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病み上がりだからだろう


「――ふぅ」


 額を拭うような動作を取った人神。それは龍神への終わったという合図。


「終わったのか」

「まあね。まったく、感謝して欲しいよ。疲れた疲れた」


 あ~あ。と大袈裟に座り込む。その場には似つかわしくない白い椅子が、人神の尻を受け止めた。

 眼球を取り出される激痛に耐え、身を焼くような灼熱の業火に耐え、三日三晩生き地獄を味わった少女。いまや彼女は落ち着いた呼吸を取っている。

 汗が凄い。龍神は彼女の額に掛かった髪を払ってやる。


「すまない。世話を掛けた」


 人神が大袈裟な態度を取り、不平不満を口にしたのは、龍神に気負わせないため。

 神はあらゆる人と違い、飲食も睡眠も不要ではあるが、感じることはある。疲れもするし、殺さない繊細な魔力操作に神経は磨り減るし、斬りつけられれば血は出て死ぬこともある。

 三日三晩も尽力したのだ。人神がどれだけ消耗したかは考えずともわかる。


「まあ、良いけど」


 唇を尖らせ、人神は椅子の前脚を浮かせて危険な遊びをする。


「でもこれで貸しいちっ! だね」


 少年のように無邪気に破顔する。

 人神がタダ働きするとは思ってない。人の命一つ救ってもらったのだ。貸し一つで済めば安いものだろう。


「何をして欲しい」

「まだ良いよ。来る時のために。取っておく」


 人神が何を考えているかは龍神でもわからない。

 神々の中にも序列はある。本来、人神という本質は神の中でも最下位に属するが、彼に至っては違う。

 例えるなら、成人済みの精力ある男性と、生まれたばかりで右も左もわからない口も利けない赤子だろう。

 前者が人神、このヒュウス。後者が龍神、ガダルト。

 神が誕生し、権能と知恵、使命が与えられて以降生き続けるヒュウスと、まだ七百年しか生きていない現在の龍神とでは、経験、知識、理解度と、あらゆる面で格差がある。


 龍神が知らないことを人神は知っているが、その逆はない。

 つまり、人神の考えを推し量ろうとすること自体、無意味な試みなのだ。

 軽く息を吐き視線を切る。


「こやつはいつ目を覚ます」

「さあね」


 さあね? と疑問符を浮かべた。


「僕もこんなこと初めてやったんだ。ここからは僕の与り知るところではない。彼女自身の素質、……が、重要だね」

「それは、生きようとしていなければ、目を覚ますことはないということか」

「そうだね」


 あっさりと肯定された。


「だけどそれはみんな大前提だ。誰だって、目覚めたいから目覚める。生きたいから生きてる」


 本質ではある。

 やる気のない者に強制をしても結果は望めない。

 魔法という概念は、とある人間たちの間では心の発露とも言われている。龍の民にも浸透し始めている事実だ。

 

 龍神は不安に駆られた。

 

 彼女は自ら死を選んだのだ。

 眼球を抉り取られ、灼熱の業火を味わい、果たして生きようとその魂は思うだろうか。

 死神ならばあるいは、魂の輝きが見えるかも知れない。死神の眼には彼女の魂が今尚光り続け抗っているか、消失しているかわかるかも知れない。

 龍神にはわからない。

 ……人神ならばわかるだろうか。とそうも思ったが、何も言わないところを見るに、訊いても無駄だろう。


「じゃあ、僕はそろそろ帰ろうかな。彼のことも気になるし」


 人神が選んだ少年のことか。まだ1歳にもなっていないのだろう。その年頃の赤ん坊を観察して何になるのか。

 ともかく。


「送る」


 礼儀としてそう名乗り出た。しかし。


「いいよ」


 人神は軽く断ると、その後ろ。少女に優しい微笑みを向ける。


「その子についててあげな」

「我がここに居てもできることはないのだろう?」


 人神もそう言ったではないか。 

 与り知るところではない。彼女の素質、生きようとする意志が重要。

 龍神にもできることはない。


「…………はぁぁぁ」


 盛大に溜め息をつかれた。

 肩を竦めて両手を挙げるポーズは龍神に見せつけているのだろう。

 なぜそこまで非難めいたことをされなければならないのかわからない。

 事実を言ったまで。龍神は何か間違えただろうか。首を捻る。


「あのさぁ……」


 幻滅しているようだ。ますますわからない。

 再度小さく息を吐くと、人神はびしっと指を突き出してきた。


「良い? その子の手を握って、優しく言葉を掛けてあげること」

「言葉……詠唱か」


 龍神なら高位な治癒でも無詠唱で行使できる。人間に効果があるかはわからないが。


「ホント。なんで龍って頭良いのにそういうところはポンコツなんだろ……」


 肩を沈め項垂れた人神。

 龍とはこの世界の生き物の頂点として君臨する、気高き聡明な生き物だ。ポンコツとは心外である。

 まあ、人神からバカにした様子はないが。


「僕は人神。彼女は人間。そりゃあ世界は違うけど、基本的に構造、心理は同じ道を辿ってる。君は人間を知らない。なんだから、人間の神である僕の助言を、素直に聞き入れ実践する。

 良い?」


 わかった? と念押しされた。

 要は、理解できなくてもやれ、ということか。

 先人の知恵には素直に従う、先駆者の真似をしろとはよく言う言葉だ。


「わかった」


 頷けば、一度疑惑の目を向けられたが、人神は部屋を出て行った。


 眠る彼女の横に立つ。その手を握る。


 何と言葉を掛ければ良いか。


「……我はここにいる」


 考えた末に、出た言葉はそれだった。

 人間の扱いはわからないが、それでも龍神だ。龍の神だ。

 例え何者かがここを襲ってきても、龍神なら視線だけで射殺せる。




 それから彼女が目を覚ましたのは、一年後だった。


 ふるふると睫毛が震える。ぱっと目蓋が上がる。

 龍神は表情が動かないが、感情がないわけではない。

 安堵にほんのり目蓋が上がる。ほっとついた息が勝手に出た。


「待ってろ。医龍を呼んでくる」

「……」


 応答はない。寝起きの彼女の耳に入ってるかも怪しい。

 一年間、文字通り手を離さなかった龍神は、初めて手を離した。

 部屋を出る。


「龍神様」


 部屋の前には護衛を命じた神徒が二人いた。すっと片膝突き頭を垂れる神徒へ、言う。


「医龍を呼んでこい」

「はい」


 神徒の赤の方が消えるように駆ける。青の方は引き続き護衛。彼らも一年間、ずっと護衛をしていたのだろう。


「起きて平気なのか」


 部屋の中に戻れば彼女は起き上がっていた。ただでさえ細い身体、手足はより痩せ細っている。眠い目を擦る。その目、瞳は、龍神がつい引き寄せられてしまうようなブラックダイヤモンドではない。


「? ……うん、平気」


 おそらく状況を飲み込めていないのだろう。

 ぐぅ、と鳴ったお腹は龍神ではない。


「お腹空いた」


 一年間飲まず食わずで寝たきりだったのだ。


「なんか、ベタつく」


 汗も結構な量を掻いていた。当然だろう。


「ともかく、よかった」


 元気そうで。

 食事とは生命活動だ。生きようとする意志があるらしい。

 いずれにせよ、まずは医龍に診てもらってから。


「りゅ、龍神様~……」


 ふり返ればびくっとした医龍。


「彼女の容態を診てくれ」

「あ、はぁい……」


 緑の髪は目、耳、首を隠している。口元が常にへにゃっとなっていて、猫背も合わさりどこか頼りない印象を抱かせるが、医学に関して右に出る者はいない。


「じゃ、じゃあ……ちょっと失礼しますねぇ……」


 額に手を触れ、目蓋の下を親指で引っ張るようにして下げ、口の中、奥を見たりと頭を重点的に視診する。


「異常ないみたいですね」


 さっきまでとは違い、医龍は鋭い目つき、ハキハキとした声音を持つ。

 少女もその変化には驚きのようだが、龍神にとっては普通のこと。

 医学に関して、患者に対しての対応では、彼女は至って真剣で真面目なのだ。


「一年間何も食べず飲まずだったので体力は低下しているみたいですけど。命に別状はないみたいです。ただ……」

「何だ」


 言い淀む医龍。

 龍神と少女の顔色をうかがう彼女へ促すように言えば、一つ頷き口を開く。


「人間とは違う構造をしてますね。いや、違うというのはおかしいか……。瞳だけが、人間ではない。それ以外は人間なのに。……異質です。面白い」


 流石は医龍。完全なる魔人ともなればわかったかも知れないが、人神が行ったのは魔人化の一歩手前まで。魔人化などという非人道的な行いまでは辿り着けなかったようだ。

 龍神でも知らないこと、常識外れなこと。医龍にもわかるまい。


「そうか。では、彼女は健康体なのだな」

「そうですね。栄養を取らせてあげた方が良いとは思いますけど」


 一年前の状態と比べれば、至って健康体。


「助かった。もう良いぞ、医龍」

「……はい」


 医龍の医学に対する姿勢は見上げたものだが、稀にブレーキが利かないこともある。

 相手は病み上がり。特殊な存在であることを前にそれを忘れ、質問責めにされては困る。


「……で、では。……失礼しまぁす」


 二人きりとなる。


 木製の簡素な椅子を引き、ベッドの横に座る。


「何か食べたい物はあるか」

「この世界の食べ物でしょう? 私、何も知らないんだけど」


 それもそうか。

 メニュー表を取り寄せる。

 

「……ん?」


 疑問に思ったが、すぐさま自答する。人神が言っていたことを思いだした。

 彼女の世界には魔法がなく、魔力もない。ならば手の中にいきなりメニュー表が現れたことも、疑問に思うのだろう。


「これは空間魔法の一種だ」

「く、空間……魔法。……ごめんだけど、全然わかんない」

「そうか」


 まあ、今知る緊急性もない。

 龍神はメニューを開いた。


「……竜の髭麺。コカド竜の煮付け。アイス魚の刺身。こだわり龍の民」

「ちょっ。ちょ、ちょ……!」

「……? どうした。ピルクルトの鳴き声みたいな鳴き声を上げて」

「ぴ、ピル……? ……じゃなくて!」


 何をいきなり大声を上げているのか。


「病み上がりだろう、安静にしていろ」

「誰の所為よ!」


 龍神の所為なのか。なぜ? 首を捻る。


「……あなたいきなり何言ってるの?」

「? この世界の料理を知らないと言っただろう」


 だからこうしてメニュー表を持ち出し、料理を教えてやっているのだ。


 そう丁寧に伝えたつもりだったが、少女は頭を抱えてしまった。


「何だか龍神っていう人。人? が、わかった気がする……」


 何を言っているのかはわからないが、とにかく何かしらの料理を選んで食べてもらわないと困る。

 医龍に言われるまでもなく、子どもでもわかることだろう。一年間何も食べていない状況はかなり危険だ。


「特製流れ」

「ぃいやめて!」


 まるで龍神が呪詛でも吐いているかのような反応。

 盛大なツッコみを入れた少女は耳を抑えて頭を振った。存外元気そうだ。


「なんで笑ってるのよこの人怖い……」


 はぁ、と嘆息した少女は、胸を抑え気持ちを整える。


「前も言ったと思うけど、私の世界には龍なんかいなかったの。だから竜の髭麺? とか言われてもわからないし、コカド竜なんて知らないし、ピルクルトが何なのかもわからないの」


 なるほどそういうことか。

 やっと龍神は理解が追いついた。

 少女は早口で捲し立て体力を消費したためか、息を整えている。


「では、外に行こう。見て匂いを嗅げば、食べられるかの判断もつく」

「……そうかもね」


 ベッドから降りた少女。ぺたりと素足が地面に降りる。

 腰を上げればふらっとした。龍神がその肩を抱く。


「……ごめんなさい。へ、平気だから」

「無理するな」


 龍神は少女の肩を抱き、手を握る。

 彼女の肩、身体は小刻みに震えているように思われたが、それも病み上がりだからだろう。

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