいだろ。そう言い、彼は我らに名を与え、我ら神を一人の存在として確約してくれた」
「それなら……確かに、変革? の人だね。その人はどうなったの?」
「世界に消された」
言葉を失う。
死んだとは訊いていたが、あまりにも終わりが唐突過ぎて理解できなさすぎて。
龍神の短い一言は、その先を問い質すことを拒絶しているように感じられた。
「二人目。あれは脅威だった」
そう言う割りにはやはり恐れている様子はない。神としての自負か、脅威ではあるが負けるとは思っていないのだろう。
「あれは我ら神を殺そうと企んでいた。どの神も信仰しない国を作り、貴様の世界での技術を使って世界水準を格段に飛躍させた。その本を書いたのも、その者か近しい存在だろう」
ごくりと生唾を飲み、覚悟して訊く。
「その人は……どうしたの?」
目と目が合う。何を考えているかは、相変わらずわからない。
「神を信仰しない。それはつまり庇護がないということだ。我が民が他の神、神徒に害されれば我がその神徒と神を直接叩く。人間もそう。人間が害されれば、人神かその神徒が出向くこととなる。しかしあれはそれを自ら放棄した集い。
魔神の神徒が一夜にして国を滅ぼした」
二人目はそうして死んだのだろうか。
「どっちも良い終わり方はしてないんだ」
「ああ。魔神はあれを脅威に感じたのだろう。事実、神にも匹敵する強さがあった。が、彼の民、従者がそうとは限らない」
どんなことがあったのかは、大雑把ではあるが想像ができた。
国を作り。……そこには人がいる。普通の、戦えない人もいるだろう。彼らを人質にでも取られたのか。
「ゆえに、人神は、……おそらく」
何を言おうとしたのだろう。
待ってみたが、龍神が続きを語ることはなかった。
唇をそっと撫で、代わりにこう言う。
「我の質問にも一つ、答えて欲しい」
「そういうことだったんだ」
ここまで親切丁寧に説明してくれたのは、訊きたいことがあったかららしい。
「答えなくても良い」
ずるい。
拒否権を与えてくれたが、ここまで説明させて自分は何も言わない、などといった行動は取れないだろう。
「答えたくなかったら答えないよ」
「それでいい。貴様の名を、教えてくれ」
そういえばまだ言っていなかった。だけど。
少女はにへらと笑う。困ったような、悲しんだような、それらを取り繕って隠すような笑みを浮かべる。
「ごめん、それは答えたくない、……かも」
人が名を持つのは、区別のため。そうかも知れないが、彼女は一つ、違う考えを持っている。
親が子に名を与えるという行為は、愛情がゆえの行為。
だからこそ、与えられた名前は――。