意外とチョロい
少女は、異世界へ行った。
龍神が何かしらの術を施した後、白い光が晴れるとそこは、小さな部屋だった。
人の手は感じない。周りは泥のような色に囲まれている。触れれば硬く、ひんやりと冷たかった。剥き出しの岩壁、ここは洞窟の中なのか。
そこを部屋と表現できたのは、人が住んでいる形跡があったから。ベッドが置いてあり、タンスがあったりと生活感があったから。試しにベッドに腰掛けてみる。ふかふかとまではいかないが、硬くもない。微妙だ。
周囲を確認し、自身を確認し、そうこうしていると足音が聞こえてきた。唯一の通り道から現れたのは、先ほどまで会話していた龍神を名乗る彼。
どこか少女はホッとした。見知らぬ場所に一人投げ出されたわけではないらしい。
「身体に不調はないか」
「……うん。特には」
人から体調を心配されるなんて、初めてだ。
「そうか」
そう喜んだのも束の間、龍神の所作は実に事務的。上げて落とされた気分に恨めがましく背を見つめるが、そんなものどこ吹く風。
「どうした」
対面のベッドに腰掛ける。
「別に」
少女はふて腐れた。
伴侶として自分を求めるのならば、何もなくて良かったの一つでも言ってくれれば良いのに。表情筋はピクリとも動いていない。
「それで。私は何をすればいいの? エッチなことでもすればいい?」
自ら提案したものの、身体は強張った。その提案は軽いジャブのようなものだったのだろう。牽制だ。これで頷かれれば、舌でも噛み切れば良い。
一度死んだことで、死への恐怖が薄れてしまった少女には、もう怖いものがなかった。死んでしまえば良いのだから、恐れる理由もないのだ。
「……したいのか?」
「……はいぃ?」
生真面目過ぎるほどの顔で言われる。まるで、少女の側がしたくてしたくてしょうがなく、自分はそれに配慮をしているだけだ、みたいな顔で言われる。
予想外の反応に、少女は何なんだこいつ、と目を向けるも、淡々と否定した。
「そんなわけないでしょ」
「そうか……ならば、我は良い」
・・・。
それ以降、会話は途絶えた。少女は、睨まれているのだろうか。見つめられているだけ? なのだろうか。判別が付かず、視線が刺さって居心地が悪い。
五分となかった沈黙も、体感では一時間以上に感じられた。耐えられず、少女は言う。
「何か、顔についてる?」
「いや。何も」
・・・。
また沈黙になってしまった。
少女も少女で会話は苦手だし経験不足ではあるが、龍神もまた露骨に会話を続ける気概がない。
やる気のない相手に仕掛けても、一人相撲にしかならないだろう。嘆息する。
「これ、何」
「何がだ」
「つまらなくないの? そんな、私の顔ばっかり見て」
「……ああ。つまらなくないが」
首を傾げる龍神。
ダメだこいつ、と少女は項垂れた。チラリと目だけ上げて見る。項垂れた姿まで、監視されていた。
頭を掻きむしった。ストレスでハゲるかもしれない。
「あのさ」
「なんだ」
「私に何か、して欲しいこととかないの。こう、……ほら。あなたは私をここへ……転生? 転移? か何かさせたけど、それをするだけの理由があるんでしょ? そんな、黙って時間だけ過ぎてる状況で、いいの?」
正直なところ何もしないのは退屈だし、監視されているようで緊張もする。龍神にとっては高が小娘で、緊張も警戒も必要ないのかもしれないが、彼女はちゃんと龍神を警戒して距離を取っているのだ。
そこまで言ってもあまりピンとは来ていないのだろうか、悠然と動いた龍神の手は顎に添えられた。考えるポーズだ。今だけは、視線も彼女に向けられていない。
チャンスとばかりに、逆に龍神を観察してみることにした。
万人受けするようなイケメンではないだろう。街中で出会えば強面として、極力目を向けないようにするし、歩道ならば極限まで距離を取る。寄り道だってするかもしれない。
だがまあ、整っている容姿ではあった。男ではなく漢といった感じ。男の子が憧れそうなカッコ良さ。正に龍である。綺麗な瞳をしているし、鼻だって高いし、肌だってシミもニキビもない。傷はあるが、それもまた模様のようで汚らしいわけではない。睫毛だって長いし、よくよく観察すれば欠点がないのではないか。慣れれば、そう。何を考えているのかわからないミステリアスさもある。
まあ、少女は最初の通り、ピクリともしない表情に怖さを覚えているが。
「……!」
つい注目してしまったため、ふいに目が合ってしまった少女は咄嗟に目を逸らしてしまった。
ジロジロと見つめているのは、なんとなく罪悪感も感じてしまう。
「何だ」
「いえ……別に」
「言いたいことがあるのならば、言うと良い」
言わなければそれはそれで後が怖い。軽く息を吐く。少女は言った。
「ジロジロ人に見られると、そうやって気になったりしない?」
「……するな」
「そういうこと。それにね、龍神さんは顔が怖いんだから、黙って見つめられてると、緊張しちゃうんだよ」
「なるほど。それは、すまなかった」
「いえいえ」
わかってくれればそれで良いのだ。
「我が貴様を見つめていたのは、中々に見ない美貌をしていたからだ」
「はっ!?」
突然何を言い出すのか。
しかし構わず龍神は続ける。
「黒髪というのも世には珍しい。人間、あるいは特定の魔族ならばそのような髪色がいるが、そこまでの黒さは中々……手入れも綺麗にされているのがわかる。加え、その顔の造形。これもまた中々に見ない顔立ちだ。だが、珍しい顔の造形と黒髪は見事に合致し、バランスが取れている。黒い瞳というのも、ブラックダイヤモンドを見ているようでつい視線が寄せられてしまう」
「急に……何?」
口を挟む隙もなかった少女は、語り終わってから言った。
「……どうして我を見ない」
しかし龍神は返答する前に、自分の疑問をぶつけてくる。
少女はより視界を地面でいっぱいにした。龍神を見ない、見れない理由など、決まっている。
「そりゃ……見れないでしょ」
「……?」
言葉がなくとも、疑問符を浮かべているのがわかる。
果たして、自分は口説かれているのか。
容姿を褒められたこと、今までで一度たりともあったか。
いつもの少女ならばそんなこと、褒め言葉をいくら積み重ねられても、誰にでも言っているんだろうなぁ、と冷めた頭で聞き流していたが、今回ばかりはそれはできなかった。
本能的に違う生物であり別次元を生きていると理解させられ、心に直接向けられた視線を知っている彼女は、あそこまでまっすぐな瞳を向けられ語られれてしまえば、否が応でもそれが本心だと理解させられてしまうのだ。
「ジロジロ見られると、気になったりすると言ったのは貴様だ」
「あー……はいはい。そうでしたね」
だから見ていた理由を語ってくれたのか。ありがたいありがたい。
手を仰ぐ。自分に向けて風を送った。
「あっつ……」
ひんやりとした空間のはずなのに、顔が熱い。
ジロジロ見られ、何を見ていたのか気になった。そこから少女の立場になって考え、自分が同じような思いをさせていた。
だからその気になるモヤモヤを解消しようと、なぜ自分が顔を見ていたのか伝えよう。
龍神の思考プロセスは、単純と言えば単純そのものだった。
パタパタと顔全体を冷やす。マトモに龍神の目が見られない。顔が赤くなっているのも自覚した。
ドキドキとうるさい鼓動、まとまりがつかない思考も、おそらく知らない龍神は慮ることもない。鈍感な龍神は、言う。
「私に何かして欲しいこと……そう言ったな」
「あぁ……うん。言ったかもね」
そんな前のこと、疾うに忘れていた。
「あるぞ、貴様にして欲しいこと」
「はあ。どうぞ」
表では平静を装いながらも、彼女は身構えた。
「貴様のしたいことを教えてほしい」
「……???」
しかし次の言葉には、理解が追いつかない。眉間に皺を寄せ、首を傾げた。龍神は続ける。
「貴様が思うようにしたいことをする。それが我が、貴様に望むことだ。
我は、貴様がしたいことを知りたい。貴様がしたいことを手伝いたい。貴様がしたいことを、その側で手伝う許可が、欲しい」
「つまり……?」
「貴様のしたいことを教えてほしい」
わかったような、わからないような。
少女がしたいこと……たとえば、普通に友達と遊ぶだとか、普通に買い物をするだとか、普通に勉強をするだとか、そういったことなのだろうか。
それを伝え、サポートさせて、いったい……
「あなたに何の得があるの?」
「さぁな」
「さぁな、って……」
「得がなければ、得がなかったと知ることができる。得があれば、その時に知ることができる」
もの凄い前向き思考であることだけはわかった。
きっと失敗を失敗とは捉えない人間……ではなく、神様なのだろう。
「じゃあ……そうだなぁ」
早速、彼に会いに行くというのでも良いだろう。
彼は驚くか、喜ぶか。とにかく、知人と呼べるのは彼だけなのだ。何を目的とせずとも、とりあえず会えば安心できる気がする。
「おい……平気か」
「何がぁ……?」
「先ほどから……顔が、赤いぞ」
「……あれぇ」
そう言われれば、ずっと顔が熱い。いや、顔だけではない。
もう恥ずかしいやらドキドキとうるさい鼓動はないというのに、仰ぐ手は止められなかった。
身体の中から燃えるような熱に侵されている。思考にもまとまりがつかない。視界が、揺れ始めた。
目蓋が落ちる。倒れ落ちそうになった少女を、龍神は抱き止めた。
「……おい」
龍神は少女を何度か揺さぶり呼びかけたが、彼女が目を開けることはなかった。
「はぁ……はぁ……」
代わりに、息切れだけが激しかった。
苦しそうな顔、荒い呼吸。
龍神が額に手をやれば、高温を保持していた。
すぐさま龍神は治癒を掛けた。
「……うっ」
しかし呻くような声を上げる。龍神は反射的に治癒を止めた。すると、少女はすこしだけ落ち着く。
まさか治癒が逆効果とでも言うのか。あるいは、人間と龍の間では勝手が違うのか。
「はぁ、はぁ……」
息の切れたような荒い呼吸。その間隔が早い。
龍神が頼れるような人物は、一人しかいなかった。