魔人化キャンセル
龍神は空間を跨ぎ、人神のもとへ降り立った。
「人神」
「うわあ。龍神。何さ。
まさか忘れたわけじゃないよね? 僕らの約束」
「緊急事態だ」
龍神は人神との約束を忘れたわけではない。
異世界から魂を持ってくることへ、魔力を貸すという形で協力した。人神の質問に、嘘偽りなく龍神は答えた。
そして、なるべくお互い干渉しないで過ごそう、という提案も、飲んだ。
「……へえ。どうしたの」
提案を飲み、約束を交わしたのに干渉した。
緊急事態という言葉に、人神は目の色を変える。
「我と来て欲しい」
人神は重い腰を上げ、龍神の開いた空間を跨いだ。
龍の住む大地、龍神の土地。
南の果てにある極寒の山脈、その内部。
「容態は」
「これと言って変わりは」
医学に長けた神徒の一人が看病してくれていた。
部屋の外は騒がしい。龍神が神徒に助言することはあれど、命令をすることは珍しい。
その龍神が、警護も合わせて三人の神徒に命令を飛ばしたのだ。異例の事態であろうことは、龍人全員が理解していた。
「何かしたか」
彼女はふるふると首を振った。
「治癒を受け付けないということなので……し、しかも、人間。下手に何かするのは……」
ある程度の病なら龍の構造を熟知している龍神の治癒で治る。医学を学んだ彼女ならば、知らない病はない。
しかしどれもそれも、龍に限った話。
人間の構造、人間の罹る病は専門外。だからこそ、人間の神である人神を呼び寄せたのだ。
「……どうだ」
彼女の身体を診た人神は、いつになく真剣味のある声音で言う。
「うん。下手に治癒や薬を使わなかったのは正解。龍神も、空間を跨いで彼女を運ばずに、僕をこっちに連れて来たのは、正解」
秘境の最奥、神々の家と言って差し支えない場所。
龍神はこの山の中を住居とし、民である龍人と共に生活しているが、人神は人の間の最奥にかれこれ700年近く引き籠もっている。
人神へと至る方法は、秘境を完全に攻略し、絶対神に認められ神への挑戦権を与えられるか、あるいは龍人のように直接空間魔法で秘境を渡るかのどちらか。
後者は一般人にはできない神級の空間魔法だ。当然ながら、魔力の影響も受ける。
治癒に苦しむ、魔力が悪影響。であれば空間を渡らせるのも危険か。という龍神の仮説は合っていたらしい。
「もしも君が彼女を連れて空間を跨いでたら」
「……」
「ばんっ」
声と共に閉じた手を開く。
人神はふざけた態度を取る。なぜそうするかも理解している。だが、嘘を吐くことは滅多にない。
本当に、彼女の身が弾け飛ぶのだろう。
しかし、だとしても、言い方というのがあるだろう。
龍神は苦しむ彼女を前にふざける人神を、威圧するように睨んだ。
「う、ひゃぁ」
龍神の微小ながら感情の揺れを感じた神徒は、角を抑えると部屋を出て行った。
体内の熱を吐き出し、冷静になる。
「どんな病なんだ。我はどうすれば良い」
「七百年前に、同じ人間が一人居たよ」
七百年前。
人神は動じず淡々と述べた。かえってそれが、わかりやすい。
この世界には暦がある。それができたのが七百年前。現在は太陽暦700年。この太陽暦という名前を付けたのも一人の人間。それ以前までは、国によって一年という概念もバラバラだった。
一週間を七日と決めたのも、一ヶ月を三十日程度と決めたのも、曜日を決めて統一したのも、彼。
彼ら七大神……いや、もう六大神か。彼らに名前を付け、秘境という家を作ったのも、彼だった。
その人間は死んだ。七百年も生きる人間は居ないから当然だろうと思うかも知れないが、そうではない。
世界に、消されてしまったのだ。
原因も、責任も、人神にある。今現在彼の存在を覚えている神は、人神と龍神だけだろう。龍神が責任を追及することはない。予測などできなかった。致し方ない。
しかし人神はそうは思わない。だから、引き籠もっている。
二人して同じ人間のことを思い返す。この少女と同じ、黒髪に黒目だったな、と。
「彼も一時は生死を彷徨った。仮説だけど、向こうの世界には魔力がないんだろうね。人間という基本的な構造はこっちもあっちも同じなのかも知れないけど、魔力の扱いについては違ってるんだと思う」
人神も龍神も、別の世界を垣間見ることはできるが、直接知ることはできない。
「つまり?」
「つまり、この肉体には魔力を飼う臓器? みたいなのがないってことだよ」
生き物は呼吸する。吸った空気を肺に取り込み全体へ流す。
この世界の生き物は大気中にある魔力を肌から取り込み生活で使う。
しかし彼女の世界には魔法がなく、魔力もない。その仕組みが適応されず、彼女の肌が魔力に適応できないでいる。
「まさか魂だけ転生じゃなくて、この身体のまま連れてくるなんてね」
龍神に対する言葉ではない。人神は伝えてなかったか、と自身のミスを悔いている様子。
七百年前、世界に消された人間と龍神は確かに邂逅している。が、龍神が彼と出会ったのはこの症状を乗り越えた後だったのだろう。
龍神としての記憶にも、知識にも、一人の龍としての思い出にも、存在しない。
「彼女は全身を毒に蝕まれてるようなものなのか」
「そうだね。そう考えてもらって良いよ」
高熱、汗、苦しそうな顔。
知らなかったで責任逃れはしない。
龍神は何もできない己をもどかしく思い、拳を握った。
「だが対処法はあるのだろう」
「そうだね、一応。二つほど、取れる手段はある」
二つもあるのか。
逸る気持ちを抑え、人神を待つ。
「一つ、外付けの魔力器官を持つこと」
「外付け……」
「人でも良い。物でも良い。彼女の体内にある魔力を排出、中和できるように、外付け器官を持たせるんだ」
「もう一つは」
「もう一つ。魔人化だね」
「魔人化……」
知らないわけではない。
龍神としての記憶が、遙か昔。世界の創世記から始まってずっと存在していた現象は、喜べる手段ではない。
「人間は魔人になることがある。最近はないけどね。それを、僕らが彼女に行う」
最近を四百五百年の単位で語って良いのかはかなり懐疑的なところではあるが、もう何万年何億年と生きている人神と七百年しか生きていない龍神とでは感覚が違うのだろう。
初代龍神の記憶にいる人神と、いま目の前にいる人神は全くの同じ存在なのである。
「どちらが良いと思う」
素直に人神の意見を仰ぐ。
「どちらにもメリットはあるし、どちらにもデメリットはある」
「たとえば」
「たとえば、そうだね……。
外付け器官を作ること。これは人なら四六時中離れられないし、その人が少しでも傷つく、病に罹るなんてことになれば連鎖的に彼女も倒れることになる」
それ以外にも、精神的にも厄介なことになりそうだ。
常に誰かが付きっきり。一人の時間が取れない。お互いに。
ストレスは半端ないだろう。第一、人を物扱いにしてその個人の生も奪うことになる。
龍神として、その選択肢は取れない。
「物にしても壊れない保証はないし、やっぱり常に持っていないといけない。何にするのかにもよるけど、定期的に点検もしないといけない」
物ならばまだストレスは減るだろうが、物の規模感が不明だ。部屋をそれ一つで埋めるようなことになれば、不便極まりない。
龍神は彼女がしたいこと、見たいもの。自由気ままに伸び伸びとやってほしい。枷のようなものを付けたくはない。
「で、魔人化。これはそもそも成功するかどうか、確率論の話になってしまう」
魔力は毒である。
あらゆる生物。人間、龍人はもちろん、動植物においても基本的に魔力とは毒だ。
歴史を遥か昔へ遡れば、特に人間は魔力に蝕まれて死んでいったケースが多い。それらを繰り返し、徐々に生き物は魔力へ抗体を持ち、自在に扱えるようにまでなっていった。
現在では魔力は魔法の源として便利で強い物扱いだが、当然ながら個人個人に限界容量というものが存在する。風船に空気を入れ続ければやがて破裂するように、生き物も魔力を吸収し続ければやがて死ぬ。
しかし稀に、限界容量を超えた魔力にさえも適応してしまう存在が現れる。それは適応力の高い、特に人間に多い現象で、彼らの姿も魔力によって変容する。肌の色が赤や青となったり、腕や足が新たに生えたりと異形になった彼らは悪魔に取り憑かれたとも言われていたが、それが魔人化である。
人神は、意図的に魔力を彼女の体内に流し込み、身体が魔人化する可能性へ賭けている。
昨今魔人化が減り、自称魔人や魔人の血を引いただけの魔族が目立っているのは、冒険者ギルドの活躍が大きい。
魔人化の成功率とは、剣王、王級魔術師が一万人集まって一人できるかどうかと言われている。剣王、王級魔術師とは、世の中に一万人もいない。つまり、絶望的な可能性となっている。
それはもう、
「死ねと言っているようなものだ」
まだ50%もあれば。それでも不安ではあるが検討はしたかも知れない。しかし成功率は1%もない。
「あの者は、当時どうしていた」
「彼は、外付け器官を作ったよ」
ならば、彼女にもそうするしかないのか……。
龍の民を、その一生を奪うような行為はできない。であれば神徒……いや、それは職権乱用だ。そんなことのために神徒に成ってもらったのではない。龍神本人がなる……それは、脅しにもなるのではないか。
自分から離れたお前は死ぬ。お前の命は自分が握っているのだぞ。……そう捉えかねない。
「物だったのか」
「人だったね」
言われると納得のいく記憶がある。
あの少年がいるところに、常にあの吸血鬼がいた気がする。
当時はまだ魔神も好戦的で、人間は魔族の格好の餌だったのだが、二人の仲はどう縮まったのか。
人間と魔族である吸血鬼は龍神の民ではない。見ていないものは知らない。死んでいる者にも確認は取れない。
「不便そうだったか」
「どうかな。二人は結構仲が良かった……というか、彼女の方から恩返しみたいな感じだったから。でも、弱点ではあったし、それによって何度かピンチになってたよね」
「確かにそうだな」
どうすれば良いのだろう。
龍神は自身を器官とすることに迷いはない。が、彼女の立場からして、自分が付きっきりになることを考えると、どうも躊躇してしまう。
「はぁ」
刻一刻と、彼女が苦しむ時間だけが延びていく。
「じゃあ、こうしようか」
溜め息ついた人神。決められない龍神に、一つ提案をしてくれる。
「どっちも取るってことで」
「……どっちも?」
「そう。外付け器官を付けるけど、魔人にもする」
「その手法だとどうなる」
「魔人化では死なない。魔人に成るまで魔力も込めないから。外付け器官とは言ったけど、丁度良いのは目かな。人ってのは情報のほとんどを目から得る。魔力も視ていて、負担は大きいから、変えてしまえば良い」
「魔眼か」
「ご明察」
魔眼。
魔人化を果たした者が持つことがあると言われている眼。
遠くのものが見える千里眼や未来が見える予見眼、果てには見ただけで殺したり意のままに操れたりとその個人によるという。
「デメリットは」
「将来彼女が君の子を宿した時、どうなるかは保証ができない」
人間と異種族が交わった時、大抵が異種族の血を引く。龍神はそこまで考えている。
彼女とちゃんとした関係を持つかは彼女次第ではあるしまだ不確定ではあるが、龍神としていずれ次期龍神は残さなければならない。
龍神から魔人が生まれたとなれば、大混乱だ。その時龍神は、赤子を、……。
「更に言うと、彼女も不安定になる。魔人でもないし、人間でもない、中途半端な種族だ」
ぎりり、と奥歯を噛む。
「うっ…………はぁ、はぁ」
眠る彼女は呻いた。
もう、迷っている暇はないのか。
この姿のまま、この肉体のまま連れて来たのは龍神の落ち度だ。子のことは、彼女の責任ではない。たとえ中途半端で人間でも魔人でもなくなったとしても、龍神がそれで見方を変え接し方を変えることもない。
それでも愛せば良いだけの話。
「そうしてくれ」
「はいよ」
人神はすぐさま取り掛かった。
魔力を握り、彼女の目に、手を入れる。
「う、わぁああああ!!」
血が飛ぶ。悲鳴が飛ぶ。暴れるが、人神は動じない。
彼女の目から、綺麗だった眼球が二つ、取り出される。
人神の手が止まれば、彼女もぴたりと動きを止めた。
死んでしまったのではないかと思ってしまう程。
「君の魔力貸して」
人神は治癒を掛けながら、龍神にそう言った。
いくらでも魔力を貸すつもりで、人神に送る。
魔眼の生成、魔人化を丁度良いところまで進める。繊細な技術が求められる。人神のふざけた態度はない。この真剣さは、龍神の思い出にはない。記憶を遡ればあるにはあるが、彼は知らない。
三日三晩続いた。