英雄になれなかった男の話
人類は弱者である。
それは、人類がこの世界に生まれた時から変わらない世界の理だ。
しかし、未だ人類は滅びていない。
無論これは人類の繫殖力が奪われる命の数を上回っているから……という事ではない。
遠い昔に存在した人類の祖先が、大いなる力を手に入れ、強者に抗う術を手に入れたからだ。
《魔力》
それは、世界の理を捻じ曲げる力であり、人類が手に入れた最強の武器でもある。
その武器を用いて、人類は魔蟲と呼ばれる凶悪なモンスターや、魔獣と呼ばれる狂暴なモンスターと戦い、生活圏を広げて来た。
やり方は酷く簡単である。
まず、人類の祖が力を手に入れた洞窟の周辺にある中央都市から東に北に南にと人を派遣して村を作る。
その後、村を中心として森に住まう魔なる者達の勢力を削り、その場所に砦を築けばそこまでの世界は安定した人類の世界となる。
誰が考えたのか、単純かつ中央都市には何ら危険のない非常に優れた方法だ。
まぁ、問題があるとすれば……。
「開拓村に住む奴らの命は保証されてねぇって事だな」
人類の多くが住む中央都市から東に大きく移動した所にある開拓村で、魔なる者達と戦う為に雇われた男アルフォンスは、怯えた様な顔で話を聞いていた修道女に一つの事実を伝えた。
それは、その修道女に残酷な真実を伝えるという意味もあったが、別の目的もある。
「だが、心配する事はねぇ。この村にも傭兵が派遣されているし、この村にはこの俺が……」
「では!」
「あん?」
「では、子供たちは何故この地へ運ばれたのでしょうか」
アルフォンスにとって取るに足らない神を信仰している女アメリアは、先ほどまでと何も変わらない怯えを顔に浮かべながら両手を胸の前で握り合わせ、アルフォンスに問う。
その問いに、アルフォンスはすぐさま答えを返した。
「決まってんだろ。中央都市に居ると邪魔だからだよ」
「そんな……!」
「親の居ないガキなんてのは居るだけ邪魔だからな。働ける訳でもねぇ。守ってやらなけりゃ何も出来ねぇ。ただの足手まといだ。なら、外に追い出して開拓村の手伝いをさせた方がマシだろ」
煙草を咥え、煙を空中に吐き出しながら冷たく言い放ったアルフォンスの言葉にアメリアは震え、涙を滲ませながら神に祈った。
傭兵として子供の頃から生きて来たアルフォンスには見るに堪えない愚かしい姿である。
そう。この世界に神は居ないのだ。
どれほど祈ろうが、救いなど来やしない。
どれだけ祈っても、願っても、神は人を救わない。
人を救うのは人だけだ。
アルフォンスは過去の経験からそれをよく理解していた。
「だからな。お前もさっさと捨てちまえ。あんなガキ共や神なんてのはよ」
「……っ」
「なぁ、アメリア。俺はな。今まで魔獣にも魔蟲にも負けた事のねぇ男だ。おそらくこの開拓村で一番強ぇだろう」
「……はい。存じております」
「なら下らねぇモンは捨てて俺の女になれよ。アメリア。子供が欲しけりゃ一人か二人くらいは選んでも良いぜ。俺は煙草も吸えるくらいの男だからな」
「アルフォンスさん」
「おう」
「申し出は大変嬉しいですが、私は信仰も子供たちも捨てるつもりはありません」
アメリアはキッパリとアルフォンスにそう言い放つと、アルフォンスに誘われて入った食べ物屋から外へと出て行ってしまうのだった。
遺されたのはアメリアが座っていた場所に手を伸ばし、固まっていた間抜けな男が一人。
「ギャハハハ。またフラれたのかよ。団長」
「もう諦めれば良いのに」
「うるせー。黙れお前ら」
贅沢な嗜好品である酒の入ったコップや煙草を持ちながら、アルフォンスの元へ集まってきたアルフォンスの部下達は、団長がこの村でも有名な美人に何度目かの失恋をした事で、笑いながら近づいてくる。
そんな彼らを手で払いながら、頼んでいた飯を一人寂しく食べていたアルフォンスはため息を吐きながら難攻不落のアメリアを想った。
「くそぅ。何故だ、アメリア。俺以上に良い男なんて居ないぞ」
「いやいや、団長よりいい男はいくらでも居るでしょ」
「そーそー。女ってのはもっと優しい男が好きなんだぜ? 団長」
「ケッ! 優しさがなんだってんだ! こんなクソッたれの世界でよ! 優しさで何が守れるってんだ。言ってみろ! オラ!」
アルフォンスは近くの部下に絡みながら、己が生涯を通して得て来た真理を語る。
そう。優しさは何も救わない。
生き残る為には強くなるしかない。
戦って、勝つことでしかこの世界は生き残る事が出来ないのだ。
「でも、団長はアメリアさんの所にいる子供の事何も知らないんだろ?」
「……まぁ、確かに何も知らんが」
「ならアメリアさんの気持ちも分からないんじゃないか?」
「相手に好きになって貰うには、まず相手の事を知らなきゃ駄目だって話だぜ。団長」
「ふむ。相手の事を知る……か」
部下達の言葉に、アルフォンスは一定の納得を得ると、アメリアの居る教会へと向かう決意をした。
そして次の日。
アルフォンスは、朝早くアメリアの居る教会へと向かうと、その大きな扉を叩き中へと入る。
「邪魔するぞ」
「はいー。って、アルフォンスさん!? どうしてここに!?」
「あぁ。まぁ、ちょっとした好奇心って奴だ」
「好奇心、ですか?」
「あー。何と言うか。アメリアの好きな物を、俺も知ろうと思って「本当ですか!!」っ」
思っていた以上の反応を見せたアメリアに、アルフォンスはやや引きながらも、初めて見るアメリアの笑顔を見て、自分の決断は正しかったと誇らしげに笑う。
それから子供たちの事を一人、一人と紹介されたが、アルフォンスの頭では覚えきる事が出来ず、結局ガキ共という呼び方から変わる事はなかった。
だが、それでもアルフォンスは子供たちに乱暴な事をしなかったし、子供達も初めて見る大きな男に怯えながらも興味があり、孤児と傭兵という奇妙な組み合わせは何ら問題を起こす事なく、教会に溶け込んでいくのであった。
それからアルフォンスはアメリアの元へ行き、子供と適当に遊ぶだけでアメリアの笑顔を見る事が出来るという事を学び、日々通うようになった。
子供たちが大したご飯を食べられないという話を聞いた時は、食料を買って行き、アメリアと、ついでに子供を喜ばせた。
お話を聞きたいと子供に言われた時は、自身の英雄譚を語り、アメリアと、ついでに子供の尊敬を集めた。
遊んで欲しいと子供に言われた時は、男の子には稽古を、女の子にはごっこ遊びをして、アメリアと、ついでに子供達を楽しませた。
教会の壊れた場所を修理し、やんちゃばかりしている男の子を叱り、泣いている女の子の事情を聞いた。
そう、全てはアメリアの気持ちを手に入れる為に。
「最近、すっかり良い人ですねぇ。団長」
「は? 何のことだ」
「子供っスよ。子供。団長が子供の世話を焼いてるってんで、村でも評判ですよ? あのアルフォンスが子供好きになった! って」
「へっ! バカ言うなよ。俺が子供好きになっただと? あり得ん」
「ならその大量に用意した木剣はなんっスか」
「そらお前。ガキ共が遊ぶために用意したに決まってんだろうが」
「その人形は」
「男ばっかり優遇しちゃあ女の子が可哀想だろうが。女の子は木剣で遊ばねぇからな」
「……はぁ、これだもんな」
「なんだなんだ! 文句があるなら言ってみろ!」
アルフォンスは部方たちのため息に怒り、テーブルを叩きながら立ち上がった。
しかし、そんなアルフォンスに部下たちは微妙な笑みを返すばかりで何も言わない。
「ったく、憶測ばっかり言いやがって! 良いか? 俺はガキ共の事なんざ何も考えちゃいない。あくまで! そう、あくまでアメリアを手に入れる為だ。分かったか!」
「へいへい。分かったよ。団長」
「よぉーし。良いだろう。じゃあ俺は行ってくるから。午後からの見回りは任せたぞ」
「分かったよ。団長が子供を愛し、慈しんでいる時間は守りますとも!」
「やかましい! そんな事実はなーい!」
アルフォンスは部下に怒鳴った後、多くの木剣と人形を持ち、更に食べ物屋からご馳走を持ち教会へと向かうのだった。
そんな団長の姿に部下達は苦笑しながら任務に向かってゆく。
日常。
開拓村という危険な場所ではあり得ない程の平穏な日常が今この村にはあった。
それもこれも、アルフォンスという魔獣や魔蟲にすら恐れられる男が居るからこそなのだが……彼らもただ負けている訳ではない。
ただ、静かにその時を待っていた。
そして『その時』は、唐突にやってきた。
見張りをしていたアルフォンスの部下が血相を変えて、村に帰り、こう叫んだのだ。
「魔蟲共が集まって、開拓村に迫ってきている!」と。
それはおそらくこの村の終わりを告げる合図であった。
しかし、全てが終わった訳ではない。
今すぐに西の砦に向かえば、魔蟲の群れと戦う事も出来るし、魔蟲の群れを倒せば再び開拓村を取り戻す事も出来る。
だから今はすぐにでも逃げ、砦の者達と合流する事が最優先とされた。
荷物は全て置いてゆく。
当然の事である。大量に荷物を持って逃げれば追いつかれるかもしれないのだ。
だから……。
「子供を、捨てていく……ですか!?」
「あぁ。幸い襲ってくるのは魔蟲の群れだ。連中は足こそ速いが、食べるのは遅いからな。子供を喰ってる間に、俺たちは逃げられるさ」
「そんなバカな話がありますか!!」
アメリアは村の代表におぞましい話を聞かされ、怒りのままに叫んでいた。
普段は温厚な彼女が見せた事のない怒りに、村の代表は怯えた様に後ずさったが、言葉を撤回する事はなくそのまま去っていった。
そして、そんな村の代表に代わり教会の……アメリアの元へ来たのはアルフォンスであった。
「よう。アメリア。逃げる準備は出来たか?」
「……子供達は」
「話は村長から聞いたんだろ? そういう事だ。残念だが、これは決定事項だ。お前もさっさと準備をしろ」
「アルフォンスさん!」
「最初から! その為にここへ連れてこられたんだよ。ガキ共は」
「……っ」
「何も仕事をせず、遊んでばかりで飯が食える。安全な場所で眠れる。そんな都合の良い話があるか!」
「……でも、あの子達はまだ、子供です!」
「そうだな」
「なら」
「だからこそ、大人と同じ速度で逃げる事は出来ない」
「っ!」
「連れて逃げれば間違いなく途中で捕まる。そうなれば待っているのは全滅だ」
アルフォンスが冷たく言い放った事実に、アメリアは何も言えず押し黙ってしまった。
そんなアメリアに、アルフォンスはため息を零しながら、手を伸ばす。
「もう一度言う。アメリア。共に来い。砦まで行く道も険しいが、俺が居る」
「……お断りします」
「アメリア!」
「どうしても、贄が必要だというのなら、私はここで子供達と共に神に祈ります」
「バカな……! 神など居ない!!」
大の大人すら怯ませるアルフォンスの怒声を聞いても、アメリアは引かず、逃げず、真っすぐにアルフォンスを見つめ返した。
その瞳に宿った決意が重い事を理解して、アルフォンスは小さく「分かった」と頷いて教会から出ていくのだった。
アルフォンスが出ていった事で、陰から見ていた子供たちはアメリアの元へ集まり、不安を口にする。
「アメリアお姉ちゃん……アルフォンスと喧嘩したの?」
「……お姉ちゃん」
「喧嘩ではありませんよ。ただ、私が愚かであっただけなのです」
「お姉ちゃん?」
「理由をもっとよく考えればよかった。こんな事になる前に。そうすればあなた達をこんな所に置いておく事は無かったのに」
「お姉ちゃん……! 泣かないで」
「お姉ちゃん」
「ごめんなさい。みんな。ごめんなさい」
アメリアは子供達を抱きしめ、泣いた。
そして、僅かに見える空を仰ぎ、神へ祈る。
どうか。奇跡を――と。
教会を出たアルフォンスは、教会の扉に寄りかかりながら、空を仰ぎ見る。
そこにはいつもと変わらない青空が広がっており、アルフォンスの心をジリジリと焼くのだった。
「団長。アメリアさんはどうでした?」
「……神の信奉者様は、この地に残る決断をした。子供を見捨てられない、とな」
投げやりに放ったアルフォンスの言葉に、部下たちは続く言葉を言えず黙ってしまったが、アルフォンスが地面に視線を落としながら落ち込む姿を見て、必死に励まそうと言葉をかける。
「あ、あんまり気にしない方が良いっスよ、団長!」
「そうそう。東7地区の砦は美人も多いて話ですし。団長ならすぐいい人見つけられますって!」
「……」
「あー、えっと」
部下がどんな言葉をかけてもアルフォンスは何も言わず、地面を見つめたまま黙っていた。
しかし、部下達が完全に黙ってしまってから、アルフォンスは緩やかに口を開いた。
「お前ら、村の連中を砦まで護衛しろ」
「それは言われなくてもやりますけど」
「団長はどうするんですか?」
「俺は……」
アルフォンスはもう一度空を見上げて、呟いた。
「俺はここに残る」
アルフォンスの瞳には静かな決意が込められていた。
一人の男として、ここで命を捨てる覚悟があると訴えていた。
「何言ってるんですか!? 団長! 魔蟲の群れですよ!? いくら団長でも!」
「問題にはならない。俺は無敵だ」
「団長……!」
「死ぬっスよ。団長」
「あぁ……だろうな」
「団長!!」
「だが、それでも……守りてぇモンがあんだよ。今度こそ。失いたくねぇモンがある」
その言葉に込められた想いに、部下達はアルフォンスの説得を諦め、砦からすぐに応援を呼んでくると走り去ってゆくのだった。
そして、一人残されたアルフォンスは戦いの準備を始める。
教会に貴重な《魔力》で作った見えない壁を作り、自身は教会に近づくモノを全て駆逐する為に武器を揃えた。
「……来たか」
アルフォンスが準備を始めてからそれほどせずに、耳障りな羽音を響かせながら、人と同じくらいの大きさをした様々な種類の魔蟲が村の中に現れた。
その黒い体で空を飛び回り、人々が遺した食料や家を食い漁る。
「しかし、バカだな。俺も……」
アルフォンスは小さく息を吐きながら、子供と同等程度の長さの剣を握り、空へ跳ぶ。
そして、近づく魔蟲を端から順に突き刺し、切り捨て、殴りつけ、滅ぼしてゆくのだった。
剣を振るえば何かに当たる様な戦場で、アルフォンスは一匹でも多く魔蟲を倒そうと剣を振るい、《魔力》を込めた石を投げつけ爆発させ、そしてすぐに食べられる食事で体力を回復しながら戦い続けた。
教会に近づこうとする全てのモノを蹴散らし、滅ぼし続ける。
あまりにも多すぎる敵に、皮膚が割け、血を流し、地面に叩きつけられても戦い続けた。
魔蟲が教会を狙い続ける限り、いつまでも……いつまでも……。
教会の中で震えながら子供を抱きしめていたアメリアは、ふと外から聞こえてくる恐ろしい羽音や、何かがぶつかり合う様な音が聞こえなくなっている事に気づき、顔を上げた。
そして、子供たちに中で隠れている様に言ってから、静かに教会の中を歩き、大きな扉を少しずつ開けて外の様子を伺った。
「……ひっ」
アメリアの目に飛び込んできたのはまさに地獄絵図であった。
多くの魔蟲であったモノ達が転がり、地面は赤く染まっている。
「し、死んでいるんでしょうか? これは……でも何が」
アメリアは慎重に扉を開けて外を見た……が、そこに生きている魔蟲はおらず、視界に見える全てが地面に転がり、死んでいる様に見えた。
まるで大規模な戦闘の後の様であった。
そして、アメリアは外へ一歩踏み出してすぐ、何かを感じて横を見て……息を呑んだ。
「あ、アルフォンスさん!?」
アメリアは血に濡れながらも教会の壁を背に座っている男を見て、悲鳴を上げた。
しかし、アメリアの声を聞いても、アルフォンスは身動き一つしない。
言葉も発しない。
その意味を、アメリアはすぐに理解してしまった。
周囲を見渡して、無事なままの建物など一つもない村の中で、唯一ほぼ無傷のまま残されている教会。
考えるまでお無い。
答えなど一つしか無いのだから。
「アルフォンス?」
「アルフォンスが来たの?」
そして。
アメリアの声を聞いた子供達が、隠れていた場所から飛び出して、アメリアの居る所まで走り、見てしまった。
ぶっきらぼうで、口では何だかんだと言いながらも子供の事を思っていた男の姿を。
「アルフォンス!」
「お姉ちゃんと仲直りしに来たの?」
「ねーねー。アルフォンス!」
子供たちが座り込むアルフォンスに駆け寄り、いつもの様に肩を揺らしても何の反応もない。
静かにただ眠り続けるだけだ。
「お姉ちゃん。アルフォンス寝ちゃったー」
「起きないよ」
「……っ」
「ね、お外で寝ると危ないよってお姉ちゃん言ってたもんね」
「おきてー! アルフォンスー!」
アメリアは口を押え、溢れる涙と嗚咽を漏らさぬ様にとただ、耐えた。
だが、それでもアメリアの意思とは関係なく、涙も声も零れてしまう。
「お姉ちゃん?」
「なんで泣いてるの。お姉ちゃん」
「泣かないでー」
アメリアが泣いている事に気づいた子供たちが慰める様にアメリアを撫でるが、アメリアの涙が止まる事はなかった。
そして、アメリア達がアルフォンスを発見してから半日後。
砦から傭兵たちが村へたどり着き、教会が無事残っている事に驚愕する。
それからすぐに教会の中へ入って、まず神に祈りを捧げた。
「いや、まさか教会が無事とは……神のご加護でしょうか」
「いえ……」
「……?」
「これは奇跡などではありません。決して」
そう。これは、奇跡などではない。
そして語り伝える様な英雄譚でもない。
ただ一人の男が、愛に生きただけの物語だ。